おれたちがいくつになっても家の手伝いをしない理由
一人暮らしを経験して料理を覚えようと、いわゆる自立した人間になろうと、おれたちは実家に帰ればやっぱり母親の手伝いを何もしない。自分の家ならば昼時になれば簡単な料理でも作るだろうけれども、実家に帰ればそれができなくなる。小さい時も母親にいくら言われようとなかなか家の手伝いというものは自分からはできないものだった。
これは当たり前で、一重におれたちが家のことを把握していないから家の手伝いをしたくないのだ。母親はいきなりおれたちにトイレの掃除をしろだとか命じるものだけれども、おれたちはトイレの掃除道具がどこにあるのかさえ知らないし、例えば全自動なトイレに水をかけても良いのかだとか、どのレベルのよごれまで落とせばいいのかだとかも知らない。知らないことばかりで手をつけられなくなる。
母親が昼飯を用意せずに出かけているとおれたちはカップ麺を食べて飢えを凌いでいたものだけれども、母親は帰宅するなり「なんで自分たちでなんでも作ってたべないの」という。その理由は「面倒くさいから」なのだけれども、「料理を作るのが面倒くさい」というよりも、「自分たちが把握できていないものを把握するのが面倒くさい」という意味合いが強い。どこの家庭でも冷蔵庫というものは平気で一年以上も前の食材が眠っているものだから、おれたちは何が食べられる食材なのかを把握するところから始めなければならない。調味料も母親が自分がとりやすいようにカスタマイズした配置がおれたちにはわからない。
「お父さんの迎えにいってくるから、お鍋の火を見といてね」などと言い残して出て行く母親に対しておれたちはあまりに無力で、何をまかされたのか、具体的に何をすればいいのか、全くわからないままびくびくと火におびえながら母親の帰宅を待つ。しゅんしゅんと音がなっているけれども、これは火をけさなければならないのか。
結局、家の手伝いは家のことを完璧に把握できていないおれたちには難易度が高すぎる。イレギュラーなものであればあるほど良くわからなくなってくる。一人暮らしの自宅に帰れば全て自分の手の内であるので、何でもできるのだけれども、実家ではもうアウェーだからおれたちは無力だ。ゲームをしながらそんなことを母親に熱弁していたら夕食がでてこなかった。