日本語を勉強する外国人にとって、大きな壁となって立ちはだかるのが、「漢字」の存在です。形の複雑さに加えて、種類の多さにめげてしまう外国人は多いようですね。日本人にとっても難しいものですので、当然とも言えますが…。 漢字の難しさに音を上げてしまった結果なのでしょうか、日本語勉強中の外国人が「漢字は本当に必要なものなのか?」というテーマで議論を交わしていましたので、今回は、それを翻訳してみました。 ↓以下に海外からの書き込みを翻訳してお伝えします。 翻訳元: japan-guide.com
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● スレ主 イギリス 何世紀にもわたって、日本の文学がひらがなで書かれてきたことを考えれば、漢字による表記は、日本語や中国語において、真に必要なものじゃないことは明らかだと思っているんだ。表意文字の利点があるのは分かるよ。でも、アルファベットに比べて、とにかく面倒だし、習得が大変だ。 同音異義語を区別するために漢字が必要という議論もあるけど、同音異義語は他の言語にだってたくさんある。でも、表意文字を使わずに、うまくやってるじゃないか。みんなは、どう思う?韓国人も、同じ疑問を持ちつつ、長い間漢字を使ってきた。そして、その後に生まれたハングルは、数時間程度で学べてしまうほど簡単だ。それこそ、アっという間に読めるようになる。 結局、日本人が漢字を使い続けているのは、論理的、理性的な理由があるからじゃなくて、プライドの問題なんだろうと思う。要するに、漢字という表意文字は、必要性があって使われているわけではないんじゃないか?ということが言いたいんだ。 ● アルゼンチン出身 大阪在住 漢字は必要じゃないよ。言語にとって、必ずしも文字表記システムが必要とは限らない、という意味ではね。実際に、読み書きできなくても言葉を話している人々はいるわけだから。例えば、アメリカ大陸の先住民が使っていた言語の大半には、文字がなかった。でも、それらの言語はあらゆる点で十分に成熟していたんだよ。 言語は表記システムによって定義されるわけじゃない。表記システムは、ただ言語を文字に起こすためだけのものだ。ただ、どの表記システムを選ぶかについて、実のある議論ができるとは、全く思えないんだよね。歴史的な要素、文化的要素、効率的かどうかなど、論点は多すぎるし、結局のところ、ある表記システムが別の表記システムより優れているかどうかは、個人の好み次第というのが、僕の意見だ。 漢字に関する僕個人の意見を言わせてもらえば、一度漢字に馴染んでしまえば、ひらがなだけの文章やローマ字だけの文章は非常に読みづらいし、疲れるんだよね。それは、僕のように日本語が母国語でない人間にとっても同じだよ。 ● スレ主 イギリス 少なくとも、漢字が絶対必要じゃないということは認めてくれたわけだね…。 ● ポルトガル 表意文字には、複雑な概念を簡単な記号として表現できるというメリットも有るよ。欧米で使われる道路標識のようなものだね。道路標識は、一目見れば、見る人の方言や住んでいる地域などに関係なく意味が分かる共通言語に近い存在だ。 そして、表意文字も、一度そのシステムに馴染みさえすれば、道路標識とほとんど変わらないんだよ。どこか遠いところで書かれた文章であろうが、遠い昔に書かれた文章であろうが、さほど困難さを感じること無く、読んで意味を理解できるというわけだ。 ● スレ主 イギリス 漢字には、まだ難問があるよ。誰かが僕に「ドンブリ」という日本語を聞かせてくれたとしよう。しかし、耳で聞いたはずの言葉なのに、それを漢字でどんな風に書けばいいかとなると、想像することすら不可能だ。一方、同じことをポルトガル語でやってみると、ポルトガル語に関しては初心者の僕でも、かなりまともな推測ができるんだよね。日常レベルに限れば、漢字表記はメリットよりデメリットの方が上回ると思うよ。 ただ、僕としては、漢字表記を別のやり方に変えるべきだとか、今後、変わっていくだろうとか、そういうことを主張しているわけじゃない。漢字表記は、さらに効率的な表記システムに置き換える事が可能だし、漢字表記は絶対必要なものではないという事が言いたいんだよ。 僕はハングルの表記を学ぶのに1日とかからなかった。でも、日本語や中国語だと、ちゃんと教育を受けた人のレベルに達するには、ものすごい数の漢字を覚えなきゃならない。僕には無理だ。 最低限必要な漢字を学ぶ時間があれば、中級難易度のヨーロッパ言語を3つは学べるだろう。スペリングと音が一致しない表意文字を、何千も丸暗記するのが効率的だと主張する人は誰もいないはずだ。聞いた話だけど、日本語で新聞記事が読めるようになるには、子供時代の大半を日本で過ごしても、20年やそこらはかかってしまうらしいしね。 漢字の難易度が尋常じゃない例を、他にも挙げよう。僕の通う大学に日本人の教授がいるんだが、教授の息子はイングランドで育った。つまり、彼は二ヶ国語を使いつつ成長してきたわけだ。だから、もちろん、英語はちゃんと読み書きできるし、日本語に関しても、話すのは流暢なんだ。でも、彼は日本語の読み書きはできないんだよね。これって、かなり奇妙な事じゃないか?少なくとも、僕にはそう思える。 ただ、ここでは価値があるかないかの判断をしているわけじゃないよ。あくまで効率的かどうかを語っているだけだ。そして僕は、「漢字という表記システムの効率は良くない」ということが言いたいんだよ。 ● アメリカ 日本の漢字はとても効率的だと思うぜ! もちろん、覚えるまでは少々時間がかかるかもしれないけどね。でも、覚えてしまえば、読むスピードはかなり速くなるぞ。 「最低限必要な漢字を学ぶ時間があれば、中級難易度のヨーロッパ言語を3つは学べる」という主張は、その通りかもしれない。実はけっこう疑わしいとも思っているんだが、まあ、そういうこともあり得るだろう。でもね、例えば、トーマス・エジソンは電球を発明するために、相当な時間をかけた。その時間があれば、他に膨大な発明品の数々を生み出せたかもしれない。でも、実際に彼が発明したのは電球だったんだ。その結果、今や俺たちは明かりが欲しければ、スイッチを入れれば良いだけになったというわけだ。 この事と、漢字には似ている点があると思う。つまり、この表記システムを学ぶのに時間がかかるのは確かだけど、それを補って余りあるほど、有意義な成果を得られるということだ。実例は色々とあるだろう?多くの学力テストの結果が示しているように、日本の学生は世界で最も知的なグループに属しているし、日本の経済は、世界でも最強クラスだ。 ● スレ主 イギリス 漢字とIQに何らかの関係があるとか、漢字が日本経済の強さに関わっているなんて、全く合理性のカケラも無い発言だと思うね。日本経済が強くて貯蓄率が高いのは確かだが、それは保護貿易の結果であって、漢字とは無関係だ。 いいかい、高い教育を受けたと見なされるレベルまで、つまり5,000種類もの漢字を記憶した上で、それらを使って読み書きできるレベルまで到達するのには、10年かかるんだよ。保証してもいいが、それだけの時間があれば、誰だってイタリア語、スペイン語、オランダ語をそれぞれ流暢に話せることはもちろん、読み書きだってできるレベルまで到達するさ。 ● アメリカ 絶対、漢字とIQには関係があると思うよ。今よりスピーディに情報を吸収できるようになれば、時間を節約できることになるのは明らかじゃないか。そして、他の多くの情報を吸収するために、新たな時間を作れるようにもなるわけだ。 例を挙げよう。「57,307,211」という数字がある。この数字は英文で「fifty-seven million, three hundred thousand and seven, two hundred and eleven」とも書ける。さあ、数字と英文、どっちが素早く頭に入ったかな?当然、数字の方だろう。仮に数字の方をもっと長くしたとしても、この英文よりはスピーディに理解できたはずだ。 さらに、認知心理学によれば、日本人はこうした情報の認識の仕方も違うらしいんだ。その結果、我々が英語で認識するのと日本人の認知図式は別物というわけだ。つまり、日本人は世界を我々とは違う角度から見ているということになる。そして、ビジネスの世界にいる人間なら誰でも言うように、オリジナリティは良い仕事に繋がるってことさ。 そして、他の言語のほうが日本語より簡単だという話題に関して言えば、僕は反対だ。僕はたくさんの言語を学んできた。フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポーランド語、そして、今は日本語を勉強中だ。日本語以外は、全てヨーロッパの言語だということに注目してほしい。その経験から言わせてもらうと、日本語習得の難易度はドイツ語やポーランド語と同等だよ。ただ、他の言語を習う時と、考え方は変える必要があるとは思う。 君が日本語を難しく感じるなら、恐らく、その考え方の違いに、まだうまく適合できてないからじゃないかな。 ● 居住地不明 漢字表記システムは、第二次大戦後にずいぶん簡略化されたんだよ。それ以後は、約2,000ほどの漢字を覚えれば、たいていの文章は比較的簡単に読めるようになった。漢字の形だって、伝統的な中国式のものから簡易なものに改められたしね。日本政府が、こうしたことを自ら行ったというのは、もっと注目すべきだと思っているんだが。 ● スレ主 イギリス その通り。中国だって20世紀に自分たちの漢字を簡略化したよね。これらの事実が、考える手がかりになると思うんだけどな。 ● ウェールズ 日本の人々は、漢字の取得度合いを見て、その人の教育レベルを判断するそうだ。どれだけ大量の漢字を使いこなせるかで教育レベルや知的レベルが判断できるということは、つまり、日本の人々にとっても、漢字を習うことや覚え続けることは、本質的に難しいということなんだよ。 僕の意見を言わせてもらえば、漢字の美しさは理解できるものの、時代遅れだとも思うし、正気の沙汰ではないほどに原始的だとも思う。完璧なほど素晴らしい、ひらがなやカタカナという自国製の表音文字があることを考えれば、なおさら、そう感じるね。 新聞の内容を全部読めるようになるには18歳までかかるとか、学校教育が終わるまで漢字を学び続けなければならないとかいう事実にはショックを受けたし、奇妙にも思える。漢字をマスターできなかった層の日本人は、社会的疎外感を味わうことにもなるんじゃないかな。 もちろん、現代日本は教育レベルも識字率も高い。とは言え、みんながみんな高いレベルの教育を受けたわけじゃないはずだ。学校教育から早い段階でドロップアウトしてしまったり、そもそも学校に行けなかったりする人は、どこの国にもいるものだからね。そんな人達は、漢字という恐ろしく難しい表記システムがネックになって、事実上、文盲のままでい続けなきゃならない状態になっているんじゃないだろうか。 ● アメリカ サウスカロライナ州 最初の方の書き込みにあった「漢字無しの日本語は読みづらい。」という意見に賛成だ。漢字がないと言葉と言葉の境目が分かりづらいんだよ。漢字があれば、どれが名詞か、どれが形容詞的語句か、あるいは動詞なのかが、かなり明確になるんだ。まだ、あまり長く日本語を勉強していない人たちには、共感してもらえないかもしれないけどね。 それと、漢字には、文章の意味を知る上での価値が有ることも忘れてもらっちゃ困る。漢字に使われている文字のおかげで単語の意味が推測できることはしょっちゅうだし、少なくとも、かなり良いヒントになる事は確かだ。 > 漢字の美しさは理解できるものの、時代遅れだとも思うし、正気の沙汰ではないほどに原始的だとも思う。 漢字が「原始的」だなんて、とんでもないね。このスレッドで議論している誰かさんよりは論理的な存在と言えるだろうな。これは頭に入れておいてほしいんだが、漢字の数は多そうに見えても、漢字の元となる偏や旁(つくり)の数は比較的少ないし、その偏と旁の形も、大半は英語のアルファベットと同じくらいシンプルだ。沢山の漢字も、この組み合わせ方の違いで生まれるだけなんだよ。例を挙げてみよう。 “mountain pass” を意味する「峠」という漢字がある。これだけ見ると複雑そうだね。だが、この漢字は、“mountain” を意味する「山」と、”up”を意味する「上」、そして“down”を意味する「下」という、分解してみれば、一つ一つはシンプルな文字の組み合わせにすぎないんだ。もっと複雑な漢字だって、それを構成する要素はシンプルであるのが普通だ。 もちろん、すべての漢字が、今挙げたようなシンプルな論理で理解できるものばかりじゃない。典型的な例を挙げれば、“hand”を表す「手」に“temple”を意味する「寺」を組み合わせて、“have”か“hold”を意味する「持」という漢字になる。この場合、「持」という漢字の左側の編は、意味に関するヒントを与えてくれるのに対して、右側の旁は、「持」の意味に関するヒントじゃなくて、「ジ」という音読みに関するヒントを与えてくれるものになるわけだ。こんな風に、意味を表す記号と読みを表す記号を組み合わせて出来た文字のことは、形声文字という。一説によれば、漢字の約85%は形声文字らしい。 さて、漢字が絶対的に必要なものかと問われれば、恐らくノーという答えになるだろう。でも、少なくとも、目的によってはメリットがある、それは確かだね。 ● ドイツ 表音文字のほうが、漢字より習うのが簡単という点は、その通りだと思うよ。そこは認めざるをえない。ただ、ひらがなやカタカナだけの文章が非常に読みづらいという点も間違い無いんじゃないかな? 他のサイトで、こんな話を読んだことがある。ある非日本人のスポーツトレーナーが、彼の教え子である日本人の生徒たちに、日本語で短いメッセージを送った。そのトレーナーは、生徒達が抱いている「カッコ良くありたい」という気持ちを利用して、スポーツに取り組むモチベーションを向上させたいという狙いでメッセージを書いたんだが、生徒達が受け取った実際の文は、どう考えても「速やかに女装せよ」という意味にしか解釈できないものだったそうだ。 これは、トレーナーがひらがなだけで文章を打った結果として起こったことなんだが、日本語の文章は、カナだけでは非常に読みづらいものなんだという事を示す良い例だと思うよ。このコーチは、せめて単語と単語の間にスペースを入れるべきだったね。 ただ、そもそも、このスレッドが始まった本当の理由は、漢字を学習する者なら誰もが突き当たる、ありふれた問題にあるんだと思う。つまり、これが決定版だと言えるような漢字学習の教材が、ほとんど存在しないという問題だ。僕も、日本語を勉強し始めてから、かなりの期間、この問題で苦しんだ。 たいていの人たちは漢字を手書きし、丸暗記するという方法で勉強していると思う。語源を手がかりに覚える教材などもあるし、そうした教材でも500種類程度の漢字なら確実に覚えられる。でも、残りの漢字をどうやって覚えるか、これが大きな問題なんだ。 僕の経験だと、ジェームズ・ハイジック教授の漢字学習方法が役に立った。この方法だと、一週間につき50~80種類の漢字を学べるから、2,000種類の漢字を覚えるのに、たった28週間しかかからないよ。ハイジックの本では、漢字一つ一つの裏側にあるストーリーが紹介されているんだが、それを読んで漢字の語源を学んだ僕から言えるのは、漢字を捨てるなんて、とてつもない文化破壊ということだね。 ● スレ主 イギリス しかし、それでも、韓国人たちは漢字を捨てたんだよ。 ● アメリカ ユタ州 私は日本語を学び始めて2年目だ。私がひらがなで文章を書けば、たいていの日本人たちには、こちらの言いたい事が伝わるという程度のレベルだね。漢字の勉強には苦労させられているが、そんな私でも、漢字について分かっている事が二つある。 一つ目は、漢字無しでは、日本語は非常に読みづらいということ。私は、日本の小学生向けにひらがなだけで書かれた文章を読むのに、長時間、考え続けたこともある。同じ内容の文章でも、漢字で書かれていたら、スッと理解できただろう(もちろん、私の知っている漢字であればの話だが)。 次に、カナだけしか使えないとなると、もう少し実用上の問題が発生することもある。英語の発音の種類は日本語の約3倍と言われているが、その英語でも、同音異義語はたくさんある。例えば、「to / too / two」のようなものだね。ただ、違ったスペルで書かれているため、意味を区別するのは簡単だ。発音のバリエーションが少ない日本語では、さらに多くの同音異義語がある。だが、カナだけでも英語のアルファベットより文字の種類が多いにもかかわらず、意味が違う言葉でも発音が同じであれば、カナでの表記は同じになってしまう。表記上では同音異義語の区別ができないんだ。 そして、この区別を可能にするのが漢字というわけだ。もちろん、ひらがなだって、英語を表記するように、単語と単語の間にスペースを入れたり、アクセント記号を入れるのが許されれば、多少読みやすくすることは可能だろう。 とは言っても、結局のところ、日本語から漢字を取り除くことなど、実現困難な事は間違いない。これまで漢字を使って書かれた日本語の文章、資料などの資産は、あまりに膨大な量だ。漢字を使わずに教育を行うようになれば、ただ、過去に書かれた文章を読めない世代が生み出されてしまうだけのことになってしまう。 英語に関しても、正書法をもっと論理的なものにしようというプロジェクトが色々とあっただろう。だが、たいていは非常に読みづらかったはずだ。英語を話す人にとっては、これを思い出してもらうのが分かりやすいんじゃないだろうか。いずれにせよ、外国人が、日本語を改善すべきだと発言するのは不適切だろうと思うね。改善した結果が良いものであれ、悪いものであれ、一番影響を受けるのは日本人なんだから。 比較的最近、ドイツでも新しい正書法が導入されて、ドイツ語の表記はかなり変更された。おかげで、ドイツ語以外のキーボードでドイツ語を入力するのは簡単になった。この変更は、漢字の廃止に比べれば些細なものにすぎなかったわけだけれども、それでも、多くのドイツ人がこの変更に反対したし、実際に変更された箇所を見る度に、怒りを露わにする人もたくさんいた。私の母はドイツで国語教師をやっていたんだが、この件ではひどい目にあったようだ。 もし、日本人が漢字の廃止を決断するなら、外国人の意見などではなく、彼ら自身の事情によって、そうせざるを得なくなってからということになるだろう。ただし、私としては、日本人が漢字を完全に捨て去ってしまう事など、あり得るのかどうか、疑わしく思っている。あの洗練された形を放棄する理由なんて、あるはずがないからだ。 確かに、単語と単語の間にスペースを入れたり、句読点を増やしたり、ベトナム語のように補助記号を追加したりすれば、うまく漢字を廃止することも可能かもしれない。仮にそうなったとしても、「女」と「男」の漢字は個人的に好きだから、残しておいてほしいが。 でも、結局は日本人がどう思うか、全てはそれ次第ということだろうね。 (翻訳終わり)管理人より:漢字は、基本的に外国人受けが良いんですが、彼らも、自分で学ぶ立場になると、漢字への態度が一変することは多いですね。今回のような議論を吹っかけられた場合に備えて、漢字のメリットはキッチリ頭に入れておいた方が良さそうです。