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漢字が 排除するもの

ある記事を 紹介します。


「日本語から漢字を引算できるか?」(彎曲していく日常)


うえの記事は、日本語から 漢字を とりのぞこうとするのは、排他的なナショナリズムだという内容です。

こうした主張は、子安宣邦(こやす・のぶくに)『漢字論-不可避の他者』岩波書店に かいてあるはなしです。


わたしは日本語表記の問題について 8年まえから かんがえています。わたしの議論は つぎのとおりです。


漢字は、文字表記として ふくざつすぎるために、さまざまな文字弱者を 排除し、抑圧している。

もちろん、漢字を なくせば 文字弱者が いなくなるわけでは もちろんない。だが、おおきく改善することが たくさんある。

わたしが「漢字という障害」という論文で指摘した漢字弱者は、非識字者や識字学習者、盲人、弱視者、ろう者、中途失聴者、読字障害を もつひと、知的障害者、日本語学習者です。

そうしたひとたちが文字情報にアクセスする権利を うばっているのが、いまある日本語表記に ほかなりません。漢字が障害となる どあいは、それぞれ ことなっています。けれども、なんらかの かたちで、漢字は障害として はたらいているのです。


それでは、漢字を なくせば いいのか。

はたして、漢字を なくすことは できるのか。


議論は、そこで おおきな みぞが できてしまいます。「できる!」というひとは、実践的に漢字の問題に とりくみます。

「できない!」というひとは、なにも しません。ここにあるのは、イチかゼロかの発想です。

よくあるのは、「漢字を なくせば 同音異義語の問題が発生してしまう」というものです。

ここにも、イチかゼロかの発想が かいまみえます。それなら、わかりにくいものには かっこに漢字を そえれば いいじゃないですか。あるいは、ことばを いいかえていけば いいじゃないですか。


「日本語から漢字を引算できるか」という問題の こたえを だすのは、日本語を よみかきしている ひとであって、だれかが こたえてくれるものでは ありません。

もし、多数派が「できない」という こたえを だすのであれば、どうしたら いいのでしょうか。

こたえは かんたんです。イチかゼロかの発想を すてることです。


「漢字が うみだす情報障害を、とりのぞくことは できるだろうか」という問題に とりくむことです。表記の改善と「通訳」の提供(文字情報サービス)を 実施することです。

漢字表記の日本語を ひらがなだけの文章や ふりがなつきの文章に変換することは、ある程度ではあれ、できることです。そして、その精度を さげてしまっているのは、ひとつには人名や地名などの固有名詞の漢字であり、また、漢字の よみかたが たくさんあることです。


とくに訓よみは、日本語漢字を ふくざつにしています。


だから、つぎの ふたつが課題になります。

  • 固有名詞の漢字には、かなを そえること。
  • 訓よみ漢字を なるべく つかわないこと。

そして、文字弱者が 出版された本などの「電子データにアクセスできるようにすること」も必要になります。そうすれば、自分にとって よみやすい表記に変換できるからです。

いかがでしょうか。


さいごに、盲人の福井哲也(ふくい・てつや)さんの文章を 紹介したいと おもいます。