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終戦間際の1945年8月、神田家は東京市板橋区練馬(現・東京都練馬区練馬)から、一家で河東郡鹿追村(現... 終戦間際の1945年8月、神田家は東京市板橋区練馬(現・東京都練馬区練馬)から、一家で河東郡鹿追村(現・鹿追町)に入植しました。長男・一明は帯広柏葉高校から東京藝術大学に進学し、卒業後は、北海道に戻って、北海道教育大学旭川分校(現・北海道教育大学旭川校)に勤務しながら行動展や全道展などの公募展で活躍。安井賞の受賞候補になるなど、具象性を残した表現主義的な作風で高く評価されてきました。3歳年下の次男・日勝は、中学で美術部に入り、兄に教わりつつ油彩をはじめ、中学を卒業後は家業の農業に従事しながら独立展や全道展などで活躍。32歳の若さで夭逝したものの、独自の魅力をたたえたその作品は、今日なお根強い人気を保っています。 本展は、日勝の生前は実現しなかった兄弟二人による展覧会です。道立美術館および鹿追町の神田日勝記念美術館が所蔵する二人の代表的な作品を中心に、旭川で活動を続ける一明の主要な作品から近