評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
NewsGyaO終了
2月の番組開始からほどない頃から、私がコメンテーターとして主に月・火・水の週三日出演していた番組「NewsGyaO」が先週末、9月29日をもって、いったん終了した。番組終了の話は、ある程度前に聞いていたのだが、番組スタッフや出演者でも事情を聞くタイミングにかなりの差があったらしいことと、正式発表がなされていなかったので(USENの株価が大きく動いている時期でもあったし)、これまで、このブログに書かずにいた。
私は、「ネットと放送の融合」というかけ声を実現するにあたり、(ライブドアや楽天のように)出来合いの放送局を買おうとするのではなく、「自分で作ってみようではないか」というUSENのGyaOに関するアプローチに好感を持っていたし、制作が難しく、また、費用もかかるであろうデイリーのニュース番組(しかも生放送)を立ち上げるという「正攻法」のアプローチも好ましく思っていたので、出られるだけ出ようと考え、週に三日間、出演させて貰っていた。
しかし、ビジネス的には、当面のUSENにとってはなかなか負担が大きかったようで、これは私の推測だが、USENをカバーしているアナリストの関心が集中しているであろう、「GyaOの黒字化はいつか?」という問題に対して、コストカットで答えを出すために、費用のかかるデイリー・ニュースから一時「降りる」と決断したのだろう。番組開始以来、8月上旬くらいまでは、現実もその後の計画としても、番組の時間枠やコーナーを拡充する方向に動いていたし、USENの新オフィスではGyaO用のスタジオを三つ作っている(現在は溜池に一つ。三つという話は、未確認の噂話なので、関心がある投資家はご自分で確認されたい)などとも聞いていた。NewsGyaOの打ち切りは、急に決まったものだろう。
「株価を意識すると、長期的な経営が出来ない」という事例として数えることも可能かも知れないが、それはそれとして、仕方がないとしたものだろう。大きな無理をせずに、GyaO自体を継続して、チャンスを待つことが重要だ。ただ、「NewsGyaO」という番組名は、GyaOをネット上の放送局として続ける以上、継続性を持たせたい名前だ。おそらく、何らかの形で、報道番組を立ち上げることになるのだろうから(たとえばウィークリーの)、連続性が切れる形になるのは、少々残念な気がする。
GyaOのような形でニュース番組をやろうとすると、幾つかの困難があるが、最大のものは、記者クラブの壁だったろうか。官庁関係にしても、自民党にしても、記者会見にカメラを入れて、出来れば質問もしたいわけだが、それぞれの主体に取材を申し込むと、「記者クラブの許可を得て下さい」ということになり、記者クラブの幹事会社(新聞社など)に問い合わせると、色よい返事が得られない。すると、自局(テレビマンの中には、GyaOをテレビ「局」と称することに抵抗感のある向きもおられようが、やっていることは「局」である)で使える映像を得ることが出来ないので、ニュースの画面としては、写真や建物の様子などを使うことになるが、ニュース番組としては辛い。
記者クラブは、一種の談合組織として、新規参入者に対する防護壁になっている。取材される側の都合を考えると、訳の分からない媒体やジャーナリストを排除できるので安心だし、記者クラブに参加しているメディアにとっても、取材が混乱を来さないという意味では、記者クラブは役に立っているのだろうが、ジャーナリズムの基本的なあり方としては問題だろう。長野県の前知事だった田中康夫氏が、長野県庁の記者クラブを廃止したが、これが本来の姿だと思う。長野県の場合、これでどうだったのだろうか。
何れにしても、個人のブロガー・ジャーナリストのようなものも記者会見への出席が認められるような方向のアメリカと較べても、日本のジャーナリズムは閉鎖的だといわざるを得ない。
もちろん、日本の現状には弊害がある。たとえば、前回の総選挙で、自民党圧勝の原因ともなった、小泉首相の記者会見は、彼に厳しい質問を浴びせることのない記者クラブ所属の記者達の協力によって、政権与党側にとって効果的なパフォーマンスに仕上がった。あの時に、何を訊かれても「どうして郵便局が役人でなければ出来ないのか、私には分からない。教えてくれ!」と言う小泉首相に対して、「総理、質問をはぐらかさないで下さい!」と言うような記者や、「郵政を民営化しても、同じ規模で行政と癒着した巨大独占企業が出来るだけではないのか」といった質問をする記者がいれば、印象は随分違うものになったと思う。
また、ニュースそのものの購入や、ニュースで使う映像の購入には、多額の費用がかかる。特に、後者に関しては、十分な動画映像を使えないため、たとえばスポーツ・ニュースのコーナーの制作上、大きな制約になった。スポーツコンテンツの映像に権利があるので、これはやむを得ないが、たとえばサッカーのワールドカップの時期には、他のスポーツニュースと大きな差が付く原因になった。スポーツ・コーナーの制作スタッフは、個人的には日本を応援しながらも、一次リーグでの敗退が決まって、ほっとした、というような案配だった。
新規参入で制作スタッフが少ないし(といっても、最後の打ち上げパーティーの出席者は70名以上になった。100人近くが、番組に関わっていたとみていいだろう)、多くの取材班をあちこちに差し向けるということは出来ないので、事件もののニュースが不得意だったのは、やむを得ない。もっとも、夕方の主婦向けの時間帯に放映するわけでもないので、殺人事件の現場や捜査状況などを細かく独自に取材する必要はなかったとも思う。
他方で、経済関係のニュースは、「それはどのような仕組みになっているのか」という話なので、原理的にそれほど差が付くわけではない。要は、伝える側が問題を良く理解していればいいし、必要があれば、的確に説明してくれる人を連れてくればいい。
また、インタビューについては、ゲストと聞き手の問題なので、上出来と不出来の両方があるが、企画次第では勝負になる。GyaOはアーカイブ機能がついているので、いわばVTRが自動的に回っているようなものだから、インタビューを資料的に残すことも出来る。もっと多用すれば良かったかも知れない。ネット関連の話題をニュースにした「ネット・ニュース」というコーナーも、時々後から見たくなるような内容(役に立つサイトの情報や、ノウハウなど)があった。GyaOは、ユーザーがネット上に自動VTRを持っているような仕組みになっているので、こうしたものは、必ずしもニュースという枠組みにこだわらずに、再チャレンジしてみる価値があるだろう。
また、どのみち素材映像などで予算のある地上波局のニュースには勝てないのだから、いっそのことニュースとコメントとの比率を後者重視に変えて、もっとその場でいろいろ考えてみる、というような井戸端会議的な伝え方でも良かったのではないかとも思う。
純粋にニュースだけを伝えるのか、ある程度中身に対する解説も加えようとするのか、番組によって差はあるが、既存の報道番組は、素材のVTRなどがパンパンに入って時間を食っており、内容についてその場で考えるというような余裕がほとんどないし、コメンテーターのコメントの大きな役割は時間調整である(そう考えると、分かりやすい)。内容の多くを出演者にゆだねるのは制作側としては不安が大きいかも知れないが、GyaOのようなチャレンジャーの場合、一つの方法としては、そうしたリスクを取っても良かったのではなかろうか。
USENとしては、月次なり、四半期単位なりで、まずGyaOを黒字化したいのだろうから、コストの掛かるデイリーのニュースをそのまま直ぐに復活させることはないだろうが、何らかの形の報道番組は遠からずまた始まるだろうから、これに期待したい。
個人的には、週に三日、数カ所ではあっても、ニュースにコメントするのは、面白い経験だった。ただ、午後8時半に赤坂溜池のスタジオに行き、9時半~10時15分に生放送、というタイム・スケジュールは、それなりに大きな制約ではあった。これが無くなると、友人と飲み食いすることがぐっと楽になるし、原稿書きに使える時間も増える。月に二回ほどコメンテーターを務めていた、日本テレビの夕方のニュース番組「ニュース・リアルタイム」のコメンテーターも9月で終了したので、この分の時間も増える。連載ものの原稿はもちろん〆切に間に合うように書いていたのだが、単行本の執筆が相当に滞っていたので、この時間的な余裕を全て飲み食いに回すのではなく、本の執筆に充てたいと思っている。
コメンテーターとしての反省記や、共演者の印象などは(週に三日、きれいな女性達に囲まれていたのだ!)遠からず、またこのブログに書くことにする。
私は、「ネットと放送の融合」というかけ声を実現するにあたり、(ライブドアや楽天のように)出来合いの放送局を買おうとするのではなく、「自分で作ってみようではないか」というUSENのGyaOに関するアプローチに好感を持っていたし、制作が難しく、また、費用もかかるであろうデイリーのニュース番組(しかも生放送)を立ち上げるという「正攻法」のアプローチも好ましく思っていたので、出られるだけ出ようと考え、週に三日間、出演させて貰っていた。
しかし、ビジネス的には、当面のUSENにとってはなかなか負担が大きかったようで、これは私の推測だが、USENをカバーしているアナリストの関心が集中しているであろう、「GyaOの黒字化はいつか?」という問題に対して、コストカットで答えを出すために、費用のかかるデイリー・ニュースから一時「降りる」と決断したのだろう。番組開始以来、8月上旬くらいまでは、現実もその後の計画としても、番組の時間枠やコーナーを拡充する方向に動いていたし、USENの新オフィスではGyaO用のスタジオを三つ作っている(現在は溜池に一つ。三つという話は、未確認の噂話なので、関心がある投資家はご自分で確認されたい)などとも聞いていた。NewsGyaOの打ち切りは、急に決まったものだろう。
「株価を意識すると、長期的な経営が出来ない」という事例として数えることも可能かも知れないが、それはそれとして、仕方がないとしたものだろう。大きな無理をせずに、GyaO自体を継続して、チャンスを待つことが重要だ。ただ、「NewsGyaO」という番組名は、GyaOをネット上の放送局として続ける以上、継続性を持たせたい名前だ。おそらく、何らかの形で、報道番組を立ち上げることになるのだろうから(たとえばウィークリーの)、連続性が切れる形になるのは、少々残念な気がする。
GyaOのような形でニュース番組をやろうとすると、幾つかの困難があるが、最大のものは、記者クラブの壁だったろうか。官庁関係にしても、自民党にしても、記者会見にカメラを入れて、出来れば質問もしたいわけだが、それぞれの主体に取材を申し込むと、「記者クラブの許可を得て下さい」ということになり、記者クラブの幹事会社(新聞社など)に問い合わせると、色よい返事が得られない。すると、自局(テレビマンの中には、GyaOをテレビ「局」と称することに抵抗感のある向きもおられようが、やっていることは「局」である)で使える映像を得ることが出来ないので、ニュースの画面としては、写真や建物の様子などを使うことになるが、ニュース番組としては辛い。
記者クラブは、一種の談合組織として、新規参入者に対する防護壁になっている。取材される側の都合を考えると、訳の分からない媒体やジャーナリストを排除できるので安心だし、記者クラブに参加しているメディアにとっても、取材が混乱を来さないという意味では、記者クラブは役に立っているのだろうが、ジャーナリズムの基本的なあり方としては問題だろう。長野県の前知事だった田中康夫氏が、長野県庁の記者クラブを廃止したが、これが本来の姿だと思う。長野県の場合、これでどうだったのだろうか。
何れにしても、個人のブロガー・ジャーナリストのようなものも記者会見への出席が認められるような方向のアメリカと較べても、日本のジャーナリズムは閉鎖的だといわざるを得ない。
もちろん、日本の現状には弊害がある。たとえば、前回の総選挙で、自民党圧勝の原因ともなった、小泉首相の記者会見は、彼に厳しい質問を浴びせることのない記者クラブ所属の記者達の協力によって、政権与党側にとって効果的なパフォーマンスに仕上がった。あの時に、何を訊かれても「どうして郵便局が役人でなければ出来ないのか、私には分からない。教えてくれ!」と言う小泉首相に対して、「総理、質問をはぐらかさないで下さい!」と言うような記者や、「郵政を民営化しても、同じ規模で行政と癒着した巨大独占企業が出来るだけではないのか」といった質問をする記者がいれば、印象は随分違うものになったと思う。
また、ニュースそのものの購入や、ニュースで使う映像の購入には、多額の費用がかかる。特に、後者に関しては、十分な動画映像を使えないため、たとえばスポーツ・ニュースのコーナーの制作上、大きな制約になった。スポーツコンテンツの映像に権利があるので、これはやむを得ないが、たとえばサッカーのワールドカップの時期には、他のスポーツニュースと大きな差が付く原因になった。スポーツ・コーナーの制作スタッフは、個人的には日本を応援しながらも、一次リーグでの敗退が決まって、ほっとした、というような案配だった。
新規参入で制作スタッフが少ないし(といっても、最後の打ち上げパーティーの出席者は70名以上になった。100人近くが、番組に関わっていたとみていいだろう)、多くの取材班をあちこちに差し向けるということは出来ないので、事件もののニュースが不得意だったのは、やむを得ない。もっとも、夕方の主婦向けの時間帯に放映するわけでもないので、殺人事件の現場や捜査状況などを細かく独自に取材する必要はなかったとも思う。
他方で、経済関係のニュースは、「それはどのような仕組みになっているのか」という話なので、原理的にそれほど差が付くわけではない。要は、伝える側が問題を良く理解していればいいし、必要があれば、的確に説明してくれる人を連れてくればいい。
また、インタビューについては、ゲストと聞き手の問題なので、上出来と不出来の両方があるが、企画次第では勝負になる。GyaOはアーカイブ機能がついているので、いわばVTRが自動的に回っているようなものだから、インタビューを資料的に残すことも出来る。もっと多用すれば良かったかも知れない。ネット関連の話題をニュースにした「ネット・ニュース」というコーナーも、時々後から見たくなるような内容(役に立つサイトの情報や、ノウハウなど)があった。GyaOは、ユーザーがネット上に自動VTRを持っているような仕組みになっているので、こうしたものは、必ずしもニュースという枠組みにこだわらずに、再チャレンジしてみる価値があるだろう。
また、どのみち素材映像などで予算のある地上波局のニュースには勝てないのだから、いっそのことニュースとコメントとの比率を後者重視に変えて、もっとその場でいろいろ考えてみる、というような井戸端会議的な伝え方でも良かったのではないかとも思う。
純粋にニュースだけを伝えるのか、ある程度中身に対する解説も加えようとするのか、番組によって差はあるが、既存の報道番組は、素材のVTRなどがパンパンに入って時間を食っており、内容についてその場で考えるというような余裕がほとんどないし、コメンテーターのコメントの大きな役割は時間調整である(そう考えると、分かりやすい)。内容の多くを出演者にゆだねるのは制作側としては不安が大きいかも知れないが、GyaOのようなチャレンジャーの場合、一つの方法としては、そうしたリスクを取っても良かったのではなかろうか。
USENとしては、月次なり、四半期単位なりで、まずGyaOを黒字化したいのだろうから、コストの掛かるデイリーのニュースをそのまま直ぐに復活させることはないだろうが、何らかの形の報道番組は遠からずまた始まるだろうから、これに期待したい。
個人的には、週に三日、数カ所ではあっても、ニュースにコメントするのは、面白い経験だった。ただ、午後8時半に赤坂溜池のスタジオに行き、9時半~10時15分に生放送、というタイム・スケジュールは、それなりに大きな制約ではあった。これが無くなると、友人と飲み食いすることがぐっと楽になるし、原稿書きに使える時間も増える。月に二回ほどコメンテーターを務めていた、日本テレビの夕方のニュース番組「ニュース・リアルタイム」のコメンテーターも9月で終了したので、この分の時間も増える。連載ものの原稿はもちろん〆切に間に合うように書いていたのだが、単行本の執筆が相当に滞っていたので、この時間的な余裕を全て飲み食いに回すのではなく、本の執筆に充てたいと思っている。
コメンテーターとしての反省記や、共演者の印象などは(週に三日、きれいな女性達に囲まれていたのだ!)遠からず、またこのブログに書くことにする。
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« ランダエタ選... | 山本モナさん... » |
記者クラブの横暴は、特にGyaOさんにアーカイブ機能があるのを考えると、とても惜しい(悔しい)ですね。
官邸や政党での会見と記者質問一問一答を表情と肉声でアーカイブ化に協力することは、むしろ(税金で維持されている)記者クラブの義務だとすら思うのに…
客観的な基準で一定のユーザーをもつ(視聴者や読者)メディアは、届出さえすれば参加できるということでなければ「憲法違反」とすら言えないでしょうか。
どこかの新メディア、たとえばオーマイニュースなどが(自身の宣伝も兼ねて!?)、参入を阻害する記者クラブを訴えても面白いのにと思います。
PS 国会を全中継する有線放送が一時どなたかに提唱されてましたが、それよりも官邸と政党と会見と質問のほうが、(残念ながら)「面白い」見ものになりそうです。
そうでしたか、大変残念に思います。
GayO's Watchシリーズを定期的に拝聴していました。有用な番組でした&良かったですよ(どう良かったか また どんな点を利用出来ていたのか等々は別途ご連絡します)。
そうそう、その前にこのエントリー(情報提供)に感謝します。提供サイドに作り上げメンバーのお一人として参加された山崎さんの視点・観点は中止の背景理解の一助になります。
GyaOのSite上の説明は余りに簡潔ですね。
と同時に受け手・利用者側として何が問題であったのだろうかも考えて見たいと思います。
無償=タダ見客(客とは言えないかも知れません)としてはせめてもの視聴対価として画面上の広告をクリックすべき(正直申し上げると一度もクリックしていません)だったのでしょうか?
音声・動画を伴うメディアに受け手が期待していた役割・利用していた機能・利用の仕方もご参考に別途ご報告したく思います。
他メディアや書き物に割かれる山崎さんの時間が増えたことは歓迎しつつ、また 閉鎖的なジャーナリズムの実情・現状と受け手側の課題に就いてもう少し考えを深めて見る機会としつつ、解説委員&コメンテーター『山崎元商店GyaO支店』に拍手と感謝をお送りします。
お疲れ様でした。結果だけ見ればコストの問題をクリアにできなかったということでしょうけど、実際にチャレンジしたUSENの姿勢は高く評価できると思います。情報技術の進化がクローズアップされて以来、「通信と放送の融合」という大義名分だけが先走りしてきましたが、具体的なアクションが希薄な状態が続いてきました。
この大義名分については、技術革新の部分のみが注目されて先走ったことかと思います。つまり肝心の社会貢献というか、ソフトウエアの部分にしがみついている業界構造についての創造的破壊が全く進んでいないというのが背景にあるのかと思います。ご指摘の記者クラブなども既存業界構造の最たるものの一つかと思います。
民放ーNHKといった放送業界は、表面上構造改革を支持したり、例えばゼネコンの談合疑惑などを声高に槍玉に挙げたりしていますが、自らの構造利権はキッチリと守っています。NHKの民営化に民放連が反対するのなどは典型的な一例です。
NewsGyaoへの評価としては
①ネガティブに考えた場合
結局、民放ニュース番組の模倣しかできなかった。同じようなソフトをネットで配信しただけ。この場合、技術的には「放送」に分があると思います。ネットだと、パフォーマンスにばらつきがあり、均一な品質で番組配信ができない場合があります。特にNewsGyaoの配信時間帯はトラフィックが集中する時間帯であることと、最近の通信負荷増大に伴って容量制限するISPが出てきています。流石に電波を垂れ流す既存放送ではこのような問題は起きません。
話をソフトに戻すと、配信品質が低下すると視聴者は「テレビ」でニュースを見ればよいだけとなる。
②ポジティブに考えた場合
勝手なことを言う人は多々あれど、ともかくアクションを起こしたということは高く評価できる。実際にやったことにより、様々な問題点が把握できたことはUSENの今後のビジネスに大きく生かせる事と考える。
この番組をスタートさせた当初からある時期までは、順調に視聴者も伸びたのではないかと想像します。しかしある水準を越えた時点で品質の問題も起きたのではないでしょうか?これはUSEN単体の問題よりもネットワーク全体が抱える問題です。この技術的な仮説が正しいとすれば、「技術革新」によって開眼された「放送と通信の融合」が「技術」によって行き詰るということになるのですが。
いずれにしても、技術革新は社会革新との相互作用があって初めて有功となるものです。そんな意味で、長い間(多分20年くらい)「放送と通信の融合」が技術オリエンテッドで進んできた中で(つまり片手落ち)USENの投げかけたことは、ソフトウエアつまり社会的側面からの投げかけを行ったという事かともいます。つまり一旦技術から預かったボールを再び技術に投げ返したともいえると思います。
今後長い目でチャレンジを続けていただけることを期待いたします。
簡単な動画配信というのは、是非やてみたいですね。どれくらいの装備が要るのか、考えてみたいところです。同時多アクセスを想定しなければ、デジタルビデオカメラと簡単な編集ソフトで、コンテンツを作ってUPするところまでは、案外何とかなるのかも知れませんね。
画面の小さな音声付き動画でいいのですが、最初は、たとえば「拙著」を一章単位で要約して伝える、というようなことができるといいと思っています。
声と動きがあると、イメージの残り方が違うので、動画はやはり、強力なツールです。
勝手ニュース解説も面白そうです。雑誌の連載の関係で、拙宅には、新聞が毎日6紙届くようになったので、素人コメンテーターとして、素材には不足しません。
ニュースの話題に、ちょっと便乗しますが、あの山本モナさんについて、語って頂けたら…と、厚かましくも希望いたします。
「相手の男性に妻と小学生の娘が居ることを知りながら、不倫関係になるのはケシカラン!」というのが、おそらく、世間一般の見方だと思いますが、その反対に、「一度きりの人生だから、好きに生きたら良ろしい。」と思う方も居ると思います。
(僕は、山本モナさんは、節度をわきまえない、ふしだらな人間との印象を持ちました。)
それにしても、思い出すのは、山崎先生の尊父の、「人は、しばしば、自分の一番好きなものによって滅びる」という教訓です。
要は、当事者2名とも、強烈に性欲が強かったということでしょうか?
それにしても、植草氏の1件と言い、理性を忘れると、トンデモナイことになるのだなあと、実感しました。
わがまま勝手なコメントで、申し訳ありません。
私のようなフツウのサラリーマン(2度の転職経験あり)は、12回の転職経験をお持ちの山崎さんが感じる、世の中に対する正義や嫌悪感や怒りや喜びが、とても間尺に合うのです。ニュース解説の大学教授やアナリスト(これはサラリーマンであったりしますが、どうも世間知らずの印象が強い)に対しては、どうしても、「世間知らず」を感じることが多いです。時間調整役だから
・・・時間調整役だから、言いたいことの半分も言えない、という事情もあるのでしょう。
失礼を承知で言わせていただくと、、、山崎さんのコメントも、めざましテレビだと魅力が半減してしまいます。ロジカルな組み立てと少々砕けたユニークな比喩で興味をそそるその手法は、「活字」や「時間的制約のないネット」がより有用でしょう。あ、言わずもがな、ですね。ご本人が既にお気づきのことでした。
リクエストにお応えして、山本モナさん事件関連のエントリーを立てました。
>オグさま
メッセージ、ありがとうございます。確かに、既存のテレビ番組よりも、もう一歩リラックスした、深い伝え方は出来ないか、と思いますね。ネット+動画・音声というのは良い組み合わせかも知れません。ちょっと調べてみたいと思います。
今回の中止の決定は大変残念に思いますが、収益と株価という経営上の観点及び記者クラブの現状/仕組みの制約からは致し方無いもののようですね。
しかし企業理念を実現する方法は他にもまだあるとも思いますので、是非とも新しいかたちで再開して欲しいもの(今回の決定は一時的な休止)だと、微力ながら心から応援したく思います。
広告に全面的に依存する収益構造だとすると、視聴者側でもそれなりの対応を形ばかりであっても(NHKに聴視料を支払うよりは心的抵抗も手間も要りませんので例えば広告を何件か必ずクリック)するくらいは問題ありませんがそれは本質的なものではないのでしょうか。
(NHKは徴収の為に遂に法的手段にまで訴えると自ら報道していますが、まだまだ先行させるべき自身の体質改善がおおく残っている様におもいますがそれは此処ではさて置き)
有料であっても価値に見合うと思えばGyaOには登録すると思いますが、経営成立を可能にするレベルまで人数が集まるか・どうしたら集められるかのハードルは案外高いのでしょうか?。
もう一つの問題(=休止の原因)と思われる記者クラブの閉鎖性ですが、此れを(短中期で)改革することは望み薄でしょうから、いっその事『各社の報道への評論を通じての解説』に徹してみることに現実性や実現可能性はないでしょうか? 当然GyaOの軸足と座標軸がしっかりしていると言う前提条件付ですが。
そこで一視聴者としてGyaOを如何に活用していたか、を振り返って見ました。
1.GyaOをどう利用していたか:
(1)新聞・雑誌・TV・週刊誌吊り広告等々で平素(場合によってはいやでも)多くの情報に接しているので、関心のある事柄を考察するに就いてのキーポイントや視点を得る&/or確かめる手段として、PC上で他の仕事等と平行して 且つ 繰り返し利用出来る、マルチ タスク メディアとして利用。
(2)一定の保存期間があったので資料として遡って・繰り返し参照(見たい時に見たい物を見たいだけ見る為のArchives)。
(3)NHK等のニュースとニュース解説番組は録画するか放送時間に自分を合わせるかの制約とTV置き場に来なければならない制約がありますが、PCは他の事を平行して出来るメリットがとても大きかったと思います。
2.GyaOに何を期待していたか:
(1)従ってスクープ性・速報性及び事態そのものの動画映像は必ずしも必要無く、他社から購入したものであっても構わないし後付けの画像(静止画像でも)フリップでも十分です。
(2)巷に溢れる事象のうちでジャーナリズムとして重要なものを厳選し時間を掛けてでもその事態をじっくりと観察し見守り(知らぬ間に揮発させない)、視聴者自身の座標軸を形成する一助とし、または座標軸に照らし合わせる為の、更には的確な対応方法を練り上げるor考える為の手段としての機能。
3.画像の必要性に就いて:GyaOも利用可能なものはコスト見合いで貪欲に利用しては(視聴者も自らが自由に勝手にTVで見て来るに任せる方法でも良い)と思います。
(1)関東地方で視聴出来るチャネル数(正確には幾つあるのか数えたこともありませんが)の多さからすると、どうしても動画を見たい時には他のTVのニュース番組を見ればそれで十分と言う気がします(これは居住地域で差がでるものでしょうか? しかし記者クラブでの収集であればどこの局のものでも大した相違は無いとも思います)。
(2)福井総裁の記者会見・村上容疑者逮捕の映像・ホリエモン仮出所の姿・内閣総理大臣の官邸登場シーン・事件を起こした組織長の謝罪シーンetcは別にGyaOに無くても支障は無さそうです。寧ろ押し合いへし合いの見苦しい映像と音声には何らの価値も見出せず 見たくもありませんがこれは少数派意見かも知れません。
(3)其れよりも主体メディアの話題選別眼、及びその話題の扱い方(優先順位の付け方と粘着性)が一番の選択ポイントです。
(4)帰宅・夕食後『ながら仕事』(=学生時代のラジオ聞きながら勉強の類型です)をしながらの(視)聴で重視するのは報道番組をリードし論説する方とコメンテーターの方の分析や補足で、語りの補強手段として静止画や図面(経緯や関係を示すもの)やフリップこそが有用です。
以前試したことがあるのですが、TVニュースの音を消して動画だけを見ることと、逆に画像を消して音だけを聴く場合を比較すると後者の方が遥かに意識・記憶に響くものです。
報道の客体が動画で一層鮮明になるかとの思い違い・勘違いは寧ろ映像を作成報道する側の意図に大きく操作される結果を招くとの危惧を持ちます。
リード役、解説者、コメンテーターの方々の動画は見る側との一体感の形成に大いに役立ちますが、実際には申し訳ありません私の場合は、馴染みの方の場合GyaOをPC上で流しながらWordやExcelを動かしているというのが実情で対話相手のゲストの発言に『違和感とかひっかかりの様なもの』を感じた時に視線を画面に戻したり、もう一度繰り返して確かめたり出来ることが本当に重宝です。
解説者・コメンテーターの方々に対する視聴者としての選り好み(用語ご容赦)は視聴以前に出来上がっていて、視聴するのは評価している(偉そうで御免なさい)からと言うのが一般的ではありますまいか。
4.Watchシリーズは日頃は余り接点の無い話題(しかし世の流れを知るには有用なもの)もあって楽しませて頂いておりました(サッカーと健康watchは今日現も見れますがこれらもいずれ無くなるのでしょうか?)。
5.リード役・解説者との打ち合わせコストの点ですが、これはGyaO側の一応の基準審査や基本的擦り合わせを経ていれば寧ろ自由にした方が面白いし、ゲストとの論戦になればそれはそれで番組とゲストの座標軸を一層鮮明にするので有益と思います。
GyaO作成サイドがFocusしていなかった想定外視聴者からの意見かとも思いますが、ご参考になれば幸いです。
既に多くの方々からの寄稿で論点は出尽くした後のこととて遅れ馳せとなりましたが。
いらしゃいませ。お待ちしてました。
速報性や動画よりも、ニュースがクリッピングされていることの便利さと、幾つかのニュースに対する感想も含めた深掘り、を追求すると面白そうですね。
自分が関わっているもののイメージでは、「週刊SPA!」の「ニュースコンビニエンス」という、毎週選者がニュースのベスト10を選んで、ベスト5にやや詳しく触れる連載(評者は4,5人の持ち回りです)があるのですが、あれをTV番組化するようなイメージです。
オーソドックスなTV番組をやった人は、どうしても動く映像をほしがりますし、特にニュース番組では、内容がコントロールできない遊びの時間を嫌いますが、ゆっくり考えながら話すような番組でも、最低限のニュースのコンパクトな要約があればいいのではないかと思えますね。
これが、地上波のニュースの時間以外に、好きな時間に再生できるなら、結構便利かも知れません。(もちろん、忙しい人は、後半のじっくりトークを飛ばすといい)
恐れ入ります。
>>速報性や動画よりも・・・・・・面白そうですね>> 山崎さんが正に一行で言い尽くされた通りです。
過日すでに別のEntryで『週刊SPA!』のことに言及されていましたが、今日始めて10/10号を購読してみました。
そうですね『ニュースコンビニエンス(NC)』の様な企図・構成が視聴者に多くのヒントや視点を与えて呉れると思います。
また同時にこの号のP32-33の神足祐司氏のニュースコラム(NC) (幼稚園児と保育士が死傷した埼玉県川口市の交通事故の解説)にはインパクトがありました。NHKのニュースからだけでは思い至らなかった点 (=園庭がない為に園児達を公園に引率せねばならなかった事と道路交通事情のくだり)には如何に一部分しか見えていなかったかを痛感させられました。
もう一点週刊SPA!流の構成に就いては、矢張りお堅いニュースだけでは充分な定期購読者や収益を得られない、それ故に『グラビアン魂』等のその他コンテンツも同居の形になるのでしょうが、GyaOの再開版に関しては(NC)だけのものの方が良いなとも思います(尤も取捨選択して試聴出来るので問題ありませんがAccessし易く且つ格が上に感じられます)。
消費者側の経営を考えなくて良い勝手ではありますが。
「堅いだけでないコンテンツ」は、私も、好きです。筋が通ってさえいれば、遊びがあるのは、大いに結構なことではないでしょうか。何をやるにしても、楽しくやりたいですね。
もっとも、「グラビアン魂」みたいなコンテンツは、自分が何に興味をもっているかを晒すので、よほど気の利いた作りになっていないと、恥ずかしいだけで終わってしまいますね。エンタメ、侮るべからず、でありましょう。
「エンタメ」との言葉に我慢できませんでした。嘘です(笑・いや何割かは本気です)。
以前から思っていたことなのですが、よくワイドショーなどで、新聞各紙を朝刊・夕刊とりまぜて、記事を比較して論評したり紹介してますよね。あれはTV側のコスト削減やクレーム迂回が本音のような気もするのですが、あれの動画版って出来ないんでしょうか?
国民的な事件について、電波上で好き勝手、論評してるわけで、その報道姿勢を論評するという報道スタイルは、論理的には同じだと
思うのです。たとえば「放送画面を引用と明示的になるよう画質を多少落としてクレジットと一緒に流しつつ、画面分割や直後に、クリアーな画像でコメントを入れる」とか…
それとも、上記の記事紹介に雑誌の記事紹介を見かけないところからすると、その都度、申請と了解(や支払い)があって、やっているのか‥
(つまり雑誌のように局側が断れば不可なのかな? にしても、局が新聞社に払っている額が手頃なら、可能じゃないかと…逆にそんなにかけ離れた額では言いにくいですよね局側も)
で、これってネット人種には存在自体がけっこう面白い(エンタメ)なネット「報道番組」になると思うんですけど…
最近、ゆうちゅうぶでTV画像がUPされて削除されてますが、局の姿勢を報道して「論評が主な報道だ」となれば、断りにくい気もします。
まぁ完全に軽い思いつきなんですが、法にお詳しい方のご意見を聞いてみたい気もします。というか、どこもやってないグレーゾーンはやったもん勝ちか、お縄になるか、事前にお伺いをたてたらダメになるのかな…
PS
ちなみに、雑誌「ダ・カーポ」がそういうコンセプトのタイトルで、当初はそういう
作りだったと聞いたことがあります。
「エンタメ」という言葉(今回はあくまでも「グラビア」を評したものですが)は、それ自体としてもあんまり優れた言葉使いではないですね。反省。。。
新聞の場合は、基本的には引用自由なのではないかと思うのですが、誰かTV関係者にきいてみたいと思います。法律が許し、ヤル気と時間と体力があれば、毎朝新聞各紙を勝手に評する「番組」をネットに流すことも可能です。
もちろんGyaOでもそんな作りの番組なら、大幅に低予算で出来ますね。
(本当にひょっとしてなのですが、)私が
「『エンタメ』との言葉に我慢できませんでした」と書いたのは、
「わ~い! メディアのエンタメのネタだ!! 俺のフィールドだ~!!!(嬉)」という意味で使ったので、山崎さんの「エンタメ」という言葉遣いに、感情を害したという意味ではまったくありませんです。
私は基本、特にネットでのポップな言葉遣いに(その質の上下問わず)肯定的なので…
もし誤解されたとしたら、ふだんの私の山崎さんへの絡み方が印象悪いのか、文章が下手なのか…読み返してみたのですが…両方のような気もしますね(泣)。
もしもですが、誤解されていたら気にしないでください。
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で、ついでに言うと、例の不倫騒動コメントの、反響すごいですよね。
皆さん、議員は全人格が判断されるとか、報道人が取材対象にけしからんとか、色々あるとは思いますが(そして前も書いたように私もそれらの点はそのとおりだと思いつつも)、
やっぱり、有名人の、美男美女の、肉感的な、セコい密会資金の、不倫、という(おかしくも哀しくも色っぽい)人間の人間たる人間くさい事件にずいぶん反応してしまってますよね。
これ、お行儀のいいだけのジャーナリズムにはない「可能性」でもあるのではないかと思っています。私は、フライデーの第2弾、「公道キス連写一部始終」に思わず笑わせてもらいました。もちろん同時に娘さん他ご家族はたまらんだろうなとも思ったのですが…
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また逆に、他の方が触れた毎日新聞の西山事件では、国家が国民に隠した機密を盗るために、記者が取材対象者に色仕掛けという不貞をはたらいていたのも事実だと思います。
モナさんには、どうもそういう意図はなかった(たんに有名人好き?)印象もしますが、
ジャーナリズムには、スクープのために密着する、という要素もあるのではとも思います。
アメリカのTVドラマなどでは、取材対象と取材者がいつのまにか恋仲になってしまい、本気でつきあいつつ、そしてお互いに一線を引こうとしつつ、それでも耳にしてしまったスクープに、断腸の思いで裏切りながら抜く、そして元来記者のスクープ欲だってある、という場面を見かけますよね。
私は、そういう人間くさい、一筋縄ではいかない世の中のほうが好きです。
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しかし、「悪い点は悪い」という「まっとう」なジャーナリズムも必須です。
西山事件も、政権によって、国家の嘘より情事にフレームアップがいってしまったことが、その後の国民の外交意思決定を歪んだものにしてしまいましたね。
で、これ、しつこいようですが、安倍氏と中川氏のNHK介入騒動も同じ構造でした。私は、そろそろ例の本田記者は取材テープをTVかネットで公開し、社を辞めても本望なのではとお節介ながら思います。(どうも業界で評判に芳しくないところもある記者のようですが、読者フォーラムに左遷されて腐るぐらいなら、啖呵を切って欲しいといういうのは、酷でしょうかねぇ…)
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このコメント、例のところの方がふさわしいかもしれませんが、個人的には多岐にわたる内容だと思い、ここにしました。
嘘です(苦笑)半分は逃げです。すみません。
安倍・中川のNHK問題は、ほぼ同趣旨の話を、SPA!の来週号の連載記事の中で触れることにしました。
愛国二団体の抗議を受けた局が政治家に相談し、政治家は調整をはかった。天皇有罪のシーンは切るから、手荒なことはしないでほしい。
たぶん、天皇有罪のシーンが流れたら、右翼諸君はなんらかのアクションを起こしたと思う。違うかなあ、諸星さんよ。
安倍ちゃんのブレーンだそうな、クローン山羊先生が、天皇タブーとは天皇の身体性に関するタブーだと理解しているのかいないのか、Y染色体などというブツその物を持ち出すことで物語をぶっこわしてくれたので、現在の天皇タブーは、昭和天皇タブーでしかない状態になった。
話がそれた。何の話やったかな。そや、スパの話にしよう。
何も足さない何も引かない仕方ない主義のシングルモルトな人間だから山崎と名乗っているわけではない山崎さんへ。スパの編集部にお伝えください。
スパは以前、三重県の売春島を取材したにも関わらず、島の名前、地方すら曖昧にしておりました。特定地域のイメージダウンを避けるという態度は分かりますが、アサ芸はちゃんとスポットとして紹介しております故、以後は名前を伏せないでください。
島の名前は書かなくてもいいのです。県の名前を書きなさい。そうしないと、売春島をおめこぼししている所轄が特定できません。所轄さえ特定できれば、世界的人権団体が乗り込みますから、以後、よろしくどうぞ。
「シングルモルト好きだから、私は山崎と名乗っています」という自己紹介は使えそうですね!ありがとうございます。お会いする機会があれば、一杯ご馳走します。
もっとも、本当に名乗れるなら、タリスカーとかラガブリンとかアードベッグとかを名乗りたい所ですが・・・。
いつかおごってはもらえると思うがおごってもらえるような服装になるまで、まだ二年ほどかかると思う。友人がスーパー銭湯に誘ってくれるときしか、風呂入らんからわしゃ、まじで。社会復帰を待ってくれ。
では、二年間お待ちしてます。美味しいのを探しておきます。もっとも、別にシングルモルトでなくて、一升瓶で茶碗酒でもいいですけどね。