「深さ」と「スピード」
「アテンション・エコノミー」という言葉もあるように、流通する情報の量が飛躍的に増すにつれて人々の関心が希少な「資源」になってきているということをこの数年よく耳にします。そんなに目新しい話ではないのですが、最近読んだThe Globe and Mailの記事はこの件をよく整理して書いていたので参考になりました。
The Globe and Mail "Information-rich and attention-poor"
記事の趣旨は以下のようなものです。
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この半世紀足らずの間に、コンピュータによるデータ処理の能力が1000万倍にもなり、情報過多の時代を迎えた。その代わりに、人々の時間や関心が新たな希少物になった。人々は一般に希少なものをできるだけ保存しようとするので、新たなテクノロジーはインターフェースの簡素化や情報伝達の遅れをできるだけなくすこと、また情報の分類や検索の効率化など、希少な「時間」を節約するための開発に注ぎ込まれた。その結果、「速さ」が重視される代わりに「深さ」にはあまり重点が置かれないようになった*1。
これに伴い、知識が「ストック」からでなく「フロー」から生み出されるようになってきている。24時間ニュースに代表されるように、情報が次から次へと流れて来るので、物事を立ち止まってしっかりと考える時間がどんどんなくなってきている。そのため、専門家やゲートキーパーといった人々の存在感が低下する「中抜き (disintermetidation)」が起きている。実際に出回っている知識や情報の出所の多くは専門家や報道機関など少数の人々や組織なのに、表に出る頃には彼らの姿はかき消され、情報は細分化されてウィキペディアやブログなどを通じてやり取りされる。
こうした風潮は、画期的なイノベーションにつながるセレンディピティに巡りあう機会を減らすことにつながるのではないか。「一人きりで10000時間かけて考え抜いた」というようなことをしなければ生まれないような知識が危機に瀕しているように感じる。
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結論部に見られるように、これを書いたPeter Nicholsonという人は、ネット上を中心にどんどん手軽化が進む情報の発信や流通に批判的な眼を向けています。この点には賛否いろいろあるようで、この記事に対する読者からのコメントもかなり盛り上がっていたのですが、その中のひとつが気になりました。コミュニティ・カレッジの教員で日々ここで語られている「スピード VS アテンション」に直面しているという人からのコメントです。最後の部分を引用します。
私はこの何年も次のことを学生たちに言い続けている。
- データは情報ではない (Data is not infoamtion)
- 情報は知識ではない (Information is not knowledge)
- 知識は知恵ではない (Knowledge is not wisdom)
きっとその通りなんだと思います。ウェブ上を流れるコンテンツは多種多様で、データや情報を得るためには確かにもの凄く効率的で即時性もあるけれど、それを知識や知恵にしていくためには自分の頭で考え、自分なりの文脈の中に置いて整理しなければいけないと。そしてこのプロセスは、人によって違いはあるかもしれませんが、そんなにスピードだけを重視して行えるものではないという気がします。
*1:「深い情報」は理解するのに時間がかかるので、その面からも敬遠されるようになった。