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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

森薫「シャーリー」2巻を読んで思った。『「忠臣」の姿を見る心地よさ』とはなんでしょう?

「心身ともにいま絶頂だ!」の森薫氏が、「乙嫁語り」連載の一方で書き溜めていた「シャーリー」の2巻を、初巻から10年ぶりに出したとか。

カフェを経営する女主人ベネット・クランリーがメイドとして雇ったのは、まだ13歳の少女シャーリー・メディスン。ひとつ屋根の下でふたりが暮らす、穏やかなロンドンでの生活を描いた読切シリーズが、ふたたび1冊の本にまとまりました。これまでに発表されてきた7つの作品に加えて、単行本だけの描き下ろし12ページ読切も収録しています。

あの偏執狂のような(失礼)圧巻の書き込みを考えるに、乙嫁以外も描いてたら身がもたねーんじゃないか、と素人は思ったりするのだが、本人に言わせると

メイド漫画を描かせておけば おおむね健康な森薫です!
今日も元気!!
(あとがきより)

シャーリーは 今後とも スキを見て 描いていくつもりですし
あわよくば 他にもちょいちょい メイド話を描いていけたらと思っています
私の健康のためにも
(あとがきより)

と、「メイドの漫画を描くと体にいい!!」という謎の健康法を主張。id:NATROM氏が批判しなければならないニセ医学がまたひとつ増えたのではないか。


まあ、それはどうでもいいので本題。
この作品(というか森薫作品全体)を元に「キャラ作り」とか「日常もの」とか「ドラマチックなストーリーの有無と効用」とかあるいは「絵のすごさとは」など、いろいろ考えたいことはあるのだが、まず同作品をつらつらと読んでいて、なぜか浮かんだのが、司馬遼太郎が乃木希典を描いた「殉死」…だったかな?ひょっとしたら乃木が出てくる別の作品「坂の上の雲」かもしれない。

正確に文献から引用できないので記憶でかいてしまいますが、乃木将軍が明治天皇を敬愛し、明治天皇も格別に乃木に親しみを覚えていたという逸話をいろいろ紹介したあと、作者の司馬氏はこう二人の関係…乃木が持った明治天皇への忠誠の性質をこう解説いていました。

(大意)
乃木は近代国家の軍人として、その国家の元首に忠誠を尽くすという感覚ではなく、自分という自然人の主人が、無条件で明治天皇という自然人であるという感覚を持っていた。
これはいわば、鎌倉時代の家の子郎党といった意識に近い。

でまぁ、ご存知の通り司馬遼太郎「殉死」は乃木大将に確実に批判的な書き方をしている。だが、この作品で描かれた、玉砂利と足音を巡る逸話のような、乃木の「忠誠」に関するエピソードは、その中でもなぜか「ほほえましい」ものとして受け止めてしまう自分がいるのである。

新装版 殉死 (文春文庫)

新装版 殉死 (文春文庫)

乃木希典―日露戦争で苦闘したこの第三軍司令官、陸軍大将は、輝ける英雄として称えられた。戦後は伯爵となり、学習院院長、軍事参議官、宮内省御用掛など、数多くの栄誉を一身にうけた彼が、明治帝の崩御に殉じて、妻とともに自らの命を断ったのはなぜか?“軍神”の内面に迫り、人間像を浮き彫りにした問題作。

もちろんシャーリーと、その一回り??ほど年齢が上の女主人ベネット・クランリーの関係は、新聞広告を見て応募してきたシャーリーをベネットがそれ相応の報酬で採用したという、なんだかんだともう啓蒙主義、近代主義の浸透した20世紀初頭のイギリスでの話だ。
彼女、シャーリーは「家の子郎党」ではまったくないだろう。「自分という自然人が、彼女という自然人の家来である」という意識もある、と言ったら…これも言いすぎか(笑)。もっと別の、本当に家族的主従関係といえる意味合いの忠誠だ。
ちょっと話を構成する目算が狂った(笑)。

だが逆にだ、乃木的な「家の子郎党」感覚での忠誠でも、シャーリーのようなほのぼのとした、ある意味姉妹的な親しみすら感じさせるかたちの忠誠でも、物語の中で「忠誠」の風景というものはなかなかに心地よいのではないのかなあ、と感じられたのでありますよ。


銀英伝でいうと、ラインハルトが皇帝になってから、…なんだっけ?名前がすぐに出るほどのマニアではない。お付きの少年侍従みたいなのいたよね、医者志望のさ。
彼の「忠誠」に対してラインハルトが見せる優しさやちょっとしたおどけ、からかいなどは、駆け引き激しい陰謀や激烈な戦闘とは別の魅力を物語に加えていた。



例えばよく指摘される…というか、そもそも「恋闕 ( れんけつ ) 」という言葉もあるように、ほのぼのとした恋愛漫画やドラマも同じような心地よさがあるのだろうか。「シャーリー」と「乙嫁語り」(特に1巻の姉さん女房ですな)が同じ作者だと考えると、そういうものなのかもしれない。
どうなんですかね「忠誠」を描くというのは「恋愛」を描くというのと同じなのか、似て非なるものなのか。

ま、このへんがよくわからんなあ、と、「謎の解明」というより「謎、問いの発見」をしたところで、探検隊はムリをしないで引き返すことにする。まだ準備不足、装備不足っぽいのでな。ひょっとしたらこれはBとかLとかの漫画を読んでいる女性とかのほうが理論的にも感覚的にも把握しているのかもしれない。

「無私」だから人は好感を持つのか

また、「忠誠」とは基本的に…まあ主人が出世すれば自分も、とかはあるにしても、そのまま「無私」の行為である。そういう無私の行為というものは、基本的に美しいものとして受け止めやすいのかもしれないね。
そういえば忠誠論の中には「名君賢君に忠誠を誓うのは誰でもできてフツー。むしろバカ殿、暗君に忠義を尽くしてこそ、真の忠誠と言える」という「劉禅テーゼ(後醍醐テーゼ?)」というのもささやかれている(笑)。
たしかに銀英伝で一番「忠誠」が光り輝いたのは、ブラインシュバイク公…だっけかな?、そういう暗君に最後まで仕えて、ついには一人一殺のテロリストになったアンスバッハではなかったか。

そういえば「忠誠」と「恋愛」との境をわざとぼやかせたのが「パレス・メイヂ」(久世番子)か

貧乏貴族の実家を救うため、帝の暮らす宮殿「パレス・メイヂ」に仕えることになった14歳の御園公頼(みその きみより)。ある時、帝の画帖が破られる事件が起き、御園に嫌疑が…!? 2013年6月刊。絢爛なるパレスで、少女帝・彰子に仕える少年侍従・御園。ある日、御園が通う学校に彰子が視察に来ることになり…!? 話題騒然の近代宮廷ライフ、待望の第2巻!!

いま作者名をじっくりと見て「あ!暴れん坊本屋さんじゃねーか」と気付いたよ(笑)

だいぶ違う作風だよな。すごい。

で、「パレスメイヂ」というのは、架空の明治的な世界において、明治天皇的な存在が「女帝」であると。それもティーンエイジャーかな? そこに侍従として、同じぐらいだか、少し年下ぐらいの侍従が仕えている、という設定です。
もっとも明治天皇以上に象徴的というか、籠の鳥というか、一国を独裁するような君主ではなく、伝統や慣習などにしばられあまり自由や実権はなさそうです。
だからこそ、侍従たる少年の「忠誠」はその中で輝くのですが…ただ、女王を戴く国には常にあるような、「花婿候補」の皇室の藩屏、高級貴族との鞘当ての中で、この少年侍従の心が「忠誠」なのか「恋心」なのか…それらを言い換えて、なおまた別の概念かもしれない「恋闕 ( れんけつ ) 」なのか。


まあ、そこが分からないところが逆に面白さのゆえんですわな。
暴れん坊本屋さんの新境地(本来の境地)、シャーリーと読み比べるには、またこれはジャンルが別物のような気がしますが、自分はそういう連想をした次第。

追記

「忠臣」の心地よさを語るならこれを紹介しないでどうする。
夏目漱石「坊ちゃん」だ。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/752_14964.html

清は昔風むかしふうの女だから、自分とおれの関係を封建ほうけん時代の主従しゅじゅうのように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点がてんしたものらしい。甥こそいい面つらの皮だ。
 いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋たずねたら、北向きの三畳に風邪かぜを引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊ぼっちゃんいつ家うちをお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子ようすで、胡麻塩ごましおの鬢びんの乱れをしきりに撫なでた。あまり気の毒だから「行ゆく事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰なぐさめてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後えちごの笹飴ささあめが食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根はこねのさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
 
 出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中とちゅう小間物屋で買って来た歯磨はみがきと楊子ようじと手拭てぬぐいをズックの革鞄かばんに入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌きげんよう」と小さな声で云った。目に涙なみだが一杯いっぱいたまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だいしょうぶだろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。

追記2 理由や意味合いがさっぱりわからんが「シャーリーvs井之頭五郎」

有名なものらしいが、とにかくなぜだ。
ただ、まあ20世紀初頭のイギリスでは、シャーリーが関節技に対処できなかったのもやむをえない。まだロンドンでは、スモール・タニが連戦連勝を続けていたころだ。

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その他おまけ
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