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【調査会NEWS1540】(26.4.29)
去る27日、日比谷で行われた国民大集会の前に、調査会の事務所で特定失踪者家族の懇談会を行いました。
このとき出た話の中で、「公共施設に調査会ポスターの掲示を依頼に行ったが対応してくれなかった」「区のイベントでブースを借りてパネルなどの展示をしたいと頼んだが一杯だとして断られた」などの話がありました。まだ行政レベルで理解の進んでいる自治体は多くありません。
昨年から藤田進さん(埼玉県川口市で失踪)の弟さん・藤田隆司さんや森本美砂さん(山梨県甲府市で失踪)らが中心になってご家族の自主的な活動として全国の統一行動などが行われていますが、自治体・地方議員・各地の救う会などの民間組織の皆様には特定失踪者ご家族や支援団体からの協力依頼がありましたらぜひ積極的に支援して下さいますようお願いします。
北朝鮮人権法には地方公共団体の責務として「第三条 地方公共団体は、国と連携を図りつつ、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民世論の啓発を図るよう努めるものとする」と書かれています。どうしてもお役所は横並びにしたがるため、逆に言えば近くに実施した自治体があればそれが手本になります。お住まいの自治体などでそのような動きが不十分な場合は首長・議員などを通して働きかけていただければ幸です。
地道な活動も積み重ねれば大きな変化につながります。特にこういう時期ですのであらためて皆様のご協力をお願いする次第です。
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【調査会NEWS1539】(26.4.27)
韓国の旅客船セウォル号は今も100人を越す行方不明者が船内にいるものとされています。今日の日比谷での国民大集会でスピーチした折少し触れたのでこの事故で思ったことを少し述べておきたいと思います。
この事故は船を購入した後の改造、過積載、積み荷の固定の不十分、操舵ミス、事故後の対処など、様々な過ちが積み重なっています。まあ、韓国語で言う「ケンチャナヨ(構わない)」というマインドがもろに悪い方に出た事故と言えます。
しかし考えてみると人の国のことは言えません。拉致問題もあのセウォル号のようなものではないかと思います。日本の防諜体制の不備、国民の安全保障意識のなさ、マスコミの報道、硬直化した救出への対処など様々なところで皆が少しずつ「ケンチャナヨ」と言ってきたことが拉致を許し続けたのではないでしょうか。
さらに、その被害をごく僅かであるかのように言いつのってきた政府は、あの事件に例えるなら「沈んだのは釣り船で、自分で操船を誤ったもの」としてごまかすようなものです。場合によっては「船は沈んでいない」とすら言っているのと変わりありません。
拉致問題を放置するというのはまさにセウォル号が沈んでいくのを傍観しているのと変わりがありません。少なくともセウォル号の周りをぐるぐる回りながら、「法律の制約があるの救助できない」などということは言えないはずです。
多数の高校生が乗っていたことはまさに悲惨の一語に尽きます。一刻も早くご家族のもとに帰ってもらいたいと祈るだけですが、拉致被害者はまだ取り返すことが可能です。私自身もう一度自らの責任を噛みしめたいと思います。
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【調査会NEWS1538】(26.4.26)
山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件については一昨年3月、日弁連に対し人権救済申立を行いました。その結果は遠からず出るものと思いますが、去る4月23日、代理人である川人博弁護士が以下の補充意見書を提出しました。これにより一層踏み込んだ執行が行われることが期待されています。
<補充意見書全文(「■」部分は省略)>
平成26年4月23日
日本弁護士連合会人権擁護委員会 御中
「山本美保に関わるDNAデータ事件」についての人権救済申立事件補充意見書
申立人ら代理人 弁護士 川人 博
(申立人ら)
現住所 山梨県甲府市■
氏名 山本文子
現住所 同上
氏名 森本美砂
現住所 山梨県甲府市■
氏名 山下滋夫
現住所 東京都文京区後楽2-3一8 第6松屋ビル301 特定失踪者問題調査会
氏名 荒木和博
(相手方)
警察庁長官 米田壮
記
1 本申立事件において、申立人らは、
「警察庁は、山本美保とYが同一人物であるとする唯一の根拠であるDNA鑑定書について、山本美保の家族(申立人 山本文子、同 森本美砂)及び同代理人が謄写をとることを認めるなど、開示されたい。」
等を求めている。
2 申立人らは、上記DNA鑑定書の謄写が認められた場合には、速やかに謄写のうえ法医学者等の専門家に分析検討していただく予定である。
すでに、申立人森本美砂、同荒木和博、及び当職(弁護士川人博)は、本年2月22日、DNA鑑定に精通している法医学者A氏と面談して、事件の概要を伝え、鑑定に関する意見をうかがった。
A氏は、上記DNA鑑定書が試料を残していないこと、つまり再鑑定できないことの問題点を強く指摘した。また、同氏は、今後新しい証拠が入手できれば、さらに法医学面から意見を述べることが可能である旨、申立人らに話した。
3 上記DNA鑑定書に関しては、これまで申立人家族(山本及び森本)には閲覧のみ許され、投写が認められていない。申立人家族には行方不明となっている山本美保の消息を知る権利があり、この権利は、憲法第13条が定める幸福追求の権利によって保障されていると考える。そして実質的に見ても上記DNA鑑定書を謄写して専門家が分析をすることが山本美保の消息を知るうえで不可欠である。
4 また、死因究明等の推進に関する法律(2012年9月施行)第2条3項は、家族に対し国が身元確認の情報を知らせることが、個人の尊厳の保持につながる旨規定している。同法の趣旨から考えても、本件のように警察が当該ご遺体の家族と断定している申立人家族に対し、鑑定書の謄写を認めるのが相当である。
よって、一日も早く適切なる人権救済を求める吹第である。
5 なお、申立時以降、警察庁長官が変わっています。
以上
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【調査会NEWS1536】(26.4.24)
※既にお知らせしていますが戦略情報研究所のSセミナーを下記の通り開催します。お誘い合わせの上ご参加下さい。また遠方の方は前半約1時間を(株)NetLiveのご厚意でインターネット中継しますのでご利用下さい。
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いったい誰の責任なのか?
---国内の拉致実行犯・協力者を摘発できない「放置」国家の現状---
戦略情報研究所Sセミナー第10回
「拉致は海から上がってきた工作員だけではできない」
調査会の1万キロ現地調査は3月末の四国で目標の5000キロを越えましたが、やればやるほど確信を持っているのが現地における固定工作員や協力者の存在です。そしてその確信を深めれば深めるほど、「なぜ誰も捕まらないのか」という疑問にぶつかります。警察なのか、政治家なのか、あるいは海保や公安調査庁、自衛隊にも責任があるのか。安倍政権が公約している拉致問題の「解決」のためにも、ともかく責任の所在を明確にしなければなりません。登壇者がそれぞれの視点で語り、参加された皆さんと討論します。ぜひご参加下さい。
日時:4月25日(金) 18:30〜20:30
会場 UAゼンセン会館2階会議室
(東京都千代田区九段南4-8-16 Tel03-3288-3549)
※JR・地下鉄市ケ谷駅下車3分 日本棋院斜向い
登壇者
荒木和博(戦略情報研究所代表・特定失踪者問題調査会代表)
三宅博(衆議院議員)
増元照明(家族会事務局長)
岡田和典(調査会副代表)
村尾建兒( 〃 専務理事)
杉野正治( 〃 常務理事)
他
参加費 2000円(戦略情報研究所会員は無料)
インターネット中継(18:30の開始から前半部分約1時間・無料・どなたでもご覧になれます)
http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html
※戦略情報研究所では8月をもって有料の会員制度をとりやめる予定です。以後は「おほやけ」の送信を無料のメールマガジンに代えて行います。それ以降の講演会についてはすべて有料になりますのでご了承下さい。
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※岡田和典・調査会副代表の調査会ニュースへの寄稿です。
【調査会NEWS1536】(26.4.24)
2002年3月11日、突然に有本恵子さんが拉致認定されます。
翌12日、金子恵美子の旅券法違反事件公判が開かれ、検察側証人として出廷した八尾恵は「ロンドンに留学していた有本恵子さんを騙して北朝鮮に連れ出した」と証言します。
同じ日のTV朝日「スーパーJチャンネル」で、八尾恵の有本恵子さんご両親への謝罪場面が放送されます。
何年にもわたりご両親が訴え続けたにもかかわらず、何一つ進展のなかった有本恵子さん拉致事件は、2日間で一気に拉致認定にまで進展します。この時間の一致も、偶然の一致なのでしょうか。
2002年3月20日の参議院外交防衛委員会にて漆間警備局長は八尾恵について尋ねられ「時効になっていないものとして捜査を進めている。形式的には正に拉致の実行犯」と答弁しています。
八尾恵証言に基づき、安部公博が有本恵子さん拉致実行犯として国際手配されますが「私がやりました」という八尾恵を逮捕せずに、「やっていない」という安部公博を逮捕し公判維持できるのでしょうか。
八尾恵謝罪の10日ほど前「今は言えないけれど、大変なことがおこる。」と有本さんご両親から私は聞いていました。TV朝日「八尾恵謝罪スクープ」の動きを政府が事前に知らないわけがありません。
2002年3月11日と12日にいろいろなことがあこりました。
拉致事件を検証していますと、不思議なことばかりで、頭が痛くなってきます。
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【調査会NEWS1535】(26.4.23)
最近日朝政府間交渉などの中で特定失踪者の名前が出ているのではないかという噂が流れていることもあり、報道各社の関心も高まっています。そんな中、地方の局や地元紙で特集番組や特集記事を企画するなどの動きもあります。
少しでも多くの方に関心を持ってもらうために、地元紙や地元局での報道は大変ありがたいものです。ただ残念ながら他の地域に広がらないため、質の高い報道があっても知らない人が多いのも事実で、私たちが見ていると実にもったいないと感じます。
テレビ・ラジオの場合地方の局の番組を他の地域で視聴する方法はないのですが、新聞の場合はネットで見ることができる場合もあります。また地方の局で制作した番組が後に全国ネットで流されることもあります。とりあえずお知らせはしておこうと思います。
つきましては各メディアの方で特定失踪者に関する報道をされる場合、可能であれば調査会ニュースで告知します。全国・地域限定を問わずお知らせいただければ幸です。
ちなみに4月19日、新潟のUX新潟テレビ21では中村三奈子さんのお母さんを題材に「娘に会えるその日まで〜特定失踪者の母の闘い〜」という番組を放送しています。
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【調査会NEWS1534】(26.4.22)
6月の北海道での現地調査の準備をしていた曽田常務理事が重要なことに気付きました。今回調査対象になっている道北の各地で近くにレーダーサイトなど自衛隊の施設があるところが多いのです。例えば稚内なら稚内分屯地には陸海空の部隊がいますし網走には空自の網走分屯基地があります。稚内から枝幸に行く途中には陸自の鬼志別演習場もあります。ニュースの1518号で北海道の特色について書きましたが、この点は書き漏らしていました。
現在自衛隊は西方(九州沖縄地方)重視になってきていますが、特に冷戦時代、陸自の主力は北海道にありました。これは言うまでもなく極東ソ連軍の上陸に備えたものです。当然周辺国の関心は高かったはずで、それもまた北朝鮮の工作活動が行われた理由でしょう。ちなみに神奈川における失踪は周囲に自衛隊や米軍の施設がある場合が多く、元よど号犯妻の八尾恵も横須賀でスナックを経営し、防大生や現職自衛官を取り込む作業をしていました。おそらく他の地域でも同様のことがあるのだと思います。
さらに考えれば北海道のレーダーサイトなどは、特に冷戦時代の北朝鮮にとって関心はあったとしても特に情報収集の必要性が高かったとは思えません。関心を持っていたのは旧ソ連であり、場合によってはソ連の工作機関の下請けを北朝鮮がやっていた可能性もあります。
この点は中国についても同様で、工作船の拠点が上海沖にある(あった?)というのですから、同様に中国の工作活動に北朝鮮が協力した可能性もあります。工作活動という意味では土台人など在日のネットワークを使えるのは新たに工作員を送り込むよりはるかに便利なはずです。その面からも見直しが必要かと思います。もし自衛隊や在日米軍施設周辺にお住まいの方で不審な情報をお持ちの方がおられましたらお寄せいただければ幸です。
渡辺秀子さんと雄武で出会った高大基が、当時自衛官を包摂しようとしていたという情報もあります。6月にはその関係も含めてしっかり調べていきたいと思います。
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【調査会NEWS1533】(26.4.21)
連合(日本労働組合総連合会)が開催する第85回メーデー中央大会模擬店にUIゼンセン同盟ヤングリーブスの皆さんと今年もコラボ出店します。メーデーに参加される方は是非おいでください。
日 時 平成26年4月26日(土)
時 間 10:00〜昼過ぎまで
会 場 代々木公園B地区内(渋谷区神南2丁目)
交 通 JR「原宿」・地下鉄千代田線「代々木公園」(C02)下車 徒歩3分、
小田急線「代々木八幡」下車 徒歩6分
地 図 http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/access039.html
※雨天など、中止の場合があります。
また、連合では5月20日(火)15:00から東京お茶の水の全電通労働会館で「人権フォーラム2014」を開催し、そのテーマの一つとして拉致問題を取り上げます。代表荒木と専務理事村尾がお話しする予定です。外部に公開されたものではないので下に記載していませんが、連合傘下組織所属組合員の方で参加希望の方はそれぞれの組織にお問い合わせ下さい。
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【調査会NEWS1531】(26.4.19)
※当初掲載された内容の一部(松木薫さんに関わる部分)に誤りがありました。ここに掲載されたものは修正したものです。
副代表 岡田和典
私が住む神戸市で生まれ育った有本恵子さん拉致に関することです。
有本さんは神戸市立須磨高校を卒業するのですが、よど号犯の柴田泰弘(故人)も同じ須磨高校の出身者であり、有本さんの高校の先輩です。北朝鮮で柴田の妻となったのが八尾恵で「ロンドンで偶然に会い有本さんに声をかけた」そうです。八尾は8人のよど号犯妻のうち、ただひとりの兵庫県出身者です。よど号犯の赤木士郎の妹は、兄を慕って北朝鮮の革命村で生活しますが、この妹もまた須磨高校出身者です。確率的にはあり得ないような偶然につぐ偶然がロンドンでおこったのです。
よど号犯妻に拉致された松木薫さんのお姉さん・斉藤文代さんは熊本県玉名市立玉名中学の卒業生です。同級生によど号犯の岡本武がいます。薫さんと岡本とは同じ小学校の出身です。松木薫さんは大学3年で京都産業大学に編入学し、京都外国語大学大学院に進学します。岡本は京都大学であり、今なお京都には岡本を慕うメンバーが活動を続けています。松木さん岡本ともに熊本県玉名市、京都市で多感な時代を送ります。
有本さん、松木さんの二人に、あり得ない偶然が重なっています。これを偶然と言い張るのは余程の隠さなければならない事情があるのでしょう。
有本さんは語学留学で英国へ、松木さんは語学留学でスペインに行きました。「語学堪能な人物」との北朝鮮からの要求に応じた日本国内の協力者が、北朝鮮に二人の情報を伝え「偶然に出会ったのではなく、狙い定められて」拉致されたと考えるのが自然ではないでしょうか。
(神戸市立須磨高校 よど号ハイジャック事件の後、赤軍派高校生グループにより、バリケード封鎖。翌年2学期の初め、校庭で副リーダーが焼身自殺。学校内の公認サークルとして日本国内の工作員養成組織といわれる朝鮮問題研究会あり。)
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【調査会NEWS1530】(26.4.18)
セウォル号の乗員乗客の救出はなかなか困難な状況のようで、韓国の人々の注目もここに全て集中しています。海軍や海洋警察(日本の海保に該当)も大規模に動員されていますが、この状況は北朝鮮からすれば北方限界線(事実上の海上における南北の境)であれ休戦ライン周辺であれ内陸であれ、何かやるには最適なときのようにも思えます。別に軍事行動でなくてもできることは色々あるでしょう。行方不明者の救出をお祈りすると同時に、その点も少し心配しています。
さて、何十年も「最適なとき」が続いてきた日本の話です。
6月には北海道の道北(稚内から網走まで)で第21回の1万キロ現地調査を行いますが、ここも調べれば調べる程怪しい事件が出てきます。今回は地域が非常に広く、失踪者や怪しい案件が多いので、1万キロ現地調査としては初めて大部分の日程を2班に分けて行う予定です。概略では6月4日(水) 昼稚内集合、以後グループごとに調査を行い6月6日(金)昼網走で合流。同日夕調査終了の予定です。詳しい日程については後日お知らせします。なお、稚内の調査には斎藤裕さんのお姉さん、斉藤由美子さんが、雄武の調査には紙谷慶五郎さんの三女北越優子さんが参加の予定です。
その次の第22回は7月17日〜18日、山形の主に庄内地方(日本海沿岸)で行います。この周辺は失踪者でも表に出ていない人が多く、工作員の上陸が何度も確認されています。さらに親朝派の大物だった加藤紘一・元自民党幹事長の地元でもあります。何が出てくるのか、どこまで続くのか分かりませんが引き続き頑張ります。
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http://1st.geocities.jp/minshato_japan/
民社党初代西尾末廣・第二代西村栄一・第三代春日一幸・第四代佐々木良作、4人の歴代委員長の演説集テープを民社党時代に作っていました。それをこのたび映像教育研究会の稲川さんと特定失踪者問題調査会村尾専務理事の協力で音声ファイルにして下記のホームページに載せました。ホームページは私の素人作業ですので見栄えはしませんが、お聞きいただければ幸です。
内輪の人間ですから当然ひいき目が入っていますが今の政治家とは迫力が違うように思います。(写真は西尾末廣・初代委委員長)
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【調査会NEWS1529】(26.4.17)
韓国西南部で沈没したの客船「セウォル号」は現時点でまだ300人近い行方不明者がいるとのこと。特に修学旅行の高校生が多数乗っていたというのは、教職にあるものとして何とも言いようのない思いです。ともかく1人でも多く救助されて欲しいと祈るしかありません。
そんな事態の中ですが、ニュースを見ていて思ったことがあります。
こういう場合、救助が最優先であることは言うまでもありません。原因究明はとりあえず救助に必要な範囲で行われるべきで、いわんや航路の安全確保のための法律改正などは一番最後の問題です。
拉致問題でもともかく救出が最優先課題であり、私たちがやっている調査活動も、どんなに偉そうなことを言っても二次的なものでしかありません。もちろん救出にできるだけ近づけるための調査を最優先にやっていますが、調査自体の限界は認識せざるをえません。その意味では民間団体としては私がもう一つ代表をしている予備役ブルーリボンの会の方がより最優先課題に近いのかも知れませんし、それより遥か近くに外務省であれ自衛隊であれNSCであれ対策本部であれ、関係する政府機関があることは明らかです。
昭和52年(1977)のダッカ・ハイジャック事件のとき、福田赳夫総理は「人命は地球より重い」と言って身代金をハイジャッカーに渡し受刑者まで釈放しました。それは当然人質の生命を重視したからです。ならば拉致被害者の救出にその決断ができないのか。そんなはずはありません。
よく横田早紀江さんが講演で「おぼれている人がいれば皆飛び込んで助けるでしょう」という話をされますが、数分とか数時間という切迫度ではないにせよ、「セウォル号」の姿は拉致被害者と重なってしまいます。
今回の事故で亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともにまだ行方不明の方々が一刻も早く、無事にご家族のもとに戻れるよう願いながら、そんなことを感じた次第です。
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【調査会NEWS1528】(26.4.16)
先日佐藤守・元空将から現役当時保管してあった北朝鮮関連の新聞記事切り抜きを寄贈いただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。まだざっと目を通しただけですが、いくつも「そういえばこんなことがあった」「こんなことがあったとは知らなかった」という情報がありました。
3年前の秋田の現地調査のときも救う会秋田の方が昭和38年当時の地元紙のベタ記事から能代事件における水中スクーターの存在を知らせてくれたことがありました。既に公になった情報の中に実はかなり重要なものが眠っているのではないか。あらためてそれを感じた次第です。報道関係の方も、ぜひ自社の過去の報道にそういうものがないか調べていただきたいと思います。
以下はその一つ、昭和63年(1988)2月10日付産経新聞(当時「サンケイ」)の記事です。ここに出てくるB子さんの妹さんは李恩恵ではなかったわけですが、その後一体どうなったのでしょう。
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教育係の恩恵 九十九里で不明の女性か 警視庁に有力情報 人相酷似、3歳児の母
大韓航空機事件で、警察庁など捜査当局は金賢姫(26)の日本人化教育係「李恩恵(リ・ウンヘ)」の身元確認作業を進めているが、9日、都内に住む会社経営の男性から「十年ほど前、恋人の朝鮮人男性と千葉県の九十九里海岸に出かけて行方不明になった同県の女性ではないか」という情報が警視庁に寄せられた。同庁公安部は通報者から詳しい敬意を聞く一方、警察庁を通じて千葉県警に連絡して不明女性の家族らから事情聴取を行う。
この情報は、9日午後1時20分ごろ、会社経営のAさんから110番通報で寄せられた。Aさんは、10年程前に知り合いのゴルフ場キャディー、B子さんからこの話を聞いていたが、7日に公開された「恩恵」の似顔絵写真がB子さんによく似ていたため、「もしやB子さんの妹ではないか」と連絡したという。
同公安部がAさんから詳しく聞いたところによると、Aさんが会員になっている千葉県内のゴルフ場でキャディーをしていた同県在住のB子さんが「妹が恋人の朝鮮人男性と一緒に九十九里海岸に釣りに出かけ、海に転落して行方不明になった」と、Aさんに話した。B子さんの妹は当時20歳位で、3歳ぐらいの幼い子供を抱えており、酒、たばこが好きだったという。
恋人の朝鮮人男性が地元警察などに届け出たのかどうかは確認されていないが、B子さんは、この男性が事故後も何度かゴルフ場に来てプレーをしていたと話していたという。公安部では同日夕、警察庁を通じて千葉県警に連絡。同県警で当時の事故扱い書や捜索願の有無などの確認作業を急いでいるが、同日までの調査では捜索願が出されている事実は確認されていない。
このため、警視庁ではさらに千葉県警と連絡をとり、十年前に九十九里海岸で該当する事故があったのかどうかの詰めを急ぐとともに、B子さんの所在を割り出して詳しく事情を聴く。
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【調査会NEWS1527】(26.4.15)
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祖国の防衛線哨所などで銃剣を強く握りしめた兵士たちが、平壌の空をあおぎ雷声をとどろかせている。
「最高司令官同志! 宗派のヤツらどもを放射砲の砲火で焼き殺し、戦車のキャタピラで轢きつぶし、この地からあいつらの汚らしい痕跡をきれいにあらい流します」
降仙(製鉄所)の労働階級も、鉄の握りこぶしを固く握りしめて叫ぶ。
「何匹かのネズミどもが、おそれ多くも太陽の陽光を曇らせて見せるとは愚の骨頂だ。その愚か者どもを煮えたぎる電気炉にほうりこみ、骨すらも残らないようにしよう!」
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昨年12月12日の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」の「政論」欄に載った論文「元帥様に従って天地の果てまで」の一節です。萩原遼・守る会名誉代表の責任編集による「拉致と真実」第1号に全文が訳載されており、そこから引用しました。
できればここに出てくる兵士や労働階級とはお友達になりたくありませんが、こういうのが日本で言えば5大紙と官報を合わせたような新聞に載るところが北朝鮮です。ちなみにこの「政論」を掲載した「労働新聞」が発行された12月12日、張成沢が銃殺されました。論文が張成沢とその周辺の人間を標的にしたものであることは言うまでもありません。
「再調査」と「制裁部分解除」で交渉が進んでいます。当然表に出ている話はごく一部でしょうが、根本的な問題は相手がこういう人たちだということです。相手を山賊とでも思って交渉しないと根本的な間違いを犯すことはこの20年、日本のみならず米国も、そして国際社会もさんざん学習してきたはずです。一番慣れているはずの中国ですら、私たちとは別の意味で手を焼いています。
政府間交渉の場で伊原アジア大洋州局長あたりが「宋日昊、この野郎、拉致被害者をすべて返さなければ電気炉にほうりこみ、骨すらも残らないようにしてやるぞ」と言って机をひっくり返すくらいのことは必要なのではないか。逆にそうすれば相手も親近感を持つのではないかと思うのですが。
少なくとも国民の認識として、そういう国を相手にして拉致被害者を取り返そうとしているのだということは必要不可欠だと思います。
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【調査会NEWS1526】(26.4.14)
1496号の続きです。山本美保さんと山形の身元不明遺体を結びつける唯一の「情報」がDNA鑑定の結果なのですが、これについては様々な疑問が呈されています。それに関する警察関係の方の考察です(一部原文を加筆修正してあります)。
ちなみに警察はこのDNA鑑定の鑑定書は家族等には見せるが公開はしないと言い続けています。刑事訴訟法第47条をその根拠としているのですが、古屋圭司・拉致問題担当大臣も大臣就任前の平成24年6月1日衆院拉致問題対策特別委員会で、「DNA鑑定は極めて正確であり、なおかつ信頼に足りるものであるということなら、何で刑事訴訟法47条のただし書き、やはり拉致の可能性が極めて高いということなら、まさしく日本の一番最優先の課題の一つであるという拉致問題の話なんだから、これはなおさら公表できない理由にならないと思うんです」と発言しています。
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○ 本件のDNA鑑定にあたっては、警察側(山形県警)より、溺死体の司法解剖以来当時にDNA鑑定資料としての骨髄採取を依頼しておらず、平成15年5月6日に山形大学へ同溺死体の骨髄の提供を山形県警側が受け取りにいったとされている。
解剖記録では昭和59年6月22日になっており、解剖医関係者の骨髄採取時期は同時期と推察できる。また、山梨県警側が同解剖医関係者から骨髄を受けとったのは平成15年5月6日であり、同骨髄が山形大学に保管されていた機関は19年間の長期にわたることになる。
長期の保管であるにも関わらず、保管場所は解剖医の使用していたスチール机の引き出しであり、保管方法が適切であったか否かについて、事後に疑義が生じることは不自然ではない。鑑定・分析を実施するについて、鑑定条件の不備を問われてもやむを得ないことであり、鑑定結果に重大なる影響が懸念されるところでもある。
○ 本件溺死体とのDNA鑑定実施につき、比較対象人物の検体を要するが、警察側は検体対象者を実妹である森本美砂としている。一般的には一卵性双生児の場合にはDNAが一致するとされているが、二卵性双生児の場合はDNAが一致しないとされており、DNA鑑定の特性上から親子鑑定をして実施することが一般的である。
ところが、本件では実母が存命でありながら実妹を比較鑑定対象者としている。しかも山本美保と森本美砂が一卵性双生児であるか二卵性双生児であるかの確認もしておらず理解に苦しむ。
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このDNA鑑定については掘り下げれば下げるほど問題が出てきており、上の2点はそのごく一部でしかありません。この問題を放置するということは、当然他の失踪案件も含めて何らかの形で蓋をしているということになります。
いうまでもなくこの事件は山本美保さん一人の問題ではなく、すべての特定失踪者、さらには拉致問題全体に関わる問題です。それを明らかにすることこそが「解決」への必要条件だと思います。
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【調査会NEWS1525】(26.4.13)
前からあちこちで聞いてきたのが「不審な船」、文字通り「不審船」の情報です。1月の種子島・屋久島の現地調査のときも沖合で黒い船が闇の中灯火をつけずに停泊していて漁船がぶつかりそうになったという話がありました。このあたりも工作船のルートになっているようですが、20トンくらいの船に見えたということでした。平成13年(2001)12月に奄美沖で沈んだ北朝鮮工作船が44トンですが、夜間なのであるいは同じクラスの船が多少小さめに見えたのかも知れません。
それ以外にもっと小さな船が海岸近くで目撃されたケースもいくつもあり、多くの場合「黒っぽい」とか「非常に汚い」といった表現がなされています。宮崎で遊漁船が後ろが開いてクレーンの付いた6〜8トン程度の船に追われたという話もありました。
通常であれば工作員の侵入は工作母船で沖合まで来て、そこから格納してある子船で海岸近くまで行き、その後ゴムボートか水中スクーターというものだと思われていました。先日メールニュースで書いたように上陸に元工作員李相哲氏の言う「アクアスクーター」(某政府機関によれば「水中推進機」)を使った場合もあるでしょう。また奄美沖の事件があった後に元工作員安明進氏は「次は絶対に潜水艦でやってくる」と言っていました。侵入の方法は様々だったはずです。
日本の漁船を何かの利益供与と引き替えに工作船代わりに使った可能性もありますし、特に房総・伊豆半島・伊豆七島を結ぶトライアングルにはプレジャーボートを使った可能性もあります。他の地域でも同様ですが、漁船の場合は漁師さんが自分のところの船かよその船かはすぐ識別できるので、通報等される可能性もあります。しかしプレジャーボートなら不審に思う人は少ないはずです。
自分が工作機関の人間であればどうするかという視点にも立ちながら、色々な可能性を考えています。皆さんの周りに不審な船の情報がありましたらぜひお寄せ下さい。
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【調査会NEWS1524】(26.4.12)
情報シートを作成して各方面に協力を要請してから、毎日のように様々な情報が届いています。その中には氏名の特定までできないものの、拉致事件ではないかというような話がいくつもあります。1万キロ現地調査以外に限らずこれまで調査をしてきて「この地域では海岸近くで人がいなくなっている」といったような話は多数ありました。
なぜご家族が名乗り出ないのか、不思議に思われる方もいると思います。考えられるのは次のようなことです。
1、近所の目を気にして失踪していること自体を周囲に明かさない。
これは非公開のご家族でもそういうケースがあり、親戚すら知らせない場合があります。
2、家庭内にトラブルがあり、それが理由で家出したものと思われている。
実際にそうである場合もないとは言えませんが、逆にそういうケースを狙って拉致をしたことも考えられます。プライバシーに関わるので具体的には明らかにできませんが、特定失踪者リストの中でも同じような家庭内の状況で同じような失踪をしているケースがあります。
3、拉致かも知れないと思っても諦めている。
拉致の可能性があると思っても、取り返せる可能性が低いと認識したり、時間が経って兄弟で親の財産分与を済ませている場合、あらためて声を挙げにくいことがあります。また、非公開の特定失踪者のご家族でも公開について意見が対立して公開に至らないケースもあります。
4、そもそも拉致と思っていない。
日本海沿岸でない場合、ご家族が失踪と拉致を結びつけて考えにくいということがあります。逆に言えば簡単に拉致して証拠隠滅できたという可能性もありますが、この場合もなかなか表には出にくいはずです。
それぞれ状況は様々であり、ご家庭の事情に私たちもあまり立ち入ることはできませんが、北朝鮮による拉致だった場合、以上の理由は本人には何の関係もありません。私たちとしては直接ご家族に接触しなくても、ケースとして持っておくことによって他の失踪との関連を調べることができます。それは拉致の全体像を知る上でも有益です。もし何かご存じの方がおられましたらぜひ情報の提供をお願い申しあげます。
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【調査会NEWS1523】(26.4.11)
※戦略情報研究所のSセミナーを下記の通り開催します。ぜひご参加下さい。
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いったい誰の責任なのか?
---国内の拉致実行犯・協力者を摘発できない「放置」国家の現状---
戦略情報研究所Sセミナー第10回
「拉致は海から上がってきた工作員だけではできない」
調査会の1万キロ現地調査は3月末の四国で目標の5000キロを越えましたが、やればやるほど確信を持っているのが現地における固定工作員や協力者の存在です。そしてその確信を深めれば深めるほど、「なぜ誰も捕まらないのか」という疑問にぶつかります。警察なのか、政治家なのか、あるいは海保や公安調査庁、自衛隊にも責任があるのか。安倍政権が公約している拉致問題の「解決」のためにも、ともかく責任の所在を明確にしなければなりません。
今回は調査会に寄せられている様々な情報の一部もご紹介しながら、国内問題としての拉致の本質に迫ります。また、現在様々な動きが報道されていますが、当日までに変化があった場合、記者会見を兼ねてそれに対する見解等の発表も行います。報道関係の皆様も含めぜひご参加下さい。
日時:4月25日(金) 18:30〜20:30
会場 UAゼンセン会館2階会議室
(東京都千代田区九段南4-8-16 Tel03-3288-3549)
※JR・地下鉄市ケ谷駅下車3分 日本棋院斜向い
講師 荒木和博(戦略情報研究所代表・特定失踪者問題調査会代表)
三宅博(衆議院議員)
他 調査会役員
参加費 2000円(戦略情報研究所会員は無料)
※戦略情報研究所では8月をもって有料の会員制度をとりやめる予定です。以後は「おほやけ」の送信を無料のメールマガジンに代えて行います。それ以降の講演会についてはすべて有料になりますのでご了承下さい。
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【調査会NEWS1522】(26.4.10)
田母神俊雄・元航空幕僚長がよく講演の中で話すことに「日本の外交は『言うことをきかないと話し合いをするぞ!』というもの」というのがあります。
確かにその通り。私が救う会全国協議会にいた当時の平成11年(1999)年末、最近話題の河野洋平・外相(当時)に家族会・救う会で面会したとき「力ずくで取り返すことはできない」と言われたことがあります。お恥ずかしい話ですが、河野外相が余りにも自信に満ちた顔で言ったもので、そのときは「そういうものなのかな」と思ってしまいました。実際は「力ずく」も選択肢の一つのはずです。
さて、最初から「力ずくではやりません」と言ってしまって相手は真面目に話し合いに乗るでしょうか。それとも「私たちは力ずくではやりませんが、アメリカが力ずくでやってくれます」という意味なのか。いずれにしても情けない話ではあります。
昭和31年(1956)6月号の月刊「文藝春秋」に掲載された論文に「軍艦旗の下の北洋漁業」というのがあります。昭和15年(1940)青森県大湊の駆逐艦隊でソ連の暗号解読を担当した海軍将校府本昌芳氏のものです。この中にソ連に拿捕された北洋漁業の漁船を日本の駆逐艦隊がカムチャッカまで行って威圧し、取り返す話が出てきます。戦闘したわけではありません。目の前で演習をしただけです。当時対米開戦の可能性があり、日本としてはソ連を刺激してはならないはずでしたが、それでもこういうことができたのです。要はやるかやらないかでしょう。
圧力と対話の「圧力」とは何か、何をすれば圧力なのか。もっと正面から考えるべきではないかと思います。
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(月刊「文藝春秋」昭和31年6月号掲載)
軍艦旗の下の北洋漁業
カニの卵巣に舌鼓を打ちながら眺めたオホーツク海のどす黒い海面に注ぐ限りなき郷愁!
府本昌芳
筆者紹介
昭和十四年、海軍大尉としてハルピンに駐在したが、その後、カムチャッカ漁業係長、在ソ大使館附武官となり、終戦時は海軍中佐、大本営諜報部對ソ班主任。
北洋の魚屋ぐらし
一九四〇年三月、スンガリー(松花江)はまだ厚い氷にとざされていた。
「今度はカムチャッカの魚屋ぐらしですよ」
私は下宿の主人にそう云って、一年に及ぶハルピンの生活に別れを告げたのであった。
その頃、海軍士官でソヴィエト関係の要務を担当するものは、東京外語のロシア語科に一年間在学した後、ハルピンの勤務を経て、北洋漁業保護の任務につくのが、お定まりのコースになっていた。
が、太平洋上の派手な海戦で、アメリカ艦隊を海の藻屑と屠り去ることも夢見ていた、若い海軍大尉の身として、これは全く気勢の上がらない転進であった。けれども、一年に及ぶ満州での生活は、私を反ソ防共的人物に仕立て上げることには確かに役立った。
ノモンハン事件では、関東軍の主張する国境には歴史的根拠がない、ということを知りながらも、さて、數多い負傷兵が運ばれて来てみれば、何クソッ!と民族的な反抗心が起こってくる。アムール河を船で下ってみれば、日ソ両軍が物々しい見張りやぐらを組み立てて睨み合っているし、内モンゴルの包頭に行けば、共産勢力との生々しい戦闘の物語りを聞かされる。というわけで、とにかく反ソ防共が何となく身についてしまう、というのが当時の軍国満州の姿であった。
従って、私が北鮮の羅津から、船で新潟に着いた時には、「ジューコフがノモンハンで日本陸軍をやっつけたのなら、俺はカムチャッカでベリアに一泡吹かせてやろう」という、無鉄砲な青春の血が燃えて、大いに気炎を上げたものだった。
「神風「に乗って
赤レンガ、といえば海軍省の代名詞であった。
その一角に、軍令部第七課があって、イギリスを除く全欧州に関する情報を扱っていた。
その中の「R班」と俗称されていたものが、旧海軍では冷飯食いに属していた対ソ諜報班で、これが私の親元であった。
私は、ここで北洋の出漁予定や、日ソ漁業協定に関する情報を聞いて、早速出発するつもりでいた。ところが、意外にも特務班の方にも用があるという。特務班とは、海軍のブラック・チェムバー(外国暗号解読部)であったのだ。
暗号解読といえば、素人目にはスリルのある興味津々たる仕事のように見えるかもしれない。だが、実際はそんなものではなく、語学と数学を応用した科学的な仕事であって、その上、電子計算器もないときては、やたらに時間がかかるばかりで、お経を読むようなわけにはゆかなかった。しかも機密保持の関係上、自分の仕事を家庭で喋ったり、飲み屋で鬱憤をはらすこともできない。私はそんな不自由なことは嫌いだ。地獄へでも顔を出すような気持で、私はおっかなびっくり、特務班のドアをノックした。
だが、ドアを開けると、顔馴染みの少佐が、ニッコリ笑って声をかけた。
「やあ、御苦労さん。実は君にこの夏の漁期中、こいつを使って貰いたいんだがね」
差し出されたのは、二冊のロシア暗号書であった。いずれも、暗号解読専門家が苦心の結果作り上げた血と汗の結晶である。これをカムチャッカの沿岸で解読しながら、大いに働けという注文なのだ。
ノモンハンの仇をカムチャッカで討つという思いがあらためて胸にこみあげてきた。が、さて暗号の嫌いな私に、ソ連の暗号が読みとれるかどうか。
「大いに頑張ります…が、弱りましたな」
「なに大したことはないさ。まず、トーチカ(句点)を見つけ出すんだ!」
なるほど、渡された数枚の数字暗号に目を通すと、同じ数字符が三つ四つ、電文の中の同じような関係位置にある。そこでトーチカ符字を探し出し、引き算をすると、その日の乱数が知れてくる。あとは乱数表と対照すれば解読できるというわけである。
「この二冊は、絶対誰にも見せてはいかん。君が解読した暗号電報は、司令と艦長だけに限って報告する。情報は口頭で届け、文書に残してはならないぞ」
軍極秘…私は鞄をしっかり抱きしめて、海軍省の裏門から消えるように出て行った。駆逐艦「神風」水雷隊長というのが、私の貰った辞令であった。
その夜、私は青森へと向かう二等列車の一隅で、まんじりともしない一夜を送った。
抜き身は禁物だ
「神風」は、同型の「沼風」「波風」「野風」と共に第一駆逐隊を編成、大湊要港部に配属されており、私はその副長相当の先任将校となった。
一九二二年に進水した「神風」は、その頃全くの旧式艦であったが、それでもこの駆逐隊こそ、帝国海軍が対ソ兵力として割当てた最精鋭部隊であった。しかも、大湊要港は場末の出店にふさわしく、取り立てててこれという施設もなく、おいぼれ司令官や威張り屋参謀などが、北辺の守りを固めていた。
四月になるとカムチャッカ西岸へ向かうカニ工船が続々と出で立ち、ソ領沿岸のサケマス漁場へも仕込船が送られる。だが、駆逐隊は盛漁期になるまで、北海道周辺で訓練待機することになっていたので、二冊の暗号書は金庫の奥深くに仕舞いこまれたままであった。
連日、「月月火水木金金「の猛訓練がつづけられた。一応の成果が上がると、次には士気昂揚のためと称するボートレースが始まる。
「総員後甲板!応援練習始め!」
「-われは神風、名のごとく、神の助けはわれにあり…遮るものはブッ飛ばせ!」
先任将校自作の応援歌が高唱され、日の丸鉢巻の応援団長が、三番砲の上に登って、ハイ、ハイ、チョイチョイ、チョイ…と拍手の練習が始まる。
いよいよレース当日となれば、大小数十の幟が甲板に立ち並んで、応援団長は、たすきがけに日の丸の扇子を持ち、顔には墨で髭を書いて、主砲指揮所から総員を叱咤する。あたら青春を軍人の「すべからず「で過ごし、人間の馬鹿らしさが恋しかった私の心が、乗員の胸に通ったのだろうか、「神風」のクルーはその応援歌と共に部隊第一の成績をあげた。
乗員の有志で「神風座「が結成されたのも、この頃であった。
「先任将校!ギターと島田とチョン髷のかつら、それから長襦袢を買って下さい」
先任も道具係りに早変りである。
「総員―演芸聞き方!第三区に集合!」
とは、長い間全く慰安のない北洋に出動するために、是非必要な号令であった。
出港前には乗員に飲ませることを、先任の職務と考え、自分も飲み、また飲まされもする。
「先任!飲みに来てください」
テーブルの上には、一合茶碗にナミナミとつがれた酒。それが忽ち十数杯、目の前に整列する。これを五分で飲めない奴は、士官のツラをする資格がない…これじゃ、とてもたまらないから、一寸便所へと逃げ出せば、またストームにかかって拿捕される。
やがて千鳥足の先任を、四五人の水兵が、ワッショイ、ワッショイと部屋に担ぎこむ。
「明日は甲板掃除なし。総員起こしは適当にやれ、だが軍艦旗をあげるまでには皆起きてろよ!」
軍隊は規則が破れるようでなくては強くならない。「べからず」じゃあ駄目だ。何でもやれというのが私の哲学だった。いよいよ出動が迫ると、皆一度はやりたい(、、、、)こと(、、)を(、)やる(、、)チャンスが与えられる。
「サックは持ったか?クリームはあるか?抜き身は絶対禁物だぞ!」
嬉々として上陸してゆくたくましい男たちの背中に、私は大きな声で怒鳴った。
ナ・セーヴェル
「神風」は千島列島に沿って北上した。私は自信に満ちて、北海の波の音を聞いていた。
「神風」ほど安全な社会はないのだ。私はすべての乗員を信頼し、すべての乗員は私を信じてくれる、と考えていたからである。
エトロフ海峡を過ぎた頃、私は金庫を開けて、例の暗号書を取り出し、自分の机のひきだしに入れると、上甲板に出て、煙突の後の方位測定機室へ上がって行った。私はもう演芸係でも、性病予防官でもなかったのである。
「どうだい、とれるかい?」
「ペトロフとウラジオはよく入りますが、カムチャッカの沿岸局は、まだ感度がありません…」
「そうか。願います…」
私とX兵曹の二人、二台の受信器、二冊の暗号書、これがブラック・チェムバーのすべてであった。
なかでも、X兵曹の技術は抜群であり、北千島に近づくまでには、カムチャッカ沿岸のソ連警備隊の無線局は、全部キャッチすることができた。
駆逐隊はシュムシュ島の片岡湾に着いた。ここを基地として待機し、いざという時には、四隻の駆逐艦が編隊を組んで行動する、という司令の方針が確認され、従って、ブラック・チェムバーの任務はなかなか重要なものとなった。私とX兵曹は、日夜受信機に神経を緊張させていた。
六月も半ばを過ぎたある日の午後、私は例によって、暗号書を手にして翻訳にかかっていた。突然、私はハッと息を呑んだ。そこに出ている符字―ザゼルジャンノ(拿捕)!「ハリューゾフ地区隊発ペドロパウロフスク司令官宛。日本漁船を拿捕す。地区…」
私は飛ぶようにして艦長に報告すると、続いて司令室をノックした。
「司令!拿捕事件が起こりました!」
「何?ハリューゾフか?」
八の字ひげの司令は、ギョロリと目玉を光らせた。
「先任!各艦長を呼べ」
私は上甲板に走り去る。
「信号兵!略語のクカラ(駆逐艦長 来艦せよ)!」
そう怒鳴ると、私は急いで兵曹のところに行った。
「おい、事件だ!ハリューゾフの電報を落とさないように…」
「承知しました。今夜は寝ないでやります」
焦った四人の艦長は、司令を中心として、ウィスキーで乾杯すると、足取りも軽く各々の艦へ帰って行く。いよいよ出動準備である。
前部発射管の両側に集まった水兵員に一応の指示を与えると、私は直ぐ部屋に戻って、暗号の解読を続けた。
「日本船をハリューゾフ河口に抑留す」
「日本人を尋問中…」
どれもこれも癪に触るものばかりだ。
「よし!ノモンハンの恥を雪いでやるぞ」
私は傍にあったチェリー・ブランデーをひき寄せると、グッと一気に飲みほした。
この私の部屋は、「バー神風」という渾名がついていた。
私は電気スタンドを、跳ね兎の浮彫りのあるグリーンのシェードのものに替え、二脚の椅子を青森から運びこんでいた。
バーにはマダムがつきものだが、これは原節子のブロマイドに勤めさせることにした。
ウィスキーは十二年のサントリーしかなかったが、ベルモット、キュラソー等の甘口に、ラム、ジンからアブサンに至るまで、東北の田舎酒屋で買いあさったアチラものが整列していたのである。
自慢のバーも、事件が起れば自粛閉店である。私は大事な酒瓶が艦の動揺で壊れないように、丁寧に箪笥の奥に終いこむと、ブリッジに上がった。
四隻の駆逐艦は、日本の最北端、国端崎を右後方に残し、白波を蹴立てて北上している。
「ナ・セーブェル(北へ)…」
私はブリッジの当直に立ちながら、ロシア語を口ずさんでみた。
東に見えるカムチャッカの山々は、白い雪で覆われていた。
マストが動いた!
「先任将校!司令が艦橋でお呼びです」ブリッジには、艦の司令と白面公子の艦長が肩を並べている。
「先任!ロシア語の解放要求書は書けたか?強い調子で書いてくれ。ハリューゾフに着いたら、すぐ行ってもらうからな」
私は傍にいた航海長I大尉に入港準備の作業指示を頼むと、士官室に下りた。そこではガッチリした身体のM通訳が解放要求書を清書している。
「先任将校!こちらの名前は何としますか?第一駆逐隊司令ですか?」
「いや、えーと、大日本帝国、北洋警備艦隊司令官、とね」
こうして職名だけは立派にでき上がったが、オンボロ艦隊の悲しさ、タイプライターがない。仕様がないから、大和魂のこもった美濃紙にカーボンを入れて、鉄筆で書くという仕儀になった。おそらく珍重すべき古文書として、今頃はモスクワの赤軍博物館にでも行っていることだろう。
一夜を海上に過ごした駆逐隊は、翌朝ハリューゾフの漁場に着いた。十二哩のソ連領海内に進入し、日ソ漁業協定による使用海面限度ー岸から三哩に錨を下ろした。
「内火艇用意!特別臨検隊員整列!」
私はこういう場合を考えて、かねて目をつけていた、屈強で明敏なK兵曹、N一等水兵等を随えて、ソ連の漁場に向かった。
海は静かであり、漁場は平和そのものであった。最寄りのソ連の漁船に乗りつけて、手紙を渡し、すぐ引き返すつもりで、わたしも気軽な気持ちだった。
だが、見渡したところ、漁船は影も形も見えない。恐慌を来して引き揚げてしまったのか?それともトラブルを避けたソ連側の処置だろうか?力の示威が平和交渉を妨げたような形になってしまった。
止むを得ず、私は一人で「無査証入国」を決意した。
軍刀をK兵曹に預け、一同を挺内に残して、私は砂浜に飛び下りた。丸腰になったことが、無法男のせめてものエチケットだったといえようか。
人の止さそうな中年の漁夫が歩いてくる。
「ペレダイチェ」(渡してくれたまえ)
差し出すと、彼は素直に受け取ってくれたので、幸いにも無事に艦に戻ることができた。
それから無遠慮なデモが始まった。駆逐隊は日本漁船が抑留されていると思われる河口の沖三哩に一列に並び、昼間は操砲教育、夜は照射訓練で威嚇する。
「日本艦隊、われを威嚇しつつあり」
「調書を作製せよ」
べリア指揮下のぺトロの司令官と、ハリューゾフの地区隊長は、盛んに暗号を交換して、私に情報を提供した。
三日目の夕方、私は思わずブランデーの瓶をひき寄せた。
「日本船を解放せよ-司令官」
こう来なくては…と私はいい気持ちになって部屋を出た。
「…帰すそうです、司令!」
司令は例の如く八の字髭をしごきながら、破顔一笑して、
「先任!デカしたぞ!今夜は一杯飲もうじゃないか」
更に次の暗号文で、私は全く安心した。
「明日午後二時解放すー地区隊長」
遂にその時が来た。
私はブリッジに上がって、十二サンチの双眼鏡で岸を見守っていた。
「あ、動いたぞ、漁船のマストが…」
やがて、ディーゼルの軽快な音を立てて、漁船はやってきた。日本人の顔だ。みんな日本人だ。私はただ無性に嬉しくて、わけもなく彼等に呼びかけていた。
熊カツの夕食
「艦長―三キロ、砲術長―四キロ半、機関長―五キロ、司令― 一キロ半」
これはボディビルではない。ハリューゾフ沖の鱈釣り競争の得点である。
まず大根の切れ端を針につけて、糸を深く垂れると、鰈が釣れる。
こいつはどこかの議員のように、どんな餌にも喰いつくのだが、肉はまずくて食える代物ではない。だから、甲板に引き上げると叩き殺して、その身を鱈の餌にするのである。
鱈は比較的深い所を泳いでいるものなので、水上に出るとぐったりとして動かない。
すぐ目方を測ることができる。
これを士官室の黒板に記録して、その日の優勝者を決めるのだ。
鱈の他にはカジカも釣れた。こいつは大変威張った格好をしているので、先任伍長という仇名がついた。
しかし「神風」士官が目指す第一等の獲物は、オヒョウだった。北海のヒラメといわれるオヒョウは、軍医長が刺身で食べることを許した唯一の魚であり、しかも、めったに釣れなかったので、これを釣ったときには、一本つけるという慣わしになっていた。
ところで、漁船が解放された日の夕方、機関長がオヒョウを釣り上げたので、蟹工船から贈られたタラバガニの卵巣の塩辛と一緒に一本つけて祝宴を張ることになった。ブラック・チェムバーの成功に気をよくした私にとって、その時の酒は甘露そのものであった。
翌朝の食事も美味かった。濃い紫のドロリとした蟹の卵巣を、ホカホカ湯気の立っている銀メシにかけて食べる。オツな味のホルモン料理である。つい女の話も口に出ようというものだ。
ハリューゾフからプチチー島にかけては、蟹の本場である。大きな洗濯桶十数個に、蟹工船からのプレゼントが満載されている。
「先任将校!食事点検をお願いします」
兵員食の試食点検は、先任将校の重要な任務だった。
「このフライ、うまいぞ…」
ハリューゾフでは、総員が蟹フライにありつき、士官室では蟹の鋏の刺身が夕食を賑わした。
こうして、第一回の出動は十分に報いられて、我々は片岡湾に引き揚げた。
またしばらく平穏無事な日が続いた。そんなある日、初めて出来た重油タンクと、漁業会社寄贈の集会所を見るために上陸した私は、突如、ビッグニュースを聞かされた。
「先任将校!熊を撃ちました」
「熊?どうしたんだ」
「海峡を泳いでいたのを、ボートで追っかけたんです。一匹は足を舷門にかけて登ろうとしたのをズドンと…」
その夜は総員の食事が、熊カツで潤った。とにかく食べることしか楽しみがないし、ふだんは碌なものがないから、これは大した御馳走だ。こいつはいけるぞと、一ポンドもある熊肉を貪り食って満腹した私が、上甲板に出て、一服しようとすると、目の前にダラリ
とぶら下ったものがある。はっと思ってよく見ると、何と赤ムケの熊の手足。思わず私室に轉げこんで、ジンを呷ったことである。
こうして盛漁期も過ぎ、ブランデーもそろそろ底をつく七月末、私は日本漁船難破の情報を解読した。カムチャッカの南端、ロバッカ岬の西岸である。我々は急行した。しかし、漁夫の姿は見えず、間もなく「日本人を抑留」という、ロバッカ岬警備隊の暗号電報が解読された。
海難救助は艦隊の任務である。しかし、既に外国の官憲に抑留されている者を、現場で軍艦が収容することは、外交上の問題であった。だが、べリアの部下たちを悪鬼のように考えていた我々は、感情が先に立ってしまい、現地で力を背景にした日ソ交渉によって、抑留者の解放を求めようとしたのである。
私はボートを仕立てると、ロベッカ岬哨所の東側の岸に向かい、一人でその砂漠に飛び下りた。
「うまく守備隊長に会えないものか…」と一歩踏み出した時、私の目にとまったものは、真新しい大きな熊の足跡だった。私はシムシン島で食べた熊のことを思い出さぬわけにはゆかなかった。あの時打ちとった母子二頭の熊を求める父熊ではないのか。熊には国境がない。そして獣にも涙があるのだ。そんなことを考えながら、私は丘の急斜面をよじ登って行った。
丘の上は花畑だった。三寸ほどの背の低い花が、短い夏に精いっぱい生を楽しんでいるように見えた。が、花に感情を催している時ではない。右前方三百メートルの所に、黒い影が立っている。剣附銃を手にしたソ連の警備兵なのだ。
私は彼に呼びかけた。抑留者の解放を求めた。しかし彼は五十メートル以内には近寄らず、手を左右に振りながら、向こうの方に行ってしまった。
私は釈放要求書を花畑において皆が心配している神風に帰った。
北洋への郷愁
「ペドロバウロフスク司令官発、ロバッカ警備隊長宛。 明朝MO艇を派遣す。日本人を乗艇せしめ、ペトロへ送致せよ」
私が訳した暗号文は、もはや我々の要求が容れられないことを明かにしていた。
その翌朝、霧の中に二隻のMO艇(小型の駆潜艇)を認め、続いて、一通の緊急電報が訳読された。
「司令官発。警備艇ゼルジンスキー号を派遣す」
予期した時刻にゼルジンスキー号の姿が現れた。「神風」のマストに国際信号が翻る。
「交信したきことあり」
が、ゼ号はこれを全く黙殺して。ロバッカ岬を東から西へと過ぎて行く。
「行進を起こせ!強速力となせ!」
「神風「のマストには、国際信号と並んで、指令用の海軍信号が翻った。
私は暗号書を片手に、X兵曹が受信するゼ号の報告を片っ端から解読する。
「われ、日本艦隊の追跡を受けつつあり」
ゼルジンスキー号は八百トンほどのフリゲート艦で、太平洋艦隊のものではなく、国境警備隊の武装パトロールであった。このかよわいソ連船を四隻の日本駆逐艦が追いかける…ブラック・チェムバーがブリッジにまで進出して、刻々情報を解読する、ということは、日本海軍の歴史を通じても、例のない成功であったが、平時に於ける日ソ交渉の求むべき道ではなかった。
やがて、ゼ号は行先をハリューゾフに変更した。こうなっては仕様がない。私は司令に追跡が無駄であると勧告し、抑留者の収容をあきらめて、片岡湾へと引き返した。
こうして暗号書による私の諜報は、ソ連沿岸の警備状況を、根こそぎ明らかにしたが、ロバッカの一件は、私としても無法に過ぎ、後味のわるい思いである。
その上、モスクワの東郷大使を当惑させるような問題を与えてしまったのは相済まないことであった。たかが魚を獲るために、こんな大騒ぎをしないでもよいように、せめて国境の武装だけでも止めたいものだ、と今になって考えるのだが…
青春の血に燃えた私の冒険も、本来の任務には尽くすところがなかったが、それにしても、越境した私がよくまあ射殺されずに生きていたものよと、過ぎた昔を思うたびに、新たな感慨に耽るのである。
(了)
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【調査会NEWS1521】(26.4.9)
警友会というのは警察のOB会ですが、先日ある県で救う会の方々が次のような要請をされました。地域を特定しないようにするため一部直してありますが、内容は概ね次のようなものです。
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報道等でご承知の様に北朝鮮に拉致された可能性のある方々が政府認定を含めて未だ多く北朝鮮当局に拉致され帰国出来ない状況が国連の人権委員会等でも取り上げられ、安倍内閣としても外交の最優先課題として取り組んでおります。
本県においても拉致の可能性が排除出来ない事案として今判っているだけで●名の方々の情報を求め県警ホームページのトップに情報提供を求めるコーナーが設けられました。
加えて全国の家族から申し出が有った北朝鮮に拉致された可能性を否定できない方々で家族が写真を公開して情報提供を求めた特定失踪者問題調査会が製作したポスターが県警本部、全県の各警察署、派出所、交番に掲示される様になりました。
つきましては●月●日予定されている県警友会連合会の場においてお時間を頂戴して拉致問題の広報のお時間を頂戴し広報誌あるいは上記ポスター等配布させて頂く事をご検討頂ければ幸いです。卒宜しくお願い申し上げます。
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これに対して警友会からは次の返事がありました。
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1 申し入れの件につきましては、お受け出来ません。
2 その理由としては、
○ 警友会は既に退職した元警察職員で組織する任意の団体でありまして、会員の親睦と、警友会ができる範囲の、警察への協力支援を目的としており、それ以外の活動は行っていません。
○ 総会は、議案審議や協議検討などで時間的な余裕はなく、また、第三者の出席はこれまでもなく、今後も出席は考えておりません。
○ 会員への資料は、警友会活動に関連するもの以外は配布していません。
以上のとおり、ご回答申し上げます。
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回答の文書を受け取った救う会役員は「失礼ながら、これでは世間の常識と警友会の常識は年々かけ離れていってしまいますね!」と言って退席したとのことですが、別に金銭の提供を求めるわけでもなく、長時間を必要とすることでもありません。会員以外が入ってはいけないならいけないで、やり方はいくらでもあるはずです。
拉致問題は古屋国家公安委員長自ら「自分が最後の拉致問題担当大臣になる」と意気込みを見せてやっているのに、この対応はいかがなものでしょう。もちろん、「警友会と警察とは別組織」と言ってしまえばそれまでですが、警友会が現職の意志に逆らうようなことをするとは思えず、逆に言えばこの回答は現職の意志を反映したものとも言えるでしょう。警察の拉致問題への取り組みがそのレベルであるという象徴とも受け取れます。
年度替わりは中央地方を問わず拉致に担当した国・地方各部署の公務員から転任の挨拶を受けます。お世話になった人には率直に感謝の気持ちを持つものの、「家族も私たちも転任はできないのだけど…」という思いがあるのも事実です。まあ、一日も早く替わってもらいたいのに居座る人もいますが。
北朝鮮ではありませんから、拉致被害者をいつまでに取り返せなかったら収容所送りとか、実行犯をいつまでに何人逮捕できなかったら公開処刑とかいうわけにはいきませんが、それにしてももう少し本気になってくれないものかと、この回答文を見て色々思いをめぐらした次第です。
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【調査会NEWS1520】(26.4.8)
以下、遅くなりましたが先月行われた1万キロ現地調査の報告です。こうしてみると報告に書けないこともかなりあるのですが、それぞれの案件についての調査は今後も引き続き行います。情報等ありましたらぜひお寄せ下さい。
●目的
(1)現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2)広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。(3)現地で特定失踪者家族・政府認定者家族他関係者から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを収録する。
●参加者
調査会:代表荒木・副代表岡田・専務理事村尾・常務理事杉野・同曽田・同武藤・理事上野 計7名
家族会:増元照明事務局長
調査会を支援する会:梅原克彦監査(前仙台市長)
特定失踪者家族等:山下綾子さん・二宮喜一さん・大政由美さん・永本憲子さん・亀谷博昭さんのご家族及び福留貴美子さんの友人等関係者
支援者:中矢民三郎会長他救う会愛媛の皆さん・森田和博会長他救う会高知の皆さん
●日程
3月26日(水)
○今治市で山下綾子さん関連調査
○今治市長・市議会議長面会。その後3班に分かれうち2班はそれぞれ山下綾子さんに関する調査・二宮喜一さん関連聴取
○救う会愛媛主催講演会(今治市総合福祉センター)
山下綾子さん・二宮喜一さん家族のしおかぜ収録。
3月27日(木)
○山下綾子さん関連調査
○大政由美さん実家周辺で調査・しおかぜ収録。
○宿毛市片島公民館で永本憲子さん親族と合流、現地調査・しおかぜ収録
3月28日(金)
○土佐清水市で亀谷博昭さんご家族から聴取。
○香美市で福留貴美子さん及び非公開女性・武内卓さん関連調査。
○高知市内で福留貴美子さん関係者ミーティング
○報告会(高知会館)
■調査対象者と調査結果
① 山下綾子 (やましたあやこ)さん
ア 基礎事項
生年月日:1942(昭和17)年9月20日(現71歳)
当時身分:看護師
当時住所:愛媛県今治市石井町
失踪日:1971(昭和46)年4月
最終失踪関連地点:愛媛県今治市石井町
イ 失踪状況
昭和46年4月のある日、自宅から出たまま行方不明となった。翌日、国鉄今治駅(当時)に自転車が置いたままになっているのが発見される。自宅から勤務先の病院には自転車で通勤していた。またその病院も失踪一週間前に自らやめていたことがあとからわかった。自転車の前カゴに桜の小枝が一本入っていた。普段着のままの外出で、家には預金通帳・印鑑などがそのまま残っていた。
ウ 調査結果
親族への聴取の結果、綾子さんの自転車が国鉄今治駅前で発見されたのは失踪したとされる日の翌々日だったことが判明、その他の状況も含め実際に綾子さん自身が駅前に自転車を置いたのか、再検証が求められる結果となった。
現在今治市内に居住し聴取可能な親族は、綾子さんの失踪状況について元夫だった男性から説明を受けただけで、失踪直前の綾子さんの姿を見ていた人物は誰だったのか更に調査が必要となり、今後も関係者とともに調査を継続することとなった。
② 二宮喜一(にのみやよしかず)さん
ア 基礎事項
生年月日:1938(昭和13)年1月15日(現76歳)
当時身分:会社員(夜は専門学校生)
当時住所:東京都品川区小山
失踪日:1962(昭和37)年9月
最終失踪関連地点:東京都品川区
イ 失踪状況
下宿先に「ちょっと頭を冷やしに十和田湖に行ってくる」とメモを残して失踪。1ヶ月位後に下宿先から「帰ってこないが、実家に帰っていないか」と家族に連絡が来て失踪が判明。将来は無線通信士を目指していた。
ウ 調査結果
家族への聴取の結果、当時は下宿先の息子さんと同じ部屋に同居していた事実が判明し、当時の状況を唯一知る人物として今後、接触を図っていくこととなった。また、「ちょっと頭を冷やしに十和田湖に行ってくる」とメモが残されていたという状況についても再確認が必要となる証言が得られたことから、再調査を行うこととなった。
③ 大政由美 (おおまさゆみ)さん
ア 基礎事項
生年月日:1967(昭和42)年4月5日(現46歳)
当時身分:三重大学研究生
当時住所:三重県津市江戸橋
失踪日:1991(平成3)年3月28日
最終失踪関連地点:韓国・慶州市
イ 失踪状況
3月に三重大を卒業(考古学専攻)。3月27日夜、慶州ユースホステルにチェックインし、翌朝10時に荷物を置いたまま外出し、その後消息不明。現地、慶州警察署で捜索。1991年3月〜94年10月の間に自宅へ数回無言電話。正確な日付は不明だが、午後から夕方にかけてがほとんど。受話器を取ると人の息、生活音も聞こえず受話器を置くまで一言も話さなかった。北朝鮮にいるとの複数の不確定情報がある。
ウ 調査結果
今回は由美さんの失踪から約1ヶ月後の4月下旬に由美さんの実家前に停車していた不審車両について、母・悦子さんから聴取と現場での説明を受けた。不審車両は黒っぽいセダンで男3名が乗車し、由美さんの実家前に長時間停車し、最初に発見したときから悦子さんは「異様な恐怖心を抱いた」という。周囲の状況や説明から、由美さんの実家を監視していたとも取れる状態は何を示唆するのか、今後も関連情報について調査してゆくこととなった。
④ 永本憲子 (ながもとのりこ)さん
ア 基礎事項
生年月日:1964(昭和39)年10月2日(現49歳)
当時身分:高校生(2年)
当時住所:高知県宿毛市片島
失踪日:1981(昭和56)年5月10日
最終失踪関連地点:宿毛市片島のバス停前
イ 失踪状況
5月10日の午前10時30分頃、自宅近くの片島公民館前のバス停で、本人の伯父が見かけて声をかけたところ「もうすぐバスが来る。母の日だから宿毛に買い物に行く」と言っていた。所持金は現金2万円と郵便貯金通帳(残高約5万円)のようだったが、その通帳から現金を下ろした形跡はなかった。
ウ 調査結果
親族の方々から聴取を行い、自宅周辺も検分して回った結果、親族が最終的に憲子さんの姿を見ていたのがバス停の前で、本人も「もうすぐバスが来る…」と答えていたことから「バスに乗車して移動した…」と誰もが考えていたが、「必ずしもバスに乗車したのではない」という可能性が新たに浮上した。また、当時は片島は本土と橋でつながった島であり、バス停からも海が近かったことが分かった。あらためて当時の状況等について見直すこととなった。
⑤ 亀谷博昭(かめたにひろあき)さん
ア 基礎事項
生年月日:1962(昭和37)年7月14日(現51歳)
当時身分:会社員(精密機器組立工場内監督・制御
当時住所:大阪府寝屋川市
失踪日:1986(昭和61)年1月11日
最終失踪関連地点:寝屋川市の自宅
イ 失踪状況
朝自宅から交野市の会社へ出勤したまま行方不明。いつもと全く変わった様子はなかった。
ウ 調査結果
ご両親から当時の状況について改めて聴取を行い、失踪から約2ヵ月後の1986(昭和61)年3月下旬からの1997(平成9)年7月下旬まで実に11年間にわたり無言電話と不審電話があった詳細について伺った。この中で数件、再確認が必要と思われる内容があったため、電話の内容について今後も調査してゆくこととなった。
⑥ 福留貴美子(ふくとめきみこ)さん
ア 基礎事項
生年月日:1952(昭和27)年1月1日(現62歳)
当時身分:アルバイト
当時住所:東京都渋谷区恵比寿
失踪日:1976(昭和51)年7月18日または19日
最終失踪関連地点:海外
イ 失踪状況
1976(昭和51)年7月中旬、同居していた友人に「モンゴルに行く」と言い残して出国後、行方不明となる。1980(昭和55)年3月、突然同居していた渋谷区恵比寿の友人宅に現れた後、横浜市の友人宅に2泊した後、「大阪に行く」と言い残して再び行方不明となるが、後に北朝鮮に渡ったよど号犯の岡本武と結婚し2児をもうけていたことが明らかになる。1996(平成8)年夏によど号犯グループの小西隆裕から実家に「1988(昭和63)年夏に土砂崩れで死亡したと北朝鮮側から知らせを受けた」旨の手紙が送られてきたが、真相は不明のままである。
福留貴美子さんは1970(昭和45)年3月に地元である高知県の高校を卒業後、「綜合警備保障株式会社」に就職し大阪で勤務した後、東京に転勤となり品川区の五反田のTOCビル4階を担当することになるが、この階には、高敬美さん・剛さんを拉致したとして国際手配されている、木下陽子が働くユニバーストレーディング社が入居していた。
※ 福留さんは調査会設立前から救う会で拉致の可能性が高いとされてきた、いわゆる「救う会認定」であり政府認定者のリストにも特定失踪者のリストにも入っていない。
ウ 調査結果
香美市の実家周辺で他の失踪者との関係位置等を検分した後、同級生等からの聴取を行い、失踪前の状況と失踪後の動向について情報を収集した。
⑦ 非公開女性Aさん
ア 基礎事項
生年月日:1941(昭和16)年8月 (現72歳)
当時身分:スナック店長
当時住所:京都府京都市
失踪日:1969(昭和44)年2月
最終失踪関連地点:京都市
イ 失踪状況
実家のある高知県に「(一時的に)帰る」という電話があった後、行方不明となる。当時、スナックの店長として勤務していたが、「経営者が在日だった」との情報もある。
ウ 調査結果
香美市の実家と福留貴美子さん・武内卓さんの実家との位置関係について確認を行った。
⑧ 武内 卓 (たけうちたかし)さん
ア 基礎事項
生年月日:1941(昭和16)年8月 (現72歳)
当時身分:警備会社員
当時住所:神奈川県横浜市鶴見区
失踪日:1996(平成8)年1月14日
最終失踪関連地点:神奈川県愛甲郡清川村
イ 失踪状況
1995(平成7)年9月にアメリカより帰国し、同12月1日に横浜市で警備員の仕事に就く。
翌年1月12、13日の連休にレンタカーを借りて出かける。13日夕方に車を返す予定だったが、同日夕方に返却を1日延ばして欲しい旨の連絡がレンタカー会社に入るが翌日になっても戻らず行方不明となる。14日の夜からは夜勤があった。レンタカーは神奈川県の丹沢大山国定公園の駐車場で発見され、警察でも山を中心に捜索を行なった。
1月23日朝に勤務先から実家に電話があって失踪したことがわかった。レンタカーの中には本人のジャンパーと地図、パンなどを食べた包紙があり、ガソリンスタンドのレシートもあった。14日朝8時、丹沢の山麓のガソリンスタンドで満タンにしている。
ウ 調査結果
実家の位置関係の確認を行った。福留さん・Aさん及び武内さんの実家は近く、時期的には異なるものの何らかの関連があることも今後検討材料にすることとなっている。
※今回の走行距離 592キロ(累計5888キロ)
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【調査会NEWS1519】(26.4.7)
特定失踪者問題調査会副代表 岡田和典
1年4ヶ月ぶりの日朝局長級公式会議から1週間も経たぬ一昨日(4月5日)、日朝非公式局長級会議が行われました。北朝鮮側からの呼びかけで急遽開催が決まったこの会議で、北朝鮮は朝鮮中央本部ビルの売却撤回を強く要求したようです。
今もなお多くの北朝鮮工作員が日本国内で活動し、日本人以上に日本の事情を知る北朝鮮が「司法判断を翻すことは無理」との事情を知らないはずがありません(もっとも、困ったことに北朝鮮絡みでは超法規的措置と思しきことが度々ありました。この辺りのことは次回にでも)。
この件に関して北朝鮮からは、東京地裁による司法判断が下るまで正式な申し入れはありませんでした。「朝鮮中央本部ビルは北朝鮮大使館」との発言は朝鮮総連関係者、国内親北朝鮮勢力、日本のメディアの言葉であり「北朝鮮が我々を見捨てることはない」という、北朝鮮が大好きな人たちの願望に過ぎなかったのでしょう。
北朝鮮が本気でビルを守りたいなら、ミサイル作りを少し控えて借金を返せばよいのであり、本気で朝鮮総連・在日のことを考えているのであるならば、帰国事業者に対する出身成分の廃止、日本との自由往来の許可をしているはずです。司法判断が下り、ハードルが高くなって初めて、交渉のカードとして持ち出したのです。
北朝鮮に1円たりとももたらさないビルなどどちらでもよく、本音は目先の「金」であり、万景峰号の日本への寄港です。北朝鮮国内、大変困窮しているのでしょう。あせりすら感じます。わかりやすい国です。
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【調査会NEWS1518】(26.4.6)
昨日出張で札幌に来ました。今日これから帰京しますが、北海道に来たときよくお話しすることにその特色があります。
北海道は広く、海岸線が長く、それに比べて人口が少ない。もともと本州などから渡っていった人たちの多いところであり、また昔は炭鉱も多く、北海道の人は「よそ者」に対する警戒心をあまり持ちません。私の学生時代のバイト先の先輩でも北海道に旅行しているうちにその魅力にとりつかれて定住している人もいます。
また、自民・社会のいわゆる「60年体制」が強い土地であり、北朝鮮に友好的な団体の勢力が比較的大きい土地柄でもあります。そのようなことから北朝鮮の工作員が活動するためには極めて有利な条件が揃っています。逆に言えば道民の安全を守るためには極めて不利な条件であるとも言えます。圭運丸事件などもまさにそのような中で起きた事件でしょう。
このところ集まってきている情報でも北海道に関するものは少なくありません。できるだけ早く整理して明らかにしていこうと思います。6月には道北に1万キロ現地調査第21回で入ります。圭運丸事件もお知らせしたように検察・警察・海保に告訴状を提出しましたが、放っておけば3庁のたらい回しで終わる可能性もあります。皆様の中にもお気づきのこと、新たな情報がありましたら(もちろん圭運丸事件に限らず)ぜひお知らせいただきたくお願いする次第です。
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【調査会NEWS1517】(26.4.4)
専務理事 村尾建兒
これまでもお伝えしている通り、張成沢一派の粛清・処刑以来、北朝鮮当局により妨害電波の異変が続き、現在も妨害電波が出ない、途中で止まるなど不安定な状態が続いています。こうした北朝鮮内部が混乱しているこの時期に、より多くの情報を注入するために、戦略情報研究所研究員であるキム・チョルミン氏(脱北者・仮名)の協力を得て、新たなコーナーとニュース番組が4月からスタートしました。
内容は、北朝鮮で生きて来た朝鮮人からの視点を生かし、日本での常識が当てはまらない北朝鮮で、どう情報を伝えれば受け入れてもらえるかという点を重視しています。ターゲットは主に北朝鮮の幹部並びに知識人へ向けた物で、日本、韓国のニュース、そして海外での北朝鮮関連ニュースを伝え、また、北朝鮮内部では触れる事の出来ない世界的な常識や知識等を解説し、さらに拉致問題解決が北朝鮮の未来を切り拓く重要な問題である事を伝える等、拉致に関する情報提供を促すアナウンスも交えています。
多くの脱北者が海外のラジオを聴き、日々の生活情報から真実の北朝鮮の姿を知る機会を得ている現状があり、また、その内容は人民の間で口コミとなり伝えられている事から、幹部や知識人に情報を与える事で、拉致被害者救出への鍵となるよう誘導も可能であると考えています。
今後とも皆様のご支援、ご協力をよろしくお願い申し上げます。
◎新周波数で放送開始
「しおかぜ」は、国際的周波数変更に伴い3月30日より、新たな周波数で放送を開始しました。
しかしながら今期においては、残念な事に各放送時間にそれぞれ3波の周波数割り当てを受ける事が出来ませんでした。「しおかぜ」の放送する周波数帯は送信拠点である茨城県古河市と、受信地域である北朝鮮との距離から6MHz帯の周波数を選択しています。ところがこの東アジア地域においては、その6MHz帯の使用頻度が非常に高く、特に中国が多くの周波数を確保している事が分かっています。そのような状況の中で、ITU(国際電気通信連合)の周波数獲得会議では我が国総務省の健闘空しく、希望する周波数の獲得が出来なかったという事でした。
確かに新たな周波数獲得は他国間との駆け引きもあり、非常に大変な作業である事は理解出来ます。また、送信して見なければ分からないという要素もあるでしょう。これまでも各時間それぞれ3波で放送できるように周波数は確保出来ても、実際に送信して見ると他局との混信で使えない周波数であった事もありました。ただ、総務省は周波数リサーチに必要な設備も持っていますし、安倍総理大臣もオールジャパンで拉致問題解決を目指すと明言している訳ですから、拉致被害者の命が掛かっている事を肝に銘じて、それなりの姿勢で臨んでもらいたいと願うばかりです。
今回の周波数獲得が出来なかった件については、三宅博衆議院議員(日本維新の会)にもご尽力頂き、総務省電波政策課とも直接やり取りをする事が出来、今後の対応に期待する次第です。この場を借りて感謝申し上げます。
北朝鮮の状況が大きく変化する中で、夜3波、深夜2波という体制で今期は臨む事になりますが、妨害電波に屈する事無く情報注入に全力を尽くして参ります。
周波数は以下の通り
夜 10:30〜11:30 5985kHz 6020kHz 6135kHz
深夜 1:00〜2:00 6090kHz 6165kHz
◎現地調査家族収録
第20回現地調査愛媛高知において、参加同行されたご家族による「しおかぜ」メッセージの収録を実施しました。
愛媛県今治市では特定失踪者山下綾子さんの従兄弟である長島清志さん、特定失踪者二宮喜一さんの姉である森八千代さん。伊予市では特定失踪者大政由美さんの母である大政悦子さん。高知県宿毛市では特定失踪者永本憲子さんの叔母さんである伊藤博子さん、土佐清水市では特定失踪者亀谷博昭さんの母である亀谷定子さん。そして今回は拉致被害者(救う会認定)で、よど号グループの岡本武の妻である福留貴美子さんの高校時代の同級生4人からもメッセージ収録を行いました。
この模様は4月5日より放送し、再編集後ランダムでリピート放送します。収録にご協力下さった皆様に心より感謝申し上げます。
▲現在の「しおかぜ」放送時間と周波数は以下の通りです
夜 22:30〜23:30 5985kHz 深夜 1:00〜2:00 6165kHz
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【調査会NEWS1516】(26.4.3)
「大町ルートというものは存在しない」
7、8年前ですが、警察庁外事課の担当者(仮にA氏としておきます)からこう言われたことがありました。
A氏は山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件について「(山本美保さんの)ご家族に聞いてみると良いと思いますよ」と、自殺であってあの遺体は山本美保なのになぜ騒いでいるのかとでもいうような言い方もしていましたから、本心でどう思っていたのかは別にして役回りで私たちの言っていることを否定することになっていたのでしょう。逆に言えばこちらの主張が当たっていたということかも知れません。
昨日藤田進さん(新潟)のお母さん、フミさんの葬儀の帰り、大糸線で南下して松本から「あずさ」で帰りました。文字通り大町ルートです。大糸線の列車に揺られながらあのときのA氏の言葉をふと思い出しました。
別に北朝鮮の工作員が「大町ルート」と呼んでいたわけではなく、アメリカが北朝鮮のミサイルを「ノドン」とか「テポドン」と名付けたのと同じようにこちらで便宜的に考えた名称ですが、名前はどうであれこのルート沿いには不審な失踪が非常に多く、また途中の山梨県・長野県などには北朝鮮の協力者と思われる人間が、土地の有力者として存在します。起きたことを見ていけばそれだけで十分に怪しいことは分かります。
その大町ルートが日本海に出たところが糸魚川市で、藤田進さんの失踪した旧青海町は当時西隣の町でした(現在は合併で糸魚川市になっています)。旧青海町から名所親不知を挟んで富山県の朝日町があり、藤田さん失踪の3年後の昭和43年2月に高校3年生の水島慎一さん、さらにその隣の入善町では水島さん失踪の前月に屋木しのぶさんが失踪しています。メールニュースの1486号で書いた中に工作員上陸について「時期は主として土・日・祭日又は新月等。上陸場所は県境が最適」とありますが、まさに親不知は県境です。
親不知は昭和30年代後半に書かれた水上勉の小説『砂の紋章』の舞台で、半世紀前近く前の小説なのに北朝鮮工作員の上陸の話が出てきます。当時水上勉は現地で取材して実際にあった話をもとにこの小説を書いたと言われています。確かに非常にリアルに感じられる内容です。もう絶版になっていると思いますが古書はときどき出ているようですから関心があればご一読下さい。
A氏の「大町ルートは存在しない」というのが、「存在するが認めない」なのか「存在したとは知らなかった」なのかは分かりませんが、明らかに事件が起きていたことは間違いありません。大事なのは現実を直視することではないかと思います。
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【調査会NEWS1515】(26.4.2)
昭和40年に新潟県青海町(現糸魚川市)で失踪した藤田進さんのお母さん、フミさんが3月30日逝去されました。
藤田さんのところには一昨年8月、1万キロ現地調査で訪れました。このとき既にフミさんは92歳でした。ご自宅で収録した「しおかぜ」のメッセージは次のようなものです。新聞の折り込み広告の裏に書かれたメッセージを一所懸命読んでおられました(写真はそのときのもの。右が藤田進さん)。
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進、かあちゃんはお前のことを忘れた日はありません。昭和40年3月26日カレーを食べて出かけけたあの夜から忘れたことはありません。この空の下にどこかで生きていると信じています。かあちゃんががんばっております。必ず生きて会いたい。
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ご自宅を辞して海岸に向かうとき、フミさんは両手を合わせて私たちを拝むようにしておられました。息子さんを思う母の気持ちと、消息一つお届けすることのできない私たちに頼らねばならない現実を思うとき、その姿には皆胸の塞がれる思いでした。
昨日(4月1日)糸魚川市内でお通夜が執り行われました。私も今日の葬儀には参列する予定です。行ったところで何の弁解もできないのですが、せめてお詫びをしなければ、と思っています。
なお、このときのフミさんの「しおかぜ」メッセージを含めた1万キロ現地調査第10回(山梨・長野・新潟)の模様は戦略情報研究所の映像配信「隼チャンネル」でご覧になることができます。
http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html
(「隼チャンネル」の第4回「第10回 1万キロ現地調査報告 山梨・長野・新潟 大町ルート編」のところをご覧下さい)
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【調査会NEWS1514】(26.4.1)
日本には世界に冠たる平和憲法があり、世界最強の米国が守ってくれていますから、何もしなくても外国からの侵略などありません。見て下さい。あのオバマ大統領の果断な姿勢、シリアでもクリミアでもすごいじゃないですか。北朝鮮の核も人権も米国が「無慈悲」に片付けます。もちろん拉致被害者も助けてくれるはずです。
日本国内の工作員は皆逮捕しました。今日本の中には工作員は他の国の連中も含めてほどんどいません。拉致は海から上がった工作員がたまたま目の前にいた人間を連れて行ったものです。北朝鮮の工作員はすごいですからね。パッと見ただけで相手が印刷工とか、技術者とか、看護師とか見分けるんです。そして直ぐに捕まえてエイトマンのように誰にも見えないスピードでどこまでも抱えて走っていくんです。
拉致被害者が多数いるなどという不届きな団体がありますが、現在の認定被害者17人以外にはあと2人、いや、3,4人、まあそれにもう少し加えたくらいしかいません。17人は厳格に3要件に基づいて認定しています。「認定された曽我ミヨシさんが北朝鮮にいた証拠はあるのか」とか、「認定されていない寺越武志さんは現実に平壌にいるではないか」と言ったり、写真があるとか目撃証言があるとか些細なことを騒ぎ立てる「人間のクズ」もいますが、政府・警察は法と証拠に基づいて厳格にやっています。間違いがあるはずはありません。だから政府・警察のやってきたことに間違いはないんです。
DNAデータ偽造事件?そんなことを政府がやるわけないでしょう。座高が違おうが遺体の状況が矛盾していようが遺留品が違おうが、山形の遺体は山本美保さんです。山梨県警発表の2か月後に小泉総理の第2次訪朝があったのは偶然ですよ。まあ、山梨県警とか、一部の「妄動分子」がやっていれば分かりませんが、いずれにしても警察庁には関係ありません。いわんや政府中枢に関わった人間がいるはずはありません。
北朝鮮は今話し合いに乗ってきていますから、話し合いで全ての被害者を取り返すことができます。話し合いさえしていれば、北朝鮮が「申しわけありませんでした。これこれの人を拉致しておりました。皆生きています。すべてお返しします」と言ってきます。宋日昊も記者にきかれてそう言ってたでしょ。今ミサイル撃ったり大砲を撃ったりしているのは「返しますよ」っていう祝砲みたいなもんですよ。
自衛隊?そんな物騒なものを使ったら北朝鮮が話し合いに乗ってくるはずがないでしょう。ご家族が高齢?体制が不安定?じゃあまあ、しっかり議論して法整備でもしましょうか。自衛隊法を変えて、憲法を変えて、全部整ったらそのとき考えましょう。「そんなことしていたら死んでしまう」ですって?日本はほうち国家ですよ(このシャレ、分かったかな)。
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書いているうちに、永田町や霞ヶ関に残りの364日本気でこう考えている人間がいるのではないかという気になってきました。そうでないことを祈るばかりです。
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