世界のはて

『はてな非モテ論壇』の一角だった場所

id:p_shirokumaさんは、いったいぜんたいどういう動機で脱オタしたのかなぁ?と、このブクマコメを見て思った。


・はてなブックマーク - ネット硬派系 - 結局非モテってどうなりたいんですか?モテたいんですよね?
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/yugyu/20061005/p1
p_shirokuma 『上?下?どっかに太政大臣みたいなのがいるの?んでもって、非モテを名乗る人たちは、何かそういうのを拝んでありがたがってるのかな?かな?』

これは、高名な脱オタ者であるid:p_shirokumaさんとは思えない発言。僕たち脱オタ者は、

  • モテ > 非モテ
  • イケメン > キモメン
  • お洒落さん > ダサ夫
  • 非オタク > オタク

といった、娑婆世界でメジャーな価値観・ヒエラルキーの中で劣位に立たされ、その解決方法として、

  • id:matakimikaさんのようにオタ仙人として超然と生きることもできず
  • id:crowserpentさんのように娑婆世界の価値観を内面化せず、劣等感を感じずに生きることもできず
  • 本田透氏のように二次元に引きこもる程にも割り切れず
  • 覚悟氏のようにミソジニーに走ることもせず

ただただ娑婆世界のルールに従い、その中で勝ち残ることを「幸せ」「勝利」として選択したのではなかったのでしょうか?
娑婆世界の価値観を、どうしようもないほどに強く内面化してしまった僕たちには、その価値観を肯定する以外にもはや道は残されておらず、清水の舞台から飛び降りるつもりで「脱オタ」という禁断の果実に手を伸ばしたのではなかったのでしょうか?
娑婆世界の価値観を最も強く内面化し、娑婆世界の太政大臣が決定する「上下」に囚われている(いた)のは、id:matakimikaさんでも、id:crowserpentさんでも、覚悟氏でも、本田透氏でもなく、僕たちです。でなければ、誰が脱オタなどという茨の道を選択するのでしょうか?

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/yugyu/20061005/p1
Masao_hate 『↓シロクマさんは、かつて(あるいは今でも)、「そういうもの」を「上」とし、ありがたがった事は無かったとでも言うのでしょうか?「そういうもの」を目指し、脱オタしたハズの、あなたが。』
p_shirokuma 『↑この似非上下を視たからこそ、オタは脱オタするんじゃないの?』

この返答は、僕には理解できませんでした*1。その「モテ>非モテ」の価値観が「似非」だと自分の中で消化できる人間であれば、脱オタなど考える理由がないのです。id:matakimikaさんが脱オタすることなど、僕たちには想像もつかないように。
今は違うのかもしれません。ですが脱オタした当時、あなたは娑婆世界を牛耳る太政大臣の存在をこれ以上ないほどリアルに感じ、崇拝してはいなかったのしょうか?太政大臣が「似非」だと感じたのは、実際に「勝利」を収めた後ではなかったでしょうか?でなければ、シロクマさんが脱オタした動機とは、一体なんだったのでしょうか?
かつて一度は娑婆世界の太政大臣に屈した僕たち脱オタ者には、いま娑婆世界の「似非ヒエラルキー」で苦しんでいる人間を、「それは似非だよ」と笑う資格はないと僕は考えています。

*1:解説求む!