ニュース掻い摘み
選挙の日に合わせて言葉を選ぶなら
これは「足による投票」と言うべき事態。
元々は地方行政サービスに対する言葉であります。
ざっくり言うと、A市とB市があって
A市の方が便利で住みやすくて住民税も安いなら、B市よりA市に住むでしょ、って理屈。
そっくりそのまま雇用動態にも当てはまる話だな、と思ったのが執筆の発端。
30年に渡り、タダ同然で資金を調達し
労働資本を根こそぎ搾り取って蓄財・延命してきた経営者達。
コロナ禍以降の新しい流れに適応できずに
まず「元に戻そうとした」の所にも性根が見え隠れする訳で。
百歩譲って「戻すべきを戻した方が効率的」との合理的判断なら良いが
はたして本当に全ての判断がそうなのか。
「戻した方が(今まで通りだから)楽」と言う感情的判断ではないか?
結局、知恵を出せない経営者と自己紹介しているようなもの。
あまつさえ、自身に知恵・知識がない事を下に押し付ける有様ならば、目も当てられない。
例えば「(具体的に言えないから)フワッとした指示」しか出せない、とかね。
成果が上がってないと「指示」を盾に下を詰める、とかね。
弊社の例ですが
教育・育成を指示したにも関わらず
そもそも社長自身が育成の方法を知らないし、専門知識もないので
外部から部長・役員クラスで人を呼んで対応した話だってあります。
お粗末だなぁ、としか。
結局、若い子はその辺の空気感に敏感なのですよ。
だから「この会社にこのままいて大丈夫なのか」と考える訳で。
これを聞いて「我慢が足りぬ」と年配の方は言います。
でもそれは生存者バイアスなんですよね。
日本の社会は「椅子」社会でした。
良い椅子に座れば良い年収が貰え、その為に勉強し、難癖を付けて奪い合ってきました。
年配の方は、会社も自身も生き残って来たから会社は永続的と盲目に捉えるし
「我慢が足りぬ」と思ってしまう訳で。
でも若い子は今からの事を考えている。
会社の有り様を見て、会社が永続的と信じておらず
仮に会社が続いたとしても
「良い椅子」の価値が、若い子にとって将来を不安視させるレベルの物でしかない、と。
そもそも、大企業で窓際やって所得を抑えつつ資産運用した方が良い、そんな意見もある社会ですし。
金利や物価の上昇は「自然淘汰」という当たり前の摂理を作用させ始めました。
私はこの流れ、歓迎します。
力があっても価値を産めない者は静かに暮らすしかない。
力無くとも価値を産む者は台頭できる。
確かに大変になります。
経験に胡坐をかけば、そこで停滞、即ち後退の世。
「死ぬまで現役」なら「死ぬまで勉強」ですしね。
でも、そういう空気感が醸成される事こそ
日本が生き残っていく為には必要なのではないでしょうか?
口だけで与えられ、約束されるチャンスよりも
自らでつかみ取るチャンスの方が何万倍も価値があると信じて。
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