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2022.09.17 初版 1937年12月に日本軍が当時の中華民国の首都・南京に侵攻した際に、南京のすぐ北側にあ... 2022.09.17 初版 1937年12月に日本軍が当時の中華民国の首都・南京に侵攻した際に、南京のすぐ北側にある幕府山付近で第13師団隷下の山田支隊が多数の捕虜を捕らえた。この捕虜の多くが結果的に殺害されてしまった「幕府山事件」は、いわゆる“南京大虐殺”とされる中でも個別に名称が付けられるほどに特異な事案である。いまだに細部が不明瞭なため、論争になることも多い。 この記事は、論拠等の細かい情報は個別記事を参照してもらうことにして、幕府山事件と呼ばれている事件全体についての考察結果の概要を示す。 結論としては、この事件では2ヶ所の事件現場のみならず、そこへ向かう路上周辺からも多数の犠牲者が出た。また、事件翌日から“自衛発砲説”に基づく説明がなされている。従って、事件の真相は第65連隊の幹部らがいうように捕虜の反乱鎮圧=自衛発砲だったと言える。 1. 幕府山事件とは 2. 関係地点の比定