デジカメなのに一眼レフは形に意味がないのでは

カメラの形はもっと自由なはずなのに、長年35mmフイルムの頂点に位置してきた一眼レフはその形の合理性が失われても王者として君臨している。これはなんだろう。機械式時計が正確さで電子時計に負けてもその美術品的価値で生命を存続しているのに近いのか。作り上げられたブランドがというより一眼レフというのがブランドになってしまったのか。
カメラとしては二眼レフのような使い方ができる、つまりカメラを目から離す事ができるカメラの方が自由度か高いと思う。液晶画面は何の為に付いているのか。それはカメラを地面近くに置いてみたり両手一杯離して構えてみたりできるはず。つまり被写体に対し直角の位置に液晶があった方がいいのである。液晶だから左右反転も自由で二眼レフの欠点もない。今でも一眼レフが高級カメラの位置に存在している事が間違っている。人間というのは長年続いた慣例から自由になれない。もっとカメラはフォルムから自由になりたがっているはず。
もちろんいくつかの試行錯誤があって売れなくて結局の一眼レフなのだろうがデザイナーの怠慢もあるような気もするが、それ程までに人間の既成観念が離れがたいという事かもしれない。
必要ないのに残っているもの、これがないとそれに見えないというのは結構ありそう。盲腸みたいなものか。今はもう必要ないのにそれがないと格好がつかないので形だけ残るみたいな。
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関係ないけど上から覗いて撮影するタイプのアレに慣れなかった。像と自分の動作を同期させるのができなかった。

それはレフ版で左右反転してるから。液晶画面ならそういう欠点を克服できるのです。