第18富士山丸事件と小泉訪朝
※5月20日付の調査会NEWS 778号に書いたものです。
先日第18富士山丸事件と金丸・田辺訪朝団についてちょっと調べていて気づいたことがあります。
事件については書くと長くなるので省略しますが、抑留された第18富士山丸の紅粉勇船長・栗浦好雄機関長は平成2(1990)の金丸・田辺訪朝団が連れて帰ってきました。しかし、二人には厳重な箝口令が引かれ、北朝鮮でのことについて語ることはできませんでした。
金丸・田辺訪朝団と二人の釈放の流れを見なおしてみてなるほど、と思ったのは、二人の釈放問題はそれなりに世間の関心を呼んでいたものの、訪朝団の主題ではなく、逆に、訪朝団を出すための理由付けであったということです。この問題がなければ金丸・田辺訪朝団にはもっと風当たりが強かったでしょう。帰国してから二人が話せなかったのはそのためで、とりあえず帰ってこれれば、あとは日朝交渉に障害となるような発言はできないようにされたのでした。
これを小泉訪朝にあてはめると、なるほど、と思える点がいくつも出てきます。
小泉訪朝の最大の目的は拉致問題解決ではなく、日朝国交正常化でした。それは平壌宣言に経済援助などについては非常に細かく書いてあるのに、拉致問題については「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題」とぼかして書いてあるだけということでも明らかです。
それどころではなく、金丸・田辺代表団のとき第18富士山丸事件がその理由付けで使われたのと同様、第一次小泉訪朝では拉致問題がその理由付けで使われたということです。
確かに拉致問題を無視して日朝国交正常化に進むことは不可能ですが、拉致問題を話し合うということで訪朝すれば批判をかわすどころか、賞賛の対照ともなり得ます。そして、国交正常化交渉が動き出せば、あとは拉致問題はどうでもよく(もちろん、帰ってくればそれに越したことはないという程度の思いはあったでしょうが)、逆にマイナスになる要因、つまり拉致問題での世論の高まりは除去する必要があったということです。
したがって金丸・田辺訪朝団が紅粉船長、栗浦機関長の口をふさいだように、小泉政権も拉致問題がこれ以上大きくなることを止める必要がありました。そう考えると、9月17日の「飯倉公館事件」にしても、翌々年(平成16年)3月の山本美保さんにかかわる「DNAデータ偽造疑惑事件」にしても十分に理解ができます。
北朝鮮に拉致を認めさせ、とりあえず5人を取り返したという意味で私は小泉訪朝を評価をするものですが、それが結果論であって、本質的にはこのような考えのもとに動いていたということはしっかりと理解しておく必要があるでしょう。
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