「非モテ」は如何にしてミソジニーに陥ったのか?(3)

 今回は、前回の話と関連して、こちらの記事での覚悟氏からの言及に応えてみようと思います。ちなみに今回のタイトルは「非モテ」となっていますが、覚悟氏の使い分けに従うなら「喪男」のことになります。

「女性に酷い目に合わされた喪男」
 代表ブロガー:私(覚悟)やWATA氏など
 →女性を恐ろしいエゴイストと認識し、恋愛観も非情。
 (恋愛を醜いエゴと認識し、恋愛そのものを放棄)

「恋愛、セックス経験豊富なヤリチン」
 代表ブロガー:Masaoやシロクマなど
 →喪男程ではないが、認識のベクトルは比較的近い。
 (恋愛を醜いエゴと認識しながらもそれに順応する事を大人としている)

「女にイジメられた訳ではないが恋愛経験無しor少ない非モテ」
 代表ブロガー:烏蛇やクリルタイメンバー、その他大勢
 →喪男やヤリチンの認識とは異なり、何故かかなり女性に楽観的。
 友達として仲良くなれば〜とか性善説的な考え方を持っている。
 (友達として仲良くなれば良いならテメーラがモテモテのはずだろw)

「女友達が〜」だの、「女性を異性として意識しないで〜」とか
そんな馬鹿げた寝言をホザいている連中はまず最初に、
「ご立派な思想を持っている筈の自分がなぜモテないのか?」を考えるべき。

 Masao氏やシロクマ氏の女性観が覚悟氏に近いとはちょっと思えないんですが、それはひとまず置いておきましょう。

 結論を先に言ってしまうと、覚悟氏の「批判」は批判になっていません。氏の「批判」の不思議なところは、「モテること」「恋愛できること」を至上命題にしている点なんですよ。私は「モテること、恋愛できることはいいことだ」という前提で話していないので、「モテていない」と言われても「はぁ、そうですがそれが何か?」としか言いようがないんですね。

 「女性を性的対象として意識しない」ならばその女性と恋愛関係に至らないのは自然な流れですから、「そんなことしててもセックスできないじゃないか」と当り前のことを言われても困ります。この場合に問題になるのはむしろ逆、「自分は性的対象として意識していないのに、相手側から性的に扱われる」ことの方です。
 つまり、「女性を性的対象として意識しない」結果「モテていない」ならば、その時点で何ら問題は起こっていないはずなんですね。これを「問題」だと見なすには、「モテないこと、恋愛できないこと、セックスに至れないことはよくないことだ」という暗黙の前提が必要なんです。

 そうすると、さらにおかしなことが出てきます。私は個人的には「誰とも性的関係を持たない」主義ですが、覚悟氏も「恋愛そのものを放棄」している人であり、この点で私と覚悟氏は共通しています。ところが覚悟氏は、どういうわけか「恋愛・セックスを至上命題とする」価値観を自明としているわけです。恋愛を放棄しているはずなのに、なぜ恋愛を至上とするような主張がされているのでしょうか? なんとも不思議な話です。

 本当に「恋愛は無価値」ならば、「異性と恋愛関係に至らない」ことはむしろ喜ぶべきことでしょう。しかし、覚悟氏や前回のg氏は「恋愛関係に至れない」こと、それ自体を問題とみなしています。
 一体これの、どこが問題なのでしょうか? それとも、覚悟氏の「恋愛放棄」は口先だけのものに過ぎないのでしょうか?



 こうした矛盾の背後にあるものは、やはり一種の強迫観念であろうと私は推測しています。覚悟氏が「異性と恋愛関係に至れない」ことを問題視するのは、氏の男性観に問題があるからではないか、と思うんですね。

 覚悟氏は自身のblog上で「女性の醜い(と思っている)部分」をわざとあげつらって、自らの女性憎悪の感情を増大させるという「護身」をしばしば行います。しかしながら、「恋愛放棄」した覚悟氏は恋愛に価値を認めないはずなので、いくら女性から好意を持たれようと意に介さないし、好意を持たれる確率も低いはずなんですね。従って、いちいち「女性は醜いものである」などと自己暗示をかける必要はないはずなんです。

 ここに覚悟氏の強迫観念が潜んでいる、と私は思います。「女は醜い」という自己暗示は、「女性に誤って近づいてしまわないため」にあります。これは、「女性に誤って近づいてしまうと、男性は女性を性的な対象と捉えてしまう」「女性に誘惑され、都合よく利用されてしまう」と氏が思っているため、と考えればしっくり来ます。
 つまり覚悟氏にとって男性とは「性欲に縛られて自律性を奪われてしまう」ような存在である、ということになるわけです。だからこそ、「親しくしていながらセックスさせてくれない」女性は無条件で「悪」である、ということになってしまうんですね。

 このような男性観は、他のところでもよく目にするものではあります。pal氏のこの記事なんかもそうですし、ことわざにも「据え膳食わぬは男の恥」なんてのがあります。しかし、男性が性欲によって自律性を失うというのは大嘘であるばかりか、男性一般への侮辱ですらあります。これを喜んで主張する男性は、自身の性的行動に対して責任を持ちたくない(「男は性衝動に逆らえないからしょうがない」)からとしか私には思えません。

 覚悟氏の「恋愛放棄」がどこまで本気のものなのか私には分かりませんが、「恋愛放棄」がミソジニーと無縁な形で成立しうる、ということだけは確かです。「護身」などと言ってミソジニーを悪化させたところで何一ついいことはないし、そんなことをしなくても「恋愛放棄」を心の中で誓えば充分でしょう。恋愛には色々なマイナス面もあることは確かであり、それらとどのように関わっていくかは、自分自身をきちんと見据えた上で判断すればいいだけのことです。