感度高めのマンガレビュー「書籍編集者方便の職種間コミック時評」。現役編集者の方便凌さんがいま注目すべき新刊をピックアップしていきます。
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今回ご紹介するのは集英社「週刊ヤングジャンプ」で連載中の『九龍ジェネリックロマンス』。『恋は雨上がりのように』でおなじみの眉月じゅん先生の最新作です。
舞台は東洋の魔窟、九龍城砦。複雑な建築構造で知られる、かつて香港に実在していたスラム街です。無秩序につくられたこの街は、退廃的で秘境めいたムードがあったことからカルト的に語られてきましたが、本作では、たくさんの人々が身を寄せ合いながら暮らすエネルギッシュな街として描かれています。
物語の冒頭で描かれるのはアンニュイな雰囲気を漂わせる女性のある朝のワンシーン。彼女の名前は鯨井。夏の日の朝、起き抜けにラフな格好のまま、スイカをかじりタバコをくゆらせる。カメラがズームアウトしていき、彼女が住む集合住宅の外観をとらえる。中華風の平服に身を包み、出勤していくまでがたっぷりとページ数を割きながら精緻に描かれていて、思わず作品の世界に入り込んでしまいます。
勤め先である不動産事務所の先輩社員、工藤。彼は無骨でデリカシーに欠けているところがあり、いかにも少し前時代の男らしい男めいているというか、昨今の価値基準ではあまり好まれないキャラクターかもしれません。すぐ調子に乗ってエロ目(という言葉は一般に用いられているのだろうか。シャクトリムシが歩くような形で描かれる目です。80年代の漫画に登場する軽薄なキャラクターがしばしばこの目になるイメージ)になるし、いじわるなことばっかり言う。だけどときどき優しいところがあって、憎めないところがある。鯨井は基本的に敬語で接しながらも、軽口を飛ばす仲です。
このふたりの日常、そして恋愛模様が描かれる作品である、とさしあたり言えるでしょう。前作でも「恋」を描き、大きな反響を呼んだ作者ならではの筆致で展開されるラブロマンスが、近年リバイバル的に消費されているノスタルジックな80年代のテイストに加えて、やはり昨今文化発信地として注目を集めるアジア的テイストでコーティングされた作品であると。
しかし香港の九龍城砦が舞台であると書きましたが、本作は時代劇ではありません。人々はスマホを持っていて、原宿の竹下通りを彷彿とさせる一角で手に入る「映え」るクレープが若者に人気だという。なにより、クーロンの上空には「人類の新天地」ジェネリックテラ(地球)が浮かんでいて、完成が熱望がされるなか建設が進められている。ジェネリックテラの公式マスコットキャラクター「ジェネテラちゃん」は東京五輪のマスコット(ソメイティ、ミライトワ)にどことなく似ている。そもそも「鯨井」も「工藤」も日本人名だし、中華風ではあるけれど中国が舞台であるわけではなく、過去でも未来でもなくどこでもない場所の物語です。
彼らが住むこの街の魅力について工藤は、切れかけの電球、カビくさい路地裏など、クーロンをかたちづくる要素のひとつひとつがどこか懐かしく、この懐かしいという感情は「恋」と同じであり、ゆえに住人たちはクーロンに恋をしていると語ります。そしてクーロンは懐かしい場所であるべきであり、「だからクーロンは変わらない。変わっちゃいけない。新しいものなんて必要ない」のだと。
いまどきのカルチャーに親しんでいる人であれば、この世界観にはだいたい好感を持つのではないでしょうか。第1話が試し読みできるので、一読してグッときた方にはもちろんオススメです。
ただ仮にピンとこなかった人も、第1巻の結末まではぜひ読んでいただきたい。この世に「してもいいネタバレ」と「本当にしてはいけないネタバレ」があるとしたら、今回は後者にあたると思います。つまり詳しく書くことはできません。ただ、強烈なヒキがあります。このあたり、構成がとてもうまい。そしてそれゆえに詳しく論じるわけにはいきませんが、ここで描かれるショッキングな展開に、本作品の批評性が詰まっているように思うのです。
ただひとつ書き添えるならば、タイトルにある「ジェネリック」という言葉。本来は「一般的な」などを意味する単語ですが、新薬の特許が切れたあとに販売され、先行する医薬品と同等の効き目が認められながら、安価に手に入れることのできる「ジェネリック医薬品」が登場して以来、ひろく膾炙するようになった言葉です。ここから転じて、ブランド品と似た安物の商品を揶揄して「ジェネリック~」と呼ぶネットミームがあります。たとえば「ジェネリック萩の月」とか。ここには「本物に近いけれど、本物ではないまがいもの」というニュアンスがあります。
流行りの記号で彩られた甘酸っぱいラブストーリーという趣のこの物語は、実はいったい何を描こうとしているのか? まだ始まったばかりではありますが、ぜひみなさんにも注目していただきたいところです。
ちなみに本作、編集担当がヤンジャン編集部の大熊八甲氏であることにも個人的には注目しています。『ゴールデンカムイ』単行本の巻末で謝辞が捧げられている、「話題作の陰にこの人あり」な方です。眉月先生を交えたインタビュー記事も要チェック。
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