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日々雑感・つれづれなるままに…、てな感じで。 読書・映画・音楽のことなども。 その他特にこだわらず、... 日々雑感・つれづれなるままに…、てな感じで。 読書・映画・音楽のことなども。 その他特にこだわらず、節操なく。 さて、前回の記事で、「書きたいように書く」論争(?)について書く、と宣言したので、それについて。 でも、その前に僕なりに少し整理しておきたいことがある。 そもそもの発端は、米光一成さんの「ブログ文章術」の記事における「書きたいようには、なかなか書けないのだ。だから書くのだ。」という文章である。 それに対して、僕は賛成したのだけれど、「でも、それってちょっとおかしくないか?」という人たちも居た。上記の米光さんの文章の言わんとしていることが、「なんか理解できない。スッキリしない」ということらしい。 でも、「書きたいように書けない」と言ったところで、そのレベルは人それぞれだ。 「書けない」ってどういうことか、を考えてみたい。 まずは、「書けない族」(命名 by soup2001さん)を
2006/03/01 リンク