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「マツダファンフェスタ2025」開催、レーシングドライバー歴60年を迎えた寺田陽次郎氏がル・マンの思い出を語る

2025年10月4日~5日 開催
マツダファンフェスタ2025でル・マン24時間優勝マシン「787B」が元気な姿を披露した

 マツダは10月4日~5日、富士スピードウェイ(静岡県駿東郡小山町)にて「MAZDA FAN FESTA 2025 at FUJI SPEEDWAY(マツダファンフェスタ2025アットフジスピードウェイ)」を開催した。

 MAZDA FAN FESTAは、「ファンの皆さまと共に、もっとクルマを楽しむ場」をコンセプトに、クルマが好きな人から家族連れまで、来場したすべての人が楽める参加型ブランド体験イベント。初日の4日はあいにくの雨模様となったが、5日は雨も降らず、両日で多くのマツダファンがイベントを楽しんだ。

 開会式では、ミスタール・マンこと寺田陽次郎氏が「787B」に、マツダ代表取締役社長兼CEOの毛籠勝弘氏が2024年12月にオーナーの免許返納のタイミングで譲り受け、マツダR&Dセンターできれいにレストアした「RX-7(FD3S)」に、そのほかの役員も歴代「ロードスター」に乗って登場。毛籠社長は「いろいろな体感コンテンツを用意しているので、思い切り楽しんでください」とあいさつをしてイベントはスタートした。

オープニングであいさつをするマツダ株式会社 代表取締役社長兼CEO 毛籠勝弘氏
今年でレーシングドライバー歴60周年を迎えたレジェンド「ミスタール・マン」こと寺田陽次郎氏
マツダ入社後、初めてマーケティングの責任者を担当したモデルで、とっても思い出のあるクルマというRX-7に笑顔で乗り込む毛籠社長

レーシングドライバー歴60年を迎えた寺田陽次郎氏

 1991年のル・マン24時間耐久レースで優勝を飾った「787B」は、現在ウェット路面用のタイヤがなく、ドライ路面でしか走行できないとのことで、4日はエンジンの空ぶかしのみとなったが、5日は路面も乾きデモランやサーキットサファリ(来場者が乗った観光バスとの並走)で、当時のままのトップレベルの走りを披露した。

4ローターペリサウンドを轟かせて富士のストレートを爆走する787B

 また、ステージでは4日と5日の2日間にわたり、「寺田陽次郎のル・マントーク」と題し、1974年から17年間にわたって続いたレース用ロータリーエンジン搭載レーシングカーの進化の軌跡や、レースチームの苦労や裏話などを、当時マツダスピードに在籍してチームに関わっていた三浦正人氏と語るトークショーを実施。

寺田氏を大勢の観客が拍手で迎えた

 5日は活動の後半となる、1983年以降の話題が中心で、寺田氏は1983年にル・マン24時間に挑んだ「717C」について、「このマシンはたくちゃん(由良拓也氏)がデザインしたんだけど、たくちゃんは『これ(地面に)吸い付きますよ』というんだけど、全然ダウンフォースが効かなくて、思わず『ダウンフォースはどこ?』って聞いちゃった」と振り返りつつ会場の笑いを誘った。

1983年にル・マン24時間に挑んだ717C(グループCジュニアクラス)。由良拓也氏がデザインした。あだ名は「そらまめ号」。エンジンは13Bのターボ仕様で、パワーは300馬力ほど。燃費は3km/l程度だったという

 続けて、「フロントはロードラッグ仕様で空気抵抗を減らす形状になっているんだけど、リアに大きなウイングが付いているから、バランスがわるくてね。ストレートでフロントが浮いちゃってフラフラするの。まぁ、お互い若いころなので、データも何もない時代に、勉強しながら作っていたんだから仕方ないですけどね」と最後はきっちりフォロー。とはいえ、「717C」は1982年にマツダとして初めてル・マン24時間で完走し、1983年にはワンツーフィニッシュで勝利。初めてクラス優勝を達成したマシンでもある。

1986年にル・マン24時間レースを走った「757」は、3ローターエンジンで450馬力。従来の13Bローターの半分の幅のローターを3つ並べていたが、あまり燃費もよくなかったという

 また三浦氏は、「このころはまだル・マン24時間もルールが定まってなくて、C2カーは25回ピットインしなければならず、ピットで長く止まっている時間が長かったと記憶しています。燃費規制が入った年でもあって、ル・マン24時間を運営している組織ACO(Automobile Club de l'Ouest:フランス西部自動車クラブ)も燃費をどうやってコントロールしようか、まだ実験段階だった」と解説。

 寺田氏は、「そもそもル・マン24時間レースは、1980年代からエネルギー有限説を唱えていて、エンジンは何を積んでもいいし、パワーも何馬力出してもいいけど、ガソリンは決められた量しか使っちゃダメというルール。これはとても面白いし、いい考えだと思っています」とル・マン24時間レースの始まった意義を説明した。

1988年にル・マン24時間レースでGTPクラス優勝を果たした757。すでに4ローターの767が完成していたが、寺田氏は手堅く、実績のある3ローターエンジンをチョイスして、2度目のクラス優勝を果たした

 その後、ル・マン24時間レースのコースは、時速250km/hで曲がるコーナーもあるし、直線の最高速も速いため、高速安定性を高めるべく、ホイールベースが長くて、トレッド幅の広いマシンへとスイッチ。しかし、それでもエンジンパワーが足りなくて直線が遅い。当時観戦に来ていたマツダの役員がストレートで抜かれていく757を見て、「なんで直線で抜かれるんだ! もっとアクセルを踏め!」といい出し、寺田氏は「最高速ってどうやって出るか分かります? 最大出力と前面投影面積の掛け算ですよ」と思わずいってしまったそうで、「もっと馬力が必要」と伝えたら、そこから開発がまた加速したと振り返った。

 また、三浦氏は「ロータリーエンジンの場合、ローターをつなぐエキセントリックシャフトだけなんとかなれば、あとはローターを増やすだけ、でもレシプロエンジンは腰下のブロックから作り直す必要があるから、こんなに簡単に変更はできない。また、ターボにするかNAにするかも悩みどころで、ロータリーエンジンはもともと排気熱が高いこともあり、さらにターボで熱を発生させると、オイルシールなどがもたない」と、当時の苦労を回顧した。

1989年にル・マン24時間レースに挑戦した767B

 1989年は3台とも4ローターのNA仕様でル・マン24時間レースに挑み、総合でも7位、9位、12位と3台とも完走。寺田氏は「リアウイングがすごく低いですよね。当時はボディ全体でダウンフォースを得られる技術を習得していく過程で、できるだけ最高速を稼ごうと頑張っていました。これ以上リアウイングを低くすると、前後バランスが破綻するギリギリまで攻めていました」と説明。

 当時の技術だと、空力(ダウンフォース)優先でマシンを仕上げるか、サスペンション優先でマシンを仕上げるか、各チームの戦略だったという。ただ寺田氏は「空力を追求するのがドライバーとしては一番確実で、安心してアクセルを踏めるし、コーナリングでピタッとマシンが路面に吸い付いてくる。でも、ダウンフォースが強すぎると、直線が遅くなる。だからル・マン24時間の場合、直線と高速コーナーが速くないと勝てないんです」と解説した。

 ただ、参戦当初は何に標準を合わせればいいかも分からないうえに、年に1回しか走れないからデータも取れない。そこでマツダにあったシミュレータを使ったけれど、当時のシミュレータの精度では、明確な答えは出ず。ひたすらトライ&エラーを繰り返していたという。

1990年のル・マン24時間レースでは「767B」でIMSA GTPクラスで優勝を果たし、寺田氏は3度目のクラス優勝。片山義美氏はル・マン参戦最後の年となった

 また三浦氏は、「当時4ローターは630馬力で、それを翌年までに700馬力にしろと言い出したマツダの専務がいて、エンジン担当はみんな『1年でそんなことできるか~!』と、ひっくり返って大騒ぎしたんですが、翌年にはちゃんと700馬力になったんですよ。あと、ル・マン24時間レースは、ガソリンの量が決まっているから燃費がバレちゃうんですよね。当時は1.9km/Lくらいだったかな。それでマツダは燃費がわるいと烙印を押されてしまったのですが、開発陣が頑張って改善して、2.0km/Lを超えるようにしてくれたんです」とマツダの技術力の高さを紹介。

 寺田氏によると、「ちなみに1991年に優勝した787Bは、4ローターで700馬力、もらえるガソリンは2550Lのみ。まわりは1000馬力のマシンとかいるから、常に700馬力を出してないと遅い。でも24時間を2550Lで勝つプログラムを作らなくちゃいけない。そのマネージメントが難しいし、僕たちは速くて燃費のいい走り方を強要されたんです(笑)」。

1991年のル・マン24時間レースでは、「787B」が日本車初の総合優勝を達成したのと同時に、レシプロ以外のエンジンが優勝したのも初めてとなる

「さらに当時のエンジニアは『これからは燃費計が必要』といい、コクピットに燃費の分かる計器を付けたんですが、あまりにも素早くリニアに動くから、運転しながらだと数字が読めない。『こんなの読めないよ!』とエンジニアに伝えたら、最終的にはランプが光るような仕組みになったけど、もしそのランプが点灯したのを見落として、次のラップに入ってしまったら、1周13.6kmくらいあるから、確実にガス欠でリタイヤになっちゃう。ちなみに787Bのガソリンタンクは100Lで、コーナーの横Gで偏って吸えなくなってもダメだし、できる限りきれいに吸わせるためにマツダの技術開発陣は本当に頑張っていた」と振り返った。

1991年のル・マン24時間レースには3台の「787B」が参戦していて、従野孝司氏/寺田陽次朗氏/P.デュドネ氏が乗る56号車は総合8位でフィニッシュ。途中でデュドネ氏が体調を崩してしまい、従野氏と寺田氏の2人でゴールまで何とか運びきったという

 また寺田氏は、「僕たちドライバーも、燃費をよくする走り方で、究極の燃費走行をしてるんです。当時はF1ドライバーを2人雇っていたのですが、彼らはやっぱりめちゃくちゃ速いんですけど、燃費がわるい。でも2人はライバルでもあるからお互いに燃費を聞けないんですよ。で、マッサージ中に僕のところにこっそり『どうすれば燃費がよくなるのか?』と聞きにくるんです。彼らはブレーキング直前までアクセル全開だから燃費がわるいんですね。燃費走行のポイントは“滑空”させる必要があって、ストレートではブレーキングポイントの100m~150mくらい手前でアクセルスロットルをオフにする。アクセルをオフにするとリアのトラクションが抜けるから、不安定な状態になるんだけど、今度はその状態からフルブレーキングでコーナーへ突っ込んでいかなきゃならない。これもうドライバーにしか分からないけど、ものすごく怖い。でもその結果、700馬力でも2.2~2.3km/Lの燃費で走れるようになったんです」と、ル・マン24時間レースならではのドライビングテクニックについて言及した。

1992年以降はマツダスピードが主体となり、RX-7のレースカーやレシプロエンジンを搭載したマシンなどで参戦を続けている

参加者は富士スピードウェイを堪能

 コースでは、歴代のマツダレーシングカーのデモランが行なわれると同時に、観光バスに乗って、レーシングカーが走るサーキットを走る「サーキットサファリ」も実施。さまざまなマシンが、甲高いレーシングサウンドを響かせていた。

スーパー耐久のマシンは横に並んでデモラン
【MAZDA FAN FESTA 2025 at FUJI SPEEDWAY】マツダ787Bなど歴代レーシングカーが爆走&サーキットサファリを実施(7分37秒)
歴代のマツダレーシングカーが元気に走行した
サーキットサファリで走っていた歴代レーシングカーはピットにて間近で見られる

 さらに、愛車で富士スピードウェイを走れるパレードランのほか、全国マツダディーラー・グループ会社が3時間耐久レースで腕を戦うマツダグループチャレンジカップ(通称:マツチャレ)や、マツダファンエンデュランス(通称:マツ耐)を開催。毛籠社長もマツチャレに参戦して汗を流していた。

ホームストレートに750台のマツダ車が並んだ
参加者はパレードランの前は、近くの人たちと記念撮影を楽しんでいた
サーキットのコースを愛車で走る体験を楽しんでいた
【MAZDA FAN FESTA 2025 at FUJI SPEEDWAY】750台限定、10月5日のマツダ車パレードラン(5分4秒)

体感コンテンツ満載なのがマツダファンフェスタの特色

 マツダファンフェスタでは、事前に予約が必要なものや、有料無料など、大人から子供まで楽しめるたくさんのコンテンツを用意。マツダ主催の体感コンテンツは、「砂型鋳造職人の見習い体験」「廃材リサイクルでミニロードスターを作ろう」「ロードスターのヘッドカバー&定規 磨き体験」「デザイナー体験(お絵描き体験)」「クレイモデル造形実演・体験」「プログラマー体験」「エンジニア体験」など、自動車作りに関わる本格的なものばかり。また、出展社ブースでは、「コーティング勉強会」「牽引体験」など、普段はなかなかできないコンテンツも用意されていた。

コースターや数量限定のイラスト用紙がもらえるクイズラリー
MAZDA SPIRIT RACING ロードスター 12Rの運転席試乗体験には多くの人が並んでいた
子供にはミニサイズのロードスターに乗り、実際に「走る、曲がる」という運転する楽しさを感じられる特設コースを用意
参加者が磨いてコメントが書かれたヘッドカバーは、スーパー耐久に参戦しているロードスターに装着するという
ボディコーティング勉強会では、クイズ形式で楽しく分かりやすく説明していた
革製品にロードスター形にコーティング溶剤を塗ると……濡らすとロードスターのシルエットが浮き上がるようになった
マツダ車のペーパークラフトを組み立て、色を塗ることができるコーナー。オリジナル缶バッヂ制作も大人気で、昼前には完売していた
バーチャルの世界で787Bの異次元の走りを体験できるコーナーは100分待ちの大盛況
デザイン開発現場で実際に使われている「クレイモデル」を見て触って、造形体験ができるコーナーでは、実際に使用する道具を使って、削ったり、付け加えたり可能
4種類の異なるテーマのサウンドを聞き、どれがよかったをアンケート。アンケートの結果は未来のマツダが作るBEVに活用されるかもしれないとのこと
メインステージでは、記念撮影サービスも実施
マツダではロータリーエンジンの補修パーツの供給を継続させるべく、ローターやローターハウジングの鋳物の金型を、「砂型3Dプリンター」を使って製造する方法を編み出している
Car Watchでもおなじみのカーライフジャーナリストまるも亜希子氏と、カーライフエッセイストの吉田由美氏が、今日からできる安全運転と称して活動しているOKISYUもブースを出展
交通安全を分かりやすく伝えるクイズや、ストップウォッチを10秒ぴったりで止めるチャレンジなど、大人も子供も楽しめるコンテンツで来場者を笑顔にしていた
海外から参加していたマツダファンもメッセージボードに書き込んでいた
来場者からマツダへたくさんの応援メッセージが寄せられていた
裏側はマツダ社員が書き込む用のスペースとなっていた
NEXCO東日本はパトロールカーの伝言表示板に「マツダファンフェスタ開催中」と表示してイベントを盛り上げていた

25年間乗ったオーナーがマツダに譲渡した「RX-7」もレストアできれいな姿に

 オープニングセレモニーで毛籠社長がドライブしていた「RX-7」は、2024年12月に25年間乗り続けた主婦の西本尚子さんが、80歳の誕生日を迎えるにあたり、自動車運転免許の自主返納と合わせてマツダへと譲渡した車体。横浜にあるマツダR&Dセンターでレストアが行なわれ、きれいな姿となって展示。5日はオーナーの西本尚子さんもイベントに駆け付け、実際にレストアを担当したマツダのエンジニアとあいさつを交わし、感謝を伝えていた。

レストアされたRX-7
内装もかなりキレイに仕上がっている
レストア中のRX-7
レストアしてくれたマツダのエンジニアと記念撮影を楽しんでいた