「Wikipedia:削除依頼/未成鉄道の失効路線一覧」について

 ワールドカップの中継を見ようと思って早朝起きて、「Wikipedia:削除依頼/未成鉄道の失効路線一覧 - Wikipedia」を見たら、以下のような結果になったようです。

  • 議論の結果、削除意見多数により削除とします。

 その理由は

  • 書籍からのデッドコピーという点
  • 不法行為の成立・ウィキペディアへの信頼に対する懸念(問題視)
  • 御一人を除いて強い存続意見が無かった

などのようです。
 個人的に注目していた、この図表に著作権があるのかどうかという点については、

  • 編集著作権の問題は判断を控えます(考慮せず)

とされております。
 私の作成した図表に関して、編集著作物であるかどうかについては、著作権法第12条が関係してきます。http://www.cric.or.jp/db/article/a1.html#2_1

  • 第十二条 編集物(データベースに該当するものを除く。以下同じ。)でその素材の選択又は配列によつて創作性を有するものは、著作物として保護する。
  • 第十二条の二 データベースでその情報の選択又は体系的な構成によつて創作性を有するものは、著作物として保護する。

 ただ、当方の作成した図表が創作性を持つのかどうか。判断するのはなかなか難しい。過去の判例もいろいろと分かれているようです。


 そこで私は「10年前に僕が作成した鉄道未成線資料400件がそのままWikipediaにパクられた話 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」において、

  • 「備考」欄のコメントがそのままほぼ丸写しされている点

を指摘し、続く「読者の方とWikipediaの編集者の皆さんへ - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」で、

  • 「備考」欄に記した情報は、元資料をそのまま引き写したのではなく、私自身が調査・編集したものです

と主張し、あわせて

  • 1. 2009å¹´10月20æ—¥ (火) 01:15以前の記事にある資料を全て削除してください

と要望しました。


 図表が著作物であるかどうか判断は難しいというのは、ある程度自覚していましたし、「Wikipediaに著作権侵害された話」ではなく「Wikipediaにパクられた話」という書き方にして、その一方で"「備考」欄"の存在を主張しました。
 「Wikipedia:削除依頼/未成鉄道の失効路線一覧 - Wikipedia」ページを見ている限り、Wikipediaの編集者たちが様々な議論が尽くしてくれたことが分かります。当該図表が編集著作権で保護されるものなのかどうか……やはり判断に躊躇せざるを得ない。
 仮に、これが著作権的に「シロ」とされた場合、今後、本やネット記載のデータを丸写ししてWikipediaに書き込んでも問題なし、となりかねない。それはWikipediaの目指す方向と違うのでしょう。
 「クロ」となると、現在のWikipediaの相当数の資料が削除を含めた議論の対象となりかねない。それも別な意味でややこしいことになる。
 微妙なところです。そうした線引きは僕の望んでいることではない。
 と、共に、私もWikipediaの彼らも裁判官じゃないんだから、線引きを判断する立場にはない。


 ゆえに最初から

  • 著作権が侵害されたどうのこうのというより、文章の書き手としての「仁義」や「マナー」はどうなんだろうか

という個人的感情をアピールし、別な落としどころを示唆しました。
 Wikipediaの編集者が道義的な側面を指摘した上に、「編集著作権の問題は判断を控えます(考慮せず)」とされたのも、いろんな事情を考えてのことなんでしょう。当方が編集著作権について強硬な主張をしていないのも同様。法律的な判断を避けて結論を出すのも、それはそれでいいんだと思います。


 過去3つのエントリーに様々なコメント、ブックマークをいただきありがとうございました。皆さんの書き込みをいろいろ参考とさせていただきながら、著作権の知識を再整理し、自分のリアクションをどうすべきか考えていました。
 短期間にブクマが集中したからか、いろんな「まとめサイト」にも転載されたようです。かといって、ブクマを見ている限り、Wikipedia叩きや僕個人への批判が続くような「お祭り騒ぎ」にもならなかった。はてなの独特な雰囲気が今回の僕には非常に有り難かったです。
 間を置いて、僕自身がWikipediaに直接書き込むつもりでしたが、どなたかが削除依頼していただいたお陰で、ある種、理想的な形で議論できたのだと思います。
 Wikipediaの削除依頼ルールがあるのは承知していますが、「僕1人vs無数にいる編集人」という構図になってしまうと僕的には辛いモノがあります。彼らと直接議論すると感情的なやりとりになりかねませんでした。断定的な物言いをする人も少なからずいらっしゃいますから冷静な議論にならない。
 自分の土俵(はてなの日記)があったからこそ、彼らと対等の関係を保ちながらWikipediaでの議論を少し離れたところから見つめることができました。その距離感が、1人で大組織に対抗するには有効に働いたようです。
 最後になりますが、読者のみなさま、ありがとうございました。あと、Wikipediaの編集人のみなさん。真摯な対応、感謝します。さらによりよい記事で楽しませていただけることを期待しています。