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「スーダラ節」の大ヒットに目をつけたのが映画界。さっそく1961(昭和36)年末、松竹映画「大当... 「スーダラ節」の大ヒットに目をつけたのが映画界。さっそく1961(昭和36)年末、松竹映画「大当り三代記」で、植木等がワンシーン登場して「スーダラ節」を歌った。年が明けて大映でも「スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねぇ」(62年)でメンバー全員出演するも、人気テレビ・タレントの客演に過ぎなかった。 その頃、東宝で「若大将シリーズ」の脚本を手掛けていた田波靖男は、プロデューサーから「スーダラ節」のレコードを渡され「これで1本作れないか?」と植木主演作の企画を依頼された。 ちょうど田波は、フランキー堺をイメージして「無責任社員」の企画を温めていた。他人の思惑など一切考えずに、自分の出世のためなら手段を厭わない徹底的にドライなサラリーマンのピカレスク喜劇だった。 そのストーリーを「スーダラ節」の植木に置き換えた。それが「ニッポン無責任時代」(62年)となった。酔っ払ってベンチでごろ寝する「ス