幼稚園に砂場がなかったので人生に必要な知恵を学べなかった

トラックバックしやすい記事を発見したので早速食いついてみる。こういう記事を提供してくれるところが id:fromdusktildawnさんの人気の一因なんだろう。


大人になっても、人生の楽しさの本質は、無心に遊ぶ子供となんら変わらない。

大人も、楽しくなるためには、子供のように、砂場や積み木や遊び友達が必要なのだ。

これを言われるのはつらい。どちらかというと俺は砂場でつまはじきにされた人間であるからだ。でもそういう人は多いのではないか? ニートなどはいうに及ばず、社会のつながりをもっていてもそれを積極的に楽しみ、活用してるとはいえない人も多いだろう。隣の人気者が作る大きな山やトンネルをにらみながら、自分の持つ壊れかけた人形で建造物を壊すガキが着々と増えているのではないか?

そもそも、大人の砂場遊びが好きでうまくできるのなら、そもそもくじに人生をかけたりはしないはずだ。

そういう面も含めて、「砂場遊び」という比喩は恐ろしく的確だ。外から見て無邪気に遊んでいるように見えても、中ではピアプレッシャーが常にかかり、どうやって人員を動員するかを考えつつ、お気に入りの子に振り向いてもらうために砂をかける。いい場所をとったかと思えば猫の糞だ。なんであんな場所に戻らなきゃいけないんだろうか。

本当にわれわれの公園には砂場しかないのだろうか。きけば親友だと思っていたゆうじくんは、俺が砂場で泣いていたときにお医者さんごっこなるものをやっていたらしい。うらやましい話だ。

そう、大人になれば「砂場」以外の選択肢が見えてくるはずである。そうでなく、これから先数十年、あの砂場の中で戦い抜かねばならないとしたら人生はあまりにもきびしくさびしい。あのころは、5時になれば親が迎えに来てくれた。中年となっては親を自分の中に作り上げなくてはならない。

そういう方針で、私は「砂場」にはなるべくかかわらないように、でもそれなりの食い扶持を得られるようにすることで現在はそれなりに心安らかな生活を得られている。

あ、でもこうやって「はてな」って砂場に乱入してしまったか。こうなると、fromdusktildawn君の言うとおりに動いてしまっているようで悔しい。ちょっとあっちの砂山のはじっこを崩してやるか。