前任者が退職して以降、朝の7時半に出社して夜の9時まで仕事という平日を送っている。
その上、仕事は一向に減らず、急な仕事は入るし、納期は短縮ばかり要求される。
前時代的な「(身を削って)早い・安い・美味い」を地で行くスタイルは変わらない。
では会社が儲かっているかと言えば、薄氷の上を歩いている様なもの。
前年に大規模な借入を行ってまで本社を新築・移転。
そのツケを払って行かなければならない。
経営者は建て替え当初
「働きやすい環境を整えて、フル活用する事で更なる価値を提供できる」
「これは従業員に対する福利厚生」
そう言ったはずたったのに。
しばらくして実際の経費や金利上昇の影響もあってか
「売り上げを上げられなければ存続できない日がくる」
「だから売り上げ目標はマストで、君たちはもっと頑張らなければいけない」
そう言い始めた訳で。
いやいや。
いやいやいや。
そもそも借り入れする時点で経営計画や試算はどこ行った?
そもそも売上とか納品数でしか業績を見てこなかった業態。
ようやく「EBITDAがどうで」とか言い出したレベル。
世界的な標準を期待するのは…あまりにも酷な事なのか。
※ちなみにEBITDAとは
社員側にも問題はある。
属人的な仕事の振り方に縛られ過ぎてる。
「ここからここは貴方のテリトリー」
役割で業務量が変わってしまう。
逆に言えば、それを利用して楽をする人もいる。
結局、忙しい人だけ忙しいし、楽な人は楽し続けている。
また、知識の継承も頓挫している。
数年前に管理職を異動させて「固定概念の払拭」を図ったらしいのだが
「業務知識まで払拭」されてしまった。
つまり別視点の経験はあっても、物を知らない管理職が増えた。
「これってどうすればいいですか」
こう上司に聞いても具体的に、即時に、解決しきらないのである。
こうなると、その知識を持っていそうな部署に問い合わせるしかなくなる訳だ。
その上、売り上げ目標やコンプラ対応で業務量が増えた事がその流れを加速させた。
部署が部署として解決能力を失えば
所属課員は(会社の看板と仕事に依存した)個人事業主の性質を持ち始めるし
「聞けばいいから覚えなくてもいい、知らなくてもいい」に慣れると
(僕はこれを「他者をメモ化・辞書化する人間」と呼んでいるが)
各個人に知識の蓄積を行う土壌が拡がっていかない。
そして、業務量の増加は「その日暮らし」の考え方を加速させる。
1か月後を考える前に、今日の事を終わらせないと明日を迎えられない。
その日暮らしの考え方は計画を形骸化させてしまう。
経営者層はその危険性に気づいていない。
そして悲しきかな。
需要(外的要因)でうまく行っているうちは、その懸念は全て包み隠されてしまう。
メーカーの看板を背負っているので潰れる事はないだろうが
遅かれ早かれ、大なり小なり、どこかで行き詰まる事になるはずだ…が私の見立て。
それまでに「見切る」か「諦める」かの選択を迫られる事になるはず…。
一方、現状では見切っても私も苦境に立つ訳で。
だから見切るにしても、いくつかの条件を自身に課そうと思ってます。
その辺の話は、また次回に。
(タイトル回収遅すぎマン)