ネガコメを非難できるほど立派なこと書いてない

誤解を招くこともいっぱい書いたし、いろんな解釈ができることについても自分の考え方、見え方からのエントリを書いたりもしたし、感情的なことも書いてきたんだけど、ブクマコメント読んで、一瞬カチンと来ることなんて何度もあるけれども、「ふざけんなこのヤロー表へ出ろ」みたいな思いを抱いたことがない、というのは幸せなんだろうか。単に書いていることが無難なだけかも知れない。
僕は自分が間違うことも、全方位から見て正しくないことも、知っている。いや、僕がなんていうのもおかしいな。何事にも反対の意見、立場ってものはあるんだから、100%受け入れられるなんてことは人智を超えた何かが介在しない限りありえないんじゃないか。1+1が3であることはそうはいってもありえないかもしれないけれど、定義は意見じゃないし、3である異世界に思いを馳せることはきっと楽しかったりするだろう。
前にも書いたような気がするけれども、コメントをネガティブに受け取る人は自分の正しさに確信があることが多いし、どんな形であれ批判の内容が正しければ受け入れるべきだけどはなからそんな気もないのであれば、そもそもコメントなんて見なければよろしい。賛同されるのは求めるけど非難されることには怒るってのは、バランスが取れない。単に自己承認を求めているのであればさて、その議論の価値は。
別にコメント全部真摯に受け取る必要もないと思うんだけど、受け入れる度量も、打ち捨てる自信もない、ってのはどうすればよいのかなあ。「考え方が違って当然、でも僕はこう思う」っていう感じで書いている人と「自分は正しいはず、みんな賛同してくれるはず」って思って書いている人だとネガコメに対する反応も違うのだろうけど、後者みたいな自信もって書いている人っているんだろうか。いるんだろうなあ。
論争になったとき、相手を否定し尽くしたら勝ち、みたいに考えてたりすると人生損すると思うし、ネガコメをどうやって大事にしていくのか、消化していくのかって言うのが折角たどり着いたこっちの世界を楽しむための一つの方法だと思うんだけど、どうも勝ち負けにこだわっているような気もする。匿名で立場にこだわらず、議論のマッシュアップだ、みたいなのは実現しない夢なのかな。だったらみんな実名でもいいような。

昔のエントリ。近いのはこの辺かな。