「生」を拒否するから出「生」率が低下する

最近、ネットをいかがわしいものとして拒否する風潮を感じる。これに憤りを感じる。ネットを拒否することでなく、「いかがわしいもの」を拒否することがいかんと思う。

いかがわしいもの、管理できないもの、予測不可能なもの、生産性の低いもの、わけのわからんもの、めんどくさいもの、変なもの。生きるとは本来そういうものだ。これを拒否するのは、「生」を拒否することだ。

子供は、これらの属性を全て持っている。こういう属性が全てマイナス評価されたら、子供にとって居心地が悪い。子供を持つ親にとっても、居心地が悪い。子供のような人にとっても、居心地が悪い。今は「生」き生きした人にとって住みにくい世の中だ。

「生」を拒否したら、出「生」率が低下するのは当然のことだ。官民あげて、いかがわしいものを排除して「生」を拒否していたら、成果があがった。それだけのことだ。どこへ向かっているのか知らないが、着実に前進してるのは間違いない。成果を誇るがいい。