8月ももう半分近く…

とりあえず。
14歳からの告白おめでとうございます。
いや、私は14歳はストライクゾーン外ですよ?

12日は日航ジャンボ機墜落の日でした

「日航ジャンボ機墜落―朝日新聞の24時」(朝日文庫、ASIN:4022606061)という本が愛読書の一つだ。この本は、日航ジャンボ機墜落からその24時間後までの、朝日新聞社会部の動きをまとめたものだ。朝日新聞の報道姿勢(特に政治がらみ)については色々言いたいこともあるが、この本については非常に気に入っている。
思えば、1985年のあの日、母の実家に里帰りしていた私は、第一報からずっとテレビの前にかじりついていた。フジテレビの特番で、確か露木アナウンサーが出演していた。翌日、たった4人の生存者のひとり、川上慶子さんが自衛隊のバートルにつり上げられていくところも覚えている。
この本は資料的価値も高い。今となってはネットがあるが、ほんの数年前までボイスレコーダや乗客たちの遺書が読める機会は少なかった。必至で期待を立て直そうとする操縦士たち、封筒などの切れ端に家族宛の遺書を書いたビジネスマン。彼らは死を目前にして何を思ったのか?
自衛隊や、警察や、消防団の行動にも触れられている。極限状況の中で、彼らはプロとしてどう振る舞ったのか(消防団はプロじゃないかもしれないが)。
現場を捜索していた彼らが生存者を発見した場面。

しばらくしてから、西村の声が無線機に入って来た。「機体を見つけたところ(水平尾翼発見現場)から、約一時間沢ぞいに登った所で、今、我々の前を担架に乗せられた人が運ばれていく。生存者だ」。バートルから次々と自衛隊員がロープで降りて来る。現場は喧噪に包まれた。一人目の生存者が高松の目の前に運ばれて来た。カメラを突き出し、シャッターを押すうちに、高松は突き飛ばされていた。「報道、どけー」。担架を担いでいる隊員や消防団員の目の色が、さっきとはすっかり違っていた。(注:西村、高松は朝日新聞社員)

この場面を読むたび涙が出てきそうになる。この記述の少し前で、あまりの惨状、乗員乗客絶望と思った自衛隊員のやる気のなさげな描写があるが、次にこれである。報道、自衛隊、消防隊員。そして周辺には当然警察もいただろう。それぞれがプロの誇りと使命感に燃えている様子が伝わってくる(報道に関してはその報道姿勢を巡って議論のあるところだが、少なくともこのシーンにおいて報道は純粋な「報道意欲」と呼ぶべきものが支配していたであろう。「報道意欲」に善し悪しはないと考える)。
こういう文章を読むと、職業とは何か、働くということはなんのためか、職業倫理とは何かということを考えさせられる。
働くということは、もっと純粋なことなのではないだろうか。