『機動戦士クロスボーン・ガンダム』連載時コメント

『機動戦士クロスボーン・ガンダム』連載時コメント

富野由悠季監督、83歳の誕生日、『機動戦士クロスボーン・ガンダム』30周年おめでとうございます。
ということで、今年の恒例記事は『クロスボーン・ガンダム』30周年と合わせたこの記事です。

少年エース創刊号予告カット


ガンダムエースの30年年表からも漏れたのがこの予告カット。実は大阪の長谷川先生個展でも展示されていたので、一部のファンは覚えているのでは。
この予告版クロスボーンガンダムのツノが、X-3以降のクロスボーンガンダムのツノの原点とも言える。ポーズが『ゼーロイバー』お披露目のガンダムエース2024年12月号表紙と同じ。

『機動戦士クロスボーン・ガンダム』少年エース連載時コメント

1994年12月号(創刊号)

ガンダムを海賊にしたのは監督で船のフィギアはカトキさんのアイデア。ちなみにマントは私(長谷川)。

マンガ本編とは別のページでクロスボーンガンダムのカトキ稿掲載。

1995年1月

宇宙海賊のガンダムははじめてなのでたいへん緊張しています。後は長谷川先生におまかせ(富野)。

マザー・バンガードのカトキ稿掲載。

1995年2月

1/60Gガンダムのプラモデルを組んでみた。感動的なできばえ。特に手!(長谷川)

コアファイターのカトキ稿掲載。ガンダム以外のカトキ稿を見たことのある人はあまりいないのでは。

1995年3月

小さなアニメをつくったり、次のノベルズの企画をやったりして大忙しのこの頃です(富野)。

『ガーゼィの翼』あたりだろうか。

1995年4月

3月1日に単行本1巻が発売されます。どうか手に取ってみてください。よろしく。(長谷川)

第2話でX-1が使用した弾頭の解説。

正式名称を「ビームコーティングビュレット」といい、発射後は全体がビーム力場に包まれる大きな威力を持つ弾である。本来は厚い装甲をつらぬくための弾ですが、核爆発までの時間を稼ぐために使われた。

Wikipedia等では間違った記述がなされていることが多い。

1995年5月

私の小説「王の心」第1巻が出ました。血とSEXとバイオレンスの物語です。よろしく。(富野)

1995年6月

白状するが最近登場している変なMS群は、私のデザインによる。感想は編集部まで。(長谷川)

1995年7月

騒然とした世の中で、心の安らぎと癒しを求めるクロスボーン・ガンダムでありたい。(富野)

1995年8月

定期的に言ってる気がしますが、やはり言います。仕事ばっかりで他に何もできないぞ~!(長谷川)

1995年9月

オウム事件の影響を受けるのは残念だが、今回、予定していた宗教色を引っ込めることにした。(富野)

企画書にあったCVスタッフの信教要素、シェリンドンとクスモ・クルス教団の描写が控え目だった(ドレルも?)事情はこういうこと。

1995年10月

クロスボーン・ガンダムのガレージキットを入手しました。ひまを見て組み立ててみます。(長谷川)

1995年11月

僕にはガレージキットがない!ギリ少佐の部隊がでてもGガンにはなりませんからね。(富野)

1995年12月

休載

1996年1月

アシスタント全員をつれて焼肉を食べに行った。特上ロースをたらふく食べてストレス解消。(長谷川)

オリジナルMS大募集。

1996年2月

年越しは一人で寂しい。お友だちが欲しい。でも、仕事があるから、寂しがっていられない…。(富野)

1996年3月

1月号で募集したオリジナルMS。力作ぞろいで選考に頭をなやませている毎日です。(長谷川)

1996年4月

正月に3本仕事が重なり、登場人物が何人もクロスしたまま2か月。今も頭がパニックです。(富野)

オリジナルMS大募集総評

ひとつだけ良いアイデアがあるというMSがかなりあって、何とか採用したいと思っても、全体のバランスが悪いとか、現在のメカデザインの悪い影響だけうけてまとめようとするこざかしさがデザイン全体に現れていたりして点をあげられないケースがいっぱいあったのが残念。僕だけのガンダムを見たかったのだけど、それがなかった。(富野)
世間に500体以上のMSのデザインがある以上、ほかと見わけさせるのは大変だと思う。何か明確なモチーフがあるものを選びました。全体に武装のしすぎ(それもメガ砲を5門も6門もつけたMS)が目立ち、スーパーロボット化が進んでると感じた。(長谷川)

海老川兼武くん(東京都)のエレゴレラが有名だが、フリントの改良型ザンバスターや、X-3のスカルハートとバルカンも実は投稿デザイン。

1996年5月

OVA「妖精姫レーン」1・2巻を見て大笑い、ギャグが好きな方は見てみてください。(長谷川)

1996年6月

VTRになるか映画になるか分からない企画のストーリーが出来上がりつつあり、ヘバッテる。(富野)

『ブレンパワード』?

1996年7月

編集長に6月号の新MSをダイエーホークスのヘルメットだと言われた。アテナ像だって。(長谷川)

1996年8月

ようやく、ビデオ第一回作品の『ガーゼィの翼』が、完成しつつありまして、自信復活!(富野)

1996年9月

「ガンダムX」もいいけど、その後の「カーレンジャー」はおもしろすぎてハマってます。(長谷川)

1996年10月

原画のチェックとワープロ打ちで、連日仕事場は蒸し風呂状態です。もう秋なのに…。(富野)

1996年11月

SF大会で、九州の小倉に行ってきました。大盛況で、お世話になった方々に感謝です。(長谷川)

1996年12月

OVA「ガーゼィの翼」の3巻目のコンテを脱稿したのですが、あと2巻ぐらい足りないなあ。(富野)

1997年1月

カトキハジメ氏のクリーンアップによるモビルアーマーが完成。すごいの一言です。(長谷川)

1997年2月

「ガーゼィの翼」のチェック、新しいロボット物の企画、ミニ文庫のノベルスと、時間が欲しい!(富野)

『ブレンパワード』と『密会』か。

1997年3月

いよいよ最終回。これでMSたちともお別れかと思うとうれしいやら名ごりおしいやら。(長谷川)

なお30年後も『クロスボーン・ガンダム』からは逃れられないもよう。

FLYING HEART 9月1日・9月8日放送分 ゲスト 富野由悠季

FLYING HEART 9月1日放送分 ゲスト 富野由悠季

radiko.jp

石井竜也 よろしくお願いいたしします。
富野由悠季 こちらこそよろしくどうぞお願いいたします。
石井 富野監督は「ガンダムの生みの親」というよりも、日本のアニメ界を作ったという、そういう立役者のひとりだなって。
富野 うん、そういう意味では第一世代の人間です。どういう風に食べていこうかと考えて、アニメの仕事しかできないからやったわけね。アニメの仕事をやりながら何を覚えたかというと、「映画的にものを作ることはどういうことか」ということを覚えたわけね。そうすると、「スポンサーの言いなりに作る」とかってことをやってみせるわけね。まだ始めは自己主張がないんです。そういうことろから始まっていく仕事をしました。こんな話してて良いんですか?
石井 良いと思いますよ。やっぱり今これからアニメをやりたんだ、監督なりたいんだ、っていう人も聴いてると思いますし。自分を最初からドシドシ出していっても、世の中って上手くいかないんだな、って。
富野 絶対にいかない、絶対にいかない。だから本当、涙を流してこらえるっていうのは、スポンサーがいてくれるから、我々フリーランスの仕事師が仕事をできたんです。50年近く。そういう意味では本当にありがたいと思ってますんで、スポンサー様様だと思ってますが、が、利用させてもいただきました。
石井 あー、ただただ飼い犬のようにそれをやってもしょうがないですからね。ある程度自分の主張とかあるわけですからね
富野 あるときは嘘ついて『ガンダム』を作るようにしました。どういうことかと言うと、「全長22mのロボットは巨大じゃないだろ、マジンガーZ80mなんだぞ」「巨大なんですよ、それは分かってください。どういうことかと言うと、5階建てのビルと同じ高さは小さいですか?」っていうことでスポンサーを黙らせました。
石井 成程ね。「5階建てのビル」って出してくるところがまた商売人臭いですよね(笑)。
富野 だって商売やってるんだもん(笑)
石井 プロですからね。
富野 はい。そういう口の利き方をして、スポンサーを騙すわけ。
石井 言葉遣いも使い方次第で、プロかアマチュアになっちゃうよ、ということですね。
富野 そういうことです。だから僕の場合はいつも視聴率の取れない番組を作るようになっちゃったんで、ほとんどの僕が「総監督」というかストーリーを握ってると、途中打ち切りになる。ということで、打ち切りになると次の仕事が来ないわけじゃないですか。そうすると生活に困窮するという歴史がずっと続いていた。現在までも。
石井 確か富野監督は虫プロに在籍してたこともありますよね。
富野 勿論。
石井 あのときはおそらく相当火の車でやってたんですよね
富野 火の車ですよ。だけどそれは日本で初めて毎週「テレビまんが」を作んなくちゃいけないわけだから。こんなひどい作品でもオンエアしてくれてたという意味では、命拾いしたし。手塚治虫が原作で手塚治虫のプロダクションでやってるのに、いつの間にか手塚治虫はいなくなるわけですよ。我々で作らなくちゃいけない事態にも追い込まれたりもしてたって時代もあったので。
石井 手塚先生って3人くらいいたんじゃないかって思うんですよね。連載4本くらい持ってたじゃないですか。
富野 そう。
石井 しかも毎週『アトム』もやってるわ。
富野 全然違うものやってるわけ。気の持ち方にものすごく胆力があった。て言うか気力が途切れませんでしたね。
石井 医学の知識とかものすごい。
富野 そういう意味では大変な勉強家だったし、その上で一番びっくりしたのは「この人は本当にやきもち妬きなんだ」ってことを知った一番の局面は、永井豪って漫画家が出てきてて。『ハレンチ学園』みたいなのをやってるときとか、白土三平みたいな漫画家が出て。要するに時代劇をリアルな絵で描き始めたときに、嫉妬するんですよ。それであれと同じものを描くです。
石井 あるドキュメントを見たときに、手塚先生が「何か俺は下手なんだよね絵が」って悩みこんでいた画を見たときに僕はショックだったんですよ。こんな巨匠が「俺の絵は下手だ」って悩み込んでいる。どういうことなんだろうって思って。
富野 そのことは僕も入社して三か月後くらいのミーティングで、ご本人から聞きました。打ち合せしている途中で突然ね、「俺絵描けないんだよね」って。は?
石井 (笑)
富野 本当なんですよ。確かにね、漫画絵しか描いてなくてリアルな絵を描くと下手なんだよねこの人、というのはあった。だからリアルっぽい絵を描くと、何とか白土三平を負かしたいと思ってるわけ。
石井 『アラバスター』とかね。
富野 そう。本当にむきになってやってやるという意味の、なんて言うのかな、敵愾心を持つことが、あの人にとっての創作の原動力みたいになってたな、ってのは身近に見てちょっと驚きました。

石井竜也『RIVER』(『機動戦士ガンダムSEED』ED2)

富野 実を言うと僕はあまり考えることをしないでアニメの仕事をやってきちゃったんですよね。というのが一番根本的なとこにある。どういうことかと言うと、スポンサーの言いなりに作るとか、作らせてもらったら無条件でその仕事をやらくっちゃ暮らしていけないからやってたにしか過ぎない、という言い方があるんです。だからアニメの作品のことを自分が関係したもののことをあんまり覚えていない。なんの仕事でもできるようにしようと思う、そうすると、前にやった仕事を全部忘れる。そうしないと『オバQ』のコンテは描けない。ロボットものをやった直後に『オバQ』のコンテを絵が描かなくちゃいけなくなったとき、とても辛いわけです。だから前のものは全部忘れる。『オバQ』みたいな作品はそうなんだけれども、作品を作る肝みたいなものがあるわけです。そういうものをきちんと自分が演出することができるのかな、ってことをやると、「『オバQ』ってなんなのだろうか」から始まる。漫画をこちらに置いておいて、こんな風に藤子不二雄がやっているのだからそれを真似れば良いだけのことなんだけども、真似で済んでられないんですよ。「紙芝居みたいなテレビまんが」だと言われてる時代でも、やはり時間を追って変化するという意味で映画的なんです。映画的なリズム、見せ方というのを考えていかなくちゃいけないときに、オバQのアップを描くのと、巨大ロボットもののロボットのアップを描くのはものすごく抵抗感が違うわけ。抵抗感の違いをどういう風に理解して、オバQのアップが使えるのかというときに、コンテ用紙に描いたときにこんなの画じゃないとも思うわけね。だけど子供たちが見るものなんだからこれで良いらしい。そうすると、オバQのアップをどういう風に動かすのかというのと、巨大ロボットものアップをどういう風に動かすのかっていう意味性が発生するんです。
石井 子供の頃にものすごく秘密が知りたかったことがあるんです。『オバQ』観てて、めくったらどういう風に足がなってるんだろうと思って。それで眠れなくなっちゃったりとか。『あしたのジョー』の髪の毛がどっちを向いてるのかとか。
富野 (笑)
石井 アトムの髪型、どこにくっついてるんだろうとか。シャンプーで親父にやってもらうと、親父は真ん中に付けるんですよ(笑)
富野 (笑)。あれね、まさに髪の毛の位置とかっていうの、本当に不思議に思うんだけれど、実を言うと、オバQの演出もやったからなんだけど、あそこを捲ろうって思わないんです。絶対に。
石井 子供は思いますよ(笑)。
富野 いや、石井さんはそういう風に考えたわけね。僕そういうこと一度も考えてませんでしたよ。瞬間でも考えなかった。
石井 間違ってる?
富野 間違ってるんじゃないんです。アニメの仕事やる人、そんな風にものを考えるとか、感じることは一切しません。絵にあるものをそのまんま受け入れるんです。まんが絵の記号というのがあって、それを迂闊に変えてしまうとアトムに見えなくなる。それだけのことです。
石井 ああ、マークなわけだ。
富野 そうです。一番分かり易いことで言うと、アニメに出てくる登場人物というのはファッションが絶対に変えられないんです。
石井 毎日ね。同じ格好して。
富野 昨日着てたものを続けて着てる、もう一週間着ている、みたいな話に気が付いちゃったら最後、アニメの仕事ってできなくなります。
石井 トリトンが海からバーッって揚がってきて、急に風になびいている。マントとか(笑)
富野 うるせーよ。
石井 なびかねーだろ。
富野 うるせーよ。
石井 すいません(笑)。
富野 うるせーよ。『海のトリトン』やったの私ですからね。
石井 『海のトリトン』は音楽素晴らしいですね。歌えますね。
富野 だけど、仕事師としてメインテーマの曲とBGM、テープ初めて聴かされたとき愕然としましたよ。どうしてかと言うと、あんなタイプの曲って今までアニメで使ってなかったんです。
石井 そうですね。
富野 『海のトリトン』にこの曲合わないんじゃないのかな、って正直はじめ絶望感があったの。
石井 『海のトリトン』はお話も素晴らしかったんですけど、男の子も女の子も観れちゃうっていう、はじめてのユニセックスな漫画だなって今思うんですけどね。
富野 それに関して言うと、『海のトリトン』で僕が初めて経験したことがある。トリトンとピピの関係っていうのは、当然実を言うとセックスのことを考えたわけ。人魚のセックスとトリトンの関係ってのは本当にあるんだろうか、ということが実を言うと、あの演出で生まれて初めて思春期のセックスのことを考えざるを得なかった。それを無視するわけにもいかなくって。それで敵味方の、つまり怪獣をやっつけていくだけの話にしたんだけども、いやこれだけで終わられたらマズいんだよね、っていうことで最後にどんでん返しをやっちゃったということで、原作にないことをやっちゃった。それはどういうことかと言うと、ある民族が根絶やしになった、根絶やしにされたのはトリトン族がいけなかったんだ、ということで、トリトンが今まで追いかけられていたモンスターたちというのは実を言うと恨みを晴らしに来て最後の生き残りのトリトンを殺しに来た、という事実をトリトンが見ちゃった、という。僕自身『トリトン』の仕事で手塚原作にないそういう要素を入れていくことをやったおかげで、その後高畑監督の仕事を手伝わなくちゃいけなくなったときに、『アルプスの少女』が始まるんだけども、ものすごく抵抗感がなく高畑監督のお仕事を手伝わせてもらえるということになってきた、というのがあります。
石井 富野監督の音楽のチョイスが素晴らしいですね。
富野 僕は選んでないんです、一切。音楽ディレクターが別にいるんです。
石井 音楽ディレクターがいるにしても、それをOKと言うのは監督の仕事でしょ?
富野 勿論そうです。初めて『ガンダム』のときに渡辺岳夫先生の素敵なBGMを聴かされたときに、正直げんなりもした。げんなりもしながらも、すごさも分かった。
石井 僕はガンダムの形ってのは、ガンダム世代はみんな車のデザインに入ったりしてると思うんですね。車の形がどんどんガンダムの形になっていくんですよ、日本車が。それが売れたことによってヨーロッパ車が、あれだけにゅるんとした形が好きなヨーロッパ車がガンダムの形してるんです。
富野 そういう目線があるんだ。へぇ~。とても面白い視点なので参考になりました、っていう褒め方しかしてないんだけども、成程ね。言われてみればそうですね。『ガンダム』のときのデザインで僕が一番好きなのは、「一つ目でやってもらわなくちゃ困るんだよね」ってオーダーを出したのは僕なんですよ。それで作られたのがザクなんです。だから僕はザクの方が好きなの。なのにガンプラでザクよりもガンダムの方が売れてるってのは気に入らないわけね。
石井 しょうがないですよね。主人公ですから。
富野 しょうがない。だけどデザイン論的に言えばザクの方が良いんだけどもな、何故なんだろうな、っていうのはもう45年間の疑問です。
石井 ザクは東洋人ですよね。
富野 (笑)
石井 ガンダムは白人ですよね、確実に。
富野 へぇ~。そうだね。そう聞くの初めてだから。
石井 肩幅があって手足が長くって。
富野 白いもんね。
石井 そう考えたらハッキリしてるなって。おそらく日本人が思うところのカッコいいって美学が外国人の、僕らが言う白人、北欧の綺麗な9頭身みたいな人たちを思うようになっちゃってから出来たアニメが『ガンダム』なんですよ。その『ガンダム』に影響された人たちが色んな業界に入られていて。
富野 そうそう。
石井 それで『ガンダム』に影響されてからその美学になっちゃってるから。だからどんどんそういう形になってったんだろうなと。
富野 だからワールドワイドに広がってったんだ、成程ね。へぇ~勉強になりました。
石井 富野監督が目指していたところとは?
富野 基本的にポリシーがあって。子供に対して嘘をつかない。絶対に嘘をついちゃいけない、っていうのはどういうことかと言うと、その場限りの理屈で物語を展開する、ってことだけは絶対にしちゃいけない。ということをやりました。それだけのことです。そうしていったときに、なんとなく「トミノカラー」的なものっていうのは巨大ロボットものでもあるよね、みたいな評価を受けるようになったりして、40何年経つとガンダム第一世代が50代に入ってるわけです。そうするとあらゆるジャンルにファンがいるんですよ。
石井 と言うか文化ですよね。
富野 そういう事態を見たときに、やっぱり嘘をつかないで良かったな、っていう回答を全部視聴者からいただける。という経験が特にこの20年くらい。この場合の20年とはどういうことかと言うと、僕はもう80過ぎてますから、60代70代になってからそういうことを教えられえるんです。本当に命拾いをしたな、っていう風に思ってるので、テレビまんがの仕事をやってきたということを恥じないで済む、という意味ではとてもありがたいなと思ってます。
石井 僕そのお言葉を聞けただけでちょっとウルッときましたよね。今週はありがとうございました。来週もですね。
富野 お呼びいただければ翔んで行きます!

石井氏の番組に富野監督が出演するのは2006年12月10日の『MUSIC ALIVE』以来か。
その際石井氏は「富田監督」「ゼットガンダム」の迷言を残している。

FLYING HEART 9月8日放送分 ゲスト 富野由悠季

radiko.jp

石井竜也 少年時代はどんな? ちょうど戦後すぐって感じ?
富野由悠季 戦後すぐじゃないですね。すぐではないけれど、とにかく僕は漫画を本気で読み始めたのが『鉄腕アトム』なんですよ。僕が小学校5年のときに『少年』っていう雑誌に連載が始まったのが『鉄腕アトム』なんです。それでその『鉄腕アトム』の1回目を読んで「ゲッ」と思っちゃって。「こんな近代的な漫画が出てきた」。初めてなんです、ファンになった。漫画家にもファンになったし、作品にもファンになったの手塚治虫が初めてなんです。だから『鉄腕アトム』があったおかげで、それから手塚治虫という漫画家が変なもので、世界名作ものみたいなもの漫画で単行本で描いてくる。貸本屋で借りられたんです。だもんで、ドストエフスキーの作品(『罪と罰』)というのは手塚漫画で教えられた。中学1年2年のとき。そして『鉄腕アトム』もあるんだけれど、ロシア文学の作品というのがこんな風なものがあるんだ、というのも教えられて。『罪と罰』なんて人殺しの話なわけです。そういうのを漫画に描いちゃう、という手塚治虫って何なんだろうか、という風にその瞬間に漫画家って文学者と同じレベルにポンと上がっちゃったのね。
石井 確かにそこは手塚先生のすごい大きな功績ですよね。
富野 そうそう。それでおっかけちゃった中学3年間というのがあって。中学3年まで『少年』って雑誌を僕は買えないので、弟二人いたので弟たちに買わせながら『鉄腕アトム』は高校3年間ずーっとフォローしてた。その上で大学に行って4年経ったら虫プロでしょ(笑)? っていうようなことで「あれ? 俺ってこんなに一本線で幅が狭くって良いんだろうかな」っていうことをちょっとだけ、ブレたんだけれども、ひとつだけ『鉄腕アトム』の仕事をやって「やはりこれで良かったかもしれない」ってのは、日本で初めての仕事だった、っていうことがあったので、地獄の忙しさだったんだけれども、あの『鉄腕アトム』僕の場合は3年間です、『鉄腕アトム』を作るということをやって。その後で端で『ジャングル大帝』が始まったときに、次は『リボンの騎士』をやるってときに、「『リボンの騎士』を手伝わせてもらえるかな」って思ったんだけれども、思ったんだけれどもで重要な話があるの。『リボンの騎士』もそれほど嫌いな作品じゃなかった。先週のお話のモノセックスの話。
石井 ものすごい早い取り扱いですよね。
富野 『リボンの騎士』でいわゆる「少女」というものと、「男と女がいるんだな」ということを教えられたのが『リボンの騎士』なんだよ。それの反映があるから、『海のトリトン』をやるときに「人魚のピピの問題とトリトンのセックスの関係って何なんだ」っていうのを考えたんだけども分かんなかった、っていうので終わっちゃった。だけど、まさに僕にとっては手塚作品があったおかげでこういう風な、つまり手塚以後のアニメ作家ということでトミノみたいな変な奴が出てきた、ということは手塚先生がいたおかげでこういう風になったんだな。今こうやって初めて、こういうストラクチャーで話したの初めてなのね。自分でもびっくりするもん。
石井 僕は逆に富野監督の人間の大きさを感じますよ。
富野 ありがとうございます。だけど、それは僕の問題じゃなくて手塚っていう漫画家が本当に僕にとっては文芸作家でしかない、という意味でのやっぱり巨匠だった。それで実際に虫プロに入ったおかげで先生とも直に話ができるようにもなって。むしろ僕の名前を手塚先生が覚えてくれたのは虫プロを辞めてからなんです。『海のトリトン』をやって手塚原作を全否定した。ということをやった後で、手塚先生に好かれるようになった(笑)。って経緯があるんです。僕は『リボンの騎士』も2本ぐらいコンテだけをやったんだけれども、その後で虫プロ辞めちゃった人間なんですよ。辞めたのにもいろんな理由があるというよりも、『ジャングル大帝』があって『リボンの騎士』をやって、この後手塚原作で虫プロでやってく仕事っていうことが、っていう風にお仕事として見ていったときの虫プロダクションの体制とか、そこに集まったスタッフ、いわゆる想像力がない人の集団なんだ、ってことが判ってきたときに、本能的に「この空気に染まったらフリーでやってくときに食ってけない」っていうのは嗅ぎ分けることができた。事実、虫プロ辞めて3年目くらいのときに別のプロダクションに行って「仕事ください」ってもらいに行ったときに、一番始めに言われたのが「あっ、あんた虫プロ出ね」。つまり虫プロ出の演出家というのは使えない、使いものにならない、っていう。
石井 おお~。
富野 他のプロダクションから見たときの目線があるんですよ。
石井 何だろう、お金使いすぎる、みたいなのがあるのかな。
富野 違います。基本的に演出能力がない。それだけのことです。
石井 そうですか(笑)?
富野 そうです。そういう風に言われて「ヤバいな」と思って「内部で頑張りますのでこちらの仕事やらせてもらえませんか」って話して。ムキになってコンテ切りましたもん。それってどういうことかと言うと、映画的に演出するとはどういうことか、っていうことを悪口を言われたプロダクションに対してムキになってやって。そこの仕事がコンスタントに取れるようになってきたときに「虫プロ出をバカにするんじゃないよ、舐めるんじゃないよ」っていう意味をぶつけるプロダクションが3つくらいあったんです。その4つ目くらいに高畑(勲)監督がいるプロダクションの仕事をもらいに行って。「え? 『アルプスの少女ハイジ』をやれる自身ある?」って言われて。「やります」。無条件です。そのときにいきなり高畑監督が出てきて。「あの、このシナリオ。はい。コンテよろしくね」って。何にも言いませんからね。逆に言うと高畑監督の場合手塚とは全然違うタイプの方で。何にも説明しないんですよね。シナリオ読んで「何か問題あります?」「それなりに形になってるシナリオだと思います」「はい、けっこうです。あとはコンテ上げてきてください。一週間後にコンテください」。それだけなの。
石井 『ハイジ』から日本のアニメーションの形が変わってきたなと僕は思うんですよ。それは何故かって言うと、蝋燭の火を持ってる顔の影が変わったんですよ。『ハイジ』から。
富野 (息をのんで)そういう見方をするんだ。すごいね。
石井 それまでのアニメってのは蝋燭がただ光ってるだけで。顔の影も何もないんですよ。
富野 それともうひとつ。影が動かないの。
石井 『ハイジ』はちゃんと動いたんですよ、おじいちゃんの顔の。
富野 あれは宮崎(駿)監督の仕事です。
石井 すごいですよね。俺あそこから日本のアニメーションは一段上がったと思いましたね。
富野 そう。
石井 例えば新海(誠)監督とかも名作いっぱい出してるじゃないですか。
富野 うん。
石井 ああいうのを観てると、やっぱりすごく現実的なところから出発する話じゃないですか。
富野 はい。
石井 僕らの世代で言うとスポ根ものですよね。
富野 僕の場合スポ根の話で『巨人の星』かなりやってるんです。
石井 そうなんですってね。俺それ聞いてびっくりして。
富野 『巨人の星』のときの総監督ってのは長浜(忠夫)監督って人で。この人がまた変な人なの。どうして変な人なのかと言うと、なまじ人形劇をやっていて、アニメの演出を始めてシリーズの仕切りを任せられたの。そのために映画的に演出をするってことをものすごくムキになって全部説明してくるんです。『巨人の星』は野球の話じゃないですか。「グラウンドの広さの中でもホームベースとベンチの距離から何から含めての歩数まで気にしてるようなコンテを切ろ。梶原(一騎)原作をとにかくきちんとアニメにしなければいけない。だけど星飛雄馬なんだぞ」っていう仕事なので、やっぱりかなり擬人化的にアニメっぽい、漫画っぽい大魔球を投げなければいけない星飛雄馬みたいな、あんなピッチングなんか誰ができるの? ってことを要求するわけ。じゃあ漫画的にやれば良いのかというと、長浜って監督は実写を目指しているんですよ。それこそちゃぶ台返しみたいなことをやったときに「これ四畳半だろ。四畳半の広さを八畳にしてもらっちゃ困るんだよね」っていうようなことをぶつけられるわけ。『鉄腕アトム』の時代にね、八畳の部屋で芝居をするっていう観念なかったんですよ。
石井 未来の話ですからね。
富野 『巨人の星』初めてね、「三畳間と四畳半と八畳の広さ、意識してコンテ切ってくれ」。っていう縛り。だからしょっちゅう直しをくらってました。「富野君、このコンテおかしいから直して。ここでやってってね。一時間経ったら取りに来るからね」っていうような仕事のさせ方をしてもらって。
石井 でもあれがきっかけで『あしたのジョー』が出てきて。
富野 そう。
石井 いろんなスポ根ものが広がっていくわけですよね。
富野 そう。
石井 富野監督が手掛けたものってのは、必ずそこから花が開いていく感じがしますね。話聴いてると。
富野 それは違うの。僕はその当時フリーになって生活をなんとかしなくちゃいけない。いろんな作品をやってただけの話なの。作品を選ばず。だからそういうことをやってたんで、たまたま。まだあの当時は今ほどアニメの本数も多くなかったから。それはこうやって波及効果ありますわな。だからそういう意味ではなんだかんだ言うけど恵まれた環境の中でいろんな人とお付き合いさせてもらって。何より高畑・宮崎みたいなああいう監督、つまり現在まででアカデミーで特別賞もらっちゃうような人と仕事させてもらった。っていうオーラは感じましたもんね。
石井 自分の前に与えられたものをどういう風に料理していったら良いんだ、ってのをたぶん富野監督は常に考えてた人なんじゃないかなと思うんです。
富野 いや、考えたんじゃなくて、そういう人たちに教えられました。だから受け入れるということをどうするかとか、オーダーに対してどう応えるか、っていうことをかなりムキになってやらされた、っていう結果があったんで、やっぱり『ガンダム』みたいなものが作れたんだよね、っていう自覚がありますね。ひとりでは作れません。だからそういう意味では仕事というのは選んじゃいけない。「俺はアーティストだからこれをやります」じゃなくてね。やっぱり「オーダーに対して応えられる、っていうのがプロなんじゃないのかな」っていうのは僕の意見(笑)。
石井 僕もそう思います。僕もラテンでもなんでも歌っちゃいます(笑)。
富野 (笑)
石井 「何でも屋」って言われてますけどね(笑)。ここで曲行きたいんですけど。僕の好きな『海のトリトン』で。きっと『海のトリトン』って言うと「GO! GO! トリトン」を発想する人が多いと思うんですけど。
富野 そうです。
石井 今日はですね、『海のトリトン』のED曲を知ってる人ってもうそろそろいないんですよ。
富野 はい。
石井 僕はこの曲は素晴らしいと思って。
富野 (拍手)
石井 うちの妹が大好きな曲でもあったし。
富野 (笑)
石井 僕もすごくクラシックを感じるというか。
富野 はい。
石井 高い音楽を使ってるなというイメージがあったので。みなさんに聴いていただきたいと思います。
(須藤リカ、南こうせつとかぐや姫「海のトリトン」)
石井 オーケストラとガンダムを流して、観客が観る、そういう形式(シネマコンサート)がひとつのジャンルに。
富野 なりつつありますね。
石井 そういうの考えてると、アニメの世界っていうところを飛び出して、音楽の世界とかファッションとか、車の顔がガンダムになってるとか。そうやってアニメっていうたったひとつの媒体がいろんな媒体に影響を与えてる。これはすごいことだなと僕は思うし。それだけインパクトもあったんだなって気がします。
富野 発祥の地である日本、つまりJapanの持っている、何て言うのかな、意外とワールドワイドに対応できるだけのセンス? みたいなのを持っているという意味での日本人のマインド、っていうのはこれは我々自己卑下する必要ないんじゃないのかな。現に今、音楽の世界でも日本発信というのを持っている。つまり極東から出てるものがこういう風に世界中をぐるっと伝わってくってのは、何かとても素敵な感じがしているな、というのもあるし。だからなんです。ちょっと今嫌なのは、自分がこの歳になっちゃって、「え、俺様は何を発信したら良いのか分かんない」。時代のギャップが(笑)。
石井 もう発信したんですよ!
富野 したいの! これからもしたいの(笑)!
石井 これからもしていただきたいですけども。相当すごいものをしてるんですよもう! 既に!
富野 そうか。
石井 世界中の人は「Mr.Tomino」っていう世界で生きてるんですよ、みんな。
富野 あんまりそういうね、褒めてくれないよ周りは。
石井 それは言わないでしょう、面と向かって(笑)。
富野 (笑)
石井 俺だから言うんですけど。そりゃそうですよ、だって逃げられないもん。
富野 うん、だから僕は逃げるつもりはないんだけれども、誰もそういうの教えてくれないの。
石井 いやいや、監督が作った世界でみんな生きてきたんですよ!
富野 はい、成程ね。分かった分かった、分かった!
石井 是非そんなことは言わないでいただきたい。
富野 だけどこれからも発信したい!
石井 はい、是非もうガンガンやっていただきたいと思いますけども。
富野 だけどガンガンやるだけの体力がなくなってるっていう問題があるわけね。
石井 でも富野監督だったら「そこを横に行って右に行って(酔っぱらいっぽく)」って。
富野 いや、いや。
石井 それで良いんじゃないですか(笑)。
富野 ほんとすごいね。
石井 もっと暗くして、うんうん、ガンダム入れないから……。
富野 (笑)。あなたはトミノじゃないんだから(笑)。
石井 あ、すいません(笑)。そろそろお別れの時間なんですが、二週間に渡って貴重なお話ありがとうございました。
富野 とんでもございません。
石井 これからアニメを志す人間がいっぱいいると思うんですよ。今の若い奴らの夢のひとつだと思うし。そういうものの根っこを作ってくださった。とてつもなく偉業だと僕は思いますよ。
富野 ありがとうございます。
石井 やっぱり木が大きく成長できるのは、根っこが深く地中にあるからこそ、高い木が作れるんですよ。
富野 偉いねぇ。そういうの言えるってスゴいねぇ。
石井 いやいや。
富野 本当大人になったねぇ。
石井 ありがとうございまちゅ(笑)。
富野 (笑)
石井 というわけでございまして、二週間に渡ってゲストは富野由悠季監督でございました。ありがとうございました。
富野 本当にお呼びいただきましてありがとうございます。
石井 これに懲りずまたどこかで。
富野 全然懲りてない(笑)。

君は富野喜幸演出『紅ばら・白ばら』を知っているか

富野由悠季監督、82歳の誕生日、令和5年秋の園遊会招待おめでとうございます。

君は富野喜幸演出『紅ばら・白ばら』を知っているか

富野喜幸演出児童向け作品は『しあわせの王子』だけではない

『富野由悠季の世界』展において、会場外で『しあわせの王子』が上映されていたことは記憶に新しい。
『富野由悠季全仕事』、『富野由悠季の世界』図録にも載っていないが、富野監督の児童向け作品は実はもうひとつある。それが今回紹介する『紅ばら・白ばら』だ。

『紅ばら・白ばら』概要


原作:グリム童話
製作:共立映画社、和光プロダクション
企画:小野国三
製作:江川好雄、高橋澄夫
脚本:大島善助
アニメーション:和光プロ
演出:富野喜幸、野村和夫

制作:佐藤光雄
原画:昆進之助
動画:池田純一、島崎おさむ
美術:新井寅雄
背景:アイプロ
色彩設定:若井喜治
仕上:スタジオ ライフ
撮影:佐藤均、角田秀一、武川昌志
上映時間35分
文部科学省選定、厚生労働省中央児童福祉審議会推薦

『しあわせの王子』同様に教育機関向けにリリースされている。
下記の『しあわせの王子』と見比べるとわかる通り、ほぼ同じ座組なので、ハゼドン以降~1974年?前後に同タイミングで制作されたのではないだろうか。もしかしたら他にも富野喜幸演出児童文学作品があるのかもしれない。メディア関係の方々、ぜひ富野監督に取材してほしい。

『しあわせの王子』概要

原作:オスカー・ワイルド
製作:共立映画社
企画:小野国三
製作:江川好雄、高橋澄夫
脚本:大島善助
アニメーション:和光プロ
演出:富野喜幸
作画監督:辻伸一
撮影:広野正之、佐藤均
進行:山口信次
原画:野部駿夫、猿山二郎
動画:南家講二、中村孝
美術:ジャック
色彩設定:若井喜治
仕上:水上八重子
音楽:西山真彦
効果:畑中健三
声優:納谷六郎、堀絢子ほか
協力:日本映画教育協会
文部大臣賞、厚生大臣賞、文部省選定、厚生労働省中央児童福祉審議会推薦、第22回教育映画祭最優秀作品賞、優秀映画鑑賞会推薦

実物大νガンダム立像 オープニングセレモニー 富野由悠季監督ビデオメッセージ

実物大νガンダム立像 オープニングセレモニー 富野由悠季監督ビデオメッセージ

www.youtube.com
富野監督ビデオメッセージ部分のみ文字起こししました。

富野 こんばんは。福岡の皆さま、それから配信をご覧の皆さま。ガンダムシリーズの原作であり、総監督を一応やってました、富野由悠季です。今回、三井ショッピングパークらららぽーと福岡開催にあたり、実物大のνガンダムが建設されましたので、ご挨拶させていただきます。
ご覧の通りの大きさになったのは、元々が宇宙空間で建築現場の作業用のロボットとして作ったものです。ですからここで作業する操縦者というかパイロットはひょっとしたら2、3日閉じ込められているかもしれない、ということの可能性もあったので、こういう大きさになってしまいました。
映画の『逆襲のシャア』では、地球の汚染を防ぐためにνガンダムが戦ったためにです、結局特攻作戦になってしまって壊されてしまいました。
今回のνガンダム(RX-93ff)というのは、(オリジナルRX-93の)設計図面は残ってた様なので、それから再現をした、という設定で作られましたので、映画版のνガンダムとはちょっと形が違ってる部分はあります。が、それも大人の事情ということではなくてむしろ今回会場に実物大で建っているものは、戦った後の状態になっています。どういうところが戦った後というのは、映画版との違いを見比べてください(笑)(おそらくカラーリングのこと)。ただ、実際に今言った様なことを想像して作られたものが、実物の実際の形としてこういう風に展示されることができる様になった、という意味では、ものを考え想像するということがこういう実体として手に入れることができる。そしてひょっとしたら動くかもしれないという可能性も示している、というものがガンダムシリーズの結果として現れています。具体的に現在只今横浜でやや動くガンダム、というものが展示されているということも含めて、この大きさのものが動くということがどういうことなのか、ということも想像していただけると嬉しいなと思っています。
ともあれです。一番大事なことはです。絵空事であったものがこういう実際の形にすることができた。それで実際の形にしてみたら、「あれ、アニメで見るのと違う印象、ボリュームがある」と感じる様になりました。実際に動かすことをやってみた時に、大変大きな発見もあります。つまり全長が17mとか18mの大きさのものというのが、素早く動かすということがとてもできないんです。それをむしろ動くガンダムっていうのを作る上で判っていった時に、一番知ったことはどういうことかと言いますと、この大きさのものっていうのは優しく動くんだよ、ということを教えられた。だからそういう意味ではガンダムの様なものが兵器として使われるものでは絶対ない、という風な全く違う視点というものも獲得することができたということです。。今ここにある実物大のνガンダムを見るということで、今言った様なことも想像することができるという意味では、本当にやはり作ってもらわなければ分からないことなんです。本当に作ってもらうことができ、尚且つこういう場所があるから展示することもできるんです。そういうことを可能にしてくれた関係者の方々の作業や努力に対して本当に心からお礼を申し上げます。こういう風なものを見て楽しんでいただくと同時にです。三井ショッピングパークららぽーと福岡にいらしていただいた方々には、所謂体感型のアクティビティのイベントというのもありますので、そういうもので体も動かしながら、ものを想像するということも一生懸命考えてくれる様にしてくれるとありがたいなと思います。そしてお子たちはです、そういうことはできると思ってます。ので、こういう環境を提供してくれて本当に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。今日この様な形でご参照くださいまして感謝します。何よりもです、関係者の方には本当に心から御礼申し上げます。ありがとうございました。

富野由悠季監督次々々回作『ヒミコヤマト』情報まとめ

富野由悠季監督次々々回作『ヒミコヤマト』情報まとめ

まとめ

  • 富野、福井、角川春樹の企画『卑弥呼大和』がベース。アニメ版『リーンの翼』のベースでもある。
  • 劇場版『Gのレコンギスタ』後の富野監督新作3本の3本目。おそらくサンライズ1st制作。
  • もし戦艦大和が兵器でなかったらものすごく素晴らしいものになったのではないか、という夢を描く物語。卑弥呼は富野監督考案和名「弥生姫」として登場する。
  • 海底のバラバラになった戦艦大和を卑弥呼が再生させるところから始まる。復活した大和が東京に来る。
  • 現代的な登場人物としてYoutuberの女性やブロガー、小保方晴子氏の様な女性が大和に乗り、ヒミコを通して語られる。
  • ラストシーンは決まっていて、『Gのレコンギスタ』の様な内容。福島原発の処理論をやって終わらせる。

以下時系列順にソース。

リーンの翼 オフィシャルガイド Road to Byston Well 富野由悠季×福井晴敏対談

福井 『卑弥呼大和』っていう企画を、監督と角川春樹さんと僕の三者で動かしかけていたじゃないですか。戦艦大和に卑弥呼的な、源日本的な何かが取り付いて、現代の東京をしかりにやってくるって話。『卑弥呼大和』っていう企画自体は、諸々あって頓挫したけど(ブログ注:おそらく角川春樹氏の服役)、でも我々三者の間ではくすぶっていたんですよね。それが僕の『ローレライ』や、角川さんの『男たちの大和』、そして『リーンの翼』の源流になっている。
富野 うん。実は『卑弥呼大和』を思いついた時に、バイストン・ウェル的なものをもう少し、今の言い方で言うとリアルなモノにしたかったという思いはありました。バイストン・ウェル的なものが僕の中にあって、そのバイストン・ウェル的なものっていうのは土着の精神なんだろうと。ならば、僕ももうちょっとだけファンタジーの世界を触ってもいいんじゃないかと思う。小田原って罵られようが(笑)。もう少しだけ、日本の風を吹かせたいっていうのはありますね。

富野由悠季の世界 兵庫会場限定展示


のちに富山会場で12枚に倍増展示。

東京新聞 ガンダムの「生みの親」が語る戦争「ミリタリーは妄想、かっこよくない」「小さき者の視点、自覚を」

次の企画に戦争は出てこないが、戦艦大和は出てくる。形にできるか分からないけど。

グレートメカニックG 2020年秋号 富野由悠季監督インタビュー

  • 富野展神戸で展示された「卑弥呼大和」がベース(福井氏関与には言及せず)。卑弥呼大和は東京に向かう大和と自衛隊が戦い、ラスボスの都知事を倒す物語だった
  • 死ぬ前の作品になる。まだ作らせてくれるかわからない
  • もし大和が兵器でなかったらものすごく素晴らしいものになったのではないか、という夢を描く物語。卑弥呼は富野監督考案和名「弥生姫」として登場
  • 太平洋戦争当日の軍人や軍事技術者の考えが大和に凝縮されている。帝国主義の次の発想の答えを入れたい
  • 参考文献「最終結論「邪馬台国」はここにある」

このインタビューでは話題が振られなかったが、『この世界の片隅に』の戦艦大和作画の影響も大きかったと思われる。

富野監督が挙げた参考資料(もしこのAmazonのリンクがアフェリエイト入りのものになっていたら、それははてなの仕様です)

まだ未読ですが、検索してみた限りトンデモ本なのでは? という疑念が……。『教えてください、富野です』の様に、学会のトップランナーにも取材してほしいところ。

富野由悠季の世界 静岡会場 清水銀行Presents 富野由悠季×藤津亮太 静岡に語る in サンライズ

  • 昨日は3本目の新作の企画を考えていて。Gレコ後の2本とは別。ヒミコヤマトこそ今考えてる3本目なんです。2本のタイトルは言えません。2本のタイトルのシナリオが終わったんで、かかり始めてる。まだ形にならない。ラストシーンだけは決まってる。Gレコみたいなもん。福島原発の処理論をやって終わらせる。
  • 20年前の卑弥呼大和は北九州から大和朝廷を作った礎が卑弥呼なんだというルートを想定。卑弥呼が大和朝廷を精神的にコントロールしていたら戦艦大和を作った話。
  • ヒミコヤマトは邪馬台国みやま市説で決めた。敵は畿内説の歴史学者。こいつらを黙らせたい。場合によっては中国も敵にしなくちゃいけないことも劇中で起こっている。こう来たか、と思うだろう。現在の日本政府や官僚を全否定しないといけないかも。菅首相は嫌うだろう。
  • ヒミコヤマトにロボットは出ないが卑弥呼と戦艦大和をドッキングさせるから巨大ロボットものみたいなもん。『2001年(宇宙の旅)』みたいに作りたい。ヒミコヤマトは海底のバラバラになった戦艦大和を卑弥呼が再生させるところから始まる。復活した大和が東京に来る。
  • ヒミコヤマトには現代的な登場人物としてYoutuberの姉ちゃんやブロガーを出すことから始めようと思ってる。小保方さんみたいな人も乗せようかなと思ってる。ヒミコを通して彼らを語る。
  • はじめはヒミコヤマトも卑弥呼大和の様な話でやるつもりだったが、兵庫展示のおかげで大転換した。考え方が変わったのかもしれない。
  • ヒミコヤマトを形にしてみせることで映画界のバカどもに「好きに映画作ってるんじゃねぇよ!」って言いたい。そういう映画を作りたい。乞うご期待。

「ガンダム」富野監督が、コロナ禍の子どもに放つ過激なメッセージ

次回作につながるかどうかはわからないが、最近調べているのは「邪馬台国はどこにあったのか」ということだ。辺境の女王である卑弥呼からの使者は、男社会である中国の文官たちからどのように見られていたのか。その文官たちが記した歴史書は、どのくらい信用できるのか。

そういうことを考えて、「トミノが作れるものは、まだあるな」と思っている。

ガンプラEXPO2020 ガンダムカンファレンスステージ

小形P 「『閃光のハサウェイ』を早く作って俺の新作を作れ」と。富野監督自身はガンダムに留まらず、『G-レコ』にも留まらず、最近もう漏れちゃってるんで皆さんご存知の方もいらっしゃると思うんですけど、『G-レコ』の後は3本やるつもりで新作を既に用意してますんで。こないだも「来週一緒にロケハン行こうか」という話をしてたんですけど、いろんな準備が必要なんで、もう少しちゃんと準備をしてからロケハン行くって話をしてました。戦々恐々としてます。

いつの間にか動画非公開に。

富野由悠季の世界 富山会場 卑弥呼大和追加展示

  • 「大和の航路、広島より呉をかすめる」戦闘機のボード
  • 「継卑弥呼 大和浮上に 立ち合う」
  • 「朝日、富士、大和は 絵になりすぎ、、、」
  • 「硬化実体化しつつ三浦半島へ 99/9・4 大和ここより面舵をとる。右舷へ。転進(面舵の必要なし!)」
  • 「継卑弥呼 国家論、官僚論、組織論を承知の上で、 東京都知事に国家改造論を語る。 先進の技術を駆使する頭脳者は、忠臣を 死に至らしめた!! 米国は日本の国粋主義化を恐れた」大和とヘリのボード

なお『卑弥呼大和』は内容から星野之宣『ヤマタイカ』と類似する点があり、元々はその映像化企画だったのでは? と思わされる。

『ヒミコヤマト』前の富野監督新作2本について

『Gのレコンギスタ』TV版直後のまとめ

なら国際映画祭

御大・富野由悠季が“脱ガンダム”にこだわる理由「作り手は安心したら最後」

――現在『G-レコ』劇場版を鋭意制作中というお話をしていただきましたが、そんな中、監督には次回作の構想なども既にあるのでしょうか?
富野由悠季 『G-レコ』はもうコンテが1年前に終わりましたから、あとは基本的に現場をフォローするだけです。まだ構想段階ですが、実をいうとこの1年は新作の脚本を書いていて、今は二回目の書き直しに入っています。
――それはアニメですか?
富野由悠季 もちろんです。この歳になって今さら実写なんてできねえよ! という言い方もありますけど、もう一つ重要なことは、もう僕は手描きのアニメでいいと思っているわけです。だから、オールCGに切り替えるなんてことはしません。というのは、手描きのアニメの媒体というのは、無くならないような気がしてきているからです。
――手書きアニメの新作は、一体どんな内容になるのでしょうか。
富野由悠季 この前、WOWOWで放送されたメトロポリタン・オペラを観て気づいたんです。「あ、巨大ロボットアニメという枠って、オペラなんだよね」と。どうしてオペラという言い方をしてるかというと、オペラは大舞台で、音楽も役者も使っています。そして、巨大ロボットものという大枠のなかで、ロボットが出てくると“戦闘シーン”があります。最近、映画『逆襲のシャア』(松竹系・1988年公開)を振り返る機会があったんですが、あの作品は戦闘シーンが多すぎるんです。だけど、戦闘シーンはなくちゃいけない。じゃあ、ロボットものの戦闘シーンはなんなんだろうと考えた時、いわゆるオペラでいう“歌うセリフ”のブロックなのだ、ということに気づきました。
――なるほど、分かりやすいです。
富野由悠季 だから、オペラ歌手と同じように、堂々と戦闘シーンをやっていいんだ、と。問題はその中のお話です。つまり、オペラってでかい話をやっているか? と考えると、結局、オペラは男と女が寝るか寝ないかだけで、ほかのことは何もやっていないでしょ(笑)? そこでニュータイプだとか、社会の革新だとかを言ってたら、そりゃ誰も観に来ないと気づいたんですよ。
――今のお話を伺って、新作のシナリオはとてもシンプルなものなのかな? とイメージしました。
富野由悠季 ところが、シンプルにはならない。だって、歌を歌うシーンが多いんだよ(笑)。その寝たか寝ないかの話はどこでやる? まさにそのロボットものの枠の中でやるしかないんですが、そんなロボットものがあるんですか? あるわけない。だって今まで誰もやっていないんだから。今まさにその寝たか寝ないかっていう、つまり体感的なフィーリングを物語の中に入れている最中で、これはこれでとんでもなく難しい。

富野由悠季監督:次回作を語る 「極めて独善的」 「風と共に去りぬ」に負けない自信も

「Gのレコンギスタ」は全5部作で、第1部の上映が始まったばかり。制作中だが、富野総監督は次回作を考えているという。「現実問題として制作できるのか? という問題がある。制作の了解がとれなければ、希望でしかない。だから、今の段階で構想があるとは言えません」とも話す。
もちろん、作品は監督一人で作るものではない。一方で、富野総監督は経験から「合意で進んだものがあんまりうまくいくと思っていない」とも考えている。
「あのバカ、やっているよね……と一人が強行突破しなければ作品は大成しない。映画史を見てもそう思う。名作とされている『風と共に去りぬ』は、それほど名作じゃないけど、あの時代にあれができたのは、プロデューサーの強権発動があって、総意があったわけではない。作品はそういうもの」
実は「映画一本分のシナリオを書いちゃったんです」とも明かす。
「3時間を超える映画で、1時間40、50分にまとめられるかな? 極めて独善的なんです。きっと分かりにくいんでしょう。僕はいけると思っている。今、頭の中にある企画は『風と共に去りぬ』に負けない自信があります」

NHK ニュースウォッチ9 12/18放送分

公研 2020年8月号 ガンダム監督の「敗北者宣言」【富野由悠季】

富野 ロボットものというのは、一つのジャンルでしかなかった。それにもっと別のありようがあるんじゃないか。そのありようを表現するのに、ロボットものが最適なのかと言った時に、そうではないよねと思います。ロボットものは、好きなやつに好きなように作ってみせればいいだけのことであるし、今もう僕にはその興味がないから、単にロボットものをやることは一切考えないという言い方をします。今シナリオを2本持っています。2本ともロボットらしいものが出てきます。それはどうしてかと言うと、富野という映像作家の持ち駒が少ないために、要するにガンダム系のものしか作れない人間になってしまったということで、僕の「敗北者宣言」なんですよ。それでも、ロボットものという枠にハマらない作品もあるんじゃないのということで、できたら人型ロボットが出てこないものを作るために新しいホンを書いています。新作を作りたいと思っても、恋愛ものも作れないし、悲劇も作れない。書く気がしないのではなく、書けないんです。物を作ること、創作とはそういうものなんだ。絶対に自分の色合いを広げられないんだ──ということがわかってしまった。

TOKYO SPEAKEASY 2020年8月20日放送分ゲスト富野由悠季、中村正人

TOKYO SPEAKEASY 2020年8月20日放送分ゲスト富野由悠季、中村正人

富野監督と中村さんの過去の対談はこちらを参照。
char-blog.hatenadiary.org
char-blog.hatenadiary.org

中村 本当に結構呑んじゃいましたね。
富野 まぁ時間が時間ですからね(深夜1時)。
中村 大丈夫ですか、この時間で。
富野 うん、そういう事で言えば今この時間が一番呑みながら一番やってる時です。
中村 作業してる時はね。呑むのお好きですよね、「健康的に生活を送んなきゃならない」って言って健康的になろうとするんだけども、クリエイティブはやっぱり1時過ぎがやっぱりちょっと僕なんかは調子出てきちゃう。
富野 やっぱり2時、3時くらいまでが一番いい時間。
中村 冴えますよね。一日中考えてて結論出なかったことが1時辺りからパンパンパンパンと入ってきます。
富野 僕の場合もうちょっと違う部分があって。フェードインがダーッと来て。だから2時くらいに一番酔える様にしていきたいなっていう呑み方はしています。
中村 (笑)。そうですか、ほんとに?
富野 はい。そういう意味では……(フェードアウト)。

中村 (笑)、キツいですよね。まぁちょっとね。そんな話をするとは思いませんでした。え? 流れてなかったの? 今の話。今の話流れてないみたい(笑)。残念でしたねー(笑)。そんなわけですけど、避けて通れないのがこの状況。どうしてました?
富野 結局、仕事をやるために生きているわけじゃなくて。生きるために仕事をやってただけのことなのよ。だから「こういう作品が作りたい」とか、「アニメが好きだからやってたんでしょ」ってのは嘘八百でね。食ってくためなの。住宅ローンを返済するためにやってたの。
中村 (笑)
富野 それだけのことなの。そして、そのモチベーションがなかったら、なんて言うの? 飽きもせずにアニメのコンテなんかやってられないよね。演出なんかしてられないよね、そんな上等な仕事じゃないんだから。っていう風に舐めてる節があったもん。今度は逆に舐めるんじゃなくって、「あいつがやってるんだったら、あいつを黙らせてやるためにはこういう風に作る」みたいなことで、言ってしまえば創作意欲みたいなものを気が付いた時に、何が起こるかって言うと、自分に創作能力がないってことに気が付くっていう地獄が起こるわけね。
中村 はい、聞いてみましょ、一応。
富野 その繰り返しだったな、っていう。
中村 じゃあやっぱり監督の「殺すぞ」発言というのはその辺から始まったんですかね? やっぱり。
富野 あのね、劇中でもそうなんだけども、「あの野郎、叩っ殺してやろう」っていうくらいに思い込んでいかないと、実を言うと、フィクションは作れない。
中村 うんうん、はい。
富野 で、そのくらいやっぱり気合いを入れなくちゃいけないことが分かってくるわけ。そして、元々の能力のある「作家」と言われている人はね、それをしないでね、どうもできるという才能を持ってる人。
中村 成程。なんか今来ました。
富野 それと後、そういう人ってどういうことかと言うと、資料を読めるとか、過去にかなりの作品を読み込んでいるというデータがあるのね。僕に、やっぱりアニメの仕事を始める前に、それが全くなかったんで。番組任された時にあなたさ、って時に、一番始めに結局……。
中村 アトムでしたっけ?
富野 違う、違います。番組を任されたってのはつまりシリーズの総監督をやらすことになる。って時に一番始めにやったのは、子供に読ませるお話を一切知らない人間だったので、「児童文学の書き方」って本を探してきて、それを読むことから始めた。
中村 うわー……。
富野 その時に本当に地獄だったんだよ。ましてその時にやったのは、手塚先生の原作(青いトリトン)がありながら、この原作は使えないってことだけは判るわけ。
中村 (笑)。それはちょっと何かで読んで。
富野 そう。
中村 それはすげぇなぁって思いますけどね。
富野 その使えない原作を使える様にするための能力っていうのが僕にはない。だから「え? 児童文学の書き方から始める?」っていう三か月くらいの間は本っ当に辛かった。
中村 監督辛い時は持っちゃうんですか? それとも人に当たり散らすとか?
富野 違う違う。籠る時間もないの。つまり、その本を読み切らない限り、手塚治虫の原作を直すとこに行けない訳よ。
中村 成程。
富野 その時、シナリオライターが5人くらい集まってくれて(松岡清治、辻真先、宮田雪、松元力、富田宏)。「じゃあどうする?」って話になった時に、「お前が方針出せ」って。「だからこうする」っていうのを嘘でも言う訳ね。嘘でも言いながら「これ違うんじゃないのかな~)って。「これやってまた下らない怪獣ものになっちゃうんだよね」っていう事を言いながらシナリオライターに頼む。すると今度シナリオライターの正体が判ってくる訳。
中村 成程。
富野 「あ、こいつはこの手の作品をやることに関してはプロだけども、つまり、子供に向けて作品を書くってことを何も考えてない。スポンサーとTV局のことしか考えてない」っていうことが分かってきたりする、っていうものとの闘いだったの。
中村 逆に言うと、それらの職業の人たちもやっぱり食うためにはそれ。
富野 全くそうです。
中村 監督も食うためにそれじゃダメと。
富野 だけど、重要なことがあって。食うためにこういう仕事をやってやるということで、実を言うとこれをコツコツやってくと、修行になる、勉強になるかもしれない。だから、ある時から分かったことがあるのは、お金を貰いながら、つまり、貰いながら勉強ができるのはなんてありがたいことなんだろう、っていう時期が数年ありましたね。
中村 たぶん今、そういう考え方の人はすごい少ないかもしれないですね。
富野 ん~、その辺は僕にはもう判らない。
中村 でもチーム(サンライズ1stやG-レコ制作スタッフ)の中にはいっぱいいるでしょ? そこのラストで出た……セクションはよく分かんないですけど。監督の目の前に?
富野 いないいない。
中村 いっぱいいるんじゃないですか?
富野 いない。どうしていないかと言うと、僕の周りにいるのは僕と一緒に仕事をやってた様な年代の人な訳よ。
中村 あ、そうか。
富野 若くないの、もう。うん。で、若くない人たちからの意見をこの10年くらい聞き続けてる訳で。そうすると、「いやぁ僕は今こういう風にしか仕事ができないからねぇ」っていう話を聞かされる。「それで暮らしていくのは大変だよね」「大変なんだけど、何よりも手が動かなくなってくる」
中村 (爆笑)。
富野 「絵が描けない」とかって話になっちゃうのね。
中村 まぁ「眼が見えない」とかね。
富野 そうそう。
中村 ありますよね。
富野 それこそ「病気が出てきた」とかって話が先に出てくる。「50過ぎてもね、この仕事をやってられるってのはありがたいね」ってとこにバン!って行っちゃうから。いわゆる創作の話じゃなくなる訳ね。
中村 総監督のチームでさえそんなこと起きますか?
富野 ……まぁ、これはだって、60過ぎたらはっきり「そっち」しかないよ。
中村 (笑)。そうですか。
富野 だけどそういうことで言ったらそういう年齢に入ってるんだから。
中村 じゃあ僕も61、今年で62ですか。確かにレコーディングの現場にしても、そういう話ばっかですね。
富野 だから現に、ここんとこのそれこそドリカムだから、嫌でもドリカムのライブの映像なんてのを観られる訳よ。嫌でも観られる訳。どうして「嫌でも」って言い方するかって言うと、つい最近見ちゃったからなの。(吉田)美和さんがこの身体、あの身体でね、国立競技場でさ、えっ?ってこれ50過ぎたらこれ止めなくちゃダメよね、っていうところ。
中村 過ぎてやってますからね。
富野 そう。
中村 本当にもう(笑)。
富野 本当、何故これができるんだろうか、っていうのも含めて考えるとね、これは実を言うと悪口になっちゃうのかもしれないけども、吉田美和って業がさせてることなんだろうな、とかってとこに行く。
中村 それは……まぁなんですかね、僕もやっぱり、話ぐっと戻っちゃうけど、「才能がある人」って監督が仰って。例えば僕らも含めて監督は才能の塊だと思ってるけど、そうじゃない見方をするじゃないですか。
富野 はい。
中村 で、「才能がある人」って結構「誰かに勝ちたい」とか、「殺す」って思ってない人が多いですよね。なんか人と比べないっつーか。どうなんですか?
富野 あのねぇ、僕そういう言われ方したことないから本当にびっくりするんだけども。本当に「才能がある人」ってのはそうでしょうね。まさに「唯我独尊なんだお前は」ってことも含めて「え、何? 唯我独尊って何なの? 私自分ができることをこういう風にしか、こういうやり方好きだからやってるのよね」とか、「こういう歌い方って素敵でしょ?」とか、「私が出てくると皆がこっち見てくれるじゃない? だから皆さんに対して私はこうよ、こうよ、こうよ」っていうことしか考えてなくって。
中村 それがたぶん吉田の業というものかもしれない。
富野 そう。するとね、それでものが作れるんだったらそれはまさに才能ってのはそういうもので。才能がない僕みたいな人間がやる時にはどうするかと言うと、「本当、あの野郎ぶっ殺してやろうか!」と思わない限り、絶対にね、物語の発端さえ出てこないのよ。
中村 (笑)。とにかく悔しいとか誰かをやっつけてやる、っていうモチベーションが物語の始まり?
富野 そうです。そういうものが全くないとこで、「お前、作れるものあるだろ」って作りたいものないんだもん。
中村 いや、なんかね、「監督と一緒だ」って言ったらほんと申し訳ないんだけども、僕も実は作りたいものがないんですよ。
富野 うん。
中村 例えば、ドリカムだったら「今好きなことばかりやってるでしょ?」って言われるけど、いや、好きなことって何か、って言うと、やっぱり仕事をいただくこと、いただいた仕事を自分の表現としてお返しすることしかなくて。
富野 全くそう。
中村 種はやっぱり与えて、その種は吉田から与えられることが多いので。それはもちろん、吉田がこういう曲やりたいとか、こういう表現やりたいとか。でも監督にその種を与えるのは誰なんですか?
富野 誰もいなかったから辛かった。
中村 (笑)。泣きそうになってますけど、誰もいなかった?
富野 誰もいなかった。
中村 それは例えば手塚先生?
富野 手塚先生!? 何言ってんの! あれはあの人は、僕が自分が、手塚原作を「これは使えないから、作り変える」ってやった時からライバルだもん。
中村 ……うん、はい。
富野 だから師匠だとも思わないで「手塚をいつか黙らせる!」
中村 (爆笑)。やっぱりそっちに行くんだ。そっちのモチベーションなんだ。
富野 そうでなければ、10年20年、こんな仕事やってられないよ。
中村 あの、音楽業界は本当にアニメの制作の現場の、まぁこういう時代ですから色んな話ありますけども、当時まさに総監督が寝ずに働いていた頃、そういうことですよね?
富野 そういうことです。
中村 地獄ですよ。
富野 だから、本当に才能のある人ってのは、本当に羨ましいと思う。だからこそ、(笑)、ドリカムの曲聴いた時に「あっ、これで出てきて、これで売れて、尚且つこれで千人じゃないんだよね、一万人って単位だよね、二万人って単位に向かってライブをやる。それでやってける面子が二人しかいない? こいつら本っ当、殺してやろうかと思ったもん。
中村 (笑)。いやぁ、今僕、米津(玄師)君にそう思ってますけどね(笑)。
富野 本当、そうなの。
中村 米津君も全部自分でやられますからね、彼も。
富野 そうそう。
中村 ジャケット絵上手でしょ?、ま
富野 上手ですよね。
中村 ビデオも撮れる。元々はYoutuberって言いますかね。ハチっていう。
富野 うん。
中村 ボカロから出てますから。あんな歌上手で、あんなパフォーマンスが素晴らしいのに、最初ボカロですよ? そりゃないだろうって。
富野 そうそう。
中村 後出しジャンケンみたいなもんですよ。
富野 それこそ米津さんに限って言えば「自分自身、いわゆるアレンジ? 全く分かんなかったからよ」って平気で言うじゃない? ちょっと待ってくれよ、ってさ(笑)。
中村 本当にですよね。
富野 ふざけてねぇかって思うもん。
中村 本当ですよ。
富野 だけどあれがまさに才能だ、っていうのが分かる様になってきたし。分かる様になってくると……あぁ、余分な話になりそうだから我慢する(笑)。
中村 今日はもうお互い呑んで喋ってるんだから何でも言ってくださいよ。
富野 だけどよ。
中村 マイク切っちゃいますから、なんかあったら。大丈夫ですよ。
富野 (笑)。典型的に……。
中村 なんか最近辛いことあったんじゃないですか? なんか今日、どうしたんですか?
富野 あぁ、そういうことで言えば、もうこの10年ぐらいずっと辛いもん。
中村 (笑)。
富野 楽しいこと殆どないもん。
中村 そうですよね。分かりますよ。
富野 だから、つまり天才の名前を出して、誰からも文句を言われないただ一人の人がいる訳。モーツァルト。本当この5、6年、僕ね、モーツァルトのね、50(歳)まで聴くとは思ってなかったもん。
中村 うんうん。
富野 「あんな曖昧でよく分かんねぇ曲なんて」って思ったけど。
中村 まぁビートルズもけちょんけちょんに言ってますからね、監督ね(笑)。
富野 だけど、本当この5、6年、ずっとモーツァルト聴いてる。
中村 あのね、僕もモーツァルト……。
富野 それで最近分かってきたことは何かって言うと、楽曲のことは分かんないのよ。モーツァルトがすごいなと思うのは、何書かせても、つまり何作曲させてもちゃんと音楽になってて。煩わしくない。
中村 あのね、本当に仰る通りで。しかもモーツァルト、皆さん聴いてらっしゃる方は素晴らしいピアニストいらっしゃるとと思いますけど、モーツァルト、あれ弾いてますからね自分で。
富野 そうなの。そうするとね、才能ってこれであって、僕、若い時それこそワーグナーなんかさ、嫌いじゃなかったのね。モーツァルト聴く様になって、ああいうわざとらしい曲、ってのがね、ダメになっちゃった(笑)。
中村 (笑)。
富野 っていう地獄を経験しちゃって(笑)。
中村 ビジネス考えてるんですかね? でも僕が見る限り、映画とか伝記しか読んだことないですけど、やっぱりモーツァルトも依頼を受けてすら食うために書いてますよね
富野 そうですよ、全くそうです。
中村 パトロンのために。
富野 全くそうなの。そういう意味で商売人なのよ。そういう意味ですごく俗な奴で。だから僕は「アマデウス」って映画大好きなのは、絶対ね、モーツァルトはあぁだったと思うわけ。
中村 サリエルね。
富野 あのくらい俗物で。俗がね、これができるんだってのが分かってきた時に……あぁ、また余分な話しそうになった。
中村 (笑)。でも監督ね、ちょっと横道逸れますけども、今才能のある人も品格とか求められちゃうじゃないですか。
富野 うん。
中村 それはおかしくないですか?
富野 おかしい。だからモーツァルトなの。
中村 そうなんですよ。だからおかしいですよ。なんで才能のある人が善い人でなくちゃいけない、社会に貢献する人でなくちゃいけない。だってその才能自体が人類のためなのに。良いじゃないですかめちゃくちゃでも。
富野 それもあるし、人間ってね、めちゃくちゃじゃなかったらね、天才的な仕事できないんだよ!
中村 仰る通り。
富野 吉田美和さんそうなの(小声)?
中村 あのー、ここでは言えないですけど、めちゃくちゃです(笑)。めちゃくちゃな僕らにね、監督が依頼してくれた、G-レコのテーマソング。聴いていただきましょう、「G」。
(DREAMS COME TRUE 「G」)
中村 という訳で、G-レコのテーマソング聴いていただいてますけども。サーッと流しておいて。今ちょっと言ったんですけど、吉田はこれをちょっと冷静に歌ってるというか。「calm down」と英語で言いますけども。そういう風に歌っているのはすごくね、G-レコの登場人物に似てるなと思って。
富野 はぁー! だからなんだ! 俺気に入ったのは。そこか。
中村 はい。G-レコの登場人物って、普段はそんな燃えてない。
富野 そう、燃えてない。
中村 結構こう、ライトで軽くて。まぁなんか熱血漢でもない。ただ、戦闘とかミッションを与えられたら、もう火の玉の如く戦い、動く訳じゃないですか。それがね、なんか音的に今回出せたな、って。
富野 (拍手)
中村 でも「G-レコの登場人物って不思議な人たちばっかり」って思っていたら、まさに今の人たちなんですよ。皆calm downなんですよ。
富野 へぇー!
中村 意外と冷静で。
富野 うん。
中村 それで一挙に色んな情報を頭に入れてるんで、その分析にも時間がかかるんで。
富野 はぁ~。
中村 感情的になってる暇がないんですよ、今の人たちって。若い人ばかりじゃないですよ? 我々の世代も含めたいわゆるオンラインの人。
富野 分かります。……ほんと中村さんさ、そういう解析すごいね! 上手ね~。
中村 上手(笑)。
富野 僕そういう風に分析できないから、グタグタグタグタしてるんだけども。
中村 だから、監督は才能のあるエリアの人で、僕はそれを吉田と共に今回はフォローするというお仕事をいただいて、毎回ヒヤヒヤしてる訳ですよ(笑)。
富野 そうか~。俺才能あったらもう少し楽してると思うんだけどな。
中村 才能がある人は才能がないで大変でしょうけど。本当にやっぱり、僕何べんも言ってますけどメディアで。素晴らしい主題歌、EDテーマをG-レコは積み重ねてきたじゃないですか。やっぱりファンの中には「ん?」と言う方もいらっしゃる。それは重々承知して、重々分かった上であえて僕らは胸張って、これを劇場用に注ぎ込みたい、という気持ちで作りましたね。
富野 そう。それが分かってるから、今その3本目が、どういう風にするかって、かーなりキツいのよね。
中村 俺訊きたかったんですけど、どうなってるんですか3本目? どうしますコロナ禍?
富野 よく分からない。全然分かんない。
中村 全然よく分かんない(笑)。
富野 ただ、先週、3本目と4本目と5本目のBGMの発注を菅野祐悟さんにして。
中村 菅野さんお元気でした?
富野 元気なんてもんじゃなくて。本当にあの人は元気なんてもんじゃなくて。「米津なんだー!」って人ですからね。
中村 おっ、良いですねぇ。良いですね。
富野 そういう意味ではね、ちょっとびっくりした。そして「なんだ」ってのが僕と違ってて。「だって30秒聴けば判るでしょ? あの人は天才ですよ」って。
中村 仰る通りです。
富野 「だからあの人とどうこうしようと思わないから、俺流に仕事させてください」それで締めたもん。
中村 でも「この野郎」と思ってるのは、そういう天才、時代を区切る、ユーミンさんもそうだし、(中島)みゆきさんもそうだし、宇多田ヒカルちゃんもそうだし、そういう天才たちって、やっぱりもっと影響与えるんですよ、そうやって。それは今の人に一番ウケてるという事象以上に我々クリエイターに。
富野 そうだね。
中村 端っこの人って言っちゃうと菅野さんに怒られちゃうけどさ。でも菅野さんですらインスパイアする訳。定点観測させる。
富野 そうそう。
中村 「米津に比べて俺はこうだから、こういう方法で行くよ」。
富野 だから、本当先週久しぶりで。つまりG-レコの作品のことを考えながら話をしなくちゃいけなかった。せざるを得なかったんで。だからトミノさんも自分でも内心偉ぶりましたもん。
中村 あ、そう。
富野 つまり「この1年、何もやってないのにG-レコってすごいな。色んなこと考えさせる作品だ。だからこうしてくださいよ」って話が菅野祐悟って才能に対して言えた自分って嬉しかったもんね。
中村 でも、客観的に見れたってのすごい良かった。勿論大変な方々、今も戦場で戦ってくださった方々たくさんいる中で、我々こんな呑気に呑みながら話している場合じゃないんですけど、ただまぁ今日は良いか。
富野 っていうだけじゃなくて、この時間がなかったらね、それこそG-レコさっき言った様に作っているのはどういうことかと言うと、人間ね、24時間ピーンとなんて張ってられないもの。
中村 仰る通り。
富野 だからこれで良いんです。良いからこそなの。僕の理想がある訳よ。作り手だったらね、って。実を言うと、秋元(康)さんみたいにずーっと作り手風にしたかったけども、それができてないのを悔しい! っていう。
中村 (爆笑)。コマーシャルに行きましょうか。
(CM)
(ホルスト「惑星 第4曲 木星、快楽をもたらす者」)
中村 今日みたいに仕事抜きの機会はあんまりないので、僕が好きな曲を監督と是非聴きたい曲がありまして。
富野 はい。
中村 今鳴ってるやつなんですよ。これがですね、ベルリンフィルなんですけど、ホルストの「惑星」という曲で。平原(綾香)さんで有名になっちゃいましたけど、「Jupiter」って曲なんですよ。これ是非一緒に聴きたかった。これご存知ですか?
富野 少しは知ってます(苦笑)。
中村 あ、そうですか。これですね、まさに宇宙ってこういう音なんだろうな、と。
富野 うん。
中村 まだ人類が宇宙に飛び出てない頃にホルストという作曲家が作ったんですけど。この中でも「火星」も素晴らしいんですけど。
富野 うん。
中村 この組曲で一番最初の。あらゆる映画音楽家の元ネタになっている様な組曲なんですけど。この「Jupiter」ってのがね、まさに僕らが少年時代に見た、あるいはG-レコで宇宙が舞台になっていた時に聞こえてた音だったんですよ。こういう音楽を僕はいつか作りたいと思って。これを今聴いていただいて。「中村こういうの作りたいんだよ」ってプレゼン(笑)。
富野 いや、っていうよりも、すごく実を言うと僕にとっては当たり前だから。
中村 これが?
富野 うん。当たり前の曲調だから。正直びっくりしました。もう少し違うもの、そういう意味で偏見があったんですよね、ドリカムに対して。
中村 ずっとそれ言ってるからね、監督(笑)。もう偏見の塊だから、富野さん。
富野 (笑)。だから、まさに「Jupiter」なんてのは当たり前に宇宙そのものなんだから、良いんだよ。それで逆にこういう記憶が僕の中にあるからなんです。「2001年(宇宙の旅)」は困っちゃった訳。
中村 あぁ~。
富野 「え~これで来られたか」。
中村 あー、そういう意味でね。
富野 そう。
中村 でもこの楽曲ってすごいテクノロジーも感じるんですよね。雄大な自然だけじゃないんですよ、僕の。
富野 分かりますよ。
中村 分かります? だからそれこそ巨大ロボットも見えるし。あらゆるG-レコで登場する。
富野 拡がりそのものが見えるし。もう一つ重要なことがあるのは、景観と言うよりも、水平線と言うのかな、地平線と言うのかな。
中村 まさに。
富野 ズァーッと走ってるのね。そういう見事さというのはあるという意味では、本当にこれは認めます。嫌いな曲ではありませんが……。
中村 あんまり驚かなかったってこと?
富野 うん。さっき言った通り。最近モーツァルトも自然体に(笑)。
中村 もうちょっと驚いてくださいよ。「おう中村こういう曲選んだんだ、いいなお前」とかちょっと言ってくださいよ。
富野 それだって大前提だもん。当たり前で。今更そのことで「お前ら偉いね」なんて言ってたらナメてることになりません?
中村 (笑)。はい、分かりました。でも今日ホルストを選んでたから、さっきモーツァルトの話仰ってた時に、ちょっとビクッとしました。そこか、って。モーツァルトか、って。
富野 それね、自分の中でもなんです。趣味性の問題みたいなことを考えていた時に、自分に一貫したものがなくって。結局皆が一番言ってるモーツァルトに戻らざるを得なかった自分、っていうのは本当に嫌だった、ってこともある訳。
中村 総監督、皆が言うからモーツァルトじゃなくて、モーツァルトだから皆が言ってるじゃないですか。それはもうガンダムと一緒ですよ。
富野 はぁ~。
中村 「巨大ロボットものは結局ガンダムに戻らなくちゃいけなかった」って監督の周り、屍(死)累々ですよ。ねぇ? (小形)プロデューサー、おんなじこと言ってるでしょ?
富野 中村さんってさ、ほんとプロデューサーね(笑)。すごいね。
中村 (笑)。
富野 ほんとお上手。
中村 お上手なのは監督。でも本当に同じこと言ってますよ。屍累々ですよ、巨大ロボットものの監督たちは。
富野 (唸る)
中村 このヤローって言わないでしょうけどね。でもちょっと言ってほしいでしょ?
富野 言ってほしくない。
中村 (笑)。絶対そうだと思った。
富野 強がりじゃなくて、これを基準にしちゃいけないんだよね。やはり僕は……やっぱりなの、大学以後の、つまり20歳以後のことで言うと、やっぱり戯作者になりたかった、っていう、すごくシンプルな思考っていうものを身に着けちゃったのに、結局巨大ロボットものしかやらせてもらえなかった、っていう意味で「手前らぶっ殺してやろうか!」って日本の映画界全部に対して思ってる人間ですから。
中村 でも番組の始まる前、ここに呑みに来る前にね、「巨大ロボット捨てて、トミノがなんとか……」って言ってましたけど(戦艦大和登場予定の新作?)。何を言ってんですか、って感じだね。まだ極めるんじゃないですか?
富野 違う違う違う。結局巨大ロボットっていうギミックを使わせたらほんとに天下一品だろう、っていうまさにそれが縛りになっちゃって。劇なんて作れなくなってしまった、っていう。「戯作をする」ということはそういうことではないんだよ、っていうことが分かった。だから、言ってしまえば……うーん、僕は未だにドストエフスキーは読めないんだけれども……そう、バルザックなんかは読んでガックリくることはあるんだけれども。人を観察する能力が全くなかった、っていうことを知らされて。本当に愕然とするんだよね。
中村 あの、敵対する人がレベルが違いますから(笑)。
富野 あ、そうか。
中村 例えば吉田も今回、「G」でね、シェイクスピア出してますけども。監督とシェイクスピアはきっと同じことを言ってるんだろう、ということで吉田はシェイクスピアを出したんですけども。でも、ちょっと僕今日、監督に久しぶりにお会いできて、でもシェイクスピアもエンタテイメントやりたかった訳ですよね?
富野 そうですよ。
中村 エンタテイメントとして、芝居の中に……。
富野 それから、あともう一つシェイクスピアがあったのは「自分が田舎者なんだけれども、ともかくロンドンにいる連中に少しはね、俺のこと偉いと思ってよ」っていう、そういうね、下心があった。というのは本当によく分かる訳。そういう意味では向上心を持っている、だけど実を言うと自分はこういう風にしか劇を書けない。だから日常芝居がものすごく多いシェイクスピアってつまんない訳よ。長~くって。「こういう風にしか書けない俺」っていうコンプレックスをずっと持ってた人なんじゃないのかな。これまた袋叩きに遭うかもしれない(笑)。
中村 今シェイクスピアを表現したのは富野総監督の気持ちとちょっと被るところあるんじゃないですか? 「俺は巨大ロボットものしかできない」っていう。
富野 分かったから。はっと気が付いた! 別にあの、自分がシェイクスピアと並んで考えていませんからね。世界の文豪と(笑)
中村 世界のトミノですよ。僕おべっか使う必要全くなくてですね。おべっか使ってもなんの得もないですよ僕。もうテーマ曲書かせていただきましたし(笑)。
富野 (笑)
中村 損得全くないところで。今回監督がG-レコで強調してらっしゃったのは、ガンダムっていう先入観なしで観てほしい。逆に言うと、ガンダム知らない人に観てほしい。今の子供たちに観てほしい、っていう意味では僕は年食ってますけども。でも結構同じとこから入ったんですよ。で、あらためてG-レコオリジナル版(TV版)をあえて観ない。まさにポスター(劇場版キービジュアル)ですよ。「ポスターだけ見て、これから感じる音楽書いてくれれば良いんだよ」って言ったのと全く一緒の角度で入って。やっぱりね、G-レコは面白い。でもね、まだね、得体が判らない面白さなの。
富野 そうなの。その辺の典拠が最近ようやく分かる様になった訳。亜阿子さんから昔から言われてたんだけども。「登場人物が多いやつはダメ! 映画っていうのは二人とか三人とか四人、出ても五人まで。G-レコはキャラクターも多すぎる。(ファースト)ガンダムも多すぎる。それダメ。映画になってない」って言われて。本当にすいません、っていうのは、最近本気になって分かる様になったからね。
中村 でもどうです、僕亜阿子さんに逆らう気はなくてですね。何故かと言うと、ドリカムを使えと言ったのは亜阿子さんですから。本当亜阿子さんには感謝してて、監督にはちっとも感謝してない。
富野 はい。
中村 でも、この前もちょっと対談で喋らせていただきましたけども、今、例えばNetflixとかそういう海外ドラマも含めてヒット作っていうのは群集劇とか登場人物が多くて、でもその登場人物を本当に丁寧に描いて。
富野 あ、そう?
中村 そうですよ。例えば、ゾンビ映画でもなんでもいいや。そういう意味ではG-レコはまさにベルリだけを描いてんじゃなくて、ベルリを中心にもしないじゃないですか。
富野 そう。だけど、映画っていうのは2時間以内でピシッと観られて分かるというのが映画なのよ。って言った時に、そういうものに収まってないG-レコってやっぱり映画じゃないのね。
中村 でも今の映画は15秒で分かる映画もあれば、Netflixみたいに10シーズン各話18話とか、そういうので延々見せるのもあって。その劇中の一人として自分を感じてきちゃう訳じゃないですか、例えばそういうのを観てると。
富野 はい。
中村 G-レコはそういう要素いっぱいある、って前の話で。亜阿子さんの意見ももちろんわかりますけども。「今」じゃないですか。
富野 だからこそなの。G-レコは五部作で作っても良いんじゃないのかというのは5年前から思ったし。それを実行させてもらってるんだけれども、やっぱり戯作者としての理想論がある訳ね。高い! シェイクスピアに勝ちたい訳。
中村 もちろんです。
富野 (笑)。
中村 勝ってます。
富野 そういう時に、これでなぁ……というのがあるから。だから今回本当に、「G」の曲をいただいた時に一番びっくりしたのは、本当にあの単語が出てくるっていうことのすごさ。っていう意味では、今の若い人そういう言い方しても分かんないだろうと思うけど、「ドス突き付けられた」って感じがあるからね。
中村 監督は僕の大先輩ですけども、「今の若い人たち」という分類もままならなくなってきて。
富野 はい。
中村 まさにそのオンラインの人類と、オフラインの人類に全く分かれてて。年齢関係なくオンラインとして実績のない人間は尊敬されないというか。尊敬まではいかない、相手にされない。例えばうちの娘に僕がアドバイスしても、僕は動画の編集の仕方も知りませんし(笑)
富野 (笑)
中村 本当、ガジェットの使い方全く分かんないんで。色んなことで人生の先輩として教えても、iphone使えなかったらアウトなんですよ、説得力が。
富野 きっとそうなんでしょうね。今僕の周りにはそういう人がいないから。
中村 そうなんですか。
富野 そういう敗北感がないの。同年齢しかいないんだもの。
中村 でも作画の現場って最終はガジェット使ってますよね?
富野 使っているんだけれども、ああいうもの使ってる奴は他人だもの。他人なんてもんじゃない。スタッフ以下だもん。絶対付き合わない。鉛筆で絵が描ける人としか仕事しなくなっちゃってる(笑)。
中村 何言ってるんですか。宮崎駿さんみたいなこと言わないでください。よく分かんないなぁ、もう。
富野 だってそういう歳だから。年齢には勝てない部分があるんだって(机叩きながら)。
中村 監督、(19)41年生まれじゃないですか。
富野 うん。
中村 ポツダム宣言が45年じゃないですか。
富野 (笑)
中村 もうすごいと思って、俺なんか。現役ですよ? こういう言い方したら軽くなっちゃって誤解を受けて困るけれど、だけど、よく考えたら僕も58なんで、生まれが。ポツダム宣言からたった13年しか経ってないんですよ。今の13年前ってこれ、皆さんどう思います? 昨日のことでしょ?
富野 言われてみりゃそうだよね。だけど今の若い人、ポツダム宣言の話分かんないですよ、絶対に。
中村 いやいや、今検索してますよ。簡単ですよ。
富野 (笑)
中村 あっと言う間に。今「ポツダム宣言」上がってきますから。ガンガン。本当に(笑)。ふざけてる訳じゃなくてね。
富野 全然分かる。
中村 ただ、やっぱりその中で、猛烈な体験をなさってきて。
富野 してない、僕の場合。
中村 それはWikipediaで読みました。
富野 一番の理由ってのは、今8月期だから、要するに終戦記念日みたいなこともあるんで、そういう記事もいっぱい読まざるを得ない訳。読んでてつくづく思うことがあって。「なんでこんな風な日本になってしまったんだろうな」っていうよりも、「なんであんな戦争をやれたんだろうな、すごいよね、気違い沙汰」……あーっ、ごめん!
中村 大丈夫です、大丈夫です。41年生まれなんで普通の言葉です。当時の表現を忠実に今再現してる訳であって。今監督はそういう概念を持ってらっしゃらない。
富野 だけれども、概念を持ってないからこそ、逆に本当にね、謎なんですよね。なんでああまで国力が違うのに、戦争を仕掛けられたんだろうかな、っていうのは常軌を逸してるものではないんですよ。そういうレベルではないのに、実を言うと戦後の問題でよく分かることがあるんだけれども。一番仕掛けた、仕掛け人をした人たちというのは、全部発言をしていない、戦後は。つまり、特攻に行けと言った奴は、いなくなっちゃったの。一切合切いなくなっちゃったの。特攻をさせられて死んだ痛みだけを持った人たちが戦後発言をしてる訳ね。特攻を仕掛けるということを思いついて、それをやることが戦争だと思えて、そして特攻で国に殉じたということで、「立派な戦死なんだ」という言葉遣いを発明する奴がいる訳。
中村 それで救われる方も。
富野 それは当然です。戦死者を家庭内に持っている人たちは皆そうなの。だってそうでなかったら無駄死になんて言ってほしくないもの。問題なのは、死にに行けと言って戦争に勝てるんだったら、死にに行けと言っても良いんだけれども、死にに行けと言った奴が、戦後生き残ってて、ごめんなさいと言った奴は一人もいなくって、軍人恩給を貰ってるんだよ。
中村 ちょっとその辺はですね、番組が終わった後に。僕が振っときながら断ち切るのは申し訳ないんですけども。でもね、僕いつも思うんですよ。例えばG-レコで戦闘シーンあるじゃないですか。それこそついでに死んじゃう人いっぱいいる訳ですよ。あれどうしてくれるんですか? 例えば水戸黄門が「助さん角さん、懲らしめてやりなさい」って言って刃物をピュッと向けた時に、ついでに死んじゃう人いっぱいいる訳です。
富野 そうそう。
中村 これはすごいシリアスな問題だと思うんですよ。どういう風に考えてらっしゃるんですか? 「あれ、やられちゃった」っていう(笑)。いっぱいいるじゃないですか。
富野 「あれ、やられちゃった」という局面を作ったって奴のことをそろそろ本当にお前ら考えろ、っていう部分はもう40年以上前から持ってます。だから偶然ではないんだよね。だから最近のデジタルの加工は本当に腹が立つものがあるのは、平気で人間を飛ばすものね。「お前、人間をここまで飛ばしたら死ぬんだぞ」っていうのを、皆絵面のかっこいい爆発の飛ばされ方をしてる訳。そういう演技論を見せられて、かっこがいいとかいう風に思わせる今のデジタルビデオの環境、極度に酷いと思う。それでじゃあ、ついでにとか、勝手に死んでく人たちのことを無残に死ぬ様にやったら、戦争反対の表現になるかと言うと、その表現をした瞬間に、オンエアが禁止される、公開が禁止されることが起こるから、それをしてはいけない。って時に、我々はそういう具体的な物事に対して正確な判断基準になる材料を持ててるの? って言った時に、今の人たちは持ててないよね。
中村 それは難しいですよ、やっぱり。
富野 東京大震災の時の、震災の後の焼死体の写真でさえも黒塗りになってるか、フレームから切って掲載する様になってしまった時代には、我々はこれ以後、なんて言うのかな、「人の命を大事にしましょう」ってことだけを言葉にしていて済むんだろうか? そろそろ本当に考えなくちゃいけない時期が来てるんじゃないのかな、とも思う。だけども、人権主義に関して、既にもう誰一人反対論を言えなくなってしまっている。
中村 自分自身も?
富野 そう。この3、40年経つんで、正直困ってます。困ってるからこそ、そういうものに反旗を翻す様なものを作れないのかな。
中村 作品でね。
富野 とも思うんだけれども。ってことで今本当に苦労してます。
中村 そんな富野監督がですね、好きな曲をかけようかなと思って。2曲あるんですよね。
富野 あるんだけれども。
中村 最初に考えたのはなんですか?
富野 最初に考えたのは「ハイフン・スタッカート」で、自分の作詞した曲で。G-レコでやった曲なんだけれども。とっても好きなのよね。
中村 じゃあちょっと聴かせてもらいましょうかね。聴いてください。
(ハイフン・スタッカート)
中村 これですね。知ってますよ。アレンジとか監督意見するんですか? 「こういう風にしてくれない?」これも菅野さん?
富野 菅野さん。すごいですよ。歌詞カード渡して、何にも言わないの。それでこの曲ができてくるの。すごいなぁ。
中村 トイレ関係で言えば、やっぱりG-レコですごいのはトイレですよね。コア・ファイターの中にトイレがある。あれすごい。あれ今までの巨大ロボットものにああいうのありました?
富野 いや、一度やってるんですけど。
中村 まさにそうですよね。
富野 何よりも菅野祐悟がすごいのは、あの歌詞カード持ってきて、この曲想で作るっていうのは、もう本当にね……脱帽ものと思ってます。
中村 先ほどのホルストもそうですが、宇宙、壮大さ、サイエンスフィクションという言い方が良いか分からないですが、そういうものに絶対今まで使われなかった東洋と言うか、インドって言うか、バリっぽいと言うか。ただ、バリにしてもインドにしても、宇宙と直接つながってる……。
富野 そういう説明を一切しないのに菅野祐悟はそれやってくるんだよね。
中村 すごいですね。そこでもうピーンときちゃうと言うか。G-レコの地球サイズにしていくと言うか。ちょっと欧米なサイエンスフィクションの描写今まであったけど、インドも含めてマントラ含めての宇宙観。
富野 ここまでパッとくるってのはそりゃすごいよね。
中村 すごいですよね。俺はできないですよ。菅野さんで良かった(笑)。偉そうに言ってるけど(笑)。怒られちゃうな本当に。もう一曲いきましょうか。もう一曲はこの曲です。突然言ったんでスタッフ慌てて。うちの曲なんかアーカイブ入ってませんからね。
富野 (笑)
中村 慌ててSpotifyからとったんじゃないですか今。本当に。昔はレコード部屋に行ってですね、引き抜いて。Spotifyで検索すれば出てきますから。これはドリカムの「うれしはずかし朝帰り」。これは何故です?
富野 要するに衝撃を受けたんですよね。
中村 これ実際にお聴きになったんですか?
富野 聴きました。朝帰りの曲だろ!? なのに何よりもさ、朝帰りをテーマにして、こうまで大々的に元気に歌っちゃう、っていう。つまりシンガーソングライターみたいなのが出てきたってのがまずね、衝撃的だった訳。
中村 まぁ、当時の常識で言うと朝帰りというのは秘めたるものでございます。
富野 そうそう。そういうロマンがない訳(笑)。
中村 (笑)。ありますよ。ロマンあるけど、そうですね、清々しい朝です。
富野 これかぁ! っていう時に、まさに世代間の断絶。
中村 切れ目が入ったんですね。
富野 はい。っていうものを感じて、こういう人たちが出てくるこれ以後の10年20年、どうやって暮らしていこうかと。
中村 (笑)
(CM)
富野 (笑)
中村 いやいやもう、悔しい悔しいで一時間ゆっくりお話しさせていただきましたけれども。もちろんね、ソーシャルディスタンスとりながら、監督の健康にも、私自身もそうですけど。また是非、秋元さんにチャンスいただきましたら。
富野 ほんとそういう意味ではご縁で。だって(笑)、秋元さんって人、僕にとっても妙な関係の人で。
中村 番組では言えない話があるらしいですね。
富野 いや、言えないんじゃなくて。そうじゃないそうじゃない。作詞をやって貰ってるんだよね、変な曲のさ(機動戦士ガンダムZZ OP1「アニメじゃない」)。
中村 今1時間やって気が付きました。秋元ってロボットいるんだね。
富野 端から気が付いてます(笑)。
中村 僕全然気が付かなかった。ここになんか台本が出るのかと思った。違いました。ひどいね、これで俺は仕切ってるんだよ、ってのを証明している。
富野 そうそうそうそう。
中村 ひどい人だねぇ。また是非チャンスがありましたら。
富野 本当に機会があればということで。僕にとっても、本当に中村さんの切り口の考え方? みたいなものが正直本当に勉強になるんで、ありがたいんですよね。ありがたいんだけども、今から聞かされてもね、間に合わないんだよねぇ。


富野監督が「俺」と言っているところは、普段人前で演出家として演出している状態ではなく、素が出ているのかもしれない(しかしそれすら演出かもしれない)。

DREAMS COME TRUE 中村正人のENERGY for ALL 8/30放送分

TOKYO SPEAKEASY 2020年8月20日放送分の富野監督の話の後日談。

中村 僕は決してMC力がある訳ではなくて。富野総監督は僕より16年ぐらいの先輩なんですけど、僕がティーンエイジャーの頃から、20代30代含めてなんですけど、まさに富野監督の世代が、富野総監督とか宮崎駿さんとか、いわゆる日本のアニメ黎明期、そういう時代の0から1を創ってきた人たち。僕らのそのぐらいの音楽界で言うとYMOの三人、細野晴臣さんとか坂本龍一さんとか。そういう先輩たちに憧れてただひたすらやってきた僕にとってはですよ。こうやって富野総監督とお話できることだけでもワクワクしちゃうんですよ。本当に嬉しい。一言一言が素直に僕らにとっては神の言葉なんで。その言葉をできるだけ僕も解釈したいし、喋りながら追いついてい行こうとはしてるんですけど。まぁそのプロセスがああいうラジオ番組になって、皆さんにも面白いと思ってもらえればこれはもう幸いなんです。ただただ僕が富野さんと喋っていることが嬉しくて。そんな気持ちがたぶんラジオ番組に出てきて、こういう感想がいただけるのかなと思ってますけど。
GOW 以前富野監督がエネマサに遊びに来てくださった時とまた違うストーリーと言うか。
中村 そうだね。そういう楽しい雰囲気がね、伝わってくれたのは嬉しいと思います。

DREAMS COME TRUE 中村正人のENERGY for ALL 2020年2月23日放送分 ゲスト富野由悠季監督

DREAMS COME TRUE 中村正人のENERGY for ALL 2020年2月23日放送分 ゲスト富野由悠季監督

富野監督と中村さんの接触篇はこちらを参照。
char-blog.hatenadiary.org

GOW 今日はエネマサ100回目の放送ということで、スペシャルな日なんですよね。そんなスペシャルな日にふさわしいスペシャルなゲストにお越しいただいております。ガンダムの生みの親、アニメーション界のレジェンド、富野由悠季総監督です。
富野 ははははは。レジェンドの富野ですよ! 生まれて初めて言った(笑)。
中村 今日初のサンプルいただきました。これはやっぱり総監督のファンにとっては嬉しいです。すごいTwitterで上がってましたから。「富野監督が来るぞ」ということで。
GOW メッセージも届いているということなんですよ。
中村 「余計なこと言わなきゃいいな」とか、「ラジオでどんな暴言を吐くんだろうか」とか、みんな楽しみにしてますから。
富野 (吹き出す)あのね、お前らさぁ。年寄りにそういう期待しちゃだめよ、もう。そういう意味では良いお爺ちゃんになろうって努力してるんだから。
中村 そういう宣言もありましたから、どこまで我慢できるか。ちょっと聴いてみましょうね。
(プロフィール紹介)
中村 虫プロ入った時は入社試験みたいなのは受けたんですか?
富野 面接試験だけはありました(笑)。
中村 そうですか。
富野 三行広告っていうのを新聞に虫プロが一度だけ出したことがあって。たまたま大学が近くだったから「面接だけだったら受けられる」って受けに行ったら。就職活動一切やってない11月の面接だったので「これ落ちたらどうしよう」とか思ったんだけども。ありがたいことに「3月から来い」って通知をもらったんで。それっきり就活もしないで虫プロに行っちゃったっていう。「ほんとにここでやってけれるのかな」っていう不安はありましたけども「まぁ働かないよりは良いんだよね」ってことだけで入ったっていう。本当にね、かなり最低限度のレベルで社会人になったっていう。そして虫プロに入ったらもっと酷かった。
中村 (笑)これから聞いてきましょう。今日は2月の23日なんで就職でね、色々考えている方もいらっしゃりますけども、ま、何とかなるっていうかね。
富野 なんでそう思えたのか自分でも分からないんだけども「なんとかなるんじゃないのかな」とは思っていたのかもしれない。ただ、今思い出した。面接だけだからマズい、少なくとも演出志望ではあるのだから短編の絵コンテくらい作って持っていた方が良いんじゃないのか、って持って用意して行ったんですよ。二日くらいで描いたものを。
中村 すごい。見てみたいそれ(笑)。
富野 行ったらびっくりしたことがあるんだけども。大学時代の、つまり映画学科とか放送学科の先輩がね、もう2、3人就職してたの。それを知らなかったの。「えっ、そうか、ウチの大学を出るとこんなところにしか就職できないのか」っていう言い方もある。逆に言うと一年前に入ってる連中、つまり鉄腕アトムの一年目のオンエアの時から仕事やってるわけ。顔見知りの先輩がいたんでコンテ見せたら「こんなの見せちゃダメ、俺が見ても酷いからやめとけ」。
中村 (笑)
富野 それで面接だけ受けた。
中村 さぁそしてGOWも見てたライディーン。フィリピンで見てたの?
GOW そうなんですよ。ライディーンも見てましたし、機動戦士ガンダム。
富野 あのさぁ、本当そういう話、サンライズとか広告代理店からおよそ聞いたことがないわけ。
中村 (笑)
GOW 海外でやってましたよ。タガログ語になって。私たちは日曜日の朝それを見て。JAPANのMANGAは素晴らしいという話をしてましたよ。みんなで。
富野 えー。
中村 既にインターナショナルです。
GOW そうですよ。
富野 既にインターナショナルというのを本当に実感したのは去年なの。今までね、それほど実感してなかった。去年ようやくパリとニューヨークで受け方を見てて。ニューヨークの一応名誉市民みたいな賞状貰いましたもん。TOMINO YOSHIYUKI。それから「GUNDAM DAYにする」ってんで。その時にニューヨーク市議会議員、37、8かな、の人もガンダム見てたって。ガンダムでニューヨークを救ってくれてありがとう、って。どんな話だったっけ(ガンダムのガルマ話)。全然思い出せない。
中村 (笑)彼らにとってはその一言一句を覚えているでしょうね。
富野 そうそうそう。本当にね。国内で言われている様な人気とは違う形で。アニメが始めだって目線でしか見てない人たちにとってはアニメとしての評価論しかなかったのが、そうではないというのが本当に去年つくづく教えてもらえて。ありがたかった。
中村 GOWは僕らよりずっとジェネレーション若いですから。
富野 もちろん。
中村 こうやって全世代、全世界で見られていた。ガンダムめっちゃ流行ったんだってね。
GOW そうなんです。すごく流行りましたし。海外の考え方としては漫画は子供のものというイメージがあったんですけど。
富野 もちろん。
GOW ガンダムとかライディーンを経て大人も見る様になってきたというのが今の世界のアニメーションに対しての(評価)。そういうのを始めたのが日本のアニメーションだったりするのかなと思いますね。
富野 それは意識しましたし、意識しましたからこそ逆に40年経っちゃうとアニメを子供戻りさせなくちゃいけない、っていうことも起こっている。今のアニメのレベルで大人が見ているのっておかしいよ。これでもう袋叩きになります。
中村・GOW (笑)
中村 そんなことない。子供に伝えようということで作ったのが「Gのレコンギスタ」。
富野 そう。
GOW そのテーマソングを歌ってるのがDREAMS COME TRUEということなんですね。
富野 ふふふ。本当にどうもありがとうございます。
中村 こちらこそ本当にどうもありがとうございます。
GOW そもそもどんな経緯だったんですか?
富野 経緯なんか全然なくて。
GOW ない?
富野 うちの奥さんの一言で。
GOW そうだったんです?
富野 そうです。
GOW あらま!
富野 Gのレコンギスタっていう作品コンセプトに対しては、今までの旧来使われてるガンダム系のシリアスっぽい、大人向けの曲ではダメだ。そういう意味では楽曲としては作りこみはあるんだけども、大人向けの曲ではなく楽しい曲。だけど楽しいかと言って明るけりゃ良いのか。50年前の子供向け番組の様な曲も作る気はなかった。いやぁ~ってなった時に奥さんの亜阿子さんが「ドリカムしかいないじゃないの」って言われて。奥さんは芸能界のことも何も知りませんし、まして去年のドリカムのスケジュールなんか知らないわけ。だから平気で言うわけ。去年のあの秋以降のところ、頼めるわけないでしょ(笑)。っていうのは流石に少しくらい知ってるわけ。なもんでしょうがない、ダメ元で声を掛けてみよう。声を掛けたら請けていただけた。本当にありがたかった。
中村 でも本来はこの話するんだったら今日亜阿子さん呼んだ方が良いんですよ、監督。
GOW (笑)
中村 亜阿子さんにここに座っていただいた方が僕はよかったわけ。
富野 言い出しっぺだから。TVの時はあまり評判は良くなかったんだけども、作り方としては自身があったんで、映画版やるぞって言ったら何故かプロダクション(サンライズ)も乗ってくれて。映画を5本分やらせろということで1本目を作り終わる頃に、音楽編成みたいなものがちょっと気になった。映画五本分でさ、TV版のまんまでやるっていうのはすごく無精だと思いません? 無精な感覚が見えるのが嫌で。こちらの無精をファンに気取られない様にする為にはどうするかっていうことを考えた。
中村 (笑)
富野 その魂胆は亜阿子さんには説明してないんだけども、映画の一本目のポスターを見た時に、このポスターの雰囲気のものをとにかく楽曲として広めていく様にしたいんだよね、って言ったらその回答が「ドリカムしかいない、他にはいない」。だからもう70過ぎた人のね、おばあちゃんの意見はあんまり当てにはならないのじゃないかなと思ったんだけども。
中村 今僕が代わりに謝っておきます(笑)。
富野 だけど僕にとって亜阿子さんって人は、ときどきね、命拾いしてくれる様なことをね、ズケズケ言う人で。そういう意味では信じて良い。まして今回の場合にドリカムが請けてくれたわけだから。もうこれで何も考えないで五部作全体のボリュームというものに見合うものになるのじゃないのかな。という風には思ってる。吉田美和ってのは僕にとってはね、この辺光輝いているの。「この辺」っては僕の頭の上に大きくです。
GOW 曲を聴いたとき、どんな心境でしたか?
富野 ちょっと難しいんですよ。というのは仕上がった楽曲で貰ったわけじゃないわけです。このボーカルの歌詞聴いてるとどうもこの英語の歌詞、この発音なに? 気になる! 後で結局ピャッって聞こえてるところは「Shakespeare」だった。もう勘でやるしかないから、ピャッとか抜かしておいて聞こえるところだけで音楽合わせの画像とか作ったわけ。エンディングロールのところで。最終的に吉田美和さんの声が聞こえるボーカルはめこんだら……(笑)。
GOW グーが出ましたよ!
中村 ダブルOKが出ました。
富野 だから本当にその実態が分かった時に、この歌詞を作るのって本当に力仕事だった。よくこの固有名詞を持ってこれたな。これはやはり天才的って今流に言うと天才じゃないよね。神がかってる。普通さ、歌の歌詞に「Shakespeare」って入れます? 固有名詞。シェイクスピアかぁ……。ところが、その一言があるお陰で、G-レコの物語が三千年とか四千年の時間を乗り越えるだけのテーマ性を持ったものなんですよ、ということを歌いこんでくれてるのね。だからそういう言葉を見つけるのか引き出すのか、降りてくるのを待ってた一か月半くらいの時間があったのは想像がつくわけ。
中村 そうですね。
富野 これ大変なことやってたなぁ……。っていう意味ではあの歌詞を作詞なさった方には本当に尊敬するなんてもんじゃないのよ、もう百回くらい抱いちゃう。
GOW (感嘆)
富野 このくらい話をしないと。いやぁ……こんなもんだよねってサラサラっと聞こえちゃうんですよ。
中村 (笑)
富野 歌詞カード戻って、これかなりすごい曲だよ。今回のGのレコンギスタの根本的な精神ということろに触ってるんですよ。だけどこういうのを打ち合わせもなしでね、なんでこれを思いつけたのか。ってのは単純に神がかってるとか天才とか今流行り言葉しないの全然。あの子すごい! ごめんなさい、「子」じゃないね。
中村・GOW (笑)
(DREAMS COME TRUE「G」)
GOW リスナーの皆さんから富野総監督に色々と質問が来ているので、読み上げていきたいと思います。まずは「富野さんのルーツになったアニメ、アニメじゃなくてもいいので教えてください。どんなもの見て吸収したらガンダムの様な作品ができるのか、とっても気になります」。
富野 僕の子供の頃にはガンダムの様なものはなかったわけですので、SF映画というものが流行り始めた頃、何本かの映画があるんです。そういうものを見ていて、小学校5年生くらいから高1ぐらいまで、なんでみんなこんな下手なんだろう。
中村 SF映画が?
富野 SF映画が。映画として面白くない。僕はロケットが飛んでるところが見たい。だけどロケットもロクに飛んでない。だけど映画として見始めるとロケットが飛んでるだけじゃダメなんだよね、ってところも分かってくる。というのが反面教師になってますね。映画を見ても全肯定をしない子だった。常に「これ気に入らない」「これ気に入らない」……。だから一番はじめのゴジラも見ているんだけども、はぁ……(溜息)。こんな作りかよ。
中村 (笑)
富野 っていうのに行っちゃうわけ。ゴジラがいけない。何故いけないかと言うと、ゴジラのカットと、普通の人間が映っているカットの画質が違いすぎる。これ映画としてのバランスが悪いというところにドンと行くんだよ。小学校5年で。だから宇宙人が出てくるロケットみたいなものは、「この宇宙人と似合わないよね、ロケットに乗って来る様な宇宙人がモンスターの様であるわけがない」というところにドンと行くわけ。要するにSF映画がまさに特撮映画でしかなくて。「映画」じゃない。映画にしたい。何が出てこようが映画にしたいと思う様になってきたんで、巨大ロボットもののアニメをやる様になってから、「これを映画にするぞ」ということを一番考えて、ガンダムで試してみた、というのがある。だから逆に言うと困ったことがあるのは、そういう映画を作る為には面白い話を作らなくちゃいけない、っていうところに行くわけです。それはもう大学時代には判ってくるんだけども、そうなってきたときに、自分の中にある文才とか文学士になる様なセンスを持ってない、戯曲が何だか分からない、というところにいっちゃって地獄が起こった。そうすると鉄腕アトムのTV番組の仕事みたいなのをやってるとちょうど良い。ってところがあって。それで3年ぐらい鉄腕アトムを作り続ける、というところにいくわけ。
中村 例えば原作の手塚さんの思想と共感するところと反発するところあるじゃないですか。
富野 うん。
中村 それって制作上どういう風にクリアしたんですか?
富野 そういうことはね、考えている暇がなかった! 1年目くらいの時に手塚先生が流石に視聴率が下がってきたときに、「ダメなんだよね」って。「ルーチンワークで仕事やってもらっちゃ困るんだよね」って。「もっとアイデアを出してもらわなくちゃ困る」っていう風に言われているわけ。僕もそれの時に24になってるんだけど、「ルーチンワーク」という言葉が判らなかったんだよね。当然調べました。あ、成程ね、ということが判った。アイデアは出せないという自分にも気が付いた。じゃあどうするかって言うと、アイデアをSFライターと言われている人たちから貰うわけ。するとこの人たちのホンがつまらない。アイデアは良いんだけどつまらない。劇になっていない。劇にしてみせるぞ、というところでシナリオライターのシナリオに手を入れる様になって。映画的に劇を仕込むということはこういうことだろう、ということで僕はしょっちゅうある時期からシナリオライターと大喧嘩です。だってシナリオ変えちゃうんだもん平気で。
中村 作品を考えるってそういうことですよ。
GOW 続いて「以前、富野監督はアニメ業界に入りたい若者に対して、アニメは見ない方が良い、と発言されていたのがとても印象に残っています。アニメを作りたいんだったら、文芸、演劇、物語など様々なもの、アニメ以外のコンテンツに熱中した方が良いと。今は昔と違ってライトなアニメが増えてきていると感じるのですが、富野監督はどう感じていますか?
富野 アニメを見ていると、アニメの情報しか入らないわけだから、アニメに乗ったところでのアイデアしかきっと思いつかないだろう。むしろ新しいアイデアとか新しい事業を始める人たちの話を聞いてて分かることがあるのは、世界一周しろよ、それだけの話です。二年半ぐらいで世界一周してみたら五年後くらいには化けるだろう。そういう体験論が一番大事なこと。で、ライトなアニメが増えてきたというのも、作り手側にも生活感がなくなったからライトな作品が増えてるだけ。だけどアニメというのは元々ライトなものなんだから、ライトで良いんですよ。良いんだけれども、折角大勢の人が見る様な媒体になったんだから、だったらもう少しだけね、良い物語を提供する様になって欲しいですね、そういう言い方はあります。そうすると、今回の「G」で吉田美和さんが既に言っている通りです。シェイクスピアを潰すぞ、くらいのことは考えて欲しい。
GOW 「ガンダムは世界中にファンがいます。海外の人々の心を掴んだのは、ガンダムのどんなところだと思いますか?」
富野 こういう質問はしょっちゅう受けるんだけども、当事者に分かるわけがないじゃないですか。
中村 (笑)
富野 分かりませんよ。
GOW 元々世界にウケる為にやってるわけじゃないんですよね?
富野 いや、映画にする、ってときには世界中に売るつもりでやってました。「日本国内だけの興行で終わって本当に悔しい」とか思って、何で海外売りをしないんだろうかって「映画関係者のこいつら、センス悪すぎんだよね!」って思ってました。
中村 今はちょっと違いますよね。
富野 今は違う。
中村 作品が思ったよりも世界の人々に伝わり、浸透していた。
富野 そう。
中村 やっぱ嬉しかったんじゃないですか?
富野 当たり前です。嬉しくないなんてことはなくて嬉しいんですよ。嬉しいから悔しいのは、自分の作品の力として40年かけなければできなかった。これは悔しい。
中村 今までは劇場行かなければならなかったとか、TVで見るしかないとか、アーカイブがVHSしかない時代が、今リマスターされて、また良い意味で変更を加えてひとつの作品としてアップデートできる時代になってるじゃないですか。
富野 はい。
中村 そういう意味ではこれからまだまだ可能性ありますよ。慰めてるわけじゃないですよ?
富野 それに関しては実を言うと予定に入ってて。ようやくこれだよね~。
中村 これから評価の対象もそういうのが出てきますよ。レジェンダリー・アーティストじゃないですけど。過去のものをリメイク、リイシューしたもので評価が出ることは絶対あり得るので。
富野 それを自覚するから、困ってることが起こってる。
中村 (笑)何困ってるんですか。
富野 それは過去の作品に対しての評価なんです。だったら現在のところでの人気に対しての、次のメッセージ、次の物語なりを提供しなくちゃいけないというのがプロでしょ。今自分の中にそれを持ってないというのは悔しい。G-レコで多少打算を持ってやってる部分があるんで、まだヌケヌケと作り続けているんだけども、今G-レコの後のものが欲しい。それを今持てない自分が悔しい。それがプロでしょ?
中村 もちろんです。僕もG-レコの仕事がなかったら、本当に新曲書く気全くなかったんですよ。過去のアーカイブだけで食っていこうと、変な、こんなこと言ったらアーティストとして最低ですけど。
富野 分かりますよ。
中村 もっと伝わってないものを伝えていこうと。ちょっとG-レコの発想と同じところにもいて。過去の作品を動画でバンバンバンバンUPしたりして。それに対しての解説をもう一回穿り返したりして。G-レコ作って久々に音楽作る喜びに浸ったんですよ。吉田と。吉田と偶然電話して、「俺「G」一日一万回くらい聴いてんだよね、嬉しくて」って言ったら「私もそうなの」って。「こんな気持ち久しぶり」って。創作で生み出した作品を何万回も聴きたくなっちゃう気持ち。はい、グーいただきました。監督にはそろそろ帰っていただきましょう。でないとこの番組がですね、年鑑富野総監督の特集で終わってしまうおそれがあるんで。
富野 とんでもございません、お邪魔しました。失礼します。
(番組ラスト)
中村 総監督も色んなところでお話なされてますけど、今日はまぁ僕がいたせいか、あるいはGOWの魅力があったせいか、監督としては非常にまとまって分かりやすい話でした(笑)。

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