今年は体調を崩すことの多い一年でした。
もともと私は健康な人間で、体調を崩すこと自体ほとんどないのですが、今年は体調不良が複数回あり、一度はかなり長いお休みをいただくこととなってしまいました。
自分自身ではそれほど意識していないのですが、多忙や加齢などによって抵抗力が落ちているという面もあるのかもしれません。来年は健康に十分留意して病気のない一年を過ごせるよう励みたいと思います。
それでは皆様、よいお年を。
今年は体調を崩すことの多い一年でした。
もともと私は健康な人間で、体調を崩すこと自体ほとんどないのですが、今年は体調不良が複数回あり、一度はかなり長いお休みをいただくこととなってしまいました。
自分自身ではそれほど意識していないのですが、多忙や加齢などによって抵抗力が落ちているという面もあるのかもしれません。来年は健康に十分留意して病気のない一年を過ごせるよう励みたいと思います。
それでは皆様、よいお年を。
久しぶりにはてなにログインしたまさにその日に、こんな情報に接することになるとは思いもしませんでした。
能川元一さんが亡くなったことを、週刊金曜日が報じたそうです。
私がはじめて「はてな的」な話題に言及したのは、Apeman(apesnotmonkeysだったかもしれません)の記事に対する「批判」でした*1。
もっとも、私はそのときの彼の記事に対して特別に関心や知識があったというわけではありません。たまたま記事が目につき、その厳しい筆致に何かひと言いってやりたくなったというだけです。
私の言及内容は、要約すれば、「あなたの言っていることは正しい面もあるかもしれないが、そのような言い方では人々に理解されない」というようなことでした。社会問題を自らの問題として引き受けず、無責任な立場から戦略を云々する。まさに現在の私が批判している態度そのものであり、今から振り返ってみれば恥ずかしい限りです*2。
そのような批判というのもおこがましい言及に対し、彼は、勿論手厳しく反論し完膚なきまでに私を叩きのめすこともできたでしょう。私の言及は不躾であり、そのような対応をされても当然だったと思います。しかし、彼はそうしなかった。私の幼い言及を黙殺してくれたのです。
当時の私は人格的にも未熟で負けん気ばかりが強かったので、もしこのとき手酷く言い負かされていれば、おそらく反発心が先に立ち、無意識的にその反発心を正当化するための知識ばかりを集め論理を構築するようになっていたのではないかと思います。そうならなかったのは、ひとえに彼の温情ゆえであり、そのことに私は深く感謝しています。
*1:Apeman(apesnotmonkeys)と能川さんは同一人物で、本人が少なくともそれを黙示的に認めるような言動をしていたという記憶のもとに本記事を作成しています。もし私の記憶に誤りがあればご指摘ください。
*2:現在進行形でそのような態度をとっている方には、私がそうした過程を経て現在の立場に至っているということを心に留めておいていただきたいです。無責任な立場から、問題にコミットしている人を眺めたとき、その人が近視眼的であったり短慮であったりするように見えることもあるかもしれません。しかし多くの場合、決してそうではない。そのように見えるのは、自身が問題を自分事として引き受けない甘えた立場をとっているからではないか、と己に問うてみてください。
今年記事を書くのはこれが初めてですが、はてなには何度かログインする機会がありました。
その際に驚いたのは、はてなで注目されているトピックを把握する能力が著しく衰えていたこと。やはり有名な「はてなー」さんをたまに追うなどしていわゆる「はてなの文脈」をある程度理解していないと、同じ場にいても同じものを見ることができないのですね。
この一年は、会食等の機会が顕著に増えて執務時間が大幅に制限されたにもかかわらず、仕事の量はむしろやや増加したため、生活の多方面にしわ寄せがきてしまったように感じています。今のようなありかたは持続可能ではないので改善の必要があるでしょうが、皆様のご期待や需要に応えつつ持続可能性を高める妙案はまだひらめきません。この年末年始に考えてみます。
それでは皆様、よいお年を。
私が無事にやっていることはひと月ほど前にお伝えしたところなので、改めてなにか申し上げる必要はないかな、という気もしたのですが、やはり暮れなので簡単にだけご挨拶を。
今年は仕事がいよいよ多忙となるとともに責任の重い立場に就くことともなった一年でした。多忙にかまけて自己研鑚という面では疎かになったところもあるように思うので、来年はなにか具体的な目標を定めて、キツくても研鑚を積まざるを得ない状況に自らをおくべきかもしれません。もっとも、若いころと同じ感覚で無理を続けた結果からだを壊すという例を仄聞しないでもないので、そのあたりは上手くバランスをとることが重要なのでしょうね。
久しぶりにはてなに接して、目をひいたのはColaboがらみの話題ですね。実社会ではまったくといってよいほど話題に上っていないのに、随分息ながく騒がれ続けているようなのは、いかにもはてならしいと感じた次第です。
この件を発端からおって何かものを申すような気力も時間ももとよりないですが、事案から離れた一般的な話をするならば、行政等に提出する書類が、勘所さえおさえてあれば、その他は相当に「テキトウ」であっても許されるなどというのはなんら珍しいことではありません。書類を作成する側も審査する側も、記入項目の逐一について詳細かつ正確であることを厳密に求められるならば、とても業務が回らないというのが実際のところだと思います。そのような現状が望ましいのかどうかはもちろん議論の余地があるでしょうが。
ともあれ、このような糾弾が効果をあげるというのであれば、スネにキズもつ団体は相当多いでしょうから、時間とご興味のある方は調べてみるのもおもしろいかもしれませんね。
今年も一年お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。
すっかりご無沙汰をしてしまいました。
もし心配してくださった方がいたら、申し訳ありません。私は元気でやっております。
この1年は、飛躍、というとおこがましいかもしれませんが、自分なりに一歩を進めることができたのではないかと感じています。
今後もはてなに顔を出す機会はあまり多くないかもしれませんが、戻ってきたときには温かく迎えてくださるとうれしいです。
ではよいお年を。
本書は、「戦争についてほとんど知らなかった事件記者」である清水が、南京事件について「調査報道」の手法で自ら調べあげた結果等をまとめたものです。
公平に言って、純粋に南京事件についての知識の獲得を目的とするならば、たとえば笠原十九司『南京事件』など、より幅広くかつ詳細に解説した安価な一般書が他にもあるとは思います。本書でかなり紙幅を割いて紹介されている黒須忠信上等兵の陣中日記も、上記の笠原書などにおいてすでに言及されているものであって、新発見というわけではありません。
しかしそうであるにもかかわらず本書がすばらしいのは、清水が自らの取材によってそうした資料をいわば「血の通った」ものとして表現することに成功しているからです。
資料を収集している者のもとに直接赴く。資料収集者から収集を思い立った動機や資料を譲り受ける際のやりとりなどを聴取する。折れやすり減り、あるいは紙の変色など、資料の状態を観察する。資料作成者の本人確認を行う。資料の記載と他の資料から判明している客観的事実との整合性を確認する……。
この種の調査は清水に限らず問題に対して誠実に取り組んでいる者であればだれでも当然行っているでしょうが、いざ一冊の本として発表するという段では、そうした調査によって得られた結果だけを書くことも多いのではないかと思います。もちろんそれが悪いというわけではないですが、ときにそのような記述は門外漢に対して無味乾燥でとっつきづらい印象を与えることもあるでしょう。本書の最大の功績は、上記のような調査の過程についても事件記者ならではの生々しい筆致で描写することにより、南京事件をとっつきづらい歴史論争だと感じているようないわゆる「普通の人」にも関心を抱かせた点にあるのだと思います。
なお、本書は『「南京事件」を調査せよ』と銘打っているものの、南京事件について論じているのは全体の3分の2ほどで、残りの3分の1は「旅順虐殺事件」などの別事件について論じるものとなっています。 南京事件以外にも多くの痛ましい事件があるのは全くそのとおりであり、必ずしも知名度の高くない事件にも光を当てようとする清水の姿勢には大いに共感します。ただ、本書に関して言えばさすがに少々話題が拡散してしまった観があり、南京事件以外の問題については別の機会に論じた方がよかったのではないかと思います。
*1:以下、「本書」といいます。