感度高めのマンガレビュー「書籍編集者方便の職種間コミック時評」。現役編集者の方便凌さんがいま注目すべき新刊をピックアップしていきます。

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今回ご紹介するのは、「妻」運営のツイッターにより再ブレイク!中の福満しげゆき先生の最新作、講談社「コミックDAYS」で連載中の『妻と僕の小規模な育児』です。



『僕の小規模な失敗』『僕の小規模な生活』に続く「小規模シリーズ」である本作は、自身の生活を基にした私小説的作品です。「売れない漫画家」を自認する作者と、それを支える「妻」をはじめとする家族との日常や、各社の編集担当者との格闘(?)などを描いた人気シリーズですが、今回は「育児」にフォーカスが当てられています。

妻が専業主婦になったことをきっかけに、心配性の作者はおっかなびっくりながら、子どもをもうけることになりました。しかし生まれてきた子は片耳が未成熟で、「もしかしたら耳が聞こえないかもしれない」と診断されてしまいます。それからは検査に次ぐ検査の日々で、心配の種は尽きることがありません。やがて大きくなってからも、同年代の他の子と比べてあまり喋らないし、どこかぼんやりしたところがあって、結果として幼稚園では浮いてしまっていたり、小学校ではいじめられてしまったり。そんな我が子のことを親である作者は気がかりに見つめます。

本作が胸を打つのは、子どもをもうけることにまつわる「不安」が、作者ならではの筆致でとても実直に描かれているところだと思います。

その不安とは、子どもを育てるということの「不確かさ」にあるのではないでしょうか。どんなに我が子の将来を心配に思っていたとしても、子の代わりに親がテスト勉強できるわけではないし、いじめっこに立ち向かってあげられるわけでも友達をつくってあげられるわけでもないのであって、究極的には(パターナリズムが否定されている昨今においては特に)本人にまかせるしかなく、自分にはどうしようもできないことの連続です(そのわりに、子の失敗の責任は親に帰せられるという側面もあり、だからこそ親は育児に対して慎重になるとも言えるのですが)。

それでもなんとか知恵をこらし、環境を工夫するなどして、子を導いていこうとするさまが描かれていて、問題をひとつひとつ乗り越えていくたびに、私たち読者は胸を撫で下ろす親の気持ちを追体験することになります。

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【図1 子がいじめられてしまう(福満しげゆき『妻と僕の小規模な育児(1)』、講談社、p.64)】

もうひとつ、私が思いを馳せてしまったことは、独立した個人として成長し大人となって、自律して生きている私たちは、子どもが生まれることを通じて「社会」に再配置されていかざるをえないということです。

いきなりですが、このサイトを閲覧しているようなあなたは、社会に適応することがそれほど得意なタイプではなかったでしょう。程度の差はあれど、地元の地域社会や学校社会に溶け込めないことに苦しんできた経験があるはず。福満先生が過去に描いてきた諸作品もそういったストラグルがベースにあり、だからこそ私たちの心を強くとらえてきました。

とはいえ、それでもなんとか生き延びて、私たちは大人になりました。大人になればすべてが解決するというわけではないにせよ、経済的に自立した大人にさえなれば、私たちにとって理解に苦しむ社会というものに対して、ある程度までは距離をとって生きることが許されます。リベラルを自負する人間たちにとっては、またはある種のオタクたちにとっては、そういう生き方を謳歌することは自らの実存にかかわるマターですらあると言っていいかもしれません。だから、「現代的な生き方」が語られる場では、社会の旧習に背を向け、「自由な生」を手に入れることが称揚されてきました。ひとりで、または運命をともにできる伴侶を見つけることができればふたりで、あなたはあなたの居場所をみつけ、安らかな日々を送るべきであるのだと。

しかし、アジールに逃げ込んだはずの私たちはやがて痛感することになります。子育てを通じて、距離をとったはずの社会というものにふたたび絡めとられることになることを。個人主義が徹底しつつあるにしても、地域の教育機関に属する以上は地域社会のコミュニティに入らないわけにはいかない。本作でいえば、子どもがなんらかの迷惑をかけたりすればママ友に頭をさげたりしないわけにはいかない。そのような古い考え方を嫌って、「我が子には自由に育ってほしい」と願ったつもりでも、検診で発達の遅さが指摘されれば「他人と同じように育ってほしい」と願うのが人情というもので、ここでもまた理想と現実のギャップにさいなまれる。だから現代的な価値観からいえば、子をもうけることは投下しなければならないコストに対して割りに合わないものという考えが頭をもたげるかもしれない。

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【図2 社会へ組み込まれていくさま(福満しげゆき『妻と僕の小規模な育児(1)』、講談社、p.33)】

しかし、人生というものは、そのような損得勘定ではかることのできるものでしょうか。そのようなリスクを計算して回避することは玉ねぎの皮を剥き切るように人生を消滅させてしまうのではないか。私はそういうことが知りたくて、これまでいくつかの本を編集してきました()()。本作品で描かれているものもまた、割り切ることもできないし、かわりになるものもない人生の「よろこび」ではないかと思います。「不安」や「不確かさ」を引き受けながら、親としての立場をまっとうしようとする姿に勇気づけられる一冊です。

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