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北朝鮮の首都・平壌はかつて「東洋のエルサレム」と呼ばれていた。1907年1月に「平安南道<ピョンアンナ... 北朝鮮の首都・平壌はかつて「東洋のエルサレム」と呼ばれていた。1907年1月に「平安南道<ピョンアンナムド>冬季男性査経会」という、聖書を学ぶ集まりが2週間に渡って開かれたのだが、徐々に興奮が高まり、通声祈祷(トランス状態に陥って祈りの言葉を叫びつつけること)や懺悔も相次いだ。それも横領、殺人、強姦など、墓場まで持っていくべき自分の犯罪行為を、何百人もの民衆の前で告白し、許しを請うた。 このことは全国に広がり、プロテスタント信者が急速に増えた。この出来事は「平壌大復興」と呼ばれ、朝鮮半島にキリスト教が広がり、定着する大きなきっかけとなった。背景には、日本に併呑されつつあった当時の朝鮮の不安感があったものと見られる。 ところが、日本からの植民地支配から解放された後の1945年、北朝鮮のトップの座についた金日成は、自らがクリスチャンの家の出であるにもかかわらず、キリスト教の弾圧を開始し、処刑や
2024/04/15 リンク