元素の周期表と金種当てをする悪魔

子供が元素の周期表を勉強していて、「なんでこんなものを覚える必要があるのか」と言うので、次のように説明してみた。

デスノートの悪魔みたいな奴がひまつぶしに人間世界を覗きに来た。この悪魔には、不思議な眼力があって、人間を見るとその人間の所持金合計(現金のみ)とその現金の重さを見ることができる。

たとえば、1万円札を1枚だけ持っている人なら、「所持金 10000、重量 (1万円札1枚分の重さ)」という二つの数字が見える。しかし、この悪魔には、この二つの数字の意味がわからない。だから、単なる無意味で関連のない二つの数字が並んでいるとしか思えない。同じ金額の持ち主でも金種の組合せによって重量が全然違う。金額が大きくても重量が小さい人もいるしそうでない人もいる。悪魔には財布の中身を見ることはできないので、どういうルールで二つの数字が並んでいるのか全くわからない。

人間が物質を観察しているのは、この悪魔のようなもので、その中身や構成要素はわからなくて、化学反応やら重量やら物質の固まりとしての性質や値がいくつか読み取れるだけだ。

それで、この悪魔は、ある時、ひとつの法則に気がついた。

世の中には、所持金の数値が非常に低い人たちがいて、こういう人に限っては、二つの数値に明確な関連がある。

つまり、1円や2円しか持ってない人は、所持金に対して重量が一定である。所持金1円の人の重量の欄には、必ず1円玉1個の重さが表示され、2円の人にはその2倍の値、3円の人はその3倍の値が重量として表示される。

所持金が1円とか2円の人の人数は少ないけど、悪魔は時空を超越していて、日本中からサンプルを集められる。そうすると、4円までの所持金の人は、必ず重量が一定であり、所持金と重量が比例していることに気がついた。

しかし、5円から上では、この法則が成り立たないことにも同時に気づいた。5円や6円の人は重量が二とおりある。ただ、何千円も持っている人のような大きなバラツキはなくて、必ず二とおりの重量となる。しかも、二つのうち重い法の数値は、1円や2円と同じように、1円の整数倍で金額に比例した重量となる。

この観察結果について考えているうちに、この悪魔は、これを説明する原理に気がついた。

すなわち、この世界には、1円玉と5円玉があるのだ。4円以下の金額を保持するには1円玉のみで保持するしかなく、5円以上の金額を保持するには、1円玉のみで保持する方法と5円玉と1円玉の組合せで保持する方法があるということだ。

そして、これを整理してみると、この方法と観察結果がピッタリ一致するではないか!

  • 1円所持者の重量は常に一定(これをAとする)
  • 2円所持者の重量は常に一定でA×2
  • 3円所持者の重量は常に一定でA×3
  • 4円所持者の重量は常に一定でA×4
  • 5円所持者の重量は二とおりで、A×5か別の数値(これをBとする)
  • 6円所持者の重量は、A×6か、B+A×1
  • 7円所持者の重量は、A×7か、B+A×2
  • 8円所持者の重量は、A×8か、B+A×3
  • 9円所持者の重量は、A×9か、B+A×4

そして、10円所持者の重量は、(A×10)か(B+A×5)か(B×2)か、もう一つ別の値になる。つまり、それは10円玉1枚持っている人で、その別の値とは10円玉1枚の重量である。

こういう計算を重ね、観察結果と照らし合わせていくことで、悪魔は、この世界のお金が、1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉、千円札、二千円札、五千円札、一万円札という10個の基本的な要素で構成されていることをつきとめた。

そして悪魔は、ほとんど無関係に思えた二つの数字が、いかなる場合でもこのように単純な原理で説明できることに感激したのである。

この悪魔には財布の中を透視する能力はないし、人間の言葉や行動の意味がわからないので、この説明の仕方が正しいのかどうかはわからない。しかし、複雑な観察結果を単純に説明できるこの説明の仕方が正しいことには確信が持てた。

元素の周期表は、この悪魔のような人たちが、さまざまな物質に対していろいろな実験や観察する中で、その結果をなるべくシンプルに整理する為に作った表である。

日常生活で目にする物質には、さまざまな特性がある。砂糖は甘くて塩は塩辛い。鉄は重くて燃えないし、木は軽くて燃える。それぞれの物質の特性は気紛れに個別に決められたルールのように思える。これは、悪魔が所持金と重量の組合せを漫然と見ている段階に相当する。

元素の周期表は、金種計算よりいくらかは複雑な法則を含んでいる。しかし、世の中の物質そのもののバラツキに比べると、ずっとスッキリしたものになっている。だから、この法則には重要な意味があるという推測が成り立つ。

周期表や原子の構造を推測している段階の科学は、お金の基本単位を導き出した悪魔に相当する。

現在の科学は、財布の中身を直接見ることができる段階に達している。(「中身を直接見ている」という表現は微妙だけど、中身を直接調べる手段は手にした)。これは、透視をできる別の悪魔を呼んできて、自分の推測結果を確認しているようなものだろう。

ただ、財布の中身を覗けるようになると、財布の中にはいろいろなものがあることもわかった。10個の基本構成要素は確かにあったのだけど、それ以外にも別のものが何百とあることに気がついた。そこからまた別の法則探しが始まるけど、これは別のお話。

「ほとんど無関係に思えたいくつかの数字が、視点を変えると単純な原理で説明できる」ということが科学の本質で、何かを発見した科学者は全員、悪魔がお金の構成要素をつきとめた瞬間のような「そうだったのか!わかったぞ!」という喜びを経験している。

この「喜び」を直接教えることはできないので、過去の「そうだったのか!」を自分でなぞってみるのが理科の勉強なのである。

そして、この「喜び」を理解できたかどうか試験でチェックすることは難しいから、テストの問題は「札の名称を全部書け」みたいなことになってしまうということだ。

というような、ありがたい話をしてやろうとしたら、子供は途中で逃げ出してしまったので、しょうがないのでブログに書いておくことにしました。

(追記)

こんなゲームがありました。

ここに、ゲームがあったとする。 - REVの日記 @はてなより。