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昭和19年11月1日(水)から、翌20年8月21日(火)までの生活をしるした日記。このあいだ百閒は奥さんと... 昭和19年11月1日(水)から、翌20年8月21日(火)までの生活をしるした日記。このあいだ百閒は奥さんと共にずっと東京にとどまり、5月25日の夜には自宅を焼かれた。それからは、人の家の庭にあった3畳の小屋を借りて終戦までをやり過ごす。 《○ ナゼ疎開シナカツタト云フニ行ク所モ無カツタシ又逃ゲ出スト云フ気持ガイヤダツタカラ動カナカツタ ○ 何ヲスルカ見テヰテ見届ケテヤラウト云フ気モアツタ》 何を食べたか。何が起きて、何をした。会社に行った、 行けなかった。いつから下痢をしていつまで続いた。天気は何時までこうで、それからこう変わった。ラジオを誰にもらい、しかし壊れてしまった。周りの人間の様子。市街の変化。日記の記述は、なぜ、とあきれるほど細かい。 なにより異様なのは警報の綿密な記録で、警戒警報→空襲警報→空襲警報解除→警戒警報解除、と続く様子が、日によっては何回も、時刻まで添えて丹念に書き付
2011/09/24 リンク