評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
葬式とお墓について
新年向きの話ではないが、葬式とお墓について私の考えを述べたい。
私は、結婚式、葬式などの「式」には出席しないことを基本方針としている。時間が惜しいからということもあるが、パーティーや飲み会は好きだしよく出る方なので、要は「式」の部分が気に入らないのだ。
たいていは、お祝いなり、香典なりを金一封送って、式は欠席させて貰う。
結婚式は過去20年くらい出た記憶がない。記憶にある最後は、会社の友人の二回目の結婚披露パーティーだったと思うが、それ以来出席していない。
私は現在52歳だから、同年代の友人が結婚することは少ないし、まだ子供が結婚する年でもない。そんなこともあって、ここしばらくお祝いも送っていない。
私自身も結婚式はやっていない。
「結婚する」と北海道にいる父親に言ったところ、彼が東京にやって来て、「親戚への挨拶ということもあるから、結婚式くらいはやれ」と言った。
私は、「いいや、式はやらない。神社も教会も嫌いだし、だいいち他人をたくさん呼んで、面白くもないパーティーに時間を使わせるのは、社会的罪悪だ。出席者の分も含めて、機会費用を計算するとたいへんな額になる。加えて、あのような下らないセレモニーに何百万円の掛けるということが、カネの使い方として納得しがたい」と言った。
父は、「カネは俺が出す」と言う。
しかし、「誰がカネを出すかではなく、結婚式自体がカネに値しないと言っている。あんなものが本当にいいことかどうか、一日頭を冷やして考えてくれ」と言い返した。
翌日、父がまた現れた。「俺もよく考えた。お前の言うことはよく分かった。ならば、結婚式用にとおもっていたカネだけやるから、好きに使え」と言う。柔軟に意見を修正することのできる点は、我が父ながら、感心だ。数日後、本当に結婚式費用程度のお金が振り込まれていた。当時、ほとんど貯金を持っていなかったから、これは本当に助かった。
仮に、私が、政治家や俳優、あるいは相撲取りででもあれば、仕事の一部として結婚式をやるだろうが、かつて、或いは今の仕事なら、結婚式はしない方がずっと合理的だと思っている。後輩や、学生にも、結婚式はできればしないほうがいい、と勧めている。
葬式にも、基本的に出ない。そう決めているのだが、方針を貫ききれない場合もある。昨年、今年と、一回ずつ親戚筋のお葬式に出た。どちらの葬式についても、主催者に不満があるわけではないのだが、出席していて、違和感を覚えた。二つとも、仏教形式の葬式なのだが(宗派は異なる)、端的にいって、私は仏教を信仰していない。それなのに、仏教のセレモニーに従って式に参加している自分が不愉快だ。そして、信仰心なしで葬式を眺めると、奇妙な出で立ちで経を唱え、さらには下手な話の説教までする坊主と、あれこれいちいちカネを取る葬儀屋のサービス業としての姿勢と価格設定に納得が行かない。
そして、葬式に出ながら考えた。
「これから、自分の結婚式をすることは(たぶん)無いだろう。問題は、葬式であり、墓だ」
幸い、私の両親は札幌で二人とも健在だ。碁(アマ4段くらい)を打ち、絵を描く85歳の父と、ゴルフ三昧(調子がいいと80台)の76歳の母だ。彼らが元気なうちに方針を決めておきたいし、もちろん、万一自分が先に死んだ場合の問題もある。
問題の概要は以下の通りだ。
(1) 葬儀。 私は自分の葬儀はして欲しくない。死んでから「偲ぶ会」なんてやって貰うよりも、生きているうちに一緒に酒でも飲む方がずっといい。目下、父は自分の葬儀は簡単にやって貰いたいというくらいに思っている公算が大きいが(改めて聞いてみないと分からないが、近年、軟化してきたようだ)、私は、できれば父の代から葬式抜きの形を確立したい。
(2) お墓。 現在、山崎家の墓は、北海道の某寺にあり、この外に永代供養納骨堂のスペースが「一箱」ある。後者は、寺のセールスに負けて、かつて父が百万円以上出して買ってしまったらしい。何れについても、年間数万円の維持費が掛かる。父は、自分の場合、寺の一般向けの納骨スペースに入れて貰ってもいいと最近言い出しているらしいが、この点も本人の意向は改めて聞いてみないと分からない。母と妹は、自分たちは父と同じスペースに入りたいといっている。私は、子供たちが望むなら同じ場所でもいいが、出来れば散骨して貰うか、あるいは共同で無名の人の骨が収容されているところに入りたい。
(3) 寺。 母から過去の経緯を聞いて判断するに、現在の寺が不愉快である。一軒家(墓)にすむ住人に、もう一つマンション(永大供養ボックス)を売るがごときセールスも不愉快だし、坊主の人格もよろしいとはいえない。しかも、近年商売っ気を強めており、頼みもしないのに彼岸に仏壇を拝みに来て、短時間でカネをまきあげていくようになった。この寺とは、即刻絶縁したい。しかし、先祖の骨を質に取られているし、墓には「原状回復費用」が発生するのかも知れない。もちろん、これまでこの寺と付き合いがあり、多大な出費をしてきた父との話し合いもある。
私は、自分の死後の処置に関する「遺志」は、古くから割合はっきりしている。高校3年生の時に、母方の祖父の葬式に出て以来、葬式は下らないもので、商売としての坊主は賤しいものだと思っており(純粋に宗教者としての坊主には敬意を持たないでもない)、自分の葬式は絶対にやって欲しくない。
骨の始末は遺族が考えればいい。敢えて「夢」を述べてみると、フィリピン沖のニホンウナギが産卵するらしい海域にでも散骨してくれると、ウナギを食って、ウナギに食われて、人生が美しく完成するような気がするが、こういう余計な希望は言わないのが、残されるも家族への思いやりだろう。
自分の家の代々の納骨スペースに納まるか、どこの馬の骨か分からぬ無名の人々と一緒に共同の納骨スペースに納まるかに関しては、ほぼどちらでも良いが、敢えて選べば後者だ。死後に魂があって(そんなもの信じていないが)骨の近くにいるとした場合、家族とはいえ同じ人と四六時中顔を突き合わせているよりも、賑やかな居酒屋のように、いろいろな人の中にいる方がいい。子供たちも、同じように、開放的に考えてくれるといい。
なお、百歩以上譲って、死後に魂があるとした場合、自分の墓だの骨だのにこだわるようなツマラナイ魂なら、生きているうちから心配してやる価値もない。
結局、残された問題が三つある。
(A)最も簡素で坊主も神父も関与しないサッパリした死体の始末にはどのような方法があるのか。費用は幾らか。誰に連絡したらいいのか。
(B)寺にある墓を「解約」する手続きと費用。加えて、その後の骨の始末場所にはどのような選択肢があるか。
(C)関係者の説得と合意作り。
確か、昨年の週刊ダイヤモンドでこの種の特集を組んだ号があったと思ったが、あいにく先日の引っ越しの際に捨ててしまった。これから、自分で調べてみようと思っている。
私は、結婚式、葬式などの「式」には出席しないことを基本方針としている。時間が惜しいからということもあるが、パーティーや飲み会は好きだしよく出る方なので、要は「式」の部分が気に入らないのだ。
たいていは、お祝いなり、香典なりを金一封送って、式は欠席させて貰う。
結婚式は過去20年くらい出た記憶がない。記憶にある最後は、会社の友人の二回目の結婚披露パーティーだったと思うが、それ以来出席していない。
私は現在52歳だから、同年代の友人が結婚することは少ないし、まだ子供が結婚する年でもない。そんなこともあって、ここしばらくお祝いも送っていない。
私自身も結婚式はやっていない。
「結婚する」と北海道にいる父親に言ったところ、彼が東京にやって来て、「親戚への挨拶ということもあるから、結婚式くらいはやれ」と言った。
私は、「いいや、式はやらない。神社も教会も嫌いだし、だいいち他人をたくさん呼んで、面白くもないパーティーに時間を使わせるのは、社会的罪悪だ。出席者の分も含めて、機会費用を計算するとたいへんな額になる。加えて、あのような下らないセレモニーに何百万円の掛けるということが、カネの使い方として納得しがたい」と言った。
父は、「カネは俺が出す」と言う。
しかし、「誰がカネを出すかではなく、結婚式自体がカネに値しないと言っている。あんなものが本当にいいことかどうか、一日頭を冷やして考えてくれ」と言い返した。
翌日、父がまた現れた。「俺もよく考えた。お前の言うことはよく分かった。ならば、結婚式用にとおもっていたカネだけやるから、好きに使え」と言う。柔軟に意見を修正することのできる点は、我が父ながら、感心だ。数日後、本当に結婚式費用程度のお金が振り込まれていた。当時、ほとんど貯金を持っていなかったから、これは本当に助かった。
仮に、私が、政治家や俳優、あるいは相撲取りででもあれば、仕事の一部として結婚式をやるだろうが、かつて、或いは今の仕事なら、結婚式はしない方がずっと合理的だと思っている。後輩や、学生にも、結婚式はできればしないほうがいい、と勧めている。
葬式にも、基本的に出ない。そう決めているのだが、方針を貫ききれない場合もある。昨年、今年と、一回ずつ親戚筋のお葬式に出た。どちらの葬式についても、主催者に不満があるわけではないのだが、出席していて、違和感を覚えた。二つとも、仏教形式の葬式なのだが(宗派は異なる)、端的にいって、私は仏教を信仰していない。それなのに、仏教のセレモニーに従って式に参加している自分が不愉快だ。そして、信仰心なしで葬式を眺めると、奇妙な出で立ちで経を唱え、さらには下手な話の説教までする坊主と、あれこれいちいちカネを取る葬儀屋のサービス業としての姿勢と価格設定に納得が行かない。
そして、葬式に出ながら考えた。
「これから、自分の結婚式をすることは(たぶん)無いだろう。問題は、葬式であり、墓だ」
幸い、私の両親は札幌で二人とも健在だ。碁(アマ4段くらい)を打ち、絵を描く85歳の父と、ゴルフ三昧(調子がいいと80台)の76歳の母だ。彼らが元気なうちに方針を決めておきたいし、もちろん、万一自分が先に死んだ場合の問題もある。
問題の概要は以下の通りだ。
(1) 葬儀。 私は自分の葬儀はして欲しくない。死んでから「偲ぶ会」なんてやって貰うよりも、生きているうちに一緒に酒でも飲む方がずっといい。目下、父は自分の葬儀は簡単にやって貰いたいというくらいに思っている公算が大きいが(改めて聞いてみないと分からないが、近年、軟化してきたようだ)、私は、できれば父の代から葬式抜きの形を確立したい。
(2) お墓。 現在、山崎家の墓は、北海道の某寺にあり、この外に永代供養納骨堂のスペースが「一箱」ある。後者は、寺のセールスに負けて、かつて父が百万円以上出して買ってしまったらしい。何れについても、年間数万円の維持費が掛かる。父は、自分の場合、寺の一般向けの納骨スペースに入れて貰ってもいいと最近言い出しているらしいが、この点も本人の意向は改めて聞いてみないと分からない。母と妹は、自分たちは父と同じスペースに入りたいといっている。私は、子供たちが望むなら同じ場所でもいいが、出来れば散骨して貰うか、あるいは共同で無名の人の骨が収容されているところに入りたい。
(3) 寺。 母から過去の経緯を聞いて判断するに、現在の寺が不愉快である。一軒家(墓)にすむ住人に、もう一つマンション(永大供養ボックス)を売るがごときセールスも不愉快だし、坊主の人格もよろしいとはいえない。しかも、近年商売っ気を強めており、頼みもしないのに彼岸に仏壇を拝みに来て、短時間でカネをまきあげていくようになった。この寺とは、即刻絶縁したい。しかし、先祖の骨を質に取られているし、墓には「原状回復費用」が発生するのかも知れない。もちろん、これまでこの寺と付き合いがあり、多大な出費をしてきた父との話し合いもある。
私は、自分の死後の処置に関する「遺志」は、古くから割合はっきりしている。高校3年生の時に、母方の祖父の葬式に出て以来、葬式は下らないもので、商売としての坊主は賤しいものだと思っており(純粋に宗教者としての坊主には敬意を持たないでもない)、自分の葬式は絶対にやって欲しくない。
骨の始末は遺族が考えればいい。敢えて「夢」を述べてみると、フィリピン沖のニホンウナギが産卵するらしい海域にでも散骨してくれると、ウナギを食って、ウナギに食われて、人生が美しく完成するような気がするが、こういう余計な希望は言わないのが、残されるも家族への思いやりだろう。
自分の家の代々の納骨スペースに納まるか、どこの馬の骨か分からぬ無名の人々と一緒に共同の納骨スペースに納まるかに関しては、ほぼどちらでも良いが、敢えて選べば後者だ。死後に魂があって(そんなもの信じていないが)骨の近くにいるとした場合、家族とはいえ同じ人と四六時中顔を突き合わせているよりも、賑やかな居酒屋のように、いろいろな人の中にいる方がいい。子供たちも、同じように、開放的に考えてくれるといい。
なお、百歩以上譲って、死後に魂があるとした場合、自分の墓だの骨だのにこだわるようなツマラナイ魂なら、生きているうちから心配してやる価値もない。
結局、残された問題が三つある。
(A)最も簡素で坊主も神父も関与しないサッパリした死体の始末にはどのような方法があるのか。費用は幾らか。誰に連絡したらいいのか。
(B)寺にある墓を「解約」する手続きと費用。加えて、その後の骨の始末場所にはどのような選択肢があるか。
(C)関係者の説得と合意作り。
確か、昨年の週刊ダイヤモンドでこの種の特集を組んだ号があったと思ったが、あいにく先日の引っ越しの際に捨ててしまった。これから、自分で調べてみようと思っている。
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« 我が、「減量... | サンデル先生... » |
そのときついでに、墓や仏壇も下らないから新しいのを買うな、というようなことを話したのですが、母は欲しそうでした(笑)。
持家や生命保険と同じく、結婚式や葬式を欲する人を説得するのは、その人の今までの持ってた価値観を否定することになり不愉快な思いをさせるし、なおかつ説得に失敗することが多い(経験上)ので、やる価値が薄いのですが、つい口を挟んでしまいます。
山崎さんの聡明なお父様がうらやましいです。
むしろ質素な生活だと思います。そんなに商売っ気はなさそうなので、良かったら連絡してみますか?
でも新潟ですけど・・・・
いろいろ見積もりしてみました。
結局私の見た感じでは
ベース費用+参列者1名1万円が
相当大雑把な相場っぽいですね。
普通の業者に頼むと、
もっと高い金額になるんでしょう。
山崎さんの葬儀なら参列者も多いだろうし
かなりの金額になるんじゃないかと
思いました。
この前も親族の葬儀がありましたけど
金額も確認しないまま
ドンドンオプションが
付け加えられて行っていた感じです。
身内で創業社長をやってた者もいましたけど
次期社長候補のお披露目、
社交場の意味合いもあってか、
社葬として盛大に行い
地方都市で700万か800万の請求が来ていました。
新車を買える位の金額が
マトモな料金確認も無く業者の口車で
時間に流されながら進められていく
驚くべく業界だなと思います。
しかし、実際にそういう考えを言ったところで分かってくれる人はごくごく一部の視野の広い人だけですね。
最後の問題点、特にAに対する答え(解決策)を私も知りたいと思っていました!
現状、葬儀屋に頼んで処理(埋葬)するしか方法がないように感じています。
生きているうちにやり方など調べて、家族などに伝えておきたいものです。
たぶん、かなり安い方法で葬儀が行われているんじゃないでしょうか?
葬儀をしないで亡くなってから直に献体する例も近年増えていますので、山崎さんの希望にはかなり合致するように思えますがいかがでしょうか。
いつも楽しく拝見しております。
仰る通り!という感じなのですが、年寄り世代の結婚式、葬式はやるのが当たり前だ、という頭にこびりついた考え方を変えるのは難しそうです。笑
また、葬式にかんしては、残された人達の為にある(死を受け入れる為の儀式)のだとすると、私が自分の葬式は必要ないと言っても、「あなたの葬式をしたい」と言う申し出を断わるのは少し可哀相な気もします。
せめて葬式以外の、もっとシンプルで費用がかからない(さらに湿っぽくならない)儀式があればいいなと思うのですが‥
↑
ここに書いてしまった以上、たぶんいつか家族に伝わりまっせ(笑)
自分は父から、「先祖代々のあの墓に入るのは窮屈すぎるから、沖縄の海にでもこっそり散骨してくれ」と酒の席で言われました。。
けっこう由緒ある寺の墓で、うるさい親戚もいるし、酒の席の戯言の可能性もあるので、アルコールの入っていないときに本気だったのかどうか確かめようと思いつつも忘れていたことを、このエントリを読んで思い出しました。
ありがとうございますm(_ _)m
私の周りの人々を見回してみると,死生観に真摯に向き合っている人は極少数です.(般若心経を暗唱するほど仏教大好きな父が,「あの世にお金を持って行ける」などと生臭いことを言い出すのには驚愕しました.)
ですのでイザというときに,彼らが急に神様仏様にすがりだし,寺や葬儀屋にぼったくられたり,占い師や霊能力者に入れ込んだり,酒におぼれたりするのは仕方のないことだと思います.
翻って,山崎さんほど死生観について真摯に考えていらっしゃる方が身近にいれば,どれほど心強いことでしょうか.
人が死生観に真摯に向き合い,死に対して鷹揚に構えられるようになれば,形骸化した葬儀などせずとも心安らかにいられるでしょう.山崎さんが現にそうなのでしょうし,山崎さんの身近な方々もそうなられれば,(C)の問題は自ずと解決するように思われます.
以上,世間知らずな若造のたわ言でした.つまらないとお思いでしたらお読み捨てください.
Aについては、一切の儀式等を行わず、遺体を火葬するだけの「直葬」と呼ばれる形式が、都市部を中心に広がっています。
直葬をウリにしている業者もありますので、いくつかの業者に資料を送るように依頼なされば、実現は容易だと思います。
日経BP「直葬」の流行 http://bit.ly/g1XURH
Bについては、墓を移転する「改葬」にあたります。
行政的には、墓が現在ある市町村に改葬許可を申請する必要があります。
新たに移転させるという意図ではないようですと、自宅に保管するか、散骨・樹木葬や集団埋葬ということになると思います。
大野屋「お墓の引越」http://bit.ly/fGFZLH
昔であれば日々の暮らしにいっぱいいっぱいで、冠婚葬祭くらいのイベントがないと集まることも少なく、そこでのコミュニケーションが楽しみであったのかもしれません。
ほとんど皆がやるから自分もやるであろうという確かなんだか不確かななんだかよくわからないものに多額の費用を投じていた時代が変わりつつある今なんだと思います。
うちの場合、田舎が長崎ですので生まれたら自動的にカトリック信者にならされていましたが、葬式にはほとんど費用がかからないようです。
しかし、自分のときにどうしたものかとは思いますね。
(参考:日本と海外の祝儀について述べられたブログ)
http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/blog-entry-361.html
葬儀・火葬の省力化を目的に献体する動き「葬送依存型献体」が広がって、いくつかの大学では抽選(広島大)や受付制限(東大・島根大)が行われています。
朝日新聞 献体登録20年で倍 http://bit.ly/gLNONr
島根新聞 献体増え登録制限 http://bit.ly/bRTdxX
詳しい手続きは
財団法人 日本篤志献体協会 http://bit.ly/boTdMQ
をご覧ください。
車一台買えるかもしれないけど、あの自分が主役のエンターテイメントはなかなかお金だけで買えるものではなく、価値観の話かと思います。
人生で大抵は一度きりの経験なので、やってみてもいいんじゃないかと思います。お金は後からついてくるでしょ?
少なくとも経験したことない人が後輩にやめろというのは、なんか違和感あります。
http://funeralservice.livedoor.biz/archives/1400308.html
(A)直葬という方法はいかがでしょうか。
費用・方法に関しては拙文で恐縮ですが、こちらを参考にしてください。
http://funeralservice.livedoor.biz/archives/411286.html
(B)お墓を元通りにする必要があると思います。その寺院の出入りの石屋さんに依頼するか、寺がOKすれば大手墓石屋さんに依頼してはいかがでしょうか。自分の経験では30万ほどでした。
先祖代々のお骨の処理は散骨でいかがでしょうか。
http://funeralservice.livedoor.biz/archives/881534.html
フィリピン沖をご希望でしたら(^^;)こちらに依頼してください。
http://www.nyk.com/sankotsu/index_exp.html
(C)お葬式を行わないことに関しては
意外と「故人の遺志」を全面に出せば、近年はすんなり行く傾向にあります。
もちろん慕うご友人がお別れ会を行う可能性はありますが・・・
お墓に関しては残されるであろう人々を説得しつづけるしかありません。
なかなか全てが理屈で説得できる問題ではないので、「墓を人質に取った」寺の商売が成立してしまう訳ですが・・・
それから週刊ダイアモンドの葬儀記事は正直レベルが低いので(^^;)
あまりお勧めしません。
http://funeralservice.livedoor.biz/archives/1266410.html
ただ葬式はともかく、一般的に結婚式をやりたがらない女性(結婚相手)は少ないように思います。
山崎さんはその当たりの折り合いをどうしたのですか?
遺族の方から経済的な問題から直葬にしたいと相談を受けたので、賛成しました。
火葬場に集合、見送り、集まった者でお骨を拾って解散。
立派な葬式でした。
みんなが何百万もかけて葬式を出すのは、喪主が死者に対してお金をケチったと思われたくないからでしょう。
それと、送る側の気持ちの整理をつけるためだと思います。
「もう危ないので、みんな集まれ。」が何度か続くと「おいおい、またか。」みたいになってきます。
お葬式は死者を弔うものではなく遺族が誠意というかこれだけやりましたを周囲の人に示す儀式なのではないでしょうか。
自分は直葬で送って欲しいですが、両親の葬儀を直葬できるかと聞かれれば少し考えます。
永代供養墓というのがあります。
いわゆる共同墓地ですね。
基本的には一時金で済むみたいですし、
どうでしょうか?
まず、式が必要ないという考えはわかりましたが、自分で経験してないにも関わらず後輩等にもやめろというのはいかがなものでしょうか。確かに世間体からやらないといけないと考えている人もいると思いますが、やりたいという意志を持っている人がいないわけでもないと思います。自分は様々な理由はありますが、どちらかといえば必要だと思っています。
どうしても山崎先生のブログを読んでいると、どうしてもご自身の考えを他人に押しつけている印象を持ってしまったので気になりました。
また、仏教に対しても大変誤解があるようです。上手い下手は僧侶自身の問題ですが、行っていることは一つ一つ意味があってのことなので、一方的に否定はしていただきたくありません。
大変失礼ですが、ブログを拝見していますと、仏教に対する知見があまりないように感じたのですが、少しだけでも触れてみたら印象が少しは違うのではないかと思います(お忙しい中そのような時間を取ることは無理かと思いますが。)。
ただ、僧侶の質の低下であったり、仏教の役割が問われているのは私も大きな問題と思っております。仏教に関しては人によって考え方が様々なので、僧侶によって仏教に対する印象も違いますし、難しい問題です。
文章が長くなり申し訳ありません。もうやめます。全く具体的でないので説得力も何もないと思いますが、最も気になったことだけ述べました。
山崎先生のような考えは初めてでしたので勉強になりました。失礼しました。
女性会計士のK女史であれば、ポジティブに考えて困ってる状況からビジネスチャンスと感じるかもしれません。
通信の発展でコミュニケーションにかかるコスト(費用、時間)が劇的に下がっているので、1日ががりの式(結婚、葬式)は、相対的なコストが増大しています。
1日時間を費やさなくても済むIT時代の葬式(結婚)のやりかたが考えだされる方向に行くのではないでしょうか。
結婚式も鹿鳴館時代の欧化政策の影響があるので、今回は民主党政権ではなくて、江戸幕府と明治政府の批判をしているようなものですね。
ターゲット市場(招待客)を絞り、そこにどのようなサービス(出し物)を提供するか考え、損益を計算(必要な費
葬式については、遺された人たちが趣味で決めればいい事です。酒に喩えるなら、高い酒を好む人もいれば、安酒を好む人もいるし、下戸な人も居ます。豪華な葬式をしたい人も居れば葬式をしたくない人も居る、それでいいんじゃないでしょうか。どうせ意に沿わぬ事をされたからと言って墓場から出てくるわけにも行きませんしね。
結婚式は私も夫も不要だと思っていましたが、夫の両親の強い希望で、夫の田舎で行いました。すべて夫の両親が企画し、それに参加しただけです。衣装だけは自分で式の前々日に選びました。うちは家族と親族数人の参加で許して貰いました。参加者は圧倒的に夫側の親族と地域の人達。
今、娘の結婚に直面していますが、できれば家族だけで簡素に人前式で、私の振り袖で行いたいのですが(娘達も)、先方の両親の意向次第です。人によって価値観が違うので、摺り合わせに気を遣います。
お葬式に関しては、実家の父を家族葬で送りました。病院から葬儀社の一室へ運んでいただき、そこで家族で一晩を過ごし、翌日、簡単な家族葬を行い、火葬場へ。 父らしい見送り方ができたと私達は感じています。 母からもそういう送り方をして欲しいと頼まれています。
お墓については、今はまだ納骨していませんが、そのうち京都の本山に合祀してもらう予定です。京都は比較的近いので、また本山も観光地から近いので、家族も参りやすいだろう(参りたければ)と両親で考えました(父は家族との確執がありました)。 私自身も、夫の実家の墓と、両親の眠る予定のお寺へ分骨して入れて貰いたいと娘に言ってあります。死んだらどこでも一緒ですが、一応、どこかに葬るところがあれば、残された者もラクかと思いまして。言い残しておいたほうが、子どもが迷わずに済むのではないでしょうか。
葬式もできれば願い下げにしたい。何度か葬儀に出たことがありますが、商業主義が目にあまることがあります。
しかし、先日あるお寺の方が「葬儀とは故人との別れの場の提供である」とおっしゃるのを聞き、なるほどと思いました。私自身は見送ってもらわなくてもよいのですが(笑)、私の身内が亡くなったとき、友人やかつての同僚が集まり、思い出話を語ってくれたりする場を葬儀が提供するのであれば、否定はしません。
業者が「儲け第一」で葬儀をするのは苦々しい。ですが故人を偲び、最後の別れに来られる方の気持ちは汲んであげたいと思います。
^^またブログ覗かせていただきました
よろしくお願いします
カツオの群れに散骨してほしいと思っています。
自分を構成していた物質が
カツオになって泳ぎ回るのを想像してニヤニヤしています。
ウナギに食われたいというところに強く惹かれました。
あれこれ費用が掛かる事に抵抗があるのは知識不足と先入観でしょうが、そうした不信感の集積として「直葬」が増加しているのでしょう。こうしなければならない、というような事はなく、基本自由なのですから、山崎さんのように生前からはっきりと意思表示をされていれば良いのではないでしょうか。しかし著名な方は亡くなった事を徹底的に「シークレット」にしたまま火葬まで済ませないと、何もしないはずが混乱して大変な状況になることもあります。生前にご家族の同意をきちんと得ておく事をお勧めします。タンスに入れたまま年金欲しさに放置されるのも、ホテルで一千万円かけて「お別れ会」などを営むのも、結局は残された家族次第ですから。
いつも愛読しているブログで葬儀についてしっかりと見解が聞けたこと、大変嬉しかったです。ありがとうございます。私もこの仕事に就いていなければ山崎さんと同じ意見だったと思います。結婚式は否定派ですし、自分がしないばかりか兄貴の結婚式も夫婦で欠席しましたから。
どういう埋葬の仕方で自分の始末をつけるか?
これは考えるまでは簡単でいて、実現段階が誠に厄介な課題です。
何故か? それは一番肝心な時に自分は死人で動けず口無しだからなのでしょう。
葬儀屋はどうしても必要になります。 何故か? 焼場に運ぶまでの算段が素人(殆どの人は素人で経験が無い)には極めて難しい。
①自分の臨終を何処で何時、どう迎えるか、予め決められない。
②死後処理(焼場確保とクルマだけでは無い、お棺準備から冷蔵処置および焼却日までの保管)は素人(殆どの場合は素人でしょう)では実行出来ない事ばかり。
③自宅での臨終は警察の介入がある場合があり病院死より遥かに厄介。
④場合により受けねばならない検死後の復元・納棺・搬送等は出入りの業者に任せる事となる。
⑤病院でも警察でも事が済めば極力早く出て行って欲しい。
焼場での焼却までが済むと、其れまでよりは物理的対応(保管・運搬)は安易になるが、埋葬・散骨には法的制約があり自分の望む形には必ずしも出来ない。
私は骨壷から出して麻袋に入れ上からハンマーで叩いて粉々にして庭に撒いて欲しいのだが、土に返す場所の自由は無いらしい。 また家内と息子達からの賛同も未だ得られていない。
死後、焼場直行⇒骨壷自宅持ち帰り⇒粉砕⇒散骨、全行程宗教儀式一切無用までの段取りを既に書式原稿としてPCに収録、自分でセルフタイマー撮影した遺影までは準備が完了しているのだが、散骨が出来ない場合の納骨先に就いては、都内のある寺との契約を現在検討中です。
仮に納骨予約し契約金支払いを完了させたとしても、葬儀社との実地やり取りは家族がせねばならず、他方で果たして、その寺(納骨)組織が私の死期までまっとうな経営状態を維持出来ているものか、本当に一切の宗教的儀式無しに済ませるものか、自筆捺印の書面が残っていても、親戚や家族の友人関係等において家族が私の意思を貫き通せるものか、には全く自信がなく、変な坊主に攻め入られない、厄介な嫌な思いをさせずに済むか悩ましさが纏わり付きます。
私の望む方法と金額で私を埋葬まで確実に面倒を見切れるフューネラルマネージャーを予め確保する事は難しそうです。 でも、まあ死んだ後の事を其処まで重く真剣に悩む気力も維持が難しそうです。 毎日を楽しむ事しか、最近富に、考えていません、ハイ。
そうそう、現在家族が入っている寺との解約の件ですが、実際には墓場を更地に戻し、移葬先を確保しておく事が必須で、石屋と寺の強固な結び付きは新規参入障壁が高く、同じ宗派が移葬先の場合、横の連携が先方側に結構効果的効率的仕組まれているようで、これも大変です(此れ私の実体験の範囲内での話ですが)。
一律一人五万円で国・自治体が全国民を対象に火葬場から埋葬場所までを確保すべきではなかろうか、都の墓地は長年の都民でも新規手当は不可能な様です。
それから、以上の話はあくまで私自身を対象に話して参りましたが、この手の話題は粗い原案原稿でも良いので書いた物でなるべく早期に近しい家族とオープンに自分のケースとして共有を始めることが肝心です。 切っ掛けに成って、例えば親・兄弟・姉妹の本音を聴けますし、彼等が人からは切り出せない課題に就いて、少なくとも考え始める端緒にもなり、自然に話し合いが出来ることも有り得ます。
自分の葬儀については、山崎氏と同じような希望を持っています。夫も同じです。で、一度話し合ったことがあるので、その時の情報をもとに。
1.医学部に献体する場合
事前に大学側と話し合っておくこと。死後に家族が献体をしようとしても、特に著名人や資産家の場合は、不審死の証拠隠滅を疑われて、警察が介入して献体できない場合があります。
なお、病院で病死することが無難です。学術解剖か司法解剖の違いではありますけど。
2.直葬の場合
自治体が、主に生活の苦しい人向けに、20万程度で火葬までしてくれる制度があると思います。お住まいの自治体の役所に問い合わせればいいと思います。
散骨ですが、これも役所または警察に相談が必要かもしれません。場所を選ばないと、散骨をした遺族が死体遺棄罪に問われます。
3.周囲の説得について
奥さまやお子さんは、世代的に抵抗はないと思います。問題は一世代上の方。特に、ご両親より先に亡くなられると、絶対に葬式なしということにはなりません。
私も自分自身は葬式は要りませんが、子供が早すぎる死を迎えた場合、冷静に対応できる自信がありません。ましてや、氏のように、ご両親の自慢の息子の場合はなおさらです。
要は、役所関係に相談するのが一番安くついて無難、なによりお元気で長生きなさって大往生することが、ご希望をかなえられる条件ですね。
準備は整えておき、計画実行は50年後くらいにしませんか。
山崎さんの意見に全く賛成ですが、故人の遺志と
親戚付き合いが難関ですかね。
いちおう前例通りの葬式を仏式であげましたが、
それでも、親戚からケチがつきました。
母が存命中は、そんな親戚も無碍にはできませんしね。悩ましいです。
さも自分の考えの方がが正しい、視野が広い、などの言葉が目についたのであえて言わせていただきます。
高齢者には高齢者のやり方があって、あえて説得する必要はないです。一番やりたい方法でする事が、本人の満足に繋がると思います。個人の価値観に口出しされるのは不愉快でしょう。葬式も結婚も自分の時に自分のやりたい方法ですれば良いじゃないですか(したくない人はしない。葬式は自分自身は存在しないのでどうしようもないですが、意志を伝えれば配慮してくれるでしょう)。
以上です。
おもったのです。
私は 10年何を してきたのか。
ここは とても 私の手に おえるところではない。
と思い至って 実は 投資信託を 探している時に 山崎さんに であいました。
「投資バカにつける薬」「超簡単お金の運用術」「ほったらかし投資術」を よみました。ネット上でもETFって何?から読みました。山崎さんの言われる内容に納得して1306とTOKを4:6で
少しずつ 買うのは 好みでは ないので ありったけ 一度にかいます。ついては
以下について お教え ください。
1)私は 現在64歳です 皆さんが ゴールとしている年齢から 上記を 実行するのは 反対されますか?(目的の 効果が出ない?先が短いから)
2)私は 無知で 能力も ひくいことから本の内容も 何度よんでも 理解できないところが多々 あります
こんな わたしでも できますか?
3)わからないことは すっ飛ばすにしても
しなくてはいけないこと「 「リバランス}は管理上
必要とおもいますが私に できますか?
お忙しいところ すみませんが よろしく お願い
申し上げます
あなたの考えはどーでもいいけど、
他人に意見するのは大きなお世話。
いらっしゃいませ。
ご質問に簡単にお答えします。
1)64歳はまだまだたっぷり時間がありますし、時間が少ないとしても適当なリスクの下に投資を行うことは悪くありません。
2)ご謙遜は理解しますが、投資の成果と投資家の能力は、ほぼ無関係です。敢えて損な商品や無駄な売買に手を出さなければ大丈夫です。
3)リバランスはそう神経質になる必要はありません。1306とTOKのバランスは5:5がいいでしょう。4:6あるいは6:4の範囲に入っていればリスクの大きさに大差はありません。運用状況は時々見て置いて欲しいとは思いますが、たぶん、かなりの期間放って置いても大丈夫でしょう。
要は「大丈夫!」です。自信をお持ちになって下さい。
キリスト教の寄付、イスラム教の喜捨、それらに比べ日本の葬式仏教は死ぬ間際に一括払い。
墓の維持コストも一族の長になってからと宗教コストは人生の後ろ半分に集中してる。
葬儀費用だけみると日本は高いけど、総額ではどうなんでしょう?
生涯にわたって分割払いのキリスト教イスラム教は、後払いの日本よりディスカウントされて当然か。
ただ、葬式や墓を宗教行事ではなく世俗のセレモニーと考えるとやっぱり高い。
夫は80代前半、私達にとって誠に身近な問題、折にふれて話題にしています。
店主様のご家庭と似た部分もありまして、お邪魔する事にいたしました。
我が夫もいそいそとお寺に貢献したほうです。お寺の営業政策に喜ばしく乗ったわけですから、お寺ばかりが悪いとも言えないような気がします。
しかし、私はこのお寺に好感を持てないでおります。
お寺、坊さん抜きで家族だけ、もしくはうんと近い親戚だけのお葬式というかお別れを夫に提案しているのですが・・・。
私の考えではこの際葬儀屋さんのお世話にはなったほうが何かとお別れの形が整うように思われるので子供たちには伝えておこうとおもっています。
意味のあるお金は惜しむべきでないと思うのですがいろんな場面で。
お寺と縁を切れるなら切りたいものだとおもっておりました。同じような考え方をする人がいるのを知り、今年は老いの力を振り絞ってなるべく私達でこの考えを具体化させるべく頑張ってみつもりです。
いよいよとなれば、保険とお寺(坊さんを含む)そして犬の嫌いな息子が控えていますので私達のフンバリが利かなくなった時に乗り出してくれることでしょう。
JMMで違和感が多いので店主のブログに来たと一番初めのときに申し上げたのですが、原因が少しわかったような気がします。
結婚式をされなかった経緯を読んで、ご尊父が喜ぶことをやらない息子が偉いとは思えない。頭は良いので、父親まで上から目線で見ているのでしょうね。恩を仇で返して、式の費用を貰って平然としているのは、守銭奴の部類か?
葬儀も、死んだ人のためではなくて、今までの付き合いのある方の今生の別れの場のはず。別れに来てくれた方がカンフォタブルになるようにしてあげるのが礼儀では。死んでも自分のことしか考えてない、自己中だけの人でしょうね。香典は出すけど告別式に出ないのは、単なるアリバイつくりでしょ。それなら、香典も出すなよなぁ。
ただ、今は皆さん割り切られる方が増えてて献体数が多くなっているそうですが医学部の学生数を増やしていますので、献体需要は増えてくると思います。
献体して医師育成に貢献して頂きましたのちにお骨としたらどうするかもお伝え頂ければ対応します
学生を教えておられますので、ご自身の体が貴重な教材となります。こんな方法もひとつかも知れません。
臓器提供もひとつの方法です。これからはもっとクリアに開かれたシステムになっていくと思います
お墓については母の実家では先祖が土葬されていた事もあり先祖代々をまとめると話してお墓の整理をしていました。 いずれご両親が他界されれば北海道にお墓参りにわざわざいかなくなるので東京にと…お寺と縁を切ってお墓は寺に返上しまう。お金は無駄にしちゃいすが腐れ縁をきるほうが大切かと思います。 世間一般の考えはありますが、ご家族の事なので皆様が納得されるならば良いと思います。
お金は大切です。
使い方として他人の目線を一番優先した式は、無駄が多い。法律上は婚姻届と死亡届けがきちんとなされれば問題はないですね。
よろしくお願いします
でも遠いので近所で埋葬ですね。
http://www.ryobo.org/
です。
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日本では死者に対して“成仏”を願うという習慣があります。成仏の定義や意味は、宗派により微妙に異なりますが、概して言えば“仏陀(仏)”、つまり『智慧を得て真理に目覚めた人』を指すわけですから、生きているからこそ実現可能なのですが、他方、死を無心の状態、物我一如と考えれば、誰でも死ねば成仏するのであり、改めて願う必要は無いだろう。
況や、楽しい心身ともに健康で、生活には多少のゆとりが出ている時間には限りがあり、無駄な事をしている時間など無いという人もいます。だからといって、好き勝手、享楽一辺倒では、彼の世の地獄どころか、此の世で地獄行きになりかねない。となれば、死後の事など考えずに、今、生きている此の世を極楽にするのが良いだろう。では、どう生きるか。それを知り、確信し、実行するのが禅道なのだ。
言い換えれば、本来は通夜も葬儀も供養も不要。死んでから買う戒名など猿芝居である。戒名とは、受戒名の略で、仏道を生きてゆくと誓った者に無償で与えられるのが基本。死んでから買うなど滑稽以外の何ものでもないが、世間の慣習を吉とする者にすれば、死んだら戒名を付けてもらうことで不安を起こさず波風も立たないというのであれば、それなりに意義があるでしょう。
ですから、わしは、求められれば何でもします。しかし、知ってて欲しいのは、葬儀から納骨までの一連が〝演出された白々しい茶番劇″では情けないねと言いたい。
独り言ですが「儂が一人で供養して葬ってやるから、義理で立ち会っているような奴らは帰れ」と怒鳴りたくなることもあります。
ですから父の葬式は、病院から自分の車で市の火葬場へ運んでお骨にしてもらい、つぼに入れて自宅保管、公営墓地が空きしだい埋葬するつもりです。お骨がないと墓地の申し込みができないことが多いです。
山崎さんの場合は、高額な納骨堂を買ってしまった時点で「カネの出せる檀家」として認識されてしまっているでしょうから、縁を切るのは簡単ではないはずです。
仮にお父様の葬式を出すとすれば、盛大な葬式、高額なお布施を要求されそうですね。
縁を切る方法として、山崎さんの住んでいる首都圏にお墓を引っ越すというのはどうでしょうか。「長男が先々管理しやすいように・・」とかの理由をつけて。(長男かどうか知りませんが)ご先祖のお骨は回収する必要があるでしょう。
今朝の読売新聞の「くらし」「シニア」欄に、お墓の引越し手続きについて結構くわしく書かれていますので参考になりますよ。
このコメントが気に入りましたら、短くてよいのでレスをいただけるとうれしいです。
楽天証券、日経、JMMなどいつも拝見しています。
ご教示ありがとうございます。私は長男なので、東京にお骨を回収するというのは、お寺との有力な縁切り手段かも知れませんね。回収した骨をどうするかを考えなければなりませんが、寺以外の共同の納骨施設に入れるか、あるいは、旅行がてら散骨に行くか、4月に父と会うので、相談してみたいと思います。
※ところで、残念ながら、私は、今、日経系のメディアに連載を持っていません(こちらが嫌っているわけではありません)。ご覧になっているのは、ダイヤモンドでしょうか?
山崎さんの著書等から多くのことを学びましたので、
恩返しができたようでとてもうれしいです!
ますます山崎さんのファンになってしまいました。
今後の記事も楽しみにしています!
※週刊ダイヤモンドでした。
たいへん失礼しました・・。
葬式については、残された人の気持ちの整理(次の1歩を踏み出すための儀式)のためだと思っています。私も近親者を失ったので、私の場合は、まさにそうでしたね。。。
あまりこういう事を気になさらない、もしくは、すぐに切り替えることができる、もしくは他の方法で切り替えることが可能であれば、必要はないかもしれません。
私も、別に自分が死んだら、きれいな海にでもまいておけ、という感じですが、残された人たちは気持ちの整理、というか区切り、というのがなかなかつかないのかな、とも思います。なので、残された人の感情を慮って判断することになるかな、と思っています。
それが、定量的に(投資効率とかで)判断すると、無駄、に感じる人もいれば、そうでない人もいる、ということかと思います。
結婚式も同様に、親元を巣立つ、特に新婦の両親などはいろいろと思うところもあると思いますから、本人というよりも、両親のため、なのかなぁ。。。と思っていました。普通に、娘の晴れ姿とか見たいと思うのではないのでしょうかね。このあたりは、人それぞれなので、無駄!という両親もいると思いますから、そのときは、そうしたらいいでしょう。
ただ、式に関する費用は、もっともっと安くてもいいと思います(^^;
今世、お世話になった身体への恩返し、又、命をつないでくださったご先祖様への恩返し、大切なのは≪供養≫です。
日本で唯一の聖地、本当の供養が出来、死んでからは自分の葬儀をどうすることもできませんが、生きている今出来る安心と優しさ。
≪天翔の里≫という聖地で自然葬出来るところがあります。私自身、ここで生前葬をさせていただき、いつ死ぬかわからないがその準備ができたことの安心があるからこそ、今を思いっきり楽しむ事が出来るという幸せを感じています。
詳しいことは私でよければお答えいたします。お問い合わせください。
http://www13.jimdo.com/app/sf2fff0c1a3ae2ea0/pfdd5d949bcc6cfe7/
アドレスを間違っています。
訂正させてください。
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ujrdtuh
abは簡単、遺骨は火葬場へ引き渡してしまえばよいのです。aは拾わない処理、bはお住まいの自治体へ相談すればよいかと。
自身の葬祭は遺言とともに生前に弁護士等に委託されると良いでしょう。