26 PM)

福島原発被ばくの実態の世界的な隠ぺいが始まることになった。伝えているのは、2011年4月11日の放射線影響研究所が住民15万人を30年検査するという報道だ。この「放射線影響研究所」は広島長崎の被ばくの際も、「調査」を行った。そして、「治療」はしなかった。今回のエントリーは歴史的な観点から、被ばく情報の隠ぺいを説明する。

少々長くなったが、核の歴史60年を1記事でざっくりと説明し。皆さんの「核」の歴史的な認識を深めることになるだろう。

2011年4月11日の報道は以下。大変残念だが、報道の中には、「治療」という言葉は出てこない。

東京新聞:住民15万人を30年以上検査へ 原発事故で研究機関:社会(TOKYO Web)

『住民15万人を30年以上検査へ 原発事故で研究機関

(2011年5月11日 20時42分)

東京電力福島第1原発の事故を受け、放射線影響研究所(放影研、広島・長崎市)などでつくる「放射線影響研究機関協議会」が検討している周辺住民の健康検査について、協議会の関係者は11日、検査する住民を約15万人、検査期間は30年以上とする方針を明らかにした。

協議会は福島県立医大(福島市)を新たなメンバーに加えており、13日に福島県立医大で詳細を話し合う会合を開く。

検査は原発から30キロ圏内や、計画的避難区域に指定された福島県の飯舘村、川俣町など大気中の放射線量が高い地域の全住民が対象。大規模調査で精度を高め、健康に対する住民の不安を解消するとともに疫学的調査にも利用する。

検査期間は、広島・長崎の原爆で放射線が人体に与えた影響を調査してきた放影研が目安として30年以上と提案。必要があれば随時延長する。

4月下旬に福島県立医大の関係者が放影研の施設を視察し、協議会が福島県立医大の加盟を承認した。今後は福島県立医大と福島県が中心になって住民の健康管理を行い、協議会に加盟する放影研と環境科学技術研究所(青森県六ケ所村)、放射線医学総合研究所(千葉市)、京都大、広島大、長崎大の6機関がサポートする。

放影研の大久保利晃理事長は「住民の不安を取り除くことが最優先。早期に態勢を整え、知識や経験を役立てたい」と話している。
(共同)』

つまり「放射線影響研究所」を中心にした、あくまで管理にとどまり、住民の「不安を取り除く」事を目的とした動きだ。治療は行なわれないだろう。

福島県は、事故後、ずっと隠ぺいを行ってきている。

福島県、爆発翌日SPEEDIデータを隠ぺい。県民を被ばくさせた罪は重い

今後は、福島は、放射線影響研究所と手をとりあって、日本規模そして世界規模で、福島住民、そして国民に被ばく情報を隠蔽することになった。

なぜ、筆者がここまで「放射線影響研究所」の調査に危機を感じているのか、疑問の方もいらっしゃることだと思う。歴史的な認識をしているからだ。核を理解しようとするとき、多くの人はエネルギー問題について科学的に考える。それは正しい。だが科学はいつも歴史上、政治の道具となってきた。

だからこそ、今、核を歴史的に認識する必要がある。反原発の人も、原発推進の人も、歴史的な認識を持つ必要がある。

そしてその歴史の中に「放射線影響研究所」が大いに絡んでくる。

「核」を科学的にではなく、歴史的に認識する。

核は、第2次世界大戦の最後に、兵器として用いられた。

戦後、アメリカは日本を占領し、いち早く、被ばく情報の統制を行ったことが証言されている。

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肥田「で、広島長崎で被害をうけた被ばく者は、アメリカの軍事機密である原子爆弾の秘密の一部を自分の体で知ったわけだから、これはアメリカの軍事秘密だか ら絶対に人にしゃべってはいけない、それから書いて残してもいけない、もちろん写真や絵で書いてもいけない、もし違反した物は厳罰に処すと、占領政策に最 初にそれを日本で宣言したんですね。」

以上『「被ばくはアメリカの軍事機密。伝えると厳罰だった」被ばく医師肥田舜太郎氏の演説(文字おこし)(前編)』から引用。ぜひお読み頂きたい。

同時に日本に、被ばくの人体への影響を調査する機関が、アメリカ政府によって設立された。名前は「ABCC」。この機関は広島と長崎に設置され、現地の大学医学部、医療機関を束ねて、被ばく者の人体を調査した。治療はしなかった。その後、広島大学と長崎大学は、放射線研究の学閥となった。福島原発事故以降、被ばくの安全を主張し顰蹙を買っている山下俊一は長崎大学だ。ちなみに、2大学とも福島原発事故の放射線影響研究所の調査にも名を連ねている。

皆さんお気づきの通り、この「ABCC」は「放射線影響研究所」の前身だ。ABCCでの調査結果が、アメリカの水爆開発に生かされ、冷戦におけるアメリカとソビエトとの熾烈な水爆開発競争が行なわれた。

つまり、広島長崎の被ばく者を調査して、より強力な水爆を開発したのだ。

「冷戦」という政治の道具となった原発。支持した学者・政治家。水先案内人は日本テレビ放送網・正力松太郎。

原発論争はエネルギー論争だ。それはつまり、世界規模の政治論争だ。以下のエントリーを読めば、だいたい分かる。

原発導入のシナリオ〜冷戦下の対日原子力戦略〜|現代史スクープドキュメント(NHK)文字おこし(1)

皆さんご存知のとおり、冷戦は、ソビエト(現ロシア)を中心とする社会主義共産主義諸国と、アメリカ合衆国を中心とする民主主義諸国の対立だ。

ソビエトは、アメリカに先んじて水爆の開発に成功。冷戦を優位に進めていった。アメリカもソビエトに負けじと水爆を開発。核実験を繰り返していく。

ソビエトは、ソビエトの同盟諸国に、核の分野で情報を提供し派遣を進めていった。アメリカも同様に情報を提供していった。つまり、「ソビエト型の核兵器&原発」と「アメリカ型の核兵器&原発」が、覇権先を競った。

IAEAはこのさなかに設立された。核の廃絶を謳う組織だ。

しかしその裏には、世界規模で、アメリカの核を安全に管理しようというアメリカの思惑があった。

この状況の中で、大事件、第五福竜丸事件がおきた。

簡単に説明する。アメリカは秘密裏にビキニ環礁で水爆実験を行っていた。しかし、何も知らされずに近海を航海中の日本のマグロ漁船、第五福竜丸がこの水爆実験で被ばくした。船長は被ばくにより死亡。大量のマグロ他の魚は廃棄された。そして放射性物質が日本で検出された。

これがきっかけで日本で、大々的な核廃絶運動が高まった。現在の核廃絶運動とは比較にならない規模だった。

核廃絶運動は、共産主義社会主義団体に目をつけられ結びついた。

アメリカはこの動きに当然危機意識を持った。加えて、戦後日本で成長した企業も危機意識を持った。アメリカと日本経済界の思惑が一致した。

ここで「核」が「反共」の道具として、日本において政治的に用いられる土壌ができた。

だが、当時の日本は、広島長崎への原爆投下からまもなく、学会も市民も「反核兵器」一色だった。彼等を封じる必要が出てきた。

その日本に「核」を導入させた中心人物は、民間組織「日本テレビ放送網」の設立者、正力松太郎だ。

正力は、CIAと結びつき、国会議員となって、日本国を動かし、核の導入を進めた。

日本の「反核」運動を潰すための、合言葉は「毒は、毒を持って毒を制す」。

簡単にいうと、「核兵器」というセンセーショナルなイメージを、「核の平和利用」「クリーン」「安全」という言葉でイメチェンする狙いだ。いやまじで。

そのイメチェンに、日本テレビ放送網というテレビと大新聞を持つ一大メディアを利用した。新聞とテレビ大好きな国民は、皆「核の平和利用」というイメチェンにやられた。

同時に、正力松太郎は、国会議員になり、すぐに経団連他、財界、学会を束ね、政治的に核を導入する動きを作った。

正力は、日本テレビ放送網を用いて、反核運動を封じ込め、原発の導入に成功した。アメリカは正力を利用して、日本の共産化を防いだ。

冷戦終了後、水爆開発のために被ばく者の人体からデータを収集したABCCは、「放射線影響研究所」と名を変え、日米共同で出資して運営されていく。

放射線影響研究所出身者が、IAEAの名のもとにチェルノブイリ安全宣言&福島安全宣言

冷戦の終了後、水爆開発も終了。そしてABCCは、「放射線影響研究所」と名前を変え、日本とアメリカの共同で運営していく組織となった。

この「放射線影響研究所」が輩出した人物が、世界的な2大原発事故において、大活躍することになる。

27 PM)26 PM)

もちろん悪い意味で。

1つ目は、チェルノブイリ原発事故だ。

2大原発事故、福島とチェルノブイリの安全宣言は「放射線影響研究所」理事長2人が発表している

チェルノブイリ事故の調査を行ったのはIAEAだった。IAEAは、いち早くチェルノブイリ事故に「安全宣言」を発表した。この安全宣言を出したのがIAEAの事故調査委員だ。委員長を務めた人物は、そう、放射線影響研究所の理事も務めた重松逸造だ。

1991年「チェルノブイリ安全宣言」発表した重松逸造氏(IAEA事故調査委員長)を糾弾したドキュメンタリー動画(一部文字おこし)

その後、重松逸造は、『ここの研究が原発建設に大いに役立っている』という言葉を残し、広島長崎被ばく者の顰蹙を買った。

2つ目は、福島原発事故だ。

福島第一原発事故に安全宣言を出したのは、長瀧重信。そう、放射線影響研究所の理事を務めた人物。

2011年4月15日、政府は「チェルノブイリ事故との比較」という公式見解を発表し、事実上の安全宣言を行った。この見解に名を連ねている1人が長瀧重信だ。

政府発表「チェルノブイリ原発事故との比較」がうさんくさすぎる。その理由をわかりやすく

お読みいただきたい。見解発表からおよそ1ヶ月、事態は悪い方向へと向かっている。「チェルノブイリ原発事故との比較」の一部分を見ていただきたい。

この後、100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに被ばく線量の上限が引き上げられ、100ミリシーベルト以上の被ばく者が多く出ることになる。やはり政府の公式見解の「チェルノブイリ事故との比較」は、間違っていた。

そして、今、この放射線影響研究所によって、福島の被ばく者15万人が30年以上にわたって調査、管理されることとなった。この組織は、被ばくが人体にどのように影響するのかを調査する組織だ。決して治療する組織ではない。

この組織が表に登場するということは、福島原発事故の被ばく状況が相当悪いということだ。そして、日米共同で、被ばく者の実態を調査することを意味する。そのバックにはアメリカを中心としたIAEAに加盟する核保有国家がある。

冒頭の報道にもあるように、福島原発調査に、放射線研究の学閥である広島大学、長崎大学、そして東大、京大が参加している。日本の主要大学は丸め込まれた形だ。福島原発事故以降、被ばくの安全を主張し大ヒンシュクをかっている山下俊一の存在意義が見えてくるだろう。さらに日本のあらゆる放射線専門機関が総動員で被ばくの実態を調査する。そして、調査結果は、治療に役立てられることはない。何に役立てられるか。核の安全管理に役立てられる。

もはや福島原発事故の情報隠蔽は、日本1国の思惑ではないのだ。

今後、福島原発作業員や福島を中心とした東日本の被ばく者の救済は行なわれない。

そして、今、争点となっている20ミリシーベルトも撤回されないおそれがある。なぜなら、日本はもはや判断する立場ではないからだ。

歴史的に見ると最悪のシナリオがえがかれているが、私たち国民の感情は、20ミリシーベルト撤回と被ばく者救済である事は変わらない。

筆者は、非常に無力を感じているが、これまでと変わらないスタンスで、今後もこのブログを書き続けていく。よろしくお付き合い下さい。

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