ばぁむさんの資産運用中Plus

インデックス投資+高配当再投資戦略+αで資産運用してみたメモ…の傍ら馬を愛でるブログ

条件を課す①

前任者が退職して以降、朝の7時半に出社して夜の9時まで仕事という平日を送っている。
その上、仕事は一向に減らず、急な仕事は入るし、納期は短縮ばかり要求される。
前時代的な「(身を削って)早い・安い・美味い」を地で行くスタイルは変わらない。


では会社が儲かっているかと言えば、薄氷の上を歩いている様なもの。


前年に大規模な借入を行ってまで本社を新築・移転。
そのツケを払って行かなければならない。


経営者は建て替え当初
「働きやすい環境を整えて、フル活用する事で更なる価値を提供できる」
「これは従業員に対する福利厚生」
そう言ったはずたったのに。


しばらくして実際の経費や金利上昇の影響もあってか
「売り上げを上げられなければ存続できない日がくる」
「だから売り上げ目標はマストで、君たちはもっと頑張らなければいけない」
そう言い始めた訳で。



いやいや。


いやいやいや。


そもそも借り入れする時点で経営計画や試算はどこ行った?



そもそも売上とか納品数でしか業績を見てこなかった業態。
ようやく「EBITDAがどうで」とか言い出したレベル。
世界的な標準を期待するのは…あまりにも酷な事なのか。


※ちなみにEBITDAとは



社員側にも問題はある。


属人的な仕事の振り方に縛られ過ぎてる。
「ここからここは貴方のテリトリー」
役割で業務量が変わってしまう。
逆に言えば、それを利用して楽をする人もいる。
結局、忙しい人だけ忙しいし、楽な人は楽し続けている。


また、知識の継承も頓挫している。
数年前に管理職を異動させて「固定概念の払拭」を図ったらしいのだが
「業務知識まで払拭」されてしまった。
つまり別視点の経験はあっても、物を知らない管理職が増えた。


「これってどうすればいいですか」
こう上司に聞いても具体的に、即時に、解決しきらないのである。


こうなると、その知識を持っていそうな部署に問い合わせるしかなくなる訳だ。
その上、売り上げ目標やコンプラ対応で業務量が増えた事がその流れを加速させた。


部署が部署として解決能力を失えば
所属課員は(会社の看板と仕事に依存した)個人事業主の性質を持ち始めるし
「聞けばいいから覚えなくてもいい、知らなくてもいい」に慣れると
(僕はこれを「他者をメモ化・辞書化する人間」と呼んでいるが)
各個人に知識の蓄積を行う土壌が拡がっていかない。


そして、業務量の増加は「その日暮らし」の考え方を加速させる。
1か月後を考える前に、今日の事を終わらせないと明日を迎えられない。
その日暮らしの考え方は計画を形骸化させてしまう。
経営者層はその危険性に気づいていない。


そして悲しきかな。
需要(外的要因)でうまく行っているうちは、その懸念は全て包み隠されてしまう。


メーカーの看板を背負っているので潰れる事はないだろうが
遅かれ早かれ、大なり小なり、どこかで行き詰まる事になるはずだ…が私の見立て。
それまでに「見切る」か「諦める」かの選択を迫られる事になるはず…。


一方、現状では見切っても私も苦境に立つ訳で。
だから見切るにしても、いくつかの条件を自身に課そうと思ってます。
その辺の話は、また次回に。


(タイトル回収遅すぎマン)

11月の投資状況

11月にご老公が定年と相成った代わりに私がその業務のほとんどを引き継ぐ事となり…
正直、資産額を気にするほどの余裕がなくなっております…。
毎日、7時半に出社して20~22時帰りは流石にきつい…。


そんな状況ですので、ここ2ヶ月では積み立て以外の投資行動はなし。


一方、8月の日銀ショックあたりから資産額はヨコヨコ期の様相。
減ってないならヨシ、のハードルで行くか
増えてないからダメ、のハードルで行くか。
個人のスタイル次第とはいえ、少なくとも増えていない原因の究明はした方がいいかも。



私、基本は「株式会社 わたし」思想です。


営業CFだとか、投資CFだとか、財務CFだとか。
それでフリーCFだとか、推移としてどうなってるとか。
まぁ、決算書で見る項目じゃないですか。


あの発想です。


「お金は使ってナンボ」という思想もありますが
大抵、その言葉を我先に使う人って「使う」の意味を履き違えていて…。


「お金を使う」とは「お金を回す」って意味で
「お金を回す」なら「リターンを得る」のが本質なんですよ。


リターンにも色々と拡大解釈がありますが
極端な話、最終的にお金に変えられなければ、それはリターンではないです。
(「投資」としてお金を回したのであれば、なおさら)
ですから、20万使って月給手取りが15万とかであれば…そりゃ損失・浪費でしょ?と。
(その経験から月給手取り100万とかにでもできない限りは。)


うまくお金を回して(投資CF)
きちんとリターンを得られれば(営業CF)
利益は増やせるはず


ですからうまく行ってないという事は、何かがおかしいと考えた方が良い。
(如何ともしがたい状況もあるとは言え。)



もうひと月もすれば来年のNISA枠が開放になります。
240万をどこから切り崩すかを考えつつ
目的・目標もありますが、一旦はゼロベース・ニュートラルに考えてみようかと。


あとは…iDeCo始めます。
ちょうど事業主証明もいらなくなって申請ハードルも下がった所ですし。
(これがあって始められなかったまである。)
残業時間が増えて手取りが増えたとて国に吸い上げられるなら
控除で相殺して運用しますよ。

ニュース掻い摘み



選挙の日に合わせて言葉を選ぶなら
これは「足による投票」と言うべき事態。



元々は地方行政サービスに対する言葉であります。
ざっくり言うと、A市とB市があって
A市の方が便利で住みやすくて住民税も安いなら、B市よりA市に住むでしょ、って理屈。


そっくりそのまま雇用動態にも当てはまる話だな、と思ったのが執筆の発端。



30年に渡り、タダ同然で資金を調達し
労働資本を根こそぎ搾り取って蓄財・延命してきた経営者達。


コロナ禍以降の新しい流れに適応できずに
まず「元に戻そうとした」の所にも性根が見え隠れする訳で。


百歩譲って「戻すべきを戻した方が効率的」との合理的判断なら良いが
はたして本当に全ての判断がそうなのか。
「戻した方が(今まで通りだから)楽」と言う感情的判断ではないか?


結局、知恵を出せない経営者と自己紹介しているようなもの。
あまつさえ、自身に知恵・知識がない事を下に押し付ける有様ならば、目も当てられない。
例えば「(具体的に言えないから)フワッとした指示」しか出せない、とかね。
成果が上がってないと「指示」を盾に下を詰める、とかね。


弊社の例ですが
教育・育成を指示したにも関わらず
そもそも社長自身が育成の方法を知らないし、専門知識もないので
外部から部長・役員クラスで人を呼んで対応した話だってあります。


お粗末だなぁ、としか。



結局、若い子はその辺の空気感に敏感なのですよ。
だから「この会社にこのままいて大丈夫なのか」と考える訳で。


これを聞いて「我慢が足りぬ」と年配の方は言います。
でもそれは生存者バイアスなんですよね。


日本の社会は「椅子」社会でした。
良い椅子に座れば良い年収が貰え、その為に勉強し、難癖を付けて奪い合ってきました。
年配の方は、会社も自身も生き残って来たから会社は永続的と盲目に捉えるし
「我慢が足りぬ」と思ってしまう訳で。


でも若い子は今からの事を考えている。
会社の有り様を見て、会社が永続的と信じておらず
仮に会社が続いたとしても
「良い椅子」の価値が、若い子にとって将来を不安視させるレベルの物でしかない、と。


そもそも、大企業で窓際やって所得を抑えつつ資産運用した方が良い、そんな意見もある社会ですし。



金利や物価の上昇は「自然淘汰」という当たり前の摂理を作用させ始めました。


私はこの流れ、歓迎します。


力があっても価値を産めない者は静かに暮らすしかない。
力無くとも価値を産む者は台頭できる。


確かに大変になります。
経験に胡坐をかけば、そこで停滞、即ち後退の世。
「死ぬまで現役」なら「死ぬまで勉強」ですしね。


でも、そういう空気感が醸成される事こそ
日本が生き残っていく為には必要なのではないでしょうか?


口だけで与えられ、約束されるチャンスよりも
自らでつかみ取るチャンスの方が何万倍も価値があると信じて。