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1 近代日本において「社会」という概念装置がどのような社会的状況の中から現れ、そしてどのような役割... 1 近代日本において「社会」という概念装置がどのような社会的状況の中から現れ、そしてどのような役割を果たしたのか。このような問いにたいして、人によっては1920年代における吉野作造の思想的転回について想起するのではないか、と思われます。 吉野は明治38年の時点において「吾人の観る所に依れば国家といふも社会といふも全然別個の観念にあらず。……統治なくしては社会は成り立たざるが故に……社会と国家は別物に非ず」と述べていますが、要するにこの時点の吉野にとっての社会とは、国家という全体性を前提としたうえで、そこから零れ落ちてしまう余剰のようなものでしかなかったと言えるでしょう。それが1920年代に入ると「法律と武力即ち一言にして言へば権力」を根本原理とする「国家」と、それよりも広いカテゴリとしての「社会」とが明確に区分されるようになる[吉野1921]。それをより広い文脈に位置づけるならば、明治期の
2011/01/31 リンク