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2012年8月30日

1万キロ現地調査第10回(山梨・長野・新潟)報告

【調査会NEWS1230】(24.8.30)

◎参加者(参加順)

調査会・支援する会・特定失踪者家族・美保さんの家族を支援する会・予備役ブルーリボンの会・庄内ブルーリボンの会・ブルーリボン柏崎・大澤孝司君と再会を果たす会他地元関係者

◎日程

8月25日(土)

●甲府駅南口駅レンタカー営業所前集合。調査開始。

●甲府駅南口の山本美保さん失踪当時バイクが発見された場所で状況の確認。

 山本美保さんは昭和59(1984)年6月4日午前10時頃、家族に「図書館に行く」と言い残して甲府市長松寺町の自宅から原付バイクで出掛けたまま所在不明となる。2日後の6月4日に甲府駅前でバイクが施錠された状態で発見され、さらに6月8日、新潟県柏崎市の荒浜海岸で本人のセカンドバッグが発見された。しかし結局美保さんの行方は不明のままだった。失踪後度重なる不審な電話がかかってきた。不審な電話(意味不明な内容のものや無言電話、何らかの偽装と思われる電話など)が特定失踪者の家にかかってきた例は多数存在する。

 失踪当日、美保さんが家族に「図書館に行く」と言い残して外出した件については、当時(昭和59年)の図書館運営要綱に「休館日は日曜及び第1・第3日曜日の翌日」と記されており、6月4日(月)は第1日曜日の翌日にあたるため、休館日となっていた。

 休館日であることに気付かなかった可能性もあるが、美保さんが休館日のことを知っていて出かけたのならば、家族には嘘をついて出掛けたこととなる。「小さな嘘」をついて出たまま失踪するケースも特定失踪者に多数見られる。何らかの形で家族に説明できないような状況を作為され、誘引された可能性がある。

 自宅を出た後の細部の行動については不明だが、山梨中央銀行甲府駅前支店で現金5万円が美保さん名義の口座から引き出されている。特定失踪者では失踪後本人名義の銀行預金が引き出されるケースが1990年代を中心にいくつかある。この預金引き出しが本人か別人かは不明。荒浜海岸で発見された美保さんのセカンドバッグには財布も入っており、現金約8,700円が残されていたが、甲府駅前で引き出された5万円との差額がどうなったのか、謎が残る。

 今回は本調査とは別に前日24日に事前調査を行った。甲府市内で美保さんの当時の立ち寄り先であった喫茶店について調査を行った結果、現在は閉店となっている喫茶店の経営者宅を探し出すことに成功し、在宅中であった元経営者の実弟も当時、喫茶店で何度か美保さんと会っていたことが判明したため、今後継続して元経営者や経営者の実弟から当時の交友関係などについて聴取を行うこととなった。

 また、家族からは失踪の前年、昭和58年の秋口か11月頃、甲府市内でバイクに乗車していた美保さんが信号停車した際に黒い服姿の男に「刑事さんの娘さんですね?」と声をかけられ、帰宅後その話を聞いた母親が「行動に気を付けるように」と注意を促していたことも新たに情報として提供された。山本美保さんの失踪には山梨県内に住む固定工作員ないし協力者の存在が想定される。その面からの今後調査をさらに進める必要がある。

●山梨県警本部前で山本美保さん及び非公開失踪者女性Oさんについて状況確認。終了後車両で移動。

 Oさんは昭和54(1979)年6月4日正午頃、自家用車で自宅を出た後、甲府市内の勤務先病院で午後からの会議に出席した後、一旦外出して市内の百貨店に行き、再度病院に戻り17時30分頃に病院1階の待合室で同僚と立ち話をした後所在不明となる。約3か月後の9月10日、車だけが長野県松本市で発見されるが本人の足取りは依然不明のままである。

 当時、山梨県内の報道ではOさんに関して「金に困っていた」、「同僚から借金」、「同僚を妬んでいた」旨の記事が新聞に掲載されていた。今回、Oさんの家族(母・弟)に聴取を行った結果、当時の報道記事とは全く違うことが判明した。

 失踪当日、Oさんは病院での会議後、一旦外出して市内の「岡島百貨店」に景品交換に行っている。新聞報道では「百貨店には行ったが景品は受領してこなかった」となっているが、失踪後に家族が百貨店の駐車場管理者を探し出して話を聞いた際、Oさんのことを記憶していた。当時の出入記録と照合して「入庫して直ぐに景品を受領して出庫した」と証言しており、Oさんは間違いなく岡島百貨店に景品を受領に行っていたことが確認された。また、失踪後家族のもとに誰からもOさんの借金に関して取り立ての申し出もなく、「Oさんが借金していた」との記事は根拠のないものであることも家族の証言で確認された。

●山本美保さん自宅で山本文子さん・森本美砂さんのしおかぜ収録。

●川合健二さんの元自宅(甲斐市)近くで失踪状況の確認。終了甲府昭和インターから中央道で松本へ(途中各自昼食)。

 川合健二さんは昭和54(1979)年4月4日夕刻、中巨摩郡内で運転中接触事故を起こし、被害者を病院に送り届けてから一旦自宅に戻ったが、すぐに車で家を出て所在不明となる。車も見つかっていない。失踪直前、10万円くらいずつ小分けにして300万円が引き出されていた。

 川合さんには当時、「山ちゃん」と呼ばれる在日の友人がおり、川合さんが留守でも自宅に上り込み、借金を申し込むような人物であった。家族の話では、川合さんの失踪後に北に渡ったと聞いており、実際川合さんの失踪後は自宅に顔を見せなくなった。

 家族が知らぬ間に合計で300万円の預金を引き出していたこと、川合さんの失踪後に顔を見せなくなった在日の人物が川合さんの失踪の謎を知っているのかについてさらに今後の調査が必要である。

●松本駅近くのOさんの自家用車が見つかった地点の調査及び状況確認。

 Oさんの車両発見時の状況について家族は「失踪後、直ぐに車は乗り捨てられたのだと思う。何故なら車のドアから草が入り込み、3〜40cmまで伸びていたからだ」と述べ、数か月放置された車内に野草が入り込んだと推測しているが、Oさんの車両は失踪の約1か月前に車検を終了した際、走行距離が約1万9000kmだったのに対し、発見時は約21000kmの走行距離をメーターが示していた(正確には車検終了後から1,620kmの走行距離となっていた)。発見時の走行距離からOさんが通勤やドライブに行った際の走行距離を概算(多め)で計算しても実際には約400kmほど多く走行がなされており、失踪後直ぐに乗り捨てられたと結論づけるには謎が残る。

 また、Oさんの失踪に関する山梨県警の捜査もかなり杜撰であったことが判明した。第一に車両発見時、家族が合鍵を持参して松本市まで行き、警察がOさんの車を自宅に持って帰るのを許可したため、家族が乗車して自宅まで持ち帰った。翌日になって所轄署が慌てて指紋採取や遺留品捜査のために自宅を訪れたが、車両には既に家族があちらこちらと触れていたため、結果指紋採取は失敗に終わっている。遺留品については、段ボール箱に詰めて所轄署に持ち帰ったが、後日家族が所轄署を訪れて遺留品の返還を求めると「どこにやったか分からない」旨の回答であり、今日までOさんの遺留品については所在不明のままとなっている。山梨県警は失踪翌年、自殺として捜査を打ち切っているが、前述の事実と異なる報道について、自殺説に誘導するためのリークでなかったかとの疑いも残る。

●菊地寛史さんご家族しおかぜ収録。終了後糸魚川へ。

 菊地寛史さんは就職直後の平成10(1998)年4月5日、社員教育研修の宿泊先(長野市内)において2階の自室に靴を残したまま失踪した。窓下の庭に本人の眼鏡等が泥をかぶって落ちていた。本人は極度の近視で、眼鏡なしでは歩けないという。今回日程の関係上関連地域の調査は行わなかったがご両親が調査に参加されたのでしおかぜメッセージを収録した。

●青海の藤田進さん自宅訪問。お母さんの藤田フミさんしおかぜ収録。長靴が置かれていた海岸の調査。妹さんの榊原冷子さんしおかぜ収録。本人が自宅から向かったはずの映画館「北斗座」周辺調査。糸魚川で宿泊。

 藤田進さんは昭和40(1965)年3月26日(金曜日)、猛吹雪の中、自宅から徒歩で15分位のところにある「北斗座」で開催されていた明治大学マンドリンクラブの演奏会に出かけたまま所在不明となった。

 今回、妹・冷子さんから当日の状況について聴取を行った。家族は進さんが帰宅しないため、映画館まで探しに行ったが、受付にいた人は「来ていない」との回答だった。また、近所の住民が道路上の進さんを目撃していたとの新たな証言があったが、映画館に向かう途中で目撃されたのか、別方向に向かうところを目撃されたのかは不明である。

 失踪の翌日か翌々日、進さんの捜索を行っていた住民が海岸に長靴が1足揃えて置かれているのを発見したが、冷子さんの記憶によれば発見された長靴には赤いラインが入っていたとのことで、進さんは青色を好んでいたことから海岸に置かれていた長靴は進さんのものではなく、更に進さんの性格は「気が小さい」ため、夜の真っ暗な海岸には足を向けるはずがないと考えている。この長靴は捜索をしていた人が見つけたものだが、誰かが自殺を偽装した可能性もある。

 藤田さんの失踪の3年後、昭和43(1968)年1月に青海から親不知・子不知を隔てた富山県入善町で屋木しのぶさん、2月に朝日町で水島慎一さんと、同世代の男女が失踪しており地域的な関連も推測される。

8月26日(日)

●宿舎から親不知へ。海岸に下りて現地調査。その後柏崎へ
 親不知一帯は工作員の上陸地点であり、水上勉の小説『砂の紋章』にも工作員がこの地域で暗躍する場面が出てくる。この小説は実話に基づいたものと言われている。地理的には隠れやすく、侵入しやすい場所である。

●柏崎中央海岸付近蓮池夫妻拉致関連現場調査
 蓮池夫妻の拉致についてはすでに言われていることと実際は異なるのではないかという疑問が提起された。当時の現地は現在のように整備されておらず、少なくとも中央海岸からゴムボートで海へ出たとは考えにくい。今後本人たちの協力も求めてさらに調査することが必要と考えられる。

 また、現地調査とは直接関係ないが、8月9日に東京で行われた救う会の集会で公開された蓮池祐木子さんから増元照明・家族会事務局長の質問に回答する手紙の中で次のような部分がある。

 「るみ子さんとは、1978年秋から翌年の秋の10月25日まで、約1年間一緒に生活しました。
 ピョンヤン駅からあまり遠くないアパート(幹部が多く住んでいて、ベンツが多く出入りして、歩哨も立っていました)で、私が他の招待所からそのアパートに引っ越した後、指導員がるみ子さんを連れて来ました。現地で作ってもらったワンピースを着て、荷物はスーツケース(外貨ショップでみんながひとつずつ与えられた)ひとつを持って」

 このアパートは西独から騙されて北朝鮮に家族と共に入り、後に脱出した呉吉男博士が居住し、特定失踪者生島孝子さんと思われる女性を目撃したところではないかと思われる。生島さんと思われる女性もそこに居住しており、蓮池祐木子さん・増元るみ子さんとは時期が異なるが、3人がいたのであれば当然他の拉致被害者もいた可能性がある。アパートは日本人や在日朝鮮人もよく泊まる高麗ホテルの隣にあり、日本からの訪問者が拉致被害者を目撃していた可能性があり今後一層の情報収集が必要である。

 これについて生島孝子さんのお姉さんである生島馨子さんは蓮池さん宛事実関係を確認する手紙を送ったが現時点では返信は届いていない。以上について状況確認の折説明した。

●越後線荒浜駅周辺調査。徒歩で移動し山本美保さんのセカンドバッグの落ちていた荒浜海岸調査。山本美保さんの同級生小野仁美さんのしおかぜ収録

 仮に美保さんが荒浜海岸に行ったとするならば最寄りの荒浜駅から徒歩で移動したと推測される。荒浜駅から海岸までの道のりを徒歩で実際に移動した結果、現在の整備された道路でも約40分を要したことから、道路状況などを考慮すると当時荒浜駅から海岸までは真っ直ぐ向かったとしてもそれ以上の時間を要したであろうとの結論に至った。現地をよく知る人物は、「荒浜海岸は観光地でもなく、また自殺などの名所でもない。初めてこの土地を訪れる人が荒浜を目指すことは考えられない」と述べている。蓮池薫氏の実家にも近く、地元の協力者が自殺を偽装するためにここを選んでセカンドバッグだけ置いた(セカンドバッグの入っていたバッグなど他の遺留品は見つかっていない)と考えるのが妥当ではないかと考える。

●調査終了・解散。甲府から柏崎まで走行距離363㎞(累計2954㎞)。

※山本美保さんについては平成16(2004)年山梨県警が別の身元不明遺体をDNA検査の鑑定結果(非公開)を理由に本人であると発表(DNAデータ偽造事件)以来、そちらへの対応がほとんどになり、失踪自体の調査が十分になされてこなかった。この反省に立って今回は失踪自体の調査に力点を置いた。ただし、県警の担当者が家族に説明したと言っている内容と、家族や関係者が聞いた内容が著しく異なるため、今回にあわせて当時の担当者による説明を警備部長宛求めたところ、警備部参事官より「担当者は替わっているので自分たちが対応したい。2人からは話を聞いている。本人に会っても同じ話になる」との電話があった。そのやりとりの中で参事官は「山本家で山下先生(森本美砂さんの恩師で調査会理事)を廊下に呼び出したことはない。あのときが初対面でありそんなことはしていない」と話したが、これは事実に反する。25日の県警本部前での状況確認ではこのやりとりについて報告し山下理事から当時の状況についての説明があった。

 なお、県警本部前での状況確認中に通行人を装った不審な人物が後ろを通りながら話を聞いているのが確認された.。

以上

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2012年8月27日

記録

【調査会NEWS1229】(24.8.27)

 1万キロ現地調査第10回は昨日午後予定通り終了しました。今回も様々な収穫がありました。後日報告しますが、参加されたご家族、山本美保さんの家族を支援する会、庄内ブルーリボンの会、ブルーリボン柏崎、予備役ブルーリボンの会などご協力いただいた皆様に心より御礼申し上げます。

 以下は報告に入れる種類のことではありませんが、当日明らかにしていますのでここでお知らせしておきます。

 この調査にあたって、私の方から山梨県警警備部長宛に、8年前の県警発表当時丸山潤・警備1課長の下にいた2人から直接話を聞きたいとの要請文書を出していました。家族が2人から聞いた話と県警が「2人が家族に話した」という話が余りにも違い過ぎるので本人に話を聞かせて欲しいということでした。

 これに対し2週間ほど前に県警警備部の参事官から電話があり、「担当者は替わっているので自分たちが対応したい。2人からは話を聞いている。本人に会っても同じ話になる」とのこと。まあ、予想された回答ではあったのですが、そのやりとりの中で参事官は「山本家で山下先生(森本美砂さんの恩師で調査会理事)を廊下に呼び出したことはない。あのときが初対面でありそんなことはしていない」と話したのには驚きました。

 この場面は平成15年4月26日のやり取りです。「山本美保さんの家族を支援する会」で作ったパンフレット「真実はひとつ」の7ページにもあるように、山下理事は廊下に呼び出されてDNA鑑定について家族に話すよう求められています。また、このときは初対面でもありませんでした。これまでこのことについて警察から否定されたことはありません。25日の県警本部前でのブリーフィングではこれを報告し山下理事から当時の状況についての説明がありました。

 「話は聞いているので本人に会っても同じ話」と言う割には聞くたびに違う話が出てくるというのは何なのでしょう(2人の話ではありませんが、調べていた遺体がいつの間にか山形の遺体以外にもう1体あったという話が出てきたこともありました)。

 県警本部の前でこのことを説明していたら同じ通行人(?)が何度か後ろを通り過ぎるのが見えました。警察の発表が正しいのならこちらはいつでも納得するのですから、変な小細工はやめて(ついでに言えば県警などに押しつけないで)きっちりと決着をつけてもらいたいものだと思います。

※ 「真実はひとつ」は以下の調査会のホームページでご覧になれます。 また拙著『山本美保さん失踪事件の謎を追う』の218ページにも掲載されています。

http://www.chosa-kai.jp/newbuhin/yamamoto/index5.htm

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2012年8月26日

日本海

【調査会NEWS1228】(24.8.26)

 現在1万キロ現地調査第10回の途中です。後日発表しますが昨日も色々なことが分かりました。今日はこれから親不知に向かい、その後柏崎に行きます。親不知を挟んで新潟側で昭和40年に藤田進さん、昭和43年に富山側で屋木しのぶさんと水島慎一さんが失踪しています。水上勉の小説『砂の紋章』にもここを舞台とした北朝鮮の工作活動が出てきますが、この小説は実際にあった話をもとに書かれたと言われており、藤田さんの失踪と関係があるのではないかとも言われています。

 藤田進さんのお宅では92歳になるお母さんのフミさんの「しおかぜ」メッセージを収録しました。

 「すすむ、かあちゃんはおまえのことを、思わない日はありません。
 昭和40年3月26日、カレーを食べて出かけたよね。あの夜から忘れたことはありません。
 この空の下、どこかでいきていると信じてかあちゃん頑張っています。
 必ず、生きて会いたい!」

 フミさんはきれいな字でこう書かれたメモを読んでおられました。お宅から関連地点へと移動する際、ご自宅の玄関で両手を合わせて私たちを拝んでおられた姿には申し訳ないというか、悔しいというか、何ともやりきれない思いでした。

 ところで、今回はいわゆる「大町ルート」を通りました。松本から大糸線沿いに国道を北上し、山中を抜けて日本海が見えたとき、ふと「ここを通ってきた工作員は日本海を見て『ああ、これで祖国に帰れる』と思ったのではないか」と感じました。固定スパイでなければ人質である家族を北朝鮮に残してやってきたのでしょう。こっちは彼らに奪われた人を取り返す立場ですから変な感傷にひたっている場合ではないのですが。

 何とか少しでも真実に肉薄していきたい、一日も早く取り返したいと思うばかりです。

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2012年8月24日

第10回1万キロ現地調査/ライトアップ

【調査会NEWS1227】(24.8.24)

■第10回1万キロ現地調査の日程について

 明日から行われる1万キロ現地調査の概要は以下の通りです。関係各位のご協力をよろしくお願いします。なお調査状況や周辺の交通状況により時間が前後する可能性がありますので予めご了承下さい。

<特定失踪者問題調査会1万キロ現地調査第10回(8.25〜26 山梨・長野・新潟)>

●目的
(1) 現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2) 広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3) 現地で特定失踪者家族から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを収録する。

●参加予定者

調査会・調査会を支援する会・山本美保さんの家族を支援する会・予備役ブルーリボンの会(RBRA)・庄内ブルーリボンの会・ブルーリボン柏崎・大澤孝司君と再会を果たす会・三井田孝欧柏崎市議

特定失踪者家族:山本文子さん(山本美保さん母)・森本美砂さん(同妹)・菊地正美さん(菊地寛史さん父)・ 菊地惠子さん(同母)・藤田フミさん(藤田進さん母)・榊原冷子さん(同妹)

●日程(変更の可能性がありますのでご了承下さい。お問い合わせは事務局までお願いします)
(調査会専務理事村尾090-2140-3411 ないし常務理事曽田090-4937-2595)

8月25日(土)
0830 甲府駅南口駅レンタカー営業所前集合。レンタカー手続き終了後調査開始(車両は駐車場に置いて徒歩で移動)山梨県警本部前でブリーフィング。非公開失踪者女性の失踪関連地点等を調査。終了後車両で移動。山本美保さん自宅前でしおかぜ収録。

1000 スーパー・アマノパークス駐車場(甲斐市篠原1433)川合健二さん失踪関連地点(自宅)調査。甲府昭和インターから中央道で松本へ(途中昼食)

1300 エックスレンタカー松本駅前営業所前(Oさん失踪関連地点 松本市深志1-5-1)調査。菊地さんしおかぜ収録。
終了後糸魚川へ。

1640 JR西日本青海駅北口で青海からのメンバーと合流。

1700 青海の藤田進さん失踪関連現場調査、しおかぜ収録。
参加者宿泊:ルートイン糸魚川(糸魚川市横町2-13-2 025-553-1161)

8月26日(日)

0900 宿舎発

0930 親不知観光ホテル(糸魚川市市振119)前。付近を調査した後親不知インターから柏崎へ

1140 米山インターを降り国道8号線を柏崎方に約100メートル行った駐車場(一部メンバー合流)

1200 中央海岸駐車場(アクアパークはす向かい 柏崎市東港町7)。蓮池夫妻拉致関連現場調査。

1240 越後線荒浜駅 車両運転者以外は徒歩で荒浜海岸へ 山本美保さん関連地点調査。
   記者会見(第10回1万キロ現地調査の総括及び山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件についての発表)。

1400 解散予定

■ゲートブリッジライトアップ

                                       荒木和博

 これは東京都のイベントですが、8月27日(月曜)から9月2日(日曜)の日没から深夜0時00分まで、東京ゲートブリッジをブルーリボンをイメージした色にライトアップします。スタートの27日には家族会の方々や都内在住の特定失踪者ご家族が若洲海浜公園から視察し、都の担当者から説明を受けます。

 何だかんだ言っても野田総理がブルーリボンバッジを常に着けているのは外国の首脳などにもアピールになると思います。このような形のアピールを各自治体や企業などでもやってくれれば内外への広報活動としては悪くないですね。さらにイージス艦やF15、最新鋭の10式戦車などにもブルーリボンを付ければ言うことなしですが。

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2012年8月21日

平壌駅前のアパート

【調査会NEWS1226】(24.8.21)

  8月9日の救う会東京連続集会で披露された蓮池祐木子さんから増元るみ子さんへの手紙には祐木子さんとるみ子さんとは、拉致をされた昭和53年(1978)の秋から翌54年10月25日まで、約1年間一緒に生活したとされています。その場所は「平壌駅からあまり遠くないアパート」とされていますが、ソウルにいる呉吉男博士が特定失踪者生島孝子さんと思われる女性とその前で出会ったアパート(二人ともそのアパートの中に居住していた)も同じ建物である可能性があります。

(Googleマップの下記のアドレスで出てくる建物、画面上隣りが高麗ホテル、下には平壌駅がある)
http://maps.google.co.jp/?ll=39.007607,125.736718&spn=0.001151,0.002004&t=h&z=19&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,1

 去る3月、日弁連に対して行った第2次人権救済申立の折の生島さんに関する申立書の中で、それに該当する部分は次の通りです。
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 ドイツに在住していた韓国人学者呉吉男は北朝鮮と関係の深かった音楽家尹伊桑に誘引され、家族を連れ1985年11月北朝鮮に入った。その後1986年11月に家族を残し出国したまま北朝鮮には戻らず、現在韓国で家族を救出する運動を行っている。

    呉吉男は北朝鮮で政府認定拉致被害者石岡亨と思われる男性及び生島孝子と思われる女性を目撃している。以下は2004(平成16)年1月21日、ソウル市内の自宅に呉吉男を調査会代表荒木和博が訪ねたときの記録である。

 その女性と会ったのは1986(昭和61)年。当時自分は44歳で、住んでいた場所は平壌市中区域東興洞、蒼光通りに面した平壌駅前デパート横の20階建てアパートだった。自分はその12階に住んでおり、その女性もそこに住んでいたが、建物の中で顔を合わせたことはなかった。ひとつの階に6〜7世帯が入っており、工作員が住んでいた。当時この女性はご主人が外国に出ていたようだ。自分と同じ位の年格好に見えた。子供がいたかどうかは不明。

    その女性はトロリーバスに乗ってきた。中庭で会い、北朝鮮の人と異なった印象を受けた。憂愁を帯びたような感じ、清潔な印象。丸顔で印象は生島孝子さんとお姉さん(馨子さん)の写真と似ている。身長は155センチ程度ではないか。

    知的で、少なくとも高校くらいは出ていた感じ。大人しい、静かな感じの人。ツーピースの服を着ていた。

    その女性の方から「ヨーロッパから来られたのでしょう」と声をかけてきた。「(自分は)日本語を教えています」とも言った。

    その後もう一度見かけた。人からその女性が日本語を教えていると聞いた。

   蒼光通りには食堂が多い。半分外貨、半分北朝鮮ウォンでやる食堂で朝鮮総聯関係者が多かった。こういうところに出入りする人間はこの女性を見た可能性がある。
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 生島孝子さんのお姉さんである生島馨子さんは先日蓮池祐木子さんに、「平壌駅からあまり遠くないアパート」がここのことか、他に情報がないかを尋ねる手紙を送っています。残念ながらこれに対し蓮池さんからは政府の拉致問題対策本部に「こういうものが届くと困る。対策本部を通すようにして欲しい」との連絡があったとのこと。私たちからの問合せならともかく、失踪者の家族からの問合せですから直接返事をしてもらいたいとも思い、私から蓮池さんへもその旨書いた手紙を送りました。

 ただ、以前は特定失踪者のご家族が手紙を出しても蓮池さんからは丁寧な返事が返ってきており、今回こういう対応になったのは、生島さんのいたアパートと祐木子さん・増元るみ子さんのいたアパートが同じであったという証明なのかも知れません。

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2012年8月20日

大森勝久氏『山本美保さん失踪の謎を追う』を読んで

【調査会NEWS1225】(24.8.20)

※私(荒木)はふとした縁で大森勝久氏とのやりとりを続けています。ご存じの方もおられると思いますが、大森氏は昭和51年に起きた北海道庁爆破事件の犯人として逮捕され死刑判決を受けた人です。獄中で転向して現在は保守派としてホームページなどで言論活動を行っています。裁判については再審請求中で、無罪を主張して札幌拘置所でもう40年近くを過ごしています。

 私は大森さんとは色々意見の異なる部分もあるのですが、冤罪であることについては確信を持っており、今も書信を往来したり面会をしたりしています。その大森さんに拙著を送ったところ2回に分けて以下のコメントを書いてくれました。興味深い内容がありますので、本人の了解のもとに明らかにする次第です。
(荒木和博)
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『山本美保さん失踪の謎を追う』(草思社刊)を読んで

     評論家 大森勝久(北海道庁爆破事件再審請求者)

 まだ、拾い読みした程度ですが、少し意見を書いてみます。

 DNA鑑定にSTR型検査を導入したのは2003年であると読売新聞8月7日付朝刊(「東電OL殺害事件」の特集記事)に出ていました。警察が全国的に導入したのですね。1ページ全面使った記事でした。

 それでSTR型検査を使って、「DNA鑑定を捏造」しようと計画したものと判断されます。本書124ページの上野正彦氏の記事(「DNAだけが一致し、他が一つも一致しないならば、DNA鑑定を疑うのは当たり前のことだ」)には全く同感です。お父様の死去もありましたから。美砂さんの血液を採取して(2003.5.7)、「50ミリグラムの骨髄」に微量をかけたのでしょう。

 骨髄は、昔のもの(1984.6)で、山形大に保存されていたものですが、冷凍庫で保存していたものではないです。常温で長期保存しますと、劣化して元のDNAは壊れてしまいます。前述読売の記事に出ています。

 しかも微量です。この場合、ちょっとした外部からの混入物がありますと、そのDNAが出てしまいます。このことも同じ読売記事に捜査員のDNAが検出されることになった例が書かれています。

 警察は、まず警察庁の科学警察研究所で鑑定を行い、どの程度の美砂さんの血液を混ぜたらいいのかを調べたのでしょう(この人らが口を開くとは思えませんが、国会の調査権などで調査をすることは可能ではないでしょうか)。そして、美砂さんの血液適量をかけた骨髄を、名古屋大学の勝又教授に渡して鑑定をしてもらい、「同一のDNA」との結果を得たのだと思います。

 読売の記事には警察庁は2010年10月にDNA鑑定の指針を改正したと出ていました。採取するときの服装ややり方、保存は冷凍庫で行うこと、などです。
(2012年8月9日記)
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 読み残した部分を読みました。科学警察研究所は、この「鑑定」で150ミリグラムの骨髄のうち100ミリグラムも使っていますね。150-50=100です(本書185ページ、190ページ参照)。科警研が100ミリグラムの資料(骨髄)を使っても、「美保さんの可能性はあるが断定はできない」
(132ページ)との鑑定結果であれば、勝又教授が25ミリグラムを使って、「美保さんのものだ」の鑑定結果を得ることはあり得ないことです。「化学(科学)」であるからです。同じ結果にならなくてはなりません。

 すなわち、勝又鑑定が真正なものだとすれば科警研はこの100ミリグラムの資料を使って、そして美砂さんの血液についても何らかの加工を加えて、「DNAが一致した」という鑑定結果になるような工作を行ったということだと考えられます。

 美砂さんの血液の一部は冷凍保存して勝又教授に提供したわけですが、一部はDNAが劣化する環境下に置いて、それを骨髄にかけて教授に渡したのでしょう。そうすれば、「骨髄の各ローカスのピーク高」が、美砂さんの血液とは異なるものになり、本書192ページの点もクリアできるでしょう。
(2012年8月15日記)

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1万キロ現地調査(山梨・長野・新潟)

【調査会NEWS1224】(24.8.20)

調査会では1万キロ現地調査第10回を今週末に行います。概略の日程は次の通りです。

参加予定者:調査会役員・支援する会役員・特定失踪者家族(山本美保さん・菊池寛史さん・藤田進さん-昭和40年新潟県青海町で失踪-のご家族)・支援者

★日程(変更の可能性があります。また、日程がこのままでも前の日程により遅れたりすることがありますので予めご了承下さい)

8月25日(土)
08:30 甲府駅前でレンタカー手続き、終了後調査開始、山本美保さん失踪関連地点等を調査。その後川合健二さん失踪関連地点(甲斐市等)を調査して松本へ。
13:00 松本着。非公開女性失踪関連地点調査。終了後糸魚川へ。
16:40 JR西日本青海駅北口
17:00 青海の藤田進さん失踪関連現場調査。
宿泊:糸魚川市内

8月26日(日)
09:00 宿舎発、親不知等工作員侵入現場等を調査しながら柏崎へ
12:00 柏崎荒浜海岸等関連地点調査
14:00 解散予定

 ※取材等日程に関するお問い合わせは専務理事村尾(090-2140-3411)ないし常務理事曽田(090-090-4937-2595)までお願いします。
※今回車両に余裕がないため、取材される方はご自分で足の確保をして下さいますようお願いします。

 なお、今回、DNAデータ偽造事件に関し、DNA鑑定のことを家族や山下理事に話したという当時の山梨県警警備一課の担当者から話を聞きたいと警備部長に要請していましたが、参事官から電話があり、「担当が変わっているし、記録に残っているから本人でも自分たちでも同じ話になる」という理由で断られました。その割には警察の言うことはコロコロ変わっているのですが。まあ、今回はさらに色々なことが明らかになるものと期待しています。

■調査会役員の参加する講演会等の予定(一般公開の拉致問題に関するイベントのみ)

★8月24日(金)18:30 拉致問題・短編映画「『ただいま』の声を聞くために上映会(神奈川県主催)
●神奈川県立地球市民かながわプラザ(あーすぷらざ)映像ホール(JR根岸線「本郷台」駅)
●常務理事杉野が参加
●問合せ: 神奈川県県民局くらし文化部国際課 国際交流・協力グループ(045-210--3752)要事前申込

★9月2日(日)14:00「国民大集会」(家族会・救う会・拉致議連主催)
●代表荒木が参加

★9月15日(土)13:30 「全ての拉致被害者を救出するぞ!国民の集い in 茨城」(拉致対策本部・茨城県・水戸市主催)
●県民文化センター(水戸駅徒歩15分 029-241-1166 水戸市千波町東久保697)
●代表荒木が参加
●問合せ・県保健福祉社会部福祉指導課人権施策推進室 (029-301-3135)

★9月17日(月)14:00「中村三奈子さんをさがす会」集会(同会主催)
●アオーレ長岡(長岡駅大手口徒歩3分 0258-35-1122)
●代表荒木が参加
●問合せ:090-4279-4724

★9月22日(土)13:30「拉致問題を考える埼玉県民の集い」(救う会埼玉・埼玉県主催)
●埼玉開館(浦和駅西口徒歩6分 048-829-2471)
●代表荒木が参加
●問合せ:県福祉部社会福祉課(048-830-3277)

★10月7日(日)奈良集会(救う会奈良主催)
●代表荒木が参加

★11月4日(日) 酒田集会(庄内ブルーリボンの会主催)
●代表荒木が参加

★11月23日(金)敦賀集会(嶺南地区特定失踪者の真相究明を願う会主催)
●代表荒木が参加

★12月8日(土)秋田集会(救う会秋田主催)
●代表荒木が参加

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特定失踪者問題調査会ニュース
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〒112-0004東京都文京区後楽2-3-8第6松屋ビル301
Tel03-5684-5058Fax03-5684-5059
email:[email protected]
調査会ホームぺージ:http://www.chosa-kai.jp
発行責任 者荒木和博(送信を希望されない方、宛先の変更は
[email protected]宛メールをお送り下さい)
●カンパのご協力をくお願いします。
郵便振替口座00160-9-583587口座名義:特定失踪者問題調査会
銀行口座 みずほ銀行 飯田橋支店 普通預金 2520933 名義 特定失踪者問題調査会
(銀行口座をご利用で領収書のご入用な場合はメールないしFAXにてご連絡願います)
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2012年8月19日

産経コラム

 18日の産経新聞コラム「土・日曜日に書く」で石川水穂論説委員が調査会の現地調査にも触れながら拉致問題について書いて下さっています。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120818/plc12081803080004-n1.htm

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2012年8月15日

平和

【調査会NEWS1222】(24.8.15)

 敗戦、正確にはポツダム宣言受諾発表の日、恒例の8・15報道がメディアに溢れました。「平和をつなぐ」など、今日の平和をこれからも続けていくというのが大部分の報道です。

 しかし思うのですが、今は本当に平和なのでしょうか。戦後の日本は本当に平和だったのでしょうか。多数の国民を拉致され、国内を工作員に蹂躙されてきたこの状態が「平和」だと言うなら、それは単に私たちが戦わなかったというだけの話です。

 確かに国家の主権も国民の人権も生命財産も侵されてきたことが「平和」であれば、半世紀以上にわたって歴代政府が拉致問題に見て見ぬふりをし続け、明らかに拉致である人も拉致と認めず、ときにはDNAデータを偽造までして故意に隠蔽しようとしたりすることも「平和を守る」ということになるのかも知れません。しかし、今でも多数の国民が囚われている状態で、それを無視し続けるというのが平和なら、そんな平和は百害あって一利なしだと思います。拉致被害者に「私たちは平和を守るためにあなたを助けることができなかった」とでも言うのでしょうか。

 拉致だけではありません。わが国は固有の領土である北方領土・竹島・尖閣諸島への不法上陸を許しています。特に北方領土と竹島は大統領の上陸であり、日本相手なら何をしても構わないというメッセージと言っても過言ではありません。もし日本が「いざとなったら戦うぞ」という姿勢を持っていればそんなことはしないでしょう。

 敗戦を「終戦」と言いつくろって自らを誤魔化し、安全は他国に任せ(実際は任せたつもりになり)ながら国中が、国民が気付かないうちにずたずたにされているという現状は決して平和とはいえないと思います。そんな平和を「つなぐ」必要などありません。

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2012年8月10日

竹島

 8月8日付戦略情報研究所メールニュース Vol.140で書いたものですが、その二日後に李明博大統領の竹島上陸。何とも複雑です。やはり日本が強くならないとだめだと思います。

■韓国の反日と日本の嫌韓

 荒木和博(戦略情報研究所代表)

 先日、維新政党・新風の鈴木信行代表がソウルの日本大使館前に設置されている慰安婦像に「竹島は日本の領土」と書いた木製の碑を縛り付けた。この模様は直ちにネットで配信されたが、韓国では「テロ」だとして大騒ぎになり、鈴木代表は入国禁止措置となった(騒ぎになったときにはすでに出国した後だったので、韓国で拘束されることはなかったが、一つ間違えば何をされていたか分からないだろう)。

 このニュースを耳にして、何とも複雑な思いにとらわれた。かつて日本の非左翼は北朝鮮と対峙している韓国には親近感を持ち、協力してきた。ところが、最近になって鈴木氏に限らず、その層における韓国への反発ー嫌韓ーはこれまでになく強まっており、これはその象徴とも言えるものだからである。

 大使館の向かい側に慰安婦の像を置くなどという非礼は、相手が交戦国でもしないだろう。しかし韓国政府はもちろん保守派の中からも疑問を抱く声は発せられない。言っている人もいるのかも知れないが、少なくとも日本に聞こえてはこない。それを指摘すると、多くの場合「いや、あれは左翼・親北の連中がやっていること」という声が返ってくるだけである。

 冷戦期の1970年代、日本でマルクス・レーニン主義幻想全盛で、左翼がまだ共産主義を理想社会として公言していたころ、朴正煕政権の韓国は国際社会から冷遇されてきた。日本では総聯が強かったこともあり、「韓国は軍事独裁の暗い国、北朝鮮は社会主義の発展する国」というイメージが固定化していた。マスコミでもそういう視点以外の報道はごく僅かだった。

 ベトナム共産化の余勢を駆って金日成は南侵の意図を見せており、米国は「人権外交」の美名のもとに在韓米軍撤退も視野に入れるという悪条件の中、韓国は人権をある程度後回しにしても経済と安保を最優先せざるを得なかった。

 当時韓国に行った日本人には、冷戦の最前線にあって国防の人的物的負担をしながら北朝鮮に対峙する韓国に感銘を受け、「何とか少しでも協力したい」と思った人が少なくない(日本の中では少数派だったが)。韓国も当時反日的な発言はあったが、慰安婦の像を大使館の前に立てるなど想像もできなかった。さらに言えば慰安婦のこと自体が問題になっていなかった。それがどうしてこんなに変わってしまったのか。その理由には次のようなものがあると思われる。

1、全斗煥政権以後のテクニカルな反日

 粛軍クーデターを発端に権力を掌握し、1980年に正式に大統領になった全斗煥は、朴正煕のようなビジョンを持った人物ではなかった。本人自身は親日的な人物だったが、側近の許文道・文化広報部長官らのアドバイスで、政権の支持を強めるため反日をアピールした。これに日本側が冷静に(実際はなあなあで)応じたため、「学習効果」が生じ、以後の政権もリーダーシップが低下すると反日を持ち出すようになった。

2、謝れば済むと思った日本政府とそれを煽った日本のマスコミ

 韓国側から何を言われても、跳ね返してしまえばそれまでなのだが、日本的発想で「ここで譲歩すれば相手もそれ以上言わないだろう」という誤解が河野談話などを生んだ。結果的には韓国側は「総理や大臣が謝ったのだから」と要求をエスカレートさせた。謝れば謝るほど日韓関係を悪化させることになった。


3、世代交代

 現在韓国の中心的世代は日本統治はおろか朝鮮戦争の経験もない。下手をすると日本人以上に平和ボケしている。
 日本統治時代を知っていた世代は、表面的には反日的な発言をしても現実を知っていたし、なにがしかの懐かしさも感じていた。また、北朝鮮の脅威があるから実利上も日本をないがしろにできなかった。しかし、それを知らない若い世代はマスコミなどで反日的なニュースや「実録」ドラマ(世論操作にはこれがかなり効果を挙げる)を、冷静に考えればどんなに不合理でもそのまま事実として受け入れてしまう。

4、北朝鮮からのプロパガンダ

 今日のような左翼的反日は1980年代後半からその勢いを増している。盧武鉉時代に「親日派」の子孫を断罪するという、およそ時代錯誤な法律を作ったりしたのはその象徴で、このころから日本の保守派の嫌韓・韓国離れも進んでいる。日韓の離反は北朝鮮にとって非常に大きな利益となる。韓国では左翼が「民族派」、保守が「国際派」のため、民族(韓民族ないし朝鮮民族)と国家(自由民主主義国家大韓民国)が両立せず、民族を看板にすれば自然に左シフトするのである。

 さて、このような現状をどうやったら改善できるだろうか。
 最も重要なのは日本の姿勢である。韓国が言ってくることに正面から反論すること、理不尽な要求には耳を貸さないことだ。そして、理不尽な要求や批判にはペナルティーを与える覚悟が必要である。

 また、台湾をはじめとする親日的な国家との関係を強化し、それを韓国にも知らしめる必要がある。「別に嫌うなら嫌うで良いですよ」というのは結構効果があるはずだ。

 朝鮮半島は長く列強の狭間にあって、周辺のどの大国に付くかということで生き残ってきた。それは今の韓国も、北朝鮮も同様である。弱いと思えば離れ、強いと思えば擦り寄る。それが生き残る道であったことは、島国という恵まれた場所にあるわが国では想像できないことでもある。ちなみに国保守系の長老であるL氏はかつて私に「朝鮮半島で一番質の良い人間は外国から攻めてきたとき、戦って死んでいった。その次の目端の利くのは外国に逃げた。今残っているのはカスばかりですよ」と言ったことがある。

 韓国の反日を押さえ込むのに効果があるのは何より日本が強くなることだ。そうなれば声を上げにくい親日的な人たちも「日本についた方が得だから」とは言えるようになる。

 反日報道が非常に多い今でも年間200万人以上の韓国人が日本に来るのである。それは別に国家の意思などというものではなく、仕事上の関係や観光がほとんどだ。また、何か韓国の中で問題が起きたときに「日本ではこんなことはあり得ない」という日本を賞賛する報道も少なくない。決して根深い反日ということではないのは日本からも年間300万人以上が韓国を訪れることからも明らかだろう。

 要は日本が強くなれば大使館前の慰安婦像も撤去されるだろうし、危険を冒して竹島の碑を建てに行く必要もなくなると思うのである。

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隼CHANNEL(調査会佐渡現地調査)

【調査会NEWS1221】(24.8.10)

■隼CHANNEL(調査会佐渡現地調査)

 戦略情報研究所のインターネット情報配信「隼CHANNEL」第3弾が今日から配信されます。

 内容は調査会の1万キロ現地調査第9回(佐渡)について調査会及び戦略情報研究所の代表である荒木が途中撮影した映像を交えて説明するものです。ぜひご覧下さい。なお、この配信は(株)NetLiveのご協力で行っているもので、NetLiveのホームページをお借りしています。同じコーナーには調査会の記者会見やこれまでの戦略情報研究所の講演会なども載っています。

http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html


■調査会役員の参加する講演会等の予定(一般公開の拉致問題に関するイベントのみ)

★8月24日(金)18:30 拉致問題・短編映画「『ただいま』の声を聞くために上映会(神奈川県主催)
●神奈川県立地球市民かながわプラザ(あーすぷらざ)映像ホール(JR根岸線「本郷台」駅)
●常務理事杉野が参加
●問合せ: 神奈川県県民局くらし文化部国際課 国際交流・協力グループ(045-210--3752)要事前申込

★9月2日(日)14:00「国民大集会」(家族会・救う会・拉致議連主催)
●代表荒木が参加

★9月15日(土)13:30 「全ての拉致被害者を救出するぞ!国民の集い in 茨城」(拉致対策本部・茨城県・水戸市主催)
●県民文化センター(水戸駅徒歩15分 029-241-1166 水戸市千波町東久保697)
●代表荒木が参加
●問合せ・県保健福祉社会部福祉指導課人権施策推進室 (029-301-3135)

★9月17日(月)14:00「中村三奈子さんをさがす会」集会(同会主催)
●アオーレ長岡(長岡駅大手口徒歩3分 0258-35-1122)
●代表荒木が参加
●問合せ:090-4279-4724

★9月22日(土)13:30「拉致問題を考える埼玉県民の集い」(救う会埼玉・埼玉県主催)
●埼玉開館(浦和駅西口徒歩6分 048-829-2471)
●代表荒木が参加
●問合せ:県福祉部社会福祉課(048-830-3277)

★10月7日(日)奈良集会(救う会奈良主催)
●代表荒木が参加

★11月4日(日) 酒田集会(庄内ブルーリボンの会主催)
●代表荒木が参加

★11月23日(金)敦賀集会(嶺南地区特定失踪者の真相究明を願う会主催)
●代表荒木が参加

★12月8日(土)秋田集会(救う会秋田主催)
●代表荒木が参加
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特定失踪者問題調査会ニュース
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Tel03-5684-5058Fax03-5684-5059
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調査会ホームぺージ:http://www.chosa-kai.jp
発行責任 者荒木和博(送信を希望されない方、宛先の変更は
[email protected]宛メールをお送り下さい)
●カンパのご協力をくお願いします。
郵便振替口座00160-9-583587口座名義:特定失踪者問題調査会
銀行口座 みずほ銀行 飯田橋支店 普通預金 2520933 名義 特定失踪者問題調査会
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2012年8月 6日

写真

【調査会NEWS1220】(24.8.6)

 日本橋の高島屋で開催されている横田滋さんの写真展を見てきました。私の前に藤田隆司さん(川口で失踪した藤田進さんの弟さん)が来たそうですが、主催している「あさがおの会」の方によれば1日2500人以上の人が来場しているそうです。写真を見ていくとあらためて申し訳ないという思いがこみ上げてきます。拉致されてから北朝鮮にいると分かるまで20年、分かってから今日まで15年で大差なくなってしまいました。その15年間に関わっているものとしては複雑な思いです。

 ところで、展示されている写真の中に北朝鮮が出してきためぐみさんの写真と拉致される前の写真を並べて立ち方がそっくりというものがありました。右足をやや前に出して立っている立ち方は確かによく似ていました。それを見て思い出したのですが、平壌の凱旋門の前で金英男氏と並んでいる写真の胴体は明らかに別人です。左足が前に出ています。警察の鑑識におられた方によれば女性の場合写真に写るときどちらの足を前に出すかは決まっているそうで、凱旋門の写真は首だけ貼り付けたものだそうです。それ以外の部分も影などにおかしな部分があり、あちこち貼り付けたものとのこと。これから写真展に行かれる方はぜひ注意して見て下さい。

 なお、この写真のことは、政府は当然写真の入手当初から分かっていたはずですが、横田さんご夫妻には全く伝えられていませんでした。昨年ご存じなかったことを知って、その警察OBの方に説明してもらいましたが、話していないのは未認定の家族だけかと思ったら認定した家族にも何も言っていなかったのかと、呆れて物が言えませんでした。

Imgres


Photo


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2012年8月 1日

「個別具体的な問題」

【調査会NEWS1218】(24.7.28)

 「捜査に支障を来す恐れがあるので個別具体的な問題へのお答えは差し控えさせていただきます」

 拉致問題に関わり始めてからこの言葉を何度聞いたか分かりません。政府側(特に警察)が質問への回答を拒否するときの常套句がこれです。昨日行われた自民党拉致問題特命委員会では藤田進さんの弟さん、藤田隆司さんがジュネーブの国連人権委作業部会での陳述について説明しました。これについて増元照明家族会事務局長が政府側に対し「藤田さんは写真も出ているのに認定しないというなら何をもって拉致認定するのですか」と聞いたところ、このセリフがまたぞろ持ち出されていたそうです(多少言い方は違ったようですが)。

 たとえば山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件、先日の渡辺義彦衆議院議員の質問主意書で「当職(渡辺議員)は山本美保がA70のブラジャーを所持していなかったことを家族から確認しているが、警察庁としては山本美保がそれを所持していたことを確認しているのか」という質問の答えも「詳細を明らかにすることは、捜査機関の活動に支障が生じるおそれがあることから、差し控えたい」でした。

 こんなことは家族に聞けば良いだけのことなのですが、県警発表からでもすでに8年経過しているのに一度も聞いていません。支障が生じるのは捜査ではなく「捜査機関の立場」なのかも知れません。それならいっそ、「拉致問題が進展して様々なことが明らかになると警察庁の立場に支障を来す恐れがあるので…」とすれば良いのではないでしょうか。

 こんなことを放置しておくと、そのうち学校で生徒が先生に指されたときに、「学習に支障を来す恐れがあるので個別具体的な問題へのお答えは差し控えさせていただきます」とか答えるようになるかも知れません。 

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