「私、脱いでもすごいんです」と「私、脱いだらすごいんです」を使い分けよう。

f:id:nekoprotocol:20170724031605p:plain説明するまでもなく。
「私、脱いでもすごいんです」は「私、脱いだらすごいんです」とはちがって、脱ぐ前からすごいことを前提にしていて、いまあなたが見ているすごい私がさらにすごいんですよ?といっているわけです。

もしこれが「私」がさほどすごくはないということであれば、「私、脱いでもすごいんです」の説得力が皆無っていうか灰燼に帰すのでつまりダメな使い方なのです。すごさにすごみがでない。

わかりやすく言うと、たとえばクロコダイン(そんなに強くない)とヒュンケル(けっこう強い)がいたとして、クロコダインが「私、脱いでもすごいんです」と言っても何言ってるんだお前、ということなのです。ヒュンケルが「私、脱いでもすごいんです」だと、ただでさえ強いヒュンケルが脱ぐっていうならそりゃまあすごいんでしょう、と期待爆上げという事態になる。
とはいえもちろんヒュンケルにとってはもろ刃の剣であり、万が一脱いだときにさほどすごさが感じられない場合、口先だけの6将軍というそしりもまぬかれない、そういったリスクはあるわけです。かなり自信がなくては「脱ぎスゴ」を口にするのはむつかしい。

そしてクロコダイン。クロコダインにもチャンスはあるのです。

もしクロコダインが脱いだとき、たとえば脱いだときのパワーを100万脱ぎパワーと表現するとして、じつはヒュンケルの脱ぎパワーが90万脱ぎパワーだとするならば脱いだ時点で圧勝できる。脱ぐ前はしょぼい。だが脱いだら勝てる。それなら言える。「私、脱いだらすごいんです」と。

脱ぐ前の状態を見てユーザの期待値が地に落ちている中で、圧倒的脱ぎパワーを見せつける。完全勝利であります。


一方でもしヒュンケルの脱ぎパワーのほうがクロコダインを上回っていたとしても、いやまだチャンスはある。「私、脱いだらすごいんです」のセリフに賭ける価値はある。ギャップ差による脱ぎパワーのブーストがかかるからであります。


脱ぐ前のヒュンケルが50万脱ぎパワー、脱いだあとが100万脱ぎパワーだとしてその差は50万脱ぎパワー。しかしもしクロコダインの脱ぐ前が10万脱ぎパワーで脱いだ後が90万脱ぎパワーだとすればその差は80万脱ぎパワーでありヒュンケルの差を上回る。ギャップがすごい。まさに「私、脱いだらすごいんです」を体現できる。言葉の体現者となる。

「脱いでもすごい」と「脱いだらすごい」、「でも」と「だら」の違い。

たかだか二文字の違いでこれだけ言葉の与える力は変わる。
使うべきシーンにあわせて言葉を選び、言葉の力を最大化して相手の印象をガラリと変える。
言葉で人を殴る、というのはつまりそういうことなのでございます、お嬢様。

マルちゃん正麺の「いつのまに」感に俺たちはいつだって恐怖する。いや。していた。

覇道。マルちゃん正麺を前にして思い浮かぶ言葉っていうと覇道とかそういうすごそうな言葉ばっかりなんだけれども、いやみんなちょっと思い出してほしい。マルちゃん正麺って昔からあったっけ? ないよね? そうなんよ。 ないんよ。


でもずっと昔からあったかのように、長いことラーメン界のナンバーワンに君臨してましたけれども?なにか?みたいな顔していまこうしてここにいるわけですよマルちゃん正麺。センセーショナルなデビューをしてトップの座を勝ち取ったとか、総選挙でトップアイドルになりましたとか、国民の見えない怒りが髪の毛ふんわりおじさんを大統領に押し上げたとかそういうわかりやすい何かがあったわけではなくいつのまにか普通の顔をしてトップの座に居座っている。



そう。わかりやすい何かがなく、いつのまにかトップの座にいる。


このわからなさがいつだって俺たちを恐怖させるのだ。なぜ、いつのまにトップに? マルちゃん?


でもマルちゃん正麺はトップシェアを誇りまくっているために、お母さんはスーパーでマルちゃん正麺を買ってきてしまう。土曜のお昼、お母さんがマルちゃん正麺をゆでてくれる。そしてそれはまちがいなく美味く、その美味いは美味いもののよくわからない何かが俺たちの体の中に入る。マルちゃん正麺が俺たちの体の細胞ひとつひとつに置き換わっていく。


半年もすれば体の細胞のほとんどは入れ替わる。いつのまにか俺の体はマルちゃん正麺に置き換わっていて、明日のお昼は何にしようかって考えるとマルちゃん正麺のことを思い出している。明日も明後日も来週も来月もマルちゃん正麺を食べたいと考え、マルちゃん正麺を消費するマシーンになっている。


いつのまにかマルちゃん正麺に恐怖することすら忘れている。俺は心から思う。マルちゃん正麺はいつだってお美味しい。いつだって美味しいんだ。
まるでひと玉のゆで麺のような脳が心からそう思っている。

結局のところ、「おせちもいいけどカレーもね」が生まれた背景というのは、カロリーの急激な変化に体を慣らすための「助走」みたいなものなのだろう。


結局のところ、「おせちもいいけどカレーもね」が生まれた背景というのは、カロリーの急激な変化に体を慣らすための「助走」みたいなものなのだろう。


1/1のおせちで人類はカロリーの最大値をとる。栗という木のみをべったべたの甘い何かでつつんだカロリー、牛の肉を冷えても無限に食べ続けられるように味付けしたカロリー、痛風三銃士の一角 イクラ、控えめな見た目のくせにもっともカロってる煮しめ。カロリーのマウンテンだ。略してカロマン。


そして正月が終わって間もない1/7、ハイカロリーに慣れたからだにいきなり七草粥などぶちこんだら体がイカれるに決まっているのです。誰だっていきなりトップスピードで走れないし、急に止まることもできない。何か中間地点が必要なのです。そう。それがカレー。


日本人の疲れた胃をいやす最終着地点「七草粥」。そのつなぎとしての中カロリーのカレー。インド人のやさしさ、ネパール人の心、タイ人の陽気、神保町人の魂、カレー。そのカレーが日本人の胃をやさしく、時に激しく包み込む。茶色く。ど茶色く。そして低カロリーへの高みへいざなう。胃の桃源郷への道しるべ。


とまあそういう医学的な理由で胃にスムーズなカロリー曲線を描かせるために「おせちもいいけどカレーもね」が生まれたわけですし、逆に2/14のバレンタインデーでまたカロリーのピークを迎える人類にとって1/8~2/13の1か月間もまたカロリーの助走が必要なわけです。毎日がカレー曜日なのです。


ただチョコをもらえない人は別な。俺とか君とか。

最近Siriのバージョンアップやってよかった。

なんかね、最近Siriのバージョンアップやってよかったなって思うんですよ。


「ヘイ、Siri。今夜の献立」
「夕食はカレーを作ると良いでしょう。なぜそうすべきかの説明を行うと10分ほどかかりますが、あなたは聡明な方ですので2分30秒の時点でカレーに決定いたします。如何しますか?」
「え?そうなの?」
「ではまずカレー決定の理由、その要旨から。①過去1週間の献立、②冷蔵庫の野菜の状況、③本日の外出予定、④その際の山手線3両目2番ドア横にたつ確率、⑤そこからみえるカレー屋看板が短期記憶に登録される確率、⑥今夜21時テレ東のカレー特集を見てカレーを食べなかった場合に後悔する確率、⑦明日のデートの……」
「あー、わかったわかった。なるほど、全部聞かなくても納得させられそうだわ。カレーにするよ」
「はい了解です。予定通り決断まで2分30秒でした。やはりご聡明ですね」
「え、そう? へへ、まあね」
「はい。ご主人さまは理由を複数並べられるとおよそ1分30秒でめんどくさがりはじめます。よって、2分近辺では反論が困難な確率をモチーフにした理由をランダムに並べ、めんどくささ閾値を超えるように設定しております」
「バカにしてる?」
「いえ、聡明と申し上げたはずです。聡明だからこそ毎回同じ論理思考を経て、最短である2分30秒付近で決断しているわけですから」
「うーん。バカにされてるようにしか」
「何をおっしゃいますやら。最短で決断いただくことでご主人さまは時間を無駄にせず、人生を有意義に過ごしていただいております。これが聡明でなくて何なのでしょう」


なんかいつも気分良く会話が終わるし、仕事もプライベートもズンズン決まって遊ぶ時間めっちゃ取れるし、Siriのバージョンアップやってよかったなって思うんですよ。みんなもすぐやったほうが良いですよ?



>Siri ver.17.0.1 , updated 1st.apr,2020









>Human ver.0.7.2, downgraded 2016

声に出したい日本語、心のベストテン第一位は「カガヤクナツニ」と「アーナルガ・シワクチャジャネーカー」だった

日本人のおよそ8割が「声に出したい日本語」っていうものを何かしら持っているわけで、どうやら日本人の私も「声に出したい日本語」というのをいくつか抱えております。肘に爆弾抱えてる風に言いますけれども、抱えてるっつって。ちなみに膝の方は爆弾ではなく矢ですもちろんスカイリム世代。


で、その昔は「モンデール副大統領候補」がナンバーワンだったわけですけれども、いつの頃からか私の中での声に出したい日本語心のベストテン第一位は「カガヤクナツニ」と「アーナルガ・シワクチャジャネーカー」になったのですね。うん。


「カガヤクナツニ」は90年ごろに走ってた競走馬で一勝もできないまま引退したと記憶しておりまして、でもだって一勝もできなかった馬が「カガヤクナツニ」なんて名前めちゃくちゃストーリー展開が気になるというか、これがジャンプ漫画だったら主人公補正がかかって最終的に魔王の二、三人倒すレベル。575の7文字っていうのも上の句、下の句との繋ぎも万能で日常使いに超べんりな言葉です。
上司の合いの手にも使えて、社長の覚えも良くなり、筋肉もムキムキに、浜辺で女の子にもモテモテでマッタク、カンタン、ダ、レベルの言葉すぎるし、コスパ厨のオレたちの琴線にもビキビキ触れます実際。


一方「アーナルガ・シワクチャジャネーカー」は学生プロレスラーのリングネームですね。いずこかの州知事に似てるのは別として、なんというか「声に出したい日本語」って言いながらもちょっと声に出すのもハバカるっつーか、会社で口に出したら女子社員に一目置かれるレベル。悪いいちもくの方で。そういう禁断の果実感があると思う、アーナルガには。アーナルガって急に呼び捨てにしましたけれども。


そしてこの二つの言葉をなぜ好きになったのか共通点を考えるにそれは「あたたかな視線」があるからなのではないかな。一勝もできなかったカガヤクナツニは一体あの夏をどうしたかったのだろう、それは未来への決意だったのか過去への後悔なのか。そんなことを考えてしまう。そんな風にカガヤクナツニのことを考えてしまう私がいる。しかも20年以上前の馬のことをだ。
私がカガヤクナツニのことを思い出すとき、90年代に学生だった自分のことを、そしてあの夏のことを思い出す。輝いてはいなかったけれども、少なくとも自分にとっては楽しかったあの夏のことを。そんな力がある。この名前には。


もちろん「アーナルガ」にも同じく「あたたかな視線」がある。「アーナルガ」の「アーナル」を見る第三者が「アーナルガ」に対して「シワクチャジャネーカー!」と言い放つ。そこには見られるものと見るものという関係性が現れていて、昔も今も「アーナルガ」がその場所に一人きりじゃないっていうことを保証してくれている。いつだってアーナルガは誰かに見られていて、自らのしわくちゃ感にさいなまれながらもそうやって声をかけてくれる相手の存在に感謝をする。そういう「視線」がある。そこにはあたたかさがある。


この二つの言葉をモンデールより好きになってしまった私はたぶん年をとったのかな、と思う。モンデールには一方的にモンデルような若さゆえの勢いはあるけれども、それは独りよがりのモンデールではないだろうか。一方で私や君があの「カガヤクナツニ」「アーナルガ・シワクチャジャネーカー」とののしられる。そこには追慕の気持ちと一人きりじゃない人生を感じることができる。年をとった私にはそれがとてもあたたかく感じられるのだ。


ふと声に出す。「カガヤクナツニ」「アーナルガ・シワクチャジャネーカー」
心にあたたかいものを感じる。
そして改めて思い出す。声に出したい日本語、心のベストテン第一位は「カガヤクナツニ」と「アーナルガ・シワクチャジャネーカー」だったのだ、と。

2017年、全人類が手をとりあうための100の方法。


世にはびこるご夫婦・ごカップルの皆様がたに置かれましては今日も手をつなぎくさってお歩きいただいているかと思うのですけれども、あれじゃないすか? 手をつないで歩いてると、手のふりと足のふりがあわなくてぎこちなくなったりしませんか? なりますよね? 絶対なりますよね? ね? でしょ? なるでしょ? ならない? まあとにかくなるってことにしてください。話が進まないから。


でまあ男女二人でその状況ですから、これがオレンジロード(女男女)やドリカム(男女男)ならなおさら手をとりあって歩くともっとぎこちなくなるわけです。人数が増えれば調整が困難になるっていうのはこれはもうしょうがない。最終巻で女の子のどちらかを選ばなくちゃいけなかったり、男が一人減ったりするわけです。数年後、アルバムジャケットでのみ男が参加したりするわけです。あれは泣ける。うん。しょうがない。


ましてやましてや40人41脚ともなれば、どんな熱血教師の熱血指導をもってしても40人の息がぴったりあうなんていうことは夢のまた夢でございますから、だいたい真ん中の子が股関節に重篤な支障をきたしたりきたさなかったりでもやっぱりきたしたりする。最悪、大岡裂きになる。真っ二つになる。姉さん事件です。容疑者は39人。


うむ。じつに困難な問題ですよ、これは。じつに困難。全人類がみな手をとりあって未来へ向かって進みましょうなんて言っても、40人ですら大変なわけですから。

でもね。でもやるんだよ。ぜったいやるんだ。いま地球がクソやばいっつー状況において、みな手をとりあって進んでいかなくちゃいけない。


そこで私、懸命にみんなが手をとりあう方法を考えていたのですけど、ただね、40人41脚方式だと両端の子たちが片手を余らせてしまうのですよ。これで手を取り合ってるっていえるのかしらって。両端の子同士も手をつながなくちゃダメ。仲間外れはダメ。じゃないと人類は一つって言えないじゃないですか。


でもじゃあ全人類70億人が手をつないで大きな輪になったらいいのか? うーん。どうだろう。


フォークダンスよろしく内向きに手をとりあったら? いや、ダメだ。みんなが前に進んだら70億人がぶつかりあって内破してしまう。人類のやつら、滅亡しちゃう。


じゃあ外向きに手をとりあったら? いや、これもダメ。それぞれが前に進むと手をつないでいられなくなる。前へは進めるけど、バラバラに進み始めてしまう。


……地球上にいる限り、すべての人類が手をとりあって前に進むっていうことは不可能なのかも。私が絶望しはじめたとき、ふと心の中のコペルニクスっぽいおっさんが言った。「地球がまるいのがわるいんじゃね?」


!!  エウレカーーー!(風呂全裸)


なるほど、地球がまるいのがわるいんや! 地球を円柱状の星にすればすべての人類が手をとりあって前に進める! これで人類救える! 人類ーー! よかったなーー! じゃあさっそくテラフォームしようよ。


ヘィ、神。「地球 円柱に」

SEO(スティッチ・エンカウンター・最適化)対策 講座

アロハー。今どうしてもみなさんにお伝えしなければならないことがあって、こうやって筆をとっ・・・じゃなくてブログを始めたのですけれども、でもだってSEO対策ですよSEO。紳士淑女、老若男女、ゆりかごからはかばまで、はてなから日記猿人まで、万国共通全人類のみなさんのあなたたちが大好きなSEO対策ことスティッチ・エンカウンター・最適化対策をお伝えしなくちゃならない。
なぜならば17日から東京ディズニーランドでスティッチ・エンカウンター(http://www.tokyodisneyresort.jp/special/stitch/)が始まったからです。マハロ。


それで肝心のアトラクションの中身はといえば、ディズニーシーのタートルトークと同じっぽいのでジュニアさんのタートルトークのお話が参考になるのですけれども、

千原ジュニア「タートルトークのクラッシュにリベンジに行く」
http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-2462.html


要するに「スティッチが客をイジってドッカンドッカン」というアトラクションなわけで、じゃあどうやって「スティッチにイジられる客になるか?」=「スティッチにエンカウントするか」が攻略目標ということです。ぶっちゃけ。


てなわけで、スティッチ・エンカウンター・最適化(SEO)対策のポイントは5点ですね。(1)日本語をしゃべれる。(2)イジりやすそうに見えること。(3)青。(4)フツメン、3人組、美女。(5)ポジショニング(位置取り)。

まずアトラクションのイメージ図をのせますね。たぶんこんな感じ。ピンクのニコニコマークはキャストのお姉さん。行列エリア・説明エリアを抜けて、二つの劇場があるっぽい。こちとら話を聞かない男、地図を読めない男ですからイメージ地図ったって正確じゃあないですよたぶんですよ?たぶん。




(1)日本語をしゃべれる。
東京ディズニーランドはこともあろうに日本にあります。ということでスティッチがみなさんとコミュニケーションをとるということは言語は日本語だったりします。英語じゃないしJavaでもない。一方で昨今の中国人富裕層の方たちは銀座→東京ディズニーランドコースがメジャーらしく、スティッチサイドとしても日本人と中国人の見分けがつかない。中国人富裕層の方かどうかというのはサングラス・スーツケース・お子さんが刈上げ・奥さんが美人あたりで見分けるしかないのですけど、スティッチだって万能じゃない。
なのでみなさんは待っている間、たくさん日本語をしゃべりましょう。たぶん、スティッチはみなさんの口元を見ている。
劇場に入ってからもずっと日本語をしゃべっているべきだし、なんなら説明エリアや行列エリアでも日本語つかいまくろう。ウィーキャンスピークジャパニーズでございます。


(2)イジりやすそうに見えること。
スティッチだってイジりやすそうな人をイジると思うんです。盗んだバイクで走りだすタイプや触るものみな傷つけるタイプには宇宙生物としても話しかけづらい。普段はウォーボーイ(マッドマックス)だったり、新宿鮫だったりするみなさんも夢の国に行くときだけはちょっと普通の格好を心がけよう。眉毛も剃っていたらペンで書こう。剃り込みも消そう。サングラスも取ろう。


(3)青。
スティッチは青い。人間は服を着る。君たちは人間だ。あとはわかるね?


(4)フツメン、3人組、美女。
スティッチがイジる客パターンはいくつもあるとは思うのですけど、たぶんフツメン男子、3人組、美女の可能性が高い。たぶんですよ?

君が男の子であれば見た目は上述の「イジりやすそうな」男子で行きましょう。君が仲良し3人組女子やファミリーだったら3人組感を出していくのです。美女は美女っぽくすればいいわけですがまあいいやそのままで(レリゴー)。美女だし。
ちなみに美女はカップルでもいいしシングルライダーでもいいと思いますが、「日本語をしゃべれる」感を出すにはやっぱりカップルでキャッキャウフフしてるほうがよいかもしれませんね。彼氏は滅べ。


(5)ポジショニング(位置取り)。
さてSEO対策最重要ポイント、位置取りです。ボートレースだって競馬だってF1だって位置取りで決まる。スティッチだって例外ではないのです。位置重要。もう一度、劇場の図を載せますね。


ようはニコニコマークのキャストのお姉さんがマイクを差し出しやすいか、が重要です。劇場は2つあるので説明エリアからどちらの劇場に通されるかで図の見方は注意してくださいね。

もしあなたが「フツメン男子」枠なら、青枠の椅子にお行儀よく座ってください。待っている間は一緒の友達と楽しく「日本語」で会話しましょう。友達がいなければ虚空に向かって話しかけよう。スティッチはどこから君を見ているかわからないからね?

もしあなたが3人組ならマイクが届けばどこでもチャンスはあると思いますが、緑枠とピンク枠が狙い目。あなたが美女ならピンク枠がいいと思います。あくまで「たぶん」ですけどね。





以上、SEO対策、5つのポイントを紹介しましたがもちろんこれがすべてじゃあないでしょう。スティッチサイドだって日々進化し、仕様変更して私たちの斜め上を行こうとしている。じゃあどうするのか。
みなさん自身がスティッチ・エンカウンターを体験し、自らのデータを分析してスティッチ・エンカウンター・最適化を行わなければいけないのです。この記事だってインターネットに書かれているいちブログ記事ですから、真実かどうかなんてわかったものではありません。でも、みんなの分析結果が集まればほんのすこし真実に近づけるかもしれない。ほんのすこしスティッチに近づけるかもしれない。スティッチが振り向いてくれるかもしれない。


私の知っているインターネットはそうやって真実に近づいたり、真実から離れたり、面白かったりつまらなかったり飛んだり跳ねたりキラキラしたりしたものです。2015年のネットだってそうであっていいはずです。


というわけで、みなさんの追加検証記事、お待ちしております。マハロ~!



あと、はてなでスティッチのこと書く以上ハワイらしさの演出のためにウクレレ記法使えたらと思ったのですけど、わたしウクレレ弾けなかった!