15日に「チェルノブイリ事故との比較」を内閣が発表した。その胡散臭さについて先日エントリーを発表した。「政府発表「チェルノブイリ原発事故との比較」がうさんくさすぎる。その理由をわかりやすく:ざまあみやがれい!」この発表に名を連ねた長達重信氏のプロフィールは、放射線影響研究所・前理事長だ。この記事を読んだ読者から以下の提案を受けた。
『僕もこの点に注目しています。そもそもの、放射線影響研究所の問題にも言及されると良いかと思います。』
この人物は放射線影響研究所に詳しいのだろう。こう言われれば調べざるを得ない。
「放射線影響研究所」という無機質な名前から連想するのは、放射線の影響を研究する施設でしかない。先日長龍氏について簡単に調べたところおぼろげに分かっているのは、原爆被害やチェルノブイリ事故について、実際に調査した人物ということだ。このことから、「放射線影響研究所」は恐らく、原爆被害の調査をする施設であろうことは推測できる。
戦後の長年に渡る原爆被害、そしてチェルノブイリ事故、そして現在の福島原発事故における「チェルノブイリ事故との比較」の発表に長瀧重信氏は関わってきた。
原爆被ばくと原発事故の調査が同じ人物で行なわれていることに、読者の皆さんも感じることがあるだろう。原爆も原発も同じ「核」だ。共通するのは被ばくだ。核の戦争利用から、エネルギーを生み出す平和利用へ、長瀧重信氏は奔走して力を尽くしてきたのだろう。被ばく者を研究して。
その研究の中心にあったのは、「放射線影響研究所」に違いない。
「放射線影響研究所」はwikipediaに詳細は記されていない。
画像のみが見つかった。
続いて、検索で見つけた記事。放射線影響研究所の内部の人物が書いたものだ。
内部から見た放射線影響研究所
記したのは、森原ゆう子氏。当時の肩書は、広島県本部/放射線影響研究所労働組合・執行委員長だ。つまり放射線影響研究所の労働者の視点で書かれている。
『放影研とは日米共同の研究機関「財団法人放射線影響研究所」の略称で、広島と長崎に研究所があります。放影研を英語でRERF (Radiation Effects Research Foundation) と言いますが、かつてのAtomic Bomb Casualty Commission 略称ABCC(エービーシーシー)の方が地元の年配の方には知られている』
放射線影響研究所は、原爆が投下された広島と長崎にあります。もともとABCCと呼ばれていたとのこと。
『終戦後、占領軍として日本にやってきた米軍がこの新兵器の効果について無関心であるはずもなく、いち早く原爆の被害状況を調査するため、専門家による調査団を派遣してきました。これには日本の専門家も参加し、いわゆる「日米合同調査団」が結成されました。この調査団に日本から90名もの医師が参加しました。』
ABCCは原爆の効果の調査が目的だった。日本人医師も言葉や文化の都合上、協力を呼びかけられたとのこと。相当嫌われていたと本文に書いてある。
『この調査は1945年9月8日から始まりましたが、その報告書が当時のアメリカ大統領トルーマンに提出されました。これを受けて1946年11月にトルーマン大統領は原爆による後障害の調査研究をするよう、学術団体であるアメリカ学士院・学術会議に指示して、1947年3月に放影研の前身の原爆傷害調査委員会ABCCが設立されました。』
原爆を投下したトルーマンが指示して作ったとのこと。広島に投下したウラン型原爆と、長崎に投下したプルトニウム型原爆の違いも調査目的の1つだったと書かれている。
『1948年からは厚生省管轄の国立予防研究所が参加して、日米共同研究という形で原爆被害者についてさまざまな調査が行われました。もっとも、実質はABCCが主体であり、予算面でもほとんどを米国側が負担していました。』
日本の厚生省も参加したが、予算はアメリカが全面的に負担。彼等は調査をしたが、治療はしなかった。
『1974年に原子爆弾被爆者援護法案が4野党でまとまり国会に上程され、その年日米政府間交渉でABCCを放影研に改組されることが決定しました。その結果1975年4月、それまでアメリカ主体だったABCCが日米折半の財団法人放射線影響研究所として生まれ変わり現在に至っています。』
今でも日米折半で運営されていることが記されている。時には賃金の支払いが危ぶまれることも記されている。アメリカからの予算がなければ運営できない脆弱な経済基盤だとわかる。アメリカの予算も縮小傾向にあった。冷戦終了の影響と言われている。何故日本は国がすべての予算を支払って運営しないのかが疑問だ。
以上、「放射線影響研究所」の内部の人間から見た歴史を読んだ次は、外部から見た歴史を読む。
外部から見た放射線影響研究所
元駐レバノン特命全権大使、作家の天木直人氏は次のように記している。推測を交えて以下のように述べている。
[2008.07.14] 放射線影響研究所という名の財団法人 | Blog(ブログ) | [公式] 天木直人のブログ
『 放影研(正式名称は放射線影響研究所)の前身は、終戦直後の1947年に、米国原子力委員会の資金で作られた原爆傷害調査委員会である。
その原爆傷害調査委員会は、被爆者を呼びつけては、モルモットのように検査しても、治療はしなかった。
この委員会は、明らかに初期放射線の影響を知る目的のために米国がつくった。
そして、このデータは「使える核兵器」の研究に利用された、具体的には小型の地下貫通核兵器だ、と広岩編集委員は推量する。
そして、その初期放射線データが揃ったと判断した米国は、日本国民から批判された米国専管の原爆傷害調査委員会を、日米共管理の財団法人に切り替えた。それが1975年にできた放影研である。
原爆被害者は老齢化し、やがていなくなる。使える核兵器製造の為にデータも十分揃った。だからあと20年もしたら放影研も不要となる。日米共菅の財団法人にして、やがてなくしていけばよい。
もし米国がそのように考えているのなら、今こそ日本はそれを引き継いで、唯一の被爆国として核兵器の非人道性を、「命のカルテの積み重ね」によってもたらされたデータをつきつけて、糾弾していくべきではないか。非核化の世界の実現を訴えていくべきではないのか。』
先ほどとは見え方が変わってくる。
この「放射線影響研究所」の過去の理事長を調べていると重松逸造氏にたどり着いた。
放射線影響研究所の研究が原発建設に大いに役立っている
ネット上では、相当数の記事で、重松氏は、以下の発言をしたとされている。
『ここの研究が原発建設に大いに役立っている』
当時は原発建設が「安全」「クリーン」という新エネルギーとして推進されていた。その原発に、重松氏は放射線影響研究所での研究を生かすという明確な意思があった。そして実際に生かされたのだろう。広島、長崎の被ばく者研究が、世界各国の原発開発に生かされている。アメリカはスリーマイル事故以来、自国の原発こそ開発していないものの世界各国に原発技術を輸出している。福島の第一原発1号機と2号機もアメリカGE製だ。
続けて調べていると、この重松氏は別のことでも世の中を騒がせていた。西日本新聞のインタビューに答えている記事があった。
『 ATLの原因ウイルスの母子感染について、1990年度に「全国一律の検査や対策は必要ない」との報告書をまとめた旧厚生省研究班の班長、重松逸造・元日本公衆衛生学会理事長(92)が東京都内で西日本新聞のインタビューに応じた。主なやりとりは次の通り。 ‐重松班の提言を受けて国の対策が遅れ、結果的に原因ウイルスHTLV1の感染者が全国に拡散したとの批判がある。
「私は、いわば雇われマダム的な班長だった。あらためて報告書を読んだが、私が書いた文章ではない気がする。もちろん最終的には私がチェックしたはずだし、研究班には各分野の日本の第一人者が集まっていた。研究班は、当時の知見や技術を基に見解をまとめて報告しただけ。対策をどう実践するかは行政の判断だった」
‐全国一律の検査や対策は不要との提言だったが。
「検査の是非は研究班内でも意見が分かれたが、九州など感染者の多い地域以外では空振り(陰性)が多すぎるため、費用対効果などを考えて、見送った。検査技術もまだ確立していなかったはずだ」
「ただ、国が対策を放置していいとは思っていなかった。地域ごとに濃淡を付けて、取り組みを進めるべきだと考えていた。日本の行政は一律にやるか、まったくしないかのどちらかになりがちだが、最近になるまで実態把握すらしてこなかったとは知らなかった」
‐20年ぶりに方針転換を提言する研究報告が出る。
「とてもいいことだ。国は本腰を入れて対策に取り組むべきだ。この20年で感染者が全国に広がったのは事実で、結果的にみれば、当時から全国的な検査や定点観測をしておくべきだったかもしれない。国は、当時の私たちの提言や(対策を地方自治体に委ねた旧)厚生省の判断が正しかったかどうかを検証し、今後の疾病対策に生かしてほしい」
=2010/03/08付 西日本新聞朝刊=』
ATLの原因ウイルスの母子感染については、ちょこっと調べたら、この記事が見つかったので参考にしてください。
引用した西日本新聞の記事の太字部分を読めば、彼ら御用学者の立ち位置がわかる。研究はするが責任は負わない、というより負えない。一方国は彼等の研究結果を根拠にし説明を行い、責任を取らない。双方が責任を避ける体質がこうして生まれる。国家犯罪はこうして生まれる。そして全てが人災だ。
行き当たりばったりで調べた結果でこれだ。原発推進派の闇は深すぎる。この程度の調べ物で記事を書いていることを恥じるばかりだ。情報提供は、コメントもしくはメールにてお知らせいただければ幸いだ。
今、長瀧重信氏の過去の発言を読んでいる。近日中に核。ではなく書く。
コメント
コメント一覧 (8)
ご存知の通り、彼等はチェルノブイリでもABCCの手法で全くと言っていいほど医療活動をしていません。
チェルノブイリへのかけはし
http://www.kakehashi.or.jp/?p=2819
私が、チェルノブイリの方たちに最初に言われたのは
「あんたたち日本人はなんてことしてくれたんだ!ヒロシマの医者がきて助けてくれると思ったのに。甲状腺癌は放射能のせいじゃない、ヨード不足の風土病のせいだと言って、救援されなかったんだ!チェルノブイリ事故の前には甲状腺癌なんてなかったんだ!!!」
そして今回も同じ手法で福島を食い物にしようとしています。
放影研としても新たな研究で存続危機を逃れられます。
山下俊一も福島のアドバイザーにもぐりこみました。
彼を呼んだ福島知事の佐藤雄平は前知事の不可解な逮捕により知事になりました。彼の叔父は元自民党・現民主党渡部恒三です。福島原発の地主でもありました。
当時アメリカは原爆の放射能はすぐに消えると言っていました。
ですから晩発性障害を予見さす都築正男教授の「原爆症」の研究と調査を認めず、公職追放処分として東大を退官させました。また原爆投下使用を非難した政治家の鳩山一郎も公職追放されました。
「アメリカに逆らえば追い出される」
残った政治家や学者は以後アメリカの飼い犬となったのではと思います。
今回、世界も驚くような被曝基準値の引き上げは彼らの最後の「もがき」でもあります。
肥田舜太郎先生の尽力で低線量被曝の危険性も裁判勝訴で国の認めるところになりました。
原爆・チェルノブイリの時のような訳にはいかないでしょう。
ここには重松逸造の事を調べている方々が多く、心強く思います。
さて、重松逸造「ら」と核と日本・アメリカの関係について重要と思われる書籍があります。ほとんど知られていないようなので情報提供します。
笹本征男『米軍占領下の原爆調査 原爆加害国になった日本』新幹社、1995年10月 ISBN 4-915924-65-3
占領下の原爆調査が意味するもの(上)http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/3052.html
同(下)http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/3053.html
wikiの「笹本征男」の項目http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%B9%E6%9C%AC%E5%BE%81%E7%94%B7
核をめぐって日米間には恐ろしいほど深い闇があるようです。
情報提供ありがとうございます。内部被ばくの人体への影響は、チェルノブイリからずっと見過ごされていますね。福島のお母さんの母乳からヨウ素131が検出された今、内部被ばくのリスクを改めて見直されるべきです。お陰さまで考えがまた整理されました。今後ともご指導の程よろしくお願い致します。
被曝しているかどうかの評価に、内部被曝の問題がありますが、原爆線量評価のおいて、内臓などに蓄積していたはずの内部被曝を「無い物」として実際の被害を握りつぶしてきた論文執筆者(監修顧問)です。
以後も国際原子力防護委員会が、放射性物質のリスク評価をするうえで、核兵器や原子力災害の影響を桁違いに過小評価する偽科学を主導してきたトンデモ学者であると思います。
この影響が戦後60年以上続いており、今も原発事故での水や食べ物等のリスク評価に、甘い考え方(内部被曝の原理的な無視)がまかり通ってしまっています。
放射線を怖がる必要ない、チェルノブイリでも障害は出ていない等のデマを流し、果てや現在の「乳児にも50mシーベルト/年まで許容される」という「日本産科婦人科学会」の声明に至るまで、この国を蝕む酷い「偽科学」蔓延の張本人だと考えます。
矢け崎克馬の「隠された被曝」を読むと理解できます。
その先兵的な後継者が長瀧重信なんでしょう。
情報提供ありがとうございます。YouTubeの方、文字おこししてみようと思います。その他イタイイタイ病に関しては、今、少し手が回りませんので余裕ができましたら扱ってみようと思います。
1970年後半から、現在のような賠償を避けるためにミニマム被害は認めないという体制ができあがったようです。
低量被ばくについては今後同様の体制によって認めない、そしてそのために本来避難させるべき住民を避難させないということになる恐れが多分にあります。というか、すでにそういうことになってますよね…。
公害病否定の社会学的考察
-カドミウム腎症を事例に-
渡 辺 伸 一
奈良教育大学社会科教育講座(社会学)
奈良教育大学紀要 第56巻 第1 号(人文・社会)平成19年115
Bull. Nara Univ. Educ., Vol. 56, No.1 (Cult. & Soc.), 2007
http://near.nara-edu.ac.jp/bitstream/10105/643/1/11_%E6%B8%A1%E8%BE%BA_%E7%B4%80%E8%A6%81_2007.pdf
もう少し調べてみたところ、重松氏はイタイイタイ病でももみ消しに動いていたようです。
「76年,自民党の環境部会を中心にイタイイタイ病とカドミウムとの関連を否定する動きが出はじめ,やがて重松逸造放射線影響研究所理事長や野見山一生自治医大教授らがそうした意図に基づく研究に着手し,世界保健機構(WHO)にカドミウム説の見直しを提起しました。」
http://www.lib.muroran-it.ac.jp/kanpou/08/p_2.htm
「重松逸造や土屋健三郎という、イタイイタイ病の裁判の時から企業側にいた学者が名をつらねていた。」
http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/64957dc3ec7f52446d4462fd961c07f9
西山氏の記事は以前拝見させていただいておりました。
常々興味深い記事の執筆ありがとうございます。
さて、重松逸造氏ですが、ぐぐった理由は、以下の動画にてIAEAの調査委員長をされていたと言われていたからです。
【原発事故】安全宣言のカラクリ そして子供になにが起きたか追跡
http://www.youtube.com/watch?v=tWWICnIQE9k
この記事を拝見させていただき、「放射線影響研究所」の立ち位置を知り、得心いきました。