â– 

カネゴンこの歳にしてようやく、ミューズの女神または弁天様が司るよろずの芸事、つまり芸術というものの業の深さを知って震え上がっています【遅くて遅いおれカネゴン】。

この芸能の神の呼び名は何でもよいのだけどひとまずミューズで代表する。実に多くの人が、ミューズの女神の司るさまざまな芸能(音楽、演劇、映画、舞踊、詩歌、小説、お笑いその他諸々)に惚れ込んでしまう。そして、ミューズの女神を振り向かせ、あわよくばミューズの女神と一発やれるのではないかという下心とともにこれまた実に多くの人々が研鑽を積み稽古に練習に日々励んでいる【目論見おったおれカネゴン】。

しかしながら、ミューズの女神に惚れる人はこれだけ多くいながら、ミューズの女神を惚れさせ、そして床を共にする人は本当にごく少数しかいない。ちなみにカネゴン基準では、マイケル・ジャクソン、(特別好きなわけではないけれど)ジョン・レノンぐらいの位階に達しないと惚れさせたとは言えません。

そしてミューズの神は明らかに移り気で気まぐれであり、ミューズをどれだけ愛しても振り向いてもらえることはほとんどなく、それでいてときどき気まぐれに一般人に誘惑をしかけてくる。

何よりミューズは、惚れても惚れさせても必ずガメつく代償を要求してくる。その代償とは人生において最も高く付くもの、つまり人生そのものだったりする【ローンの終わったおれカネゴン】。ちなみにスティーブ・ジョブスも先年やっとローンを身体で払い終わりました。

カネゴンの先祖たちが「芸事はするべからず」と伝えてきたその意味を今にして理解しました。

â– 

そしてカネゴンは、ミューズの女神または弁財天を惚れさせることはできなくても、誰でも簡単に彼女たちの声を聞く方法を編み出すことに成功しました【霊界通信おれカネゴン】。
それは、心の中にオカマを飼うことだったりする。ミューズの女神や弁財天など、芸能芸術芸事、つまり人気商売を司る神様の本質はオカマであり、心の中でオカマ特有の鼻から抜けるあの声でつぶやいてみるとあら不思議、それはそのままミューズの言葉であり、弁財天の言葉だったりする。
そしてこの心の中のオカマ言葉は、その舌鋒が向かうよろずの芸人・芸術家および志願者の未来を予測するとまでいかなくても、彼ら彼女らの人気というものの本質をピタリピタリと当てていく。
その昔、田原俊彦という芸能人が「俺はビッグだ」と言い放った途端、何かが彼から飛び去ってしまったことを日本津津浦浦の人々がビビッと感じ、そしてそのとおりになったのをカネゴン目撃したことがあったのだけど、この現象がミューズであり、弁財天です。

â– 

このミューズまたは弁財天の振る舞いのビジュアライズ方法は以前この日記にも記載しました。