労働力が不足するから労働力を輸入するのではない。労働力の再生産にコストを払う気が無いから労働力を輸入するのだ


諸君、余だ。
今日も今日とてヘイトスピーチや史実否定といった「愛国活動」に勤しんでいる諸君。
余は諸君に感謝している。
諸君が容易く分断されることに感謝している。
諸君の境遇に対する不満が滅多なことでは企業に向かうことがないことに感謝している。
諸君が労働運動を敵視し、労働運動により救済された人々をも敵視することに感謝している。
自分より悪条件でも働くからと外国人労働者を敵視し、自分より好条件で働いているからと公務員を敵視し、共に待遇改善を勝ち取ろうとはしないことに感謝している。その際、諸君らが自らの蔑視や嫉妬といった感情に基づいた言葉に対し必死で理屈をこねる姿を見るのはまことに楽しい。
諸君がそのようにあり続ける限り、諸君の活動により諸君の生活が向上することはなく、貧困問題が解決されることもないであろう。
そういう諸君の行動を支える諸君の性質を余は素晴らしく思う。
構造的問題を個人の努力の問題に帰し、努力不足であることを示すために自らの構造的問題の乗り切りぶりを自慢げに語りだすという、いわゆる「奴隷の鎖自慢」を始める奴隷根性。
「日本を裏から支配する在日」というような虚像に怯えるゼノフォビア。
自国中心の比較で外国人に後進性や野蛮性を見出し、それを見下すことで虚栄心を満たすエスノセントリズム。
いやはや、実に素晴らしい。まさしく愚民というもののあるべき姿がそこにある。
そういう諸君の性質が敵愾心を煽る方向へ諸君を操作することを容易にし、分断を容易にし、もって扇動と分割統治による支配を容易にするのだ。扇動する側にとってはまったくもってありがたい性質と言わざるをえない。
そういう諸君が少子化対策のための政策に反対する姿には、もう死ぬ。笑いすぎて死ぬ。少子化による次代の国内労働者の不足が「低賃金労働者の輸入」としての移民を後押しし、それが労働者であるところの諸君をより過酷な「価格競争」に追い込み、賃下げ圧力として働くことは明らかだからだ。諸君が低賃金でも多忙でも子育てしやすい社会を構築することを拒否することが諸君自身を追い込むのだ。喜劇と言わざるをえない。
これでは、今の社会で子育てできるだけの賃金を得られず、今の賃金で子育てできるような社会を構築しようとすることもしない諸君の血が諸君の代で途絶えるのも当然のことというものであろう。
だが、心配することはない。
諸君が一代限りの使い捨ての労働力として生を終えても諸君が擁護するところの企業は困ることはないのだから。
このグローバル化の時代、消費者も労働者も国境を越えて「輸入」可能なものなのだ。
次代のために諸君に子育てできるだけの賃金を払うという自国民を再生産するためのコスト。安価な労働力としての他国民を雇用するためのコスト。これらのコストの内、後者のコストの方が低い限り「低賃金労働者の輸入」としての移民を受け入れる方が企業にとって有利となる。そうである限り、企業がそれを求めるのは当然のことであり、企業にしてみれば諸君に子育てできるだけの賃金を支払う必要もなくなるわけだ。子作りするのは将来設計せずに子作りするものか子育てを含めて将来設計できる背景を持つものというのは当然の傾向というものであろう。かくして「低賃金労働者としての自国民」は「淘汰」される。
そもそもだ。終身雇用と年功序列で企業が労働者に子育てできるだけの賃金を払うことにより自国民の再生産をし国内消費をも維持していた国が、それらに代わる社会システムを構築することもなしに終身雇用と年功序列を破棄すれば、それが少子化と消費低迷を加速させるのは当然。起こるべきことが起こったにすぎない。
その上で、終身雇用と年功序列に戻ることを拒み、子育て支援のようなそれらに代わる社会システムの構築も拒むというのであれば、その結果が次代の国内労働者の不足を補うための移民受け入れになるだろうことは自然の流れというものであろう。
移民には言語の違いや文化の違いによる軋轢などの問題が伴い、それらに関する各種コストは移民を受け入れる社会全体、そして国全体が負うわけで、当然、企業も負うことになるわけだが、企業は安価な労働力という形で還元を受けられる。対して、諸君はそういう負担の上に、外国人労働者との「価格競争」にもさらされるわけだ。
もしもだ。諸君がそういう「価格競争」を拒みたいならば、諸君は、少子化対策のための政策を後押しすべきだし、低賃金労働者として使いつぶされる外国人労働者の待遇改善を唱えるべきだ。そのようにすることが、結果的に諸君に対する「価格競争」の圧力を下げることになるのだから。無論、こういうことは蔑視や嫉妬から他人の足を引っ張ることに熱心な諸君にはできないことを承知の上で言っている。


貧困でも結婚や子育てをしやすくなるような制度作りを行うことを拒否する諸君が、貧困を理由に結婚を諦め子供を諦め孤独に老いてゆき、一代限りの安価な労働力として使い捨てられるのだとしたら、それは自業自得というものであろう。
そうではないのに、それに巻き込まれる人々についてはただただ不幸と言うしかない。

総統猫チョビ髭閣下13歳


死んだように眠る余の寝顔。


余の眼力は貯金箱ごときに負けはせぬ。→google:image:KATバンク おすわりクロネコ貯金箱


人間用の椅子を占有してみせる余。