2011年02月06日
新聞やテレビなどのマスメディア(マスコミ)が担う報道は、ニュース・出来事・事件・事故などを取材し、記事や番組、書籍などで広く公表・伝達することである。マスメディアは社会に多大なる影響を与えてきた。
しかし、インターネットが生まれ、個人が情報発信を行うことができる時代になり、旧来のマスメディアが担うべき役割は大きく変容しようとしている。本エントリでは、ソーシャル時代におけるマスメディアの役割について考えてみたい。
今までのマスメディア
マスメディアの役割は主に次の4段階からなる。
- ニュース等の情報ソースを集める収集(アグリゲート)
- 収集した情報ソースの中から報道すべき価値のあるものを選別する選択
- 選択した事象をコンパクトに記述する要約
- 事象の分析、解説、論評などを行う解釈(ジャーナリズム)
まず、収集、選択のステップだが、情報ソースの全てを報道するわけにもいかず、報道される事象は選別されざるをえない。また、新聞には紙幅、テレビには時間という制限があるため、伝えられる分量は大きく制限される。何を報道し、何を報道しないかという判断はマスメディアの裁量に任せられる。判断基準に関して、ドイツの社会学者であるNiklas Luhmannは“「驚き」「新奇さ」「断絶」「非連続」などの特性を備えており、広く報じる価値がある情報”としているが、判断基準はマスメディアの性格、社会情勢によっても異なるので、しばしば批判の的となる(その批判が妥当かどうかはさておき)。情報ソースは選択の段階である程度マスメディアの意図が反映されることになる。
次に要約のステップとなる。選択された事象に関しても、その全てを一字一句漏らさずに伝えることは困難であるので、短く要点のみを的確に伝えることが必要になる。その際、前後の文脈を無視して一部分のみを切りだして伝え、視聴者に誤解を与えることがよく問題になる。中には悪意を持って恣意的な報道を行う悪質な例も散見され、マスコミへの反感の一因となっている。この要約によってもマスメディアの意図が反映され、情報ソースにはマスメディア特有の色が付くことになる。
最期に事象の分析・解説・論評などを行う解釈のステップとなる。このステップはジャーナリズムの中心となる部分であり、マスメディアは自らの価値と責任の多くをジャーナリズムに置いている場合が多い。一方で、中立とは言いがたい偏向報道が問題視され、一方的なバッシング・過度の肩入れ、レッテル貼り、特定政党への便宜など報道の信頼性に対して疑問符が投げられかけているのが現状だ。
この4つのステップを経て、元の情報ソース(図下部の白色の矩形)はそれを伝えるマスメディアによって、色付けされ、歪められたカタチ(図上部の色付きの図形)でユーザに届けられることになる。ユーザにとっては加工される前の情報はアクセスできず(図の不可視領域)、報道が公平に行われているのか検証することさえままならない。報道の原則は「報道は、事実をありのままに伝えること」とされるが、それがどの程度守られているのかということすら分からないのだ。近年、ソーシャルが担う役割が取りざたされているが、現時点ではその範囲は著しく限定されている。
ソーシャル時代のマスメディア
上記の4つの機能はソーシャル時代では次のように再構成されることになるだろう。
1. 収集機能: より多くの情報が集まり、情報の信頼性を担保する認証機能が重要となる。
インターネットにより誰でも情報発信が出来るようになったとはいえ、マスメディアが有する情報収集能力はこれからの時代も重要であり続けるだろう。この機能が失われると、後段がいくら充実しても意味が無い。今後ともマスメディアの情報収集機能が十分に機能するように社会全体で確認していく必要がある。
収集段階において、今後より重要性が増すのは、その時点での、ある事実の存在を証明・認証する認証局機能だ。多くの市民メディアが登場し、彼らが提供する多くの情報があふれることになるだろうが、それらの信頼性を担保することは難しい。それらの情報の裏を取り必要な関連情報を付加し、信頼できる情報ソースとして提供するのはマスメディアの重要な役割だ。
既存メディアと異なりネットメディアは紙幅や時間の制限が無い。そのため選択の段階における選別条件はずっと緩和される。今まで報道の対象にならず、無視されてきた案件も陽の目を見ることとなるだろう。
2. 要約機能: より正確で客観的な要約がなされるようになり、一次ソースへのリンクが提供される。
数多くの情報が提供されるようになったとしても、それらの情報を全て最初から最後まで伝えるのは紙幅・時間の制限が無いとは言え無理がある。そこで、要点のみを抜き出して伝える要約機能はやはり必要だ。それが既存メディアと異なる点は、必ず一次ソースへのリンクが提供される点だ。詳細が知りたい人は一次ソースにアクセスすることができるし、作為的な要約がされていないかチェックすることも容易い。既存メディアでは大きな面積を有していた不可視領域はずっと小さくなることとなる。
この件については、ニコニコ動画 ニコニコニュースの記者の方が産経の記者よりはるかに優秀だった件、その2において、典型的な事案が紹介されている。その事案とは先月半ばの菅首相の記者会見である。
この2つのニュースは同じ会見を扱ったものだが、産経新聞の記事よりもニコニコニュースの方が客観的に見て正確な報道がなされている。ニコニコニュースはソースとしての動画アーカイブを掲載する仕組み上、編集の客観性、正確性を担保させる作用がある。作為的な編集が行われていれば、動画を見ればすぐにバレるのだ。
また、先日広島市長の秋葉忠利氏が自身の不出馬表明に関して、記者会見を行わず、YouTube上に「秋葉忠利広島市長不出馬会見」の動画をアップしたことも記憶に新しい。ただし、広島市では今までも広島市/市長記者会見において会見動画を直接市民に提供していたようで、今回記者会見を拒否しYouTubeを使ったことがクローズアップされたようだ。
既存メディアは次のように一斉に非難を行った。
これらは既存メディアの拒否反応のように見えるが、このようにマスメディアの色付け、加工を嫌って直接対象に訴えかけるような動きは今後ますます加速することだろう。マスメディアが扱う記事に関しても、動画アーカイブが必ず用意され、その客観性、正確性が今以上に求められる時代になるだろう。マスメディアも時代の流れに逆らうことは出来ない。
3. 選択・解釈機能: マスメディアから離れ、ソーシャルに開放される。
マスメディアが情報ソースを認証し、一次ソースへのリンクと共に客観的、正確に要約した記事を提供するようになった後は、ソーシャルの出番だ。ネット上には、自身のポリシーに従い、情報を選択し自身の解釈を加えて紹介するキュレータが多く登場することだろう。ユーザは自分の興味、関心に適するキュレータを何人かフォローすることで、効率的に情報収集を行うことが出来るようになるだろう。
キュレータが扱う情報は、マスメディアによって信頼性が担保され、さらに一次ソースへのリンクが提供される。様々なポリシーを持ったキュレータの数が多くなれば、物事に対して多面的な見方が自然となされるようになるに違いない。ネットから得られるステレオタイプ的な情報が人々のマインドを強化してしまう危険性が指摘されているが、その為にも情報ソース、キュレータの多様性の確保は欠かせない。
もちろん、マスメディア自体も情報の選択、分析を行い、独自の情報源やポリシーなどの諸要素を加えて、マスメディアの責務である論評・解説を行うことが出来る。しかし、それらはもはやマスメディアの専売特許ではありえない。ジャーナリズムはソーシャルが担うのだ。
まとめ
ソーシャル時代のマスメディアの役割は次の2つに集約していくことになる。
- 収集機能:情報の収集、裏付け、信頼性の担保
- 要約機能:情報の客観的で正確な要約、一次ソースへのリンクの提供
この2つの機能の一部をソーシャルが肩代わりすることは可能だろうが、組織的・継続的に一定の品質を担保して提供していくためには、マスメディアの存在が今後とも必要になるだろう。実は、この部分こそが他の代替手段が見つからない、マスメディアにしか出来ない部分だ。それなのに今は、リンク拒否とか、短期間でのリンク切れとか、ソースの非明示とか、彼らの役割を分かっていないのではないか、と思わざるをえない行動が目立つ。自らに必要とされている機能は何なのか、今一度0から考え直す時期に来ているように感じる。
一方で、本来マスメディアの主機能とされていたジャーナリズムは、彼らにとっては不本意だろうが、マスメディアからソーシャルに移行されていくことになる(もちろんむざむざと明け渡すことはしないだろうが)。
- 選択・解釈機能:マスメディアからソーシャルへ
ネット上の有名無名の数多のキュレータが、マスメディアの提供する情報を選別し、解釈を与えることになる。マスメディアの論説はその中の一つの選択肢となることだろう。
この変化がいつ完了するのかは分からない。数年ですっかり変わってしまうかも知れないし、10年経ってもまだ途上かも知れない。しかし、この流れに逆行することはもはや出来ない。マスメディアはこれからの時代に求められている自身の役割を見極め、自身のカタチを再構成させなればならない。さもなければ、きっと生き残れないだろう。