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2011年3月27日

「新日本学」

Nihongaku
 拓殖大学日本文化研究所の季刊誌「新日本学」春号からコラムを載せてもらうことになりました。この「朝鮮屋の独白」がそれです。同研究所の所長は遠藤浩一教授・民社党本部時代からの同僚です。この号には渡辺利夫学長と遠藤氏の対談「日本近現代史の地政学的環境と苦難」をはじめ、深い内容の論文が多数掲載されています。販売は展伝社が行っていますのでお問い合せは同社まで(03-3815-0721)。なお、私のコラムには一つ間違いがあり、日韓を往来する人の数について「日本と韓国の間には年間五百万人近い人の行き来」と書いてありますが、既に500万人を超えているとのことです(日本から韓国に300万、韓国から日本に240万)。

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飲み会

 震災の影響で色々な行事がキャンセルになりました。おかげで原稿を書いたりするにはありがたいのですが、社会全体から言えば経済的な打撃も計り知れないと思います。かといって被災地のことを思い出すとどんちゃん騒ぎというわけにもいきません。

 思いつきなのですが、飲み会はやる。そしてそのときに会費を1割増しにして、その1割分を被災地へのカンパにするというのはどうでしょう。とりあえず高校の同期生での飲み会には提案してみようと思っています。

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2011年3月24日

「しおかぜ」放送時間を延長/この現状を乗り切りながら、拉致被害者の救出を

【調査会NEWS1032】(23.3.24)

■「しおかぜ」放送時間を延長

 北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」は3月27日夜の放送から時間を延長します。

夜:10時30分~11時30分
周波数:5985kHz、または 6020kHz、または 6135kHz

朝:5時~6時
周波数:5955kHz、または 5965kHz、または 6045kHz

(周波数は北朝鮮からの妨害電波に対応し、適時切り替えます)

■この現状を乗り切りながら、拉致被害者の救出を
   ー「しおかぜ」放送時間延長と今後の活動についてー

 今回の震災は単にその規模が大きかっただけでなく、未だ福島の原発や余震の問題は収束せず、被災地の復興には極めて長期間かつ莫大な費用と労力がかかることが予想されます。そして、それらの全てが解決したとしても亡くなった方々が戻ることはなく、また被災された方々それぞれの心の傷がすべて癒されることもありません。

 ならば今後長期的に続く復興への闘いの中でも、拉致被害者救出のあゆみを止めることはできないと、敢えて考える次第です。調査会の活動も今後さらに厳しい状況になることが予想されますが、被災者と同様拉致被害者も今救える人は救わなければならない。私たちが手を緩めることはできないと、今回の震災であらためて実感しています。

 つきましては、3月27日から、「しおかぜ」は放送時間を従来の1時間から2時間へと延長します。朝は5:00~6:00、夜は10:30~11:30の各1時間です。しおかぜの放送時間帯は早朝深夜ですので電力事情への影響は問題なく、当然放送費用も倍になりますが、政府の対北放送「ふるさとの風」のスポットを流すことによって支出されている実質支援もある程度増えますので、なんとかやりくりしていくつもりです。「しおかぜ」には相変わらず北朝鮮からの妨害電波が流されており、効果が挙がっていることは明らかです。時間の倍増によってよりその効果が高められると期待しています。

 震災のニュースに隠れていますが北朝鮮の内部の食糧事情等がこのところさらに逼迫しているとの情報も入っています。事態の変化は日本の状況に関係なくやってくる可能性があり、それにも対処していかなければなりません。延期をした現地調査なども出来るだけ早く日程を立て直して発表します。3月19日の関西ブロック家族懇談会は岡田副代表・三宅常務理事(家族懇談会担当)及び18人のご家族が参加して予定通り開催されました。今後この成果をもとに他地域での開催を行っていきます。

 震災への対処としては曽田常務理事を中心に被災地周辺の特定失踪者ご家族の安否確認がほぼ終了し、それぞれの役員、関係者は調査会と別の職責の中で支援を行っています。私自身も現在予備自衛官としての災害派遣招集を待っている身ですが、一刻も早く招集されるよう、アクションも起こしていくつもりです。

 震災の救援が最優先になると思いますし、そうしなければなりません。その前提で、皆様には可能な範囲で調査会活動へのご支援を賜りますよう、あらためてお願いする次第です。
     平成23年3月24日
                       特定失踪者問題調査会代表 荒木和博

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2011年3月23日

被災地特定失踪者家族のご無事を確認

【調査会NEWS1031】(23.3.23)

■被災地特定失踪者家族のご無事を確認

 東日本大震災の被災地周辺にお住まいの特定失踪者ご家族の安否について、曽田常務理事を中心に調べていたところ、対象となる公開非公開の28家族(すでに失踪者が見つかっていた方も含む)は全てご無事であったことが本日分かりました。

 もちろん、無事とは言っても家が損壊したり、それぞれ被害を受けてはおられます。家の20メートル前まで津波が迫ってきたという方もおられました。もちろん、親族やお知り合いで犠牲になった方や家を失われた方もおられるとは思いますが、多少は安心した次第です。

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尻押し

首都圏の鉄道はほとんどが本数を減らしているため、時間帯によっては結構混んでいる。時には身動きのできいないようなラッシュも経験するが、考えてみれば30年位前はこれが普通だった。

電車は今より車体幅も小さく編成も短かったのだから当然だ。私のメールアドレスで使っているkumoha351というのは西武の車両だが、これなど大部分が長さ20mの車のなかで数少ない17m車。ドアは幅1mの片開きが3枚だから、よくも使っていたものだと思う(ラッシュ時の本線運用にはあまり使われていなかったが)。

その西武ではなく、国鉄(今のJR)高田馬場駅で、学生時代アルバイトをしていたことがある。通称「学生班」、というより当時は「尻押し」といった方がピンとくる仕事で、要はラッシュ時の山手線の電車にホームのお客を押し込むのである。山手線でも池袋ー渋谷間は一番混むところで、車両は103系の10両である。高田馬場は西武新宿線から流れるお客が乗ってくるためホームの混雑は相当なものだった。

物ではないので乱暴には扱えない。かといって放っておいたらドアが閉まらない。身体で押し込むしかないのだが、背中を向けていてくれればまだましで、女性がこちらを向いてはみ出していたりすると、どこを押して良いのかわからず困った記憶がある。10年位後だったか、ある飲み屋で女の子から「お客さんひょっとして高田馬場のホームにいなかったですか」とか言われてどきっとしたことがある。別に変な事をされて覚えていたのではなかったようだが。

被災地の皆さんが大変な苦労をされているので、冗談めいたことは慎まなければならないが、今回わずかながら生活が不便になってみて昭和の時代を思い出した世代も少なくないのではないか。震災への対処はまだ長期間にわたって続くだろうし、日本国内では今回の余震はもとより南九州の噴火や口蹄疫、鳥インフルエンザから富士山が噴火するだとか、様々なことが言われている。もちろん北朝鮮はじめ外国による主権侵害も起こり得る。正直何が起きるかわからない。少なくとも私たちの世代は死ぬまでそんな前提の中で生活していくしかないだろう(まあ、これまで高度成長期から安定成長へと、良い時代を生きて来たのだから少しはお返ししないといけないとは思う)。

あまり慌てないで、これまで便利と思って来たことが本当に必要だったのか、逆に本当に必要なものは何なのか、もういちど考え直す必要があるのではないかと思う。

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2011年3月22日

余震

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 今日も何度か揺れました。最近「緊急地震速報」がないと寂しくなる位です。こうなると人間だんだん人生観も変わってくるような期がします。昔松原泰道さんの『般若心経入門』という本を弟が買ってきて、それを後で何度か読み返した記憶があるのですが、「色即是空・空即是色」、実体のあるものが空であり、空こそが実体であるという考え方は現世にもぴったりくるように思います。

 どのみち空であるならば、その虚無の中に存在していられることの幸せを感じることもできますね。

 調査会のビルも強い余震のたびに「しおかぜ」のスタジオは側壁が崩れたりします。担当の村尾専務理事は約5メートル程避難して写真の様に部屋の真ん中で作業しています。まあ、皆それぞれの持ち場で頑張るだけでしょう。

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2011年3月20日

「海外事情」3月号は朝鮮半島特集です

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 私が所属する拓殖大学海外事情研究所の発行する月刊「海外事情」、3月号は朝鮮半島特集です。私も「『深化組事件』とは何だったのか」と題して書いていますが、関心のあるかたには非常に興味深いと思われる論文が多数掲載されています。ぜひご一読下さい。

 ご注文は拓殖大学研究支援課(03-3947-7597)までお願いします。

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森本美砂さんからのメール

【調査会NEWS1029】(23.3.20)

■森本美砂さんからのメール

 先ほど特定失踪者山本美保さんの妹さん、森本美砂さんからメールが届きました。森本さんは震災のボランティアで甲府から東京・新潟を経由して今仙台に入っています。その報告です。ご本人の了解を得て掲載します。
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 大変お世話になっております。

 昨日、新潟経由で仙台に来ました。

 東京から仙台へは直接来られず、日本海経由で新潟からは仙台行きの高速バスに乗り、5時間半かかりました。この間、植松さん、甲斐さん、梅原前仙台市長さん、安藤さん、千葉さんのお世話になりました。私の移動を支援してくださった方々に感謝申し上げます。

 仙台に向かう高速道路でひっきりなしに救急車が通りました。急患の患者さんが搬送されるんだと思いました。高速道路の速度規制などもあり、家を出てから14時間かかってようやく仙台に来られました。昨日は、救う会宮城の安藤さんの知り合いの千葉さんの避難されている斎藤さん宅に泊めていただきました。初日から暖かいところを提供していただき、有り難いことでした。

 本日は、仙台市内のボランティア拠点に登録に行き、10時過ぎ避難所になっている幸町小学校にカウンセリングボランティアということで向かいました。100人位の方が避難されていて、子どもたち、お年寄りの方もいて、足を伸ばして寝てないということでした。

 お年寄りお二人に動作法のリラクゼーションやマッサージをしたり、子ども相手にパネルシアターをしました。お子さんもストレスがたまっている様子でした。パネルシアターから毛布ブランコ、手遊びと、ひとりの子は、私のそばを離れず、何度も何度もやってとせがみました。少しでも笑顔になったのが救いでした。日頃やっていることが生かせたかなと思います。

 小学校への行き帰り、食料売り場とガソリンスタンドは、どこも長蛇の列でした。道路は隆起して寸断されている道がいくつもありました。余震も何度もありました。

それでも、仙台市内は比較的いい方で、海岸沿いの白鳥地区 はひどい状態だということです。ビールもコンテナごと流され、それらはを盗難者も出たり、石巻では治安が悪いとさえ言われました。今日から自衛隊が入り、襲われることもないということです。

 今夜はボランティアセンターの2階に泊まります。全国からボランティアが集まってきています。北は耳の遠い、お孫さん3人のいる県庁退職者、南は福岡から駆けつけた若者、山形から来た一家は、5人で泊まっています。小学生の男の子もお母さんと一緒に、汚れる力仕事に手を挙げる姿に、胸を打たれました。

 先ほど、ニューヨークから来たという元消防隊員が上がってきました。はるばるニューヨークから単独で救援に来てくれ、涙が出る思いです。ジャパニーズスイーツと言って羊羹を渡すと、very ディリィシャスと言って食べてくれました。

 誰もが大きい荷物をかついで来ています。昼間のボランティアも地元を中心に大勢集まっていました。ボランティア拠点も立ち上がり機能し始めています。

 是非とも、被災地にガソリン、灯油を回してください。食糧を得るのに、何時間も待っている人がいます。水、電気の止まっている所もまだまだ多いです。是非、できることから支援をお願いします。

森本美砂
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 (荒木)
 私など予備自衛官として招集されて災害派遣で行くと言っていながら、まだ招集されておらず、少しずつカンパする程度が関の山で、間の悪いことこの上ありません。早く命令が来てもらいたいと思っているのですが、ともかく森本さんの行動力と意思には敬服するばかりです。

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2011年3月17日

希望

 別に何かのきっかけがあったわけではないのですが、何時の頃からか「人間には最後まで希望を持ち続ける権利がある」と思うようになりました。時には授業中学生に話したりもするのですが、今回もし災害派遣で現地に行けるようであれば、もっとそれを実感できるのではないかと思います。

 戦後初の予備役(予備自衛官)投入は、少なくとも最初のうちは試行錯誤の連続だと思います。現役の皆さんからすれば、特に私たち公募予備自に対しては「ろくに訓練もしていないのに足手まといになるだけではないか」とも見られるでしょう。でも、地方議員をやっている予備自衛官の友人たちは、直前に自分の選挙が迫っていても「行きます」と答えています。私も招集されたら、どんな持ち場であれともかく足手まといにならないように頑張ります。今の子供達に「あのときの世代がこの国を守ってくれた」と言ってもらえるように。

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2011年3月16日

李ミンボクさんからのメール

【調査会NEWS1027】(23.3.16)

■李ミンボクさんからのメール
               荒木和博

私たちがバルーンプロジェクトでお世話になっている李ミンボク・対北風船団長からのメールを紹介します。

(今回の地震について、李さんから慰労と日本人の対応について激賞とも言えるメッセージが届いたので、荒木から「問題は山ほどあります。それほど誉めていただけるようなことではありません」と返信したメールへの返信)

 人間が完璧であることはできないでしょう。完璧でいられない中で最高という意味です。危機にこそ本当の姿が現れます。どう見ても日本の方々は本当に凄いです。

 亡命途中の1991年、中国で朝鮮族の雑誌を見たことがありますが、1945年8月15日の解放後、故郷に戻る上海埠頭で無秩序に「殺す」「殴る」とやっていた中国人、朝鮮人とは対照的に、負けた日本人は黙黙と列を作り秩序を守っていたという手記を読んだ記憶が蘇ります。

 日本の国民性は311大地震だけではなく半世紀前に既に形成されていたということです。このような国民性がどこでどうやって形成され引き継がれてきたのか分かりやすく教えていただければ幸いです。韓国に来られたらこの問題をとくために色々とお話しをお聞きしたく思います。統一後金正日によってぼろぼろにされた北朝鮮の人々の人間性回復運動の参考にもしたいのです。

(こちらは李さんが主に韓国内の不特定多数の支援者などに送っているもの)

 日本を襲った大惨事に世界が息を凝らしている。わが国民も日本の東海岸の都市がまるごと無くなり数万人が失踪した文字通りの惨劇を見て言葉を失った。

 今韓国社会で日本の国民を激励し慰労しようという動きが幅広く起きているのは当然のことだ。
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「挺身隊問題対策協議会」や「勤労挺身隊ハルモニ(おばあさん)と共に市民の会」のような反日、抗日団体も例外ではない。彼らは19年間続けてきたデモを今週はやめることにして、「日本が国家的災いを賢明に克服することを望む」という声明を出した。
 韓国原爆被害者協会と帰国サハリン同胞も僅かな金額だが募金を始めた。

 日本国民は今食べるもの、飲むものを心配しなければならない生き地獄のような状況でも誰を批判したり恨んだりすることなく秩序整然とした市民意識を見せ、地震に驚いた世界をもう一度驚かせている。

 私たち皆がこのような日本国民の背を包み彼らの勇気を奮い立たせる言葉を見つけられればと思う(朝鮮日報3月15日付社説)

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2011年3月15日

「あたりまえのこと」のありがたさ

【調査会NEWS1026】(23.3.15)

■「あたりまえのこと」のありがたさ
               荒木和博

 昨日のニュースで特定失踪者木村かほるさんのお姉さんである天内みどりさんのご無事についてお知らせしましたが、坂川ちあきさんの実家(岩手県洋野町)もご無事であることが分かりました。

 ご無事の知らせを聞くと思わず熱いものがこみ上げてくる一方で、被災地周辺のお住まいで、まだ連絡のつかないご家族が何人もおられます。お一人はたまたま地震の前日に電話でお話しし、失踪状況のことで問合せをした方です。「日曜の午前中までに調べておきますから」との言葉をお聞きしたのが最後で、まだ連絡が取れません。ともかくご無事でいて欲しいと祈るだけです。

 「電話したときに相手がそこにいる」「出かけていった家族が夕方帰ってくる」、そんな当たり前のことがどんなにありがたいことか、今回の地震はそれを思い知らせてくれました(阪神や中越など、大地震や自然災害を経験された方には言うまでもないことと思いますが)。東京では今もときどき余震があります。電力不足で鉄道の運行も制限されていて通常1時間少々で家から事務所まで辿り着くのが今日は3時間かかりました。大げさかもしれませんが家を出るときふと「また家族と顔を合わせられるだろうか」という思いもよぎります。

 しかし考えてみれば、拉致事件もまた、ごく普通の人、普通の家族から「あたりまえのこと」を奪っていったのではないでしょうか。しかもこちらは自然災害ではなく人為的な犯罪、それも国家犯罪です。事件自体は一つひとつの家庭に起きたことだったので全体の問題としてとらえられてこなかったのですが、あらためて私たちは拉致された人たちやそのご家族の「あたりまえのこと」を取り返さなければならないと思うのです。

 調査会は北朝鮮による拉致問題に取り組む組織ですから、この地震について特別のことをするわけではありません。私個人は戦後初めて行われる予備役(予備自衛官)災害派遣招集の対象になる可能性があり、そうなればできるだけのことをしてくるつもりですが、その経験も活かして、拉致された人やご家族の「あたりまえのこと」を取り返すために一層頑張りたいと思います。

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2011年3月14日

しおかぜで地震に関する特別放送

【調査会NEWS1025】(23.3.15)

■緊急放送のリハーサルを兼ねしおかぜで地震に関する特別放送

 「しおかぜ」では北朝鮮の体制急変時の緊急放送のリハーサルを兼ね、今回の東北・関東を中心とした大地震・津波について、通常の放送を変更して特別放送を行います。

 特別番組は第一弾として18日(金曜、夜)から21日(月曜、朝)まで放送を行う予定とし、番組内容は同じ時間内に2カ国語(日本語、朝鮮語)のアナウンスで放送を行い、メッセージの中では被災地にお住まいの特定失踪者ご家族の中で安否確認ができた天内みどりさん(木村かほるさんのお姉さん・青森県八戸市在住)がご無事でいることも伝えています。

 また、北朝鮮に風船でビラを送る「バルーンプロジェクト」にご協力いただいている李ミンボク・対北風船団長から届いた次のようなメールも紹介しました。

 日本の地震惨事被害者の方々に深い哀悼の意を表します。

 大自然のどうしようもない災害ではありますが、秩序整然として静かな日本国民は尊敬に値するものであり、私たちが学ばなければならない模範だと思います。

 北朝鮮救援のために力を尽くして下さった日本の方々を思い、忙しいとはいえ日本に行ってボランティアをやりたい思いです。

 対北風船団長 李ミンボク

 今回の大災害はまさに未曾有の危機ですが、少しでもそれを活かしていくことが必要と思います。頑張りますので皆様のご指導、ご支援をよろしくお願いします。なお、今後もこのような形での緊急番組を随時放送する予定にしております。

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地震への対応について

【調査会NEWS1024】(23.3.14)

■地震への対応について
                             荒木和博

 昨日木村かほるさんのお姉さんで八戸にお住まいの天内みどりさんと連絡がとれました。ご自宅は海岸から遠いところなので大丈夫とのこと。安心しましたが岩手、福島などまだ連絡のつかないご家族がおられます。

 しおかぜネットワークのメーリングリストには調査会理事である齋藤純一・救う会山形代表からのメールが流れました。このメーリングリストは本来非公開ですが、事情が事情ですので以下公開します。

 「救う会宮城・安藤哲夫さんは元気で、東京に帰る人を連れられ、山形からのルートを探り、今日山形の小生宅に午後7時に見えました。仙台は停電が続いており津波の映像は全く観ておられず、TVの映像に驚いて居られました。他の宮城救う会の方々の消息は不明ですが、無事であることを祈ります」

 東京は今日から輪番停電で、大部分の鉄道が運休ないし間引き運転になっています。今後調査会の活動にもかなり支障を来すものと思われますが、この危機を何とかチャンスへと転換するようにがんばります。

 これは強がりではなく、東京の街中でも人の顔つきが心なしかこれまでと違うように思われるからです。70代以上の方々は日本中が爆撃で焦土化された瓦礫の中から今日の日本を作りました。戦後世代の私たちにもそれができないはずはなく、しかも西日本はほとんど無傷です。

 私自身にも昨日予備自衛官としての災害派遣の打診がありました。実際に使ってもらえるかどうか分かりませんが、いずれにしても被災地であるとないとにかかわらず、皆が気持ちを一つにして困難を乗り切らなければなりません。そして今回の大災害でその力が発揮されれば拉致被害者の救出も一気に近づくのではないかと思っている次第です。

 重ねてまだ救助を待っている被災者の方々が一刻も早く救われるよう祈りつつ。

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2011年3月12日

御礼とご報告

【調査会NEWS1023】(23.3.12)

■御礼とご報告
                             荒木和博

昨日から今朝にかけてご心配いただいた皆様に心より御礼申し上げます。簡単に調査会事務所の状況を報告します。

 昨日11日夜の時点で事務所には私と専務理事村尾・常務理事曽田・理事矢可部と、事務所3階で19:00より開催予定だった予備役ブルーリボンの会の講習会に参加するため早めにやってきていた同会のK会員、午後たまたま都内にいて事務所に避難してきた私の家内がいました。交通機関は全面ストップだったのでそのまま待機しながら北陸での現地調査や予備役ブルーリボンの会講習会の延期を連絡し、8時過ぎ、曽田・矢可部は歩いてそれぞれの自宅に帰りました。矢可部は3時間位、自宅が千葉の曽田は朝までかかって帰宅しました。

 曽田のところからさらに奥で、歩いては帰れないKさんにはそのまま事務所3階に泊まって貰いましたが帰宅したのは今日の午後になったようです。村尾と私、家内は21時頃から少しずつ電車が動き始めたのでしばらく様子を見て23時半頃事務所を出て帰宅。地下鉄は1駅ごとに10分位停まっている状態でしたが、何とか午前2時過ぎに家には着きました。

 色々ご心配おかけしてすみませんでしたが、事務所は私の机まわりが一番ひどく(整理をしていない証拠)足の踏み場もない状況で、建物にも多少ひびが入り一部内壁がはがれたりしたものの全体としては大丈夫です。風が吹いても揺れるようなビルなのですが、意外と持ちました。隣のビルは最初の揺れで入口のガラス扉が割れて飛び散っていました。東京でも凄まじい揺れでしたが、いくつか火災は起きたものの、それほどの被害はありません。ライフラインも無事です。甚大な被害を受けられた地域の皆さん大丈夫でしょうか。

 まだ余震も続いていますし、震源地も甲信越まで広がっています。現在テレビなどで伝えられる映像には呆然とするばかりで、落ち着けばさらに被害状況が分かってくると思います。被災された方には心よりお見舞いを申し上げます。予備自衛官はこれまで災害派遣招集をされたことはないのですが、何人かの友人のところには打診が来ているようで、足りなくなれば私も招集されるかも知れません。

 まだ生命の危険にさらされている人が多数いる状態で悠長なことをいっていてはいけませんが、文字通りの「激動」です。しかし日本人にとってはこういうことがあった方がしゃきっとするようにも思います。これを拉致問題も含め日本にとって文字通り起死回生のチャンスとするようにがんばりましょう。

 亡くなられた方のご冥福と被災された方のご無事を心から祈りつつ。

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2011年3月 9日

山梨県警に科捜研があった!

【調査会NEWS1018】(23.3.9)

■山梨県警に科捜研があった!
                            荒木和博

  まあ、科捜研はどこの県警にもあるのですから当たり前と言えば当たり前です。

 コロンブスの卵みたいな話ですが、山梨県警にも科学捜査研究所があり、平成7(1995)年からDNA鑑定ができたそうです。つまり「山本美保さんに関わるDNAデータ偽造疑惑事件」では山梨県警は自分のところを使わずに警察庁の附属機関である科学警察研究所に鑑定を依頼し、それでも分からずに名古屋大学に鑑定に出したということになります。

 昨日(8日)、山梨県議会総務委員会で内田健県議がこの点を質問すると、答弁した県警の担当者は「平成7年より技術的には可能でしたが、この試料は微量であったため慎重に進めるために科警研に出しました」と答えたそうです。山形の遺体の遺留品を家族に見せたのは名古屋大に鑑定を依頼した後です。遺留品の照会もしていない遺体のDNA検査を県警から「うちではできませんのでお願いします」と言われ、科警研は「よっしゃ、分かった」と請け負ったんでしょうか。

 もちろん、こんな話は一切家族には伝えられていません。「山形の身元不明遺体が失踪した双子のお姉さんかもしれないのでDNA鑑定をやりたい」と警察から言われ、そう言われたことを忘れる家族がいるかどうかは常識で考えても分かります。最近はやりの刑事物のドラマでこんなシナリオを書いたら当然ボツでしょう。

 また、担当者は「(DNA鑑定の)同意書に美砂さんの署名捺印をいただいております。鑑定に関しては美砂さんのご理解をしっかり得ているものと承知しております」と答弁したそうです。家族が署名して山形の遺体のことを覚えていないというなら、それはつまり山形の遺体について話さずに署名させたということの証拠のようなものです(刑事ドラマならこちらのシナリオの方が使えるでしょう)。

 このDNA鑑定の責任者である、当時の県警警備1課長丸山潤氏は今はバンコクの日本大使館に勤務していますが、その前は警察庁の外事情報部外事課課長補佐で、一昨年韓国に赴いて金賢姫からの聞き取りをした担当者の一人だそうです。ほとんどブラックジョークのような話です。あるいは金賢姫のDNA鑑定でもやったのでしょうか。

 それにしても、恥ずかしながら私自身山梨県警の科捜研でDNA鑑定が出来たことを知ったのは最近のことです。ちょっと遅きに失した感はありますが、また一つ裏付けができました。

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