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仏教を聞くとは、何をどこまで聞くのか? 先日、自宅で2回目の法話。 「寺」とは、本来、仏教を聞き「... 仏教を聞くとは、何をどこまで聞くのか? 先日、自宅で2回目の法話。 「寺」とは、本来、仏教を聞き「本当の幸せ」になる場所だと、以前に書いた。 だから、いろんな人が集まり、あたたかくアットホームな中にも、しっかりと法を聞ける場にしたいと願っています。 「寺」に関する記事はこちら: では、何を、どこまで聞くのを、仏教を聞くというのか。 聞と言うは仏願の生起本末を聞きて疑心有ること無し。 と、親鸞聖人は明快に答えられた。 「何を聞くのか?」、については「仏願の生起本末」。 「どこまで聞くのか?」、については「疑心有る事無し」だ。 煩悩具足の凡夫を助けると誓われた「仏願」 「仏願」とは、どんな人も、本当の幸せに助けたい、という仏の願いのこと。 「仏」といってもここで言う仏とは、本師弥陀のことだ。 では、「どんな人も」と言うが、「どんな人も」とは「どんな人」のことか? 「生起」とは、そんなすべての人
2018/02/19 リンク