hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

いつも屠場(とじょう)労働者の みなさんが 笑顔で いられますように。

 肉を たべること、そのために 動物を ころすことについて、何度か かいてきました。

 いろいろな感想を もたれるのは わかります。けれども、屠場(とじょう)労働者の立場も かんがえてみてほしいのです。だれかが「わたしは わらって ころせない」というとき、ただたんに そのひとの感覚を かたっているだけなら かまいません。けれども、「わらって ころす」ことを マイナスにとらえ、「涙を ながしながら ころす」ことを 美化したり、プラスに評価するようなことは、絶対にしないでほしいと おもっています。
 何千、何万もの 動物を たべていながら、いざとなって 自分で ころすときには 涙を ながすようなことが、そんなに うつくしい ものがたりでしょうか。


ヴェジタリアンから幾つか - Living, Loving, Thinking というトラックバックを いただきました。この記事のなかにある「葛藤」や「そんな単純なものではない」というフレーズに、すこし いやな 気分を 味わいました。


 屠場で しごとを している ひとたちは、毎日のように「葛藤」しなくては いけないのでしょうか。そんなことはないはずです。それは、id:sumita-m さんも 否定なさることでしょう。「葛藤しているのではないだろうか?」という疑問であるとすれば、半分は ほんとうで、半分は ちがうのだろうと おもいます。もちろん、感覚は、ひとそれぞれでしょう。


 けれども、わたしは、「社会」に やとわれて 屠場で しごとを している みなさんに、毎日の しごとのことで 葛藤など いだいてほしくは ありません。複雑な おもいを かかえこむことなく、単純に かんがえて、毎日の業務に とりくんでほしいです。しごとのあとの ビールが、最高に おいしい。そんなはなしを ききたいです。


 この社会で 肉を たべている たくさんの ひとたちがいる。そこにニーズがあり、屠場という空間が あります。そして、肉を たべている たくさんの ひとたちは、「涙を ながしながら 肉を たべる」どころか、「いつも たのしく 食事している」では ありませんか。葛藤など、していないでは ないですか。
 それなら、この社会で たのしく食事している たくさんの ひとたちと同様に、あるいは それ以上に、屠場で しごとを している みなさんが、いつも笑顔で くらしていける社会であってほしいと おもいます。「きたない」とか「こわい」といって 差別されるようなことが なくなってほしいと おもいます。


 わたしの発想は、あくまで単純です。それを 指摘されるのは かまいません。けれども、屠場から とおいところに いるひとが、「葛藤」などという「ものがたり」を、「憶測で かたる」のは やめてほしいと おもいます。


 屠場(とじょう)で しごとを されている みなさんが、いつも 笑顔で いられますように。こころから ねがっています。