2012年09月24日
もう随分前の話になるが、モニタ上で見るよりも、紙で確認したほうが間違いに気づきやすいのはなぜかという議論が盛り上がった。
考えうる理由についてはおおよそ挙げられているようだ。既出の論点の中では、身体性に関する指摘が重要であるように思われる。身体性とは、認知科学において近年注目されている概念で、身体という物理的存在が周囲の環境とインタラクションすることによって、学習や知識構築を行うことを指す。物理的な紙にプリントアウトされた情報を読むときには、本を持つ、ページをめくる、文字をなぞるなどの物理的なインタラクションを行なっており、ページの厚みや重さといった電子情報には無い要素が間違い発見のしやすさに影響しているのではないか、という指摘だ。
しかし、上記議論においては上げられなかったが、一つ重要な観点がある。本エントリでは、プリントアウトした方がモニタで見るよりも間違いに気づきやすいもう一つの理由について取り上げたい。
メディア論で知られるマーシャル・マクルーハン(Herbert Marshall McLuhan)は、その理由について、反射光と透過光の違いを挙げている。以下、世界のしくみが見える「メディア論」―有馬哲夫教授の早大講義録から引用する。
マクルーハンの説明はこうです。紙に印刷して読むとき──つまり、反射光で文字を読むとき、私たちの受容モードは自動的に、そして脳生理学的に「分析モード」になり、心理的モードは「批判モード」に切り替わる。したがって、ミスプリントを見つけやすい。
反射光とは、本のページを読むときのように、紙に反射して、そしてインクが染み込んだ文字を浮かび上がらせて私たちの目に飛び込んでくる光をいいます。
分析モードとは、スキャナーが文書や画像の全体をスキャンするように、ドット単位で読み取っていくような情報の受け取り方をいいます。批判モードとは、能動的にチェックしつつ取り込んでいくような情報の受けとめ方をいいます。
これに対し、透過光とは、テレビを見たり、コンピュータのモニター画面で何かを見たりするときのように、ブラウン管やモニター画面から発せられる光線が、私たちの目に映像として入ってくるものをいいます。この場合、私たちの認識モードは、自動的にパターン認識モード、くつろぎモードに切り替わります。
パターン認識モードとは、細かい部分は多少無視して、全体的なパターンや流れを追うような読み取り方をいいます。分析モードの対極にあるもので、多量の情報を短時間に処理しなければならないときは、このモードになりやすいといえます。
くつろぎモードとは、あらゆる刺激に対して感覚器官を開放し、受動的に、送られてくるものをそのまま受け止めようとするような情報の取り込み方をいいます。
ここから、私たちが透過光で文字を読む場合は、何となく全体の流れを追うだけになってしまい、細部にあまり注意を向けることはできません。したがって、ミスプリントを見逃してしまうということになります。
我々の脳内の情報処理モードは特定の条件によって切り替わる。その条件の1つが、注視している対象が透過光か反射光ということらしい。ここでは透過光という表現が使われているが、発光型デバイスか反射型デバイスかと言い換えることができるだろう。ちなみにiPadに利用されている液晶ディスプレイ(LCD)は発光型デバイスであり、Amazon Kindleや楽天koboに利用されている電子ペーパー(E Ink)は反射型デバイスである。
マクルーハンは、我々が映画を見る時とTVを見る時とでは脳の受容モードが異なると指摘し、米国の広告研究家であるハーバート・クルッグマン(Herbert Krugman)の研究を引用している。クルッグマンは被験者を2つのグループに分け、同じ映画を見せた。ただし、一方のグループにはスクリーンに投影した反射光として見せ、もう一方のグループには半透明スクリーンの裏から投射した透過光として見せたのである。

反射光と透過光(世界のしくみが見える「メディア論」
同じ映画を見たにもかかわらず、2つのグループの映画に対する反応は全く異なっていた。反射光グループは映画の内容を理性的に分析し批判的に捉えたのに対し、透過光グループは映画の内容を情緒的に捉え好き嫌いを問題にしたという。これは、透過光か反射光かの違いによって、見る人の脳内処理モードが、分析・批評モードか、パタン認識・くつろぎモードに別れることを意味する。
次の表は透過光と反射光の特性の違いを示したものだ。
反射光 | 透過光 |
映画、印刷物 | テレビ、モニタ |
目がテレビカメラ | 目がスクリーン |
文字、左脳、理性的 | 絵柄、右脳、情緒的 |
分析モード 批評モード | パタン認識モード くつろぎモード |
Amazon Kindle 楽天kobo | iPad Androidタブレット |
つまり、発光型デバイスであるモニタを見るときには、脳はパタン認識・くつろぎモードになるため、文書を見ても全体を絵柄として捉え細部に注意がいかなくなり、ぼんやりとくつろいで見ることになり間違いに気づきにくくなる。一方、紙にプリントアウトすると、それは反射光となるため、脳は分析・批評モードに切り替わり、文書を細部まで細かくチェックすることが可能となる。そのため、間違いに気づきやすいというわけだ。文章をチェックするときに、一旦紙にプリントアウトして見ることは、理に適った行動なのだ。
Amazon Kindleや楽天koboが採用している電子ペーパーは、反射型デバイスであるため、脳は分析・批評モードで動作することになる。これは論文や技術書、教科書などを読むには適したデバイスであると言えるかもしれない。また、文章の校正を行う際にも有用だろう。
一方、iPadやAndroidタブレットが採用する液晶ディスプレイは発光型デバイスであり、脳はパタン認識・くつろぎモードで動作することとなる。小説や詩などの感情に訴える作品を読む場合にはこちらのほうが適している可能性がある。相手に不利な内容の契約書を見せる際にも良いかも知れない。
完全に同じ条件においては、入射光が直射光なのか反射光なのか区別が付くとは考えにくいが、おそらく解像度や輝度、同期周波数などが影響してると考えられる。最近話題になっているブルーライトによる刺激が関係している可能性もあるだろう。マクルーハンは解像度の違いを最も重視していたが、Ratinaディスプレイなど紙に匹敵する解像度を有する発光型デバイスの特性がどのようになるのかは興味深いところだ。
以上見てきたように、脳の動作モードの違いが、プリントアウトした方が間違いに気づきやすいという理由の一つである可能性がある。現状の電子書籍端末は電子ペーパーと液晶という2つの特性の異なる表示デバイスを有しており、どのようなコンテンツを主に読むかということを考えて端末を選ぶと良いだろう。
もっとも、まともにコンテンツが揃ってなければただの板だけど。
追記(2013年9月10日)
2013年7月、トッパン・フォームズは、国際医療福祉大学の中川雅文教授(医学博士)の監修のもと、近赤外分光法(NIRS)を用いて、人がある特定の活動をするときに脳のどの部位が関わっているのかを調べることができる近赤外光イメージング装置を利用し、DMに接したときの脳の反応を測定した結果を発表した。
同じ情報であっても紙媒体(反射光)とディスプレー(透過光)では脳は全く違う反応を示し、特に脳内の情報を理解しようとする箇所(前頭前皮質)の反応は紙媒体の方が強く、ディスプレーよりも紙媒体の方が情報を理解させるのに優れていることや、DMは連続的に同じテーマで送った方が深く理解してもらえることなどが確認されました。![]()
この実験結果も反射光と透過光において脳が受ける刺激が異なることを示しており、ディスプレイ特性における違いが存在することを示唆していると言えるだろう。
参考文献
![]() | 世界のしくみが見える「メディア論」―有馬哲夫教授の早大講義録 (宝島社新書 252) 有馬 哲夫 宝島社 売り上げランキング : 478498 Amazonで詳しく見る |
この記事へのコメント
メガネを通して見た映画は「透過光」なのでしょうか?
映像を生み出す機構で考えるよりも、波長や位相、偏光といった光の物理的な側面を中心に考えた方が、正確な議論ができると思います。
ちなみに「ブルーライト」は単に青色の光という意味です。
最近メガネ屋がブルーライトという言葉を使って盛んに宣伝していますが、青色光以外の特別な意味はありません。
光源が何かに関係なく、青く見えるものや白く見えるものからはブルーライトが出ています。
反射光や透過光という言葉は、素材の透明度に起因する色の見え方の問題であって、例えば同じ液晶でも反射型液晶と透過型液晶があることはご存じないだろう。
液晶でなく、紙であってもその素材が繊維でできているため、透過光の成分は読みやすさに直結している。逆に反射光だけを利用した理想的条件の紙があるとすれば、それはパールコート紙や銀紙に近いキラキラテカテカした紙であって、文字などを読む際には大変読みにくく感じるはずだ。
こと映画のスクリーンにいたっては噴飯もので、この根拠になっている論文がどのような条件下で執筆されたかは明らかでないが、映画黎明期を除いて、大規模な映画上映館にはその構造やより明るく大きなスクリーンに投影できる特性を買われて透過型スクリーンが採用されることが少なくなかった。
これは近年改めれられて現在に至るまで反射型スクリーンの採用が殆どになっているが、この理由は単純でサラウンド音声の普及にともなって、センタスピーカーをスクリーンの裏面に設置する都合が発生したからにほかならない。
ブルーライトにいたっては、映画館で使用されている放電灯、キセノンランプには、蛍光灯の数千倍、LEDの数十万倍ものブルーライト含めブルーライト以上に危険な紫外線が大量に含まれており、映写技師が日焼けしたり目を病んだりすることはよく知られている。
光学というものは一般には理解し難い分野であるためこのような誤解や意図的に曲解させることが昔から行われてきているが、わかってみればそれほど複雑な話でもないので一度初心者向けの簡単な光学の書籍を読んでみることをおすすめする。
その際に疑似科学や新書系の書籍を探すのではなく、中学生向けの書籍を探したほうがいいだろう。
確かにコピーしたほうが、間違いに気付きやすいので、そういうことも言えるかもしれませんね。
個人的には、人の意識の問題なのかなーっと思ったりしていますけど。
モニターの確認って、編集+確認が同時に行われるのに対し、コピーは確認のみに意識が集中しているのではないかなーっと。
だから落ち着いて見れるし、その結果細部まで見えてくるのかも。
被験者6人で見える程の有意差なのか
素人には判断できない

被験者20人、紙文書と電子ディスプレイで文書の校正作業を比較。
「エラー検出率について、紙と電子ディスプレイに差はない」
「校正スピードについて、紙は電子ディスプレイよりも11.9%速い」
http://www.fujixerox.co.jp/company/technical/electronic_media/experimental01.html

本題に対する私の仮説は次の通りである。
1.表示面が立っているか寝ているか(垂直的か水平的か)の違いである。つまり、そもそも人間は歩行するときに地面に注意を注ぐ、勿論正面空間にも注意するが、地面に対する関心のほうが圧倒的に高い。よって、目より下にある水平面を見るときのほうが詳細なものの分析能力が発揮されやすい。
2.紙などに印刷された物に比べて、ディスプレイに表示されたものはその場から消滅しやすいことを経験している。よって、ディスプレイに対しては印刷物よりも心理的な焦りが生じる。人は焦ると判断能力が低下する。
この2点が主な原因ではないかと、私は思う。
従って、目より下に水平に置かれ、その人の知識や経験的にディスプレイとは思えない状態 (印刷のように感じる状態) のものであれば、印刷物と同じ判断能力が現れると思う。
但し、これはあくまでも仮説であり、検証はしていない。
本題は、光の波長や偏波面、あるいは光路は全く関係ない、と思う。
以上