映画評論ができるほど映画を見ているわけでもないし、その中でもディズニーなんてほぼ見たことがないわけだけれど、この2年はまったく映画なんて見る余裕もなかったわけだし、リハビリも兼ねて『アナと雪の女王』について書いてみようと思う。前評判だのYouTubeで展開されているプロモーション動画だので色々予習していったので、それほど意外ではなかったけれど、全体としてとにかくアイロニーに満ちた作品だなあというのが大枠の感想。
言われていたところだと、本作で描かれているのは「王子様がお姫様を幸せにする」というテーマへのアンチテーゼということらしい。しかしながらこの解釈はあまりにも日本的過ぎるという感じがする。例えば2007年の『魔法にかけられて』なんかの方が、明確にこうしたテーゼへのアンチになっているし(というより『魔法にかけられて』自体がディズニーの再帰的パロディなのだけど)、アメリカのメディア状況を考えても、子供向けアニメーションでシンデレラ・コンプレックス(女性のうちにある潜在的な依存傾向)を描くこと自体、ポリティカル・コレクトネス的に批判を招くおそれがある。お姫様願望の終わりなんて話が出てくるのは、日本がそれだけ保守的だってことの現れなんだろう。(アメリカの少女たちのお姫様願望についてはこちらの記事が興味深い)
なにせあちらでは、”let it go”には同性愛のモチーフが含まれているなんて解釈も飛び出すくらいなので、そのあたりは割とセンシティブなんだと思うけど、そもそもこの作品には、登場人物が語ることがすべてそのままには受け取れないというアイロニカルな構造が満ちている。”let it go(「レット・イット・ゴー〜ありのままで」)”は、そのままの自分を受け入れようという内容だけど、劇中においては自分の力をコントロールできなくなったエルサが自らを孤立的な状況に追い込んでいくシーンで歌われる。”Do You Want to Build a Snowman?(「雪だるまつくろう」)”は、アナとエルサがもはや一緒に雪だるまを作れなくなった別離状態を描く曲だし、”In Summer(「あこがれの夏」)”は、ほんとうに夏になってしまうと溶けてしまう雪だるま、オラフのアイロニカルな願望が歌われる曲だ。
まだある。”Reindeer(s) Are Better Than People(「トナカイのほうがずっといい」)”は人間と交わらず、トロールたちを家族と呼んで暮らしているクリストフの孤立的な心情を描いているし、そのトロールたちが歌う”Fixer Upeer(「愛さえあれば」)”は、愛の素晴らしさではなく、早とちりでクリストフとアナを結婚させようとするトロールたちの滑稽さが浮き立つシーンで用いられる。何より、アナとハンスの愛の芽生えを歌う”For the First Time in Forever(「生まれてはじめて」)”が、最終的にはハンスの謀略でしかなかったことが描かれるに至って、実はサントラの曲はどれもこれもアイロニーであることが分かる。
要するに本作においては、ハンスやクリストフも含め、人と交わらずに孤立した心情を抱えた登場人物たちが「これでいいの」と自己肯定すればするほど、孤立を深め、自身を破滅に追いやっていく過程が描かれているのであって、お姫様うんぬんはほぼ関係ない。そしてそれはどのように解決されるのかといえば、姉妹の愛情がエルサのもたらした冬を終わらせるのだというわけで、エルサが国民と交わるようになり、アナがクリストフと結ばれるのだとしても、根本的な孤立は解消されていないようにも見える。
なので、まっとうに解釈するなら本作のテーマは「抑うつ的な孤立状況で生きている人間には、上手に自分の幸せを求める能力が欠けている」だ。日本的に言うなら、非リアは何をやってもダメ、だ。話としてはこれで終わりなのだけど、ついでなので周辺的なことについても書いておきたい。
興味深いのは、GW特別企画だという「みんなで歌おう」バージョン。朝イチの回が対象だったので行けなかったけど、太田光さんが批判していたとおり、アメリカの劇場でやられているような光景が展開しているのかなあと思う。そもそも太田さんにとってそれが「気持ち悪い」のは、タモリさんの「ミュージカル嫌い」と一緒で、みんなで気持ちをひとつにしようとかいうのはシニカルな笑いの敵だからだと思う(が、以前から日本人はカラオケで合唱とかするので、一貫して気持ち悪い人たちだ)。でも僕にとって「みんなで歌おう」が気持ち悪いのは、作品の内容的に「これでいいの」と歌ってはいけない曲を映画館で熱唱って、作品の何を見てるんだという気持ちになるからだ。曲だけ単体で取り出すならいいんだけどね。
だからまあ、”let it go”ってタイトル自体が、いまの世の中の「勘違いした意識高い系」へのアイロニーなのかもしれない。ここで対照的に思い出すのは、ビートルズの”let it be”だろう。解釈によるとこの曲は、カトリック的に取れば「善行を積もう(動け)」となるし、プロテスタント的に取れば「何をやってもムダ(動くな)」となる。しかし”let it go”といってしまえば、その解釈は自動的に前者、思うがままに生きればなんとかなる、という意味になる。にもかかわらずそれが埋め込まれた状況はアイロニカルだ。つまり曲のメタメッセージは後者に近いようにも思える。あるがままの自己肯定というなら”Born This Way”もそうだけど、こちらは「神様がそのようにお作りになった」という立場のようだ。
結局のところ、僕たちは個人の努力では抗いようのない運命の中に生きていて、あるがままの自分を肯定して行動したからといって、よき結果に巡り会える保証はない。だからって、他人の置かれた状況を客観的に判断できているつもりになって、勘違いして行動した結果がご覧の有様だよ!なんて笑っていいわけでもない。アイロニーとは宙吊りの構造であって、明らかな勘違いであっても「これでいいの」と言わなければ先に進めない僕たちの生き様そのものがアイロニカルなのだと思う。そこまで複雑な読み解きは必要ないのかもしれないけど、まあリハビリなのでこんなもんで。