ここ連日高木仁三郎氏にまつわる特集を報道番組が組んでいる。このように過去の優れた学者、研究者を掘り起こし伝える作業は重要だ。なぜならば、優れた過去の研究者を紹介することは、私たちに反省のチャンスを与えてくれるからだ。
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個人的に、クールで爽やかな高木仁三郎氏の人柄が忍ばれる動画であるのはもちろんだが、筆者はやはりこのことに注目したい。
●はじめは、伝えることがうまくいかなかった
科学者と市民の間の溝は大きい。どれだけ知識を持っていてもそれを伝えることが出来なければ、伝わらない。筆者はコミュニケーションに興味を持っているので、このことがいつも念頭にある。
伝えなければいけない立場か、伝える必要がない立場か。
これがその人のコミュニケーション能力を決定的に左右する。そしてこれが、原発推進側と反原発側の今日の力に現れているのではないかと思う。
筆者が観る限り高木仁三郎氏は、言葉を獲得しようと努力を続けた人だったわけです。朝まで生テレビに出演していた高木氏は、田原総一朗氏から意見を求められると、まず5秒から10秒程度だまり、その後発言していました。意見をどのように構築して伝えるかを考えていたように思えます。そして、その後せきを切ったように話し始めるわけです。その時の論理展開の鋭さに筆者はいつも驚いていました。ですが言葉を自由自在に操るとまではいっていなかったように思えます。でもそれでも十分私には理解できましたし、視聴者はそう思っていたと思います。
そして、時間は流れ、言葉を獲得した学者が表舞台に登場しました。それが小出裕章氏です。
ここに比較する意味で2つの記事を紹介する。
【1】大橋弘忠氏(原発推進派)のプルサーマル化取り組みの説明がおそまつすぎる!(文字起こし)
【2】小出裕章氏のプルサーマル発電批判がわかりやすすぎる!(文字おこし)
実はこの2つは、今話題の玄海原発に関わっている。どちらもかつて玄海原発3号機がプルサーマル化をしようという動きがあったときの住民説明会の様子だ。
【1】は原発推進派の大橋弘忠氏の説明。専門的な知識がある人はこれでも理解できるのだろうが、市民に説明するときにこれでよしとしている。
【2】は大橋弘忠氏の説明を受けた小出裕章氏の説明。読めばスルスルと理解できるように説明がされている。
この2つのエントリーが示唆するところは大きい。それはどういう事か。
●どうしても伝えたいと願う人が、言葉を獲得する
ということだ。これは、ほんとうに難しいことなのです。
さて余談になりますが、実は【1】の中で、大橋弘忠氏は、高木仁三郎氏を否定する発言をしているのです。
大橋「で、これに対して、距離で2倍に、距離が増えて面積が4倍になるというのがあります。これの原因、というか出処がよくわからずに、まあインターネッ トで調べたんですけれども、どうやら、どなたがオリジナルかわからないんですけれども、原子力情報室のホームページに解析が貼ってありまして、その解析の 内容っていうのが、ちょっと???ですけれども(笑)、もう滅茶苦茶です(笑)。」
滅茶苦茶という一言で否定をしていることにも学者がそんなことでいいのとクビをひねってしまいますし、名称も間違えてもいます。「原子力情報室」というのは「原子力資料情報室」を指しているのでしょう。
奇しくも、玄海原発のプルサーマル化をめぐって、高木仁三郎氏、小出裕章氏、が「反対側」として接点を持っています。ここに反原発の言葉の歴史が集約されています。
●言葉を獲得しようと努力した反原発の高木仁三郎氏
●言葉を獲得した反原発の小出裕章氏
●言葉を獲得できないままでいる推進派の大橋弘忠氏
原発に関わる学者たちの言葉の進化を見ることができるのです。
私たち市民も、極力大げさな難しい言葉を使わずに、自分の等身大の言葉で、思っていることを伝えられるように努力していきたいものです。
コメント
コメント一覧 (5)
今後の情報も楽しみにしております。
志半ばで逝ってしまったのだろう。
今生きていれば大変世の中の役に立つ人だろうけど。
お久しぶりです。
>最初に市民の前で話をした時に「高木さんの話は難しすぎる」
>「堅苦しい」と不評でしたからね。どうやったら市民の目の高さ
>までいけるか、専門家として心を砕いていました。
やはりそうでしたか。それは文章にも現れていると私はつねづね感じています。私は、高木さんの書いた本はすばらしいとおもっています。内容に関しては研究者として考えていることが表現されています。その素晴らしさについては、個人の研究者の資質によるものです。私がいつも学ばせていただいているのは、作家としての姿勢です。
丁寧に文末が「です」「ます」で閉じられているからです。高木さんの作家としての努力が伺えます。知識や学術的なところだけを拠り所にせず、それを伝えたいという姿勢が、今の時代に受け継がれているのではないかと分析しています。
研究者であるだけではなく作家としても優れている必要があるんだなと高木さんの書籍を読んで私は学んでいます。私は最近、研究者になりたいと思っています。なれるかどうかわかりませんが、私は今ニートですので、何になろうと思うかは自由なので、いろいろ考えているのです。
「堅苦しい」と不評でしたからね。どうやったら市民の目の高さまで
いけるか、専門家として心を砕いていました。
彼を絶賛したところで