昨年の6月、娘はアメリカの高校を卒業し、日本の大学に進学するために日本に旅立った。2013年11月にわが家はアメリカに移住したので、10年半のアメリカ生活に終止符を打ったことになる。
渡米当初からの葛藤:「早く日本に帰りたい」
娘は日本が大好きで、アメリカがそれ程好きではない。Grade 2(日本の小2)の頃に、英語が全く話せない状態で、アメリカの現地校に放り込まれ、必死に授業にキャッチアップすべく努力をしてきた。子どもはすぐに英語を話すことができるようになる、何ていうのは私から言わせれば都市伝説だ。多くの子どもは言語の壁、孤独、自分を出せないストレスを抱えており、娘も例にもれなかった。渡米当初から「早く日本に帰りたい」とよくこぼしており、その願いが書かれた七夕の短冊を見た時は、さすがに切なかった。親としてできうる限りの支援をしたが、正に悪戦苦闘という感じであった。
魔のGrade7、おとずれた限界と決断
Grade 7(日本の中2)の頃に、そのストレスと想いが大爆発する。アメリカではGrade 7は"the challenging seventh grade"と呼ばれるほど、勉強も難しくなり、友人関係も複雑になる時期だ。そして、思春期特有の難しい時期が娘にもおとずれていた。家族で会話を重ねたが、これ以上はいかんとも頑張り難いという悲痛な娘の想いに、親として上手く手を差し伸べる術を私は持たなかった。
結論として、娘のみ日本の高校に進学することを家族で決断した。アメリカに住む日本人家族で、子どもの一人がどうしても馴染めなくて、一人日本に戻るという話は、多くもないが、それ程珍しくもない。日本とアメリカはかなり異なるので、合わない人には合わないのだ。Grade 7という特有の難しさ、思春期の感情の起伏、アメリカとの相性というマイナス要素が一気に押し寄せ、娘は爆発すべくして爆発したと今となっては思う。
高校受験の勉強、そしてコロナがやってきた
娘の日本の高校進学を決めたので、一時帰国の際は、学校見学をしたり、予備校の夏期講習に通わせたり、準備を進めた。また、高校生で親元を離れて、寮生活を送るのだから、料理や掃除から、基礎的な金融教育まで、独り立ちができるように親としてしてあげられることは全部したつもりだ。
が、いよいよ受験という年にコロナ旋風が巻き起こる。少し心許ないところはあれど、私の子育てのゴールである「子どもが自律と自立できるようにする」ということは、大分達成できたかなぁ、というまでには娘は成長していた。なので、先の見えない状況ではあるが、娘が希望するのであれば、高校進学はサポートする気でいた。
「今は日本には帰らない」 コロナ禍の決断
娘にはその旨を伝えて、自分で考えて決断するように伝えていた。
ある天気の良い日に一緒に散歩をしながら、「で、どうするか、結論はでた?日本に帰国したいのなら、サポートするからね」と聞いてみたところ、「色々考えたけど、見送ろうかな」と娘。
その時、アメリカのGrade9(高校1年)になっており、高校で親しい日本人の友人もでき、中学と比べるとかなり学校の環境も改善され、娘なりのペースを確立しているようにも見えた。かくして、すったもんだの末、娘は日本への帰国を先延ばしすることになる。世界中にトラブルを巻き起こしたコロナ禍も、わが家にとっては今の家族を形作るパズルのピースの一つであったように思う。
高校卒業、そして本帰国へ
その後、カリフォルニアへの引っ越しに伴い、転校というイレギュラーも経験した。それでも、補習校の卒業、そして現地校の卒業と、娘は一歩ずつ着実に歩みを進めてきた。そして昨年6月、日本の大学の受験のために、ついに念願の本帰国を10年越しに果たすこととなった。
成長を重ね、大人びた雰囲気もそなえた娘は、Netflixを英語と日本語を切り替えながら楽しむほどの語学力を身につけ、「こういうことをできるようになった環境に連れてきてくれた親には感謝している」などと親を気遣うことも言うようになっていた。が、私は「あなたが、苦労をしながら自分の努力で身につけた能力なのだから、親に感謝する必要なんてないよ」と言っている。これは私の正直な思いだが、言葉の裏側にある娘の優しさと気配りに少し胸を打たれた。
家族3人での生活が始まって
「娘さんがいなくなって淋しいし、心配でしょう」
とたまに聞かれる。もちろん、家族4人の生活が3人(私、妻、息子)になり、静かになったところもあるが、実はあまり淋しさというのは感じていない。
自分の人生に対して主体的な決断をできるようになった娘を応援したいという気持ちと、娘が今後どのような人生を歩んでいくのかを見るのが楽しみという気持ちが、淋しさを遥かに上回っている。もちろん、助けを求められたら、いつでも助けるつもりでいるが、必要なヘルプを求めるという能力も含めて娘は「自律と自立」ができる素養を身につけているので、親としては学費と仕送りを送る以外にはできることは殆どない、と思っている。娘の子育てについては「やりきった感」が強く、晴れやかな気持ちで日本に送り出すことができた。
娘からの「嬉しい知らせ」
本命の大学の受験に、一人日本で取り組んでいた娘から、無事第一志望に合格したという「嬉しい知らせ」を先日受けた。親元を離れての最初の挑戦が、「一人暮らしを初めて大学受験をする」というもので、決して簡単なものではない。それでも、集中力をきらすことなく、コツコツと努力を重ね、良い結果を残すことができた。娘の一番希望する大学に進学できたということが親としては最も嬉しいが、その大学は私の母校でもあり、とても感慨深い。
これからも自分の人生に対して、主体的に決断し、人生を切り拓いって欲しい。よく頑張ったね、本当におめでとう。