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2009年5月20日

第18富士山丸事件と小泉訪朝

※5月20日付の調査会NEWS 778号に書いたものです。

 先日第18富士山丸事件と金丸・田辺訪朝団についてちょっと調べていて気づいたことがあります。

 事件については書くと長くなるので省略しますが、抑留された第18富士山丸の紅粉勇船長・栗浦好雄機関長は平成2(1990)の金丸・田辺訪朝団が連れて帰ってきました。しかし、二人には厳重な箝口令が引かれ、北朝鮮でのことについて語ることはできませんでした。
 
 金丸・田辺訪朝団と二人の釈放の流れを見なおしてみてなるほど、と思ったのは、二人の釈放問題はそれなりに世間の関心を呼んでいたものの、訪朝団の主題ではなく、逆に、訪朝団を出すための理由付けであったということです。この問題がなければ金丸・田辺訪朝団にはもっと風当たりが強かったでしょう。帰国してから二人が話せなかったのはそのためで、とりあえず帰ってこれれば、あとは日朝交渉に障害となるような発言はできないようにされたのでした。

 これを小泉訪朝にあてはめると、なるほど、と思える点がいくつも出てきます。

 小泉訪朝の最大の目的は拉致問題解決ではなく、日朝国交正常化でした。それは平壌宣言に経済援助などについては非常に細かく書いてあるのに、拉致問題については「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題」とぼかして書いてあるだけということでも明らかです。

 それどころではなく、金丸・田辺代表団のとき第18富士山丸事件がその理由付けで使われたのと同様、第一次小泉訪朝では拉致問題がその理由付けで使われたということです。

 確かに拉致問題を無視して日朝国交正常化に進むことは不可能ですが、拉致問題を話し合うということで訪朝すれば批判をかわすどころか、賞賛の対照ともなり得ます。そして、国交正常化交渉が動き出せば、あとは拉致問題はどうでもよく(もちろん、帰ってくればそれに越したことはないという程度の思いはあったでしょうが)、逆にマイナスになる要因、つまり拉致問題での世論の高まりは除去する必要があったということです。

 したがって金丸・田辺訪朝団が紅粉船長、栗浦機関長の口をふさいだように、小泉政権も拉致問題がこれ以上大きくなることを止める必要がありました。そう考えると、9月17日の「飯倉公館事件」にしても、翌々年(平成16年)3月の山本美保さんにかかわる「DNAデータ偽造疑惑事件」にしても十分に理解ができます。

 北朝鮮に拉致を認めさせ、とりあえず5人を取り返したという意味で私は小泉訪朝を評価をするものですが、それが結果論であって、本質的にはこのような考えのもとに動いていたということはしっかりと理解しておく必要があるでしょう。

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2009年5月13日

蓮池透さんの発言について

※5月13日付調査会NEWS 776号に書いたものです。
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 このところ、色々な集会での蓮池透さんの発言が伝えられています。

 もちろん、自分の意見を述べるのが自由なことは言うまでもありませんから、それ自体を批判するつもりはありません。むしろご自分の意見を明確に打ち出してくれるようになったことで、議論の土台ができることは望ましいと思います。

 その前提で、透さんの言っている「制裁には効果がない」「日本は過去の清算をしていない」という発言には敢えて反論しておきたいのですが、この二つは北朝鮮側から度々流されていることです。もはや風前の灯とも言える朝鮮総聯が、力を振り絞って制裁解除、特に船の入港禁止解除を求めていることが、いかに制裁が効いているかの証拠だと思います。

 私は経済制裁、特に船舶入港禁止はいわゆる経済制裁とは別に、安全保障上の意味、北朝鮮の工作活動を抑制する効果があると思っており、北朝鮮が困っているのはかなりの部分それなのではないかと考えています。

 どのような意図で透さんがこのような主張をしているのか、あるいは薫さんと同じ意見なのかは分かりませんが、もし日本政府に対して、あるいは世論に対してこのようなことを訴えるなら、多くの国民が疑問に感じている「なぜ帰国した5人は話さないのか」ということに答える必要もあるのではないでしょうか。別に語れないことは語れなくていいので、一般の人々の前で5人が答えられる範囲の質問に答えてくれれば、透さんの主張に対する見方も(私も含めて)変わるのではないかと思うのですが。

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戦略情報研究所講演会(喜田邦彦氏)

次回の戦略情報研究所講演会は下記の通り開催されます。ふるってご参加下さい。

1、日程:5月15日(金)18:30〜20:30

2、場所:UIゼンセン会館2階会議室(千代田区九段南4-8-16 tel03-3288-3549)
 ※市ケ谷駅下車3分 靖国通りを靖国神社方向に歩いてすぐ右に入る。日本棋院斜向い

http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=35/41/14.758&el=139/44/23.929&scl=5000&bid=Mlink

3、講師:喜田邦彦氏(安全保障・危機管理学会主任研究官)
 昭和18年生まれ。防衛大学校第10期卒。第1空挺団、陸幕研究課・訓練課、第2師団第3部長、第4普通科連隊長、防衛研究所戦史部主任研究官などを歴任し、平成11年に1等陸佐で退官。第二次世界大戦前における欧米諸国の危機管理などをテーマに研究。

4、テーマ「『専守防衛』…フランスの敗北と日本の呪縛」
 第2次世界大戦においてドイツに緒戦なすすべなく敗れたフランス、その最大の原因は「専守防衛」にありました。テポドン騒ぎに揺れる日本との比較も含め、どうすれば私たちが自らの安全を守ることができるのかについてお話しいただきます。

5、参加費 2000円(戦略情報研究所会員は無料)。

6、参加申し込み 事前のお申し込みは不用です。そのまま会場においで下さい。

7、インターネット中継 地方在住の方等でご覧になれない方は(株)NetLiveのご厚意によりインターネットでの生中継を行います(18:30〜19:30頃まで)のでそちらをご覧下さい。

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2009年5月10日

拉致問題の現在

※以下は表題のテーマアジア人権人道学会結成大会報告会(5月9日・明治大学)で私の発表したレジメに若干の肉付けをしたものです。調査会ニュース775号に掲載しました。
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1、拉致問題の二つの側面
 拉致問題には(1)国家主権の侵害、(2)人権侵害、という二つの側面があります。ここで発表するのは(2)についてです。

2、人権侵害の側面からみた拉致

(1)北朝鮮当局・日本国内の工作員及び協力者による拉致被害者に対する人権侵害

 これは通常言われていることですが、今回は別の視点から人権侵害としての拉致を見てみたいと思います。 

(2)日本国政府による拉致被害者及び家族に対する人権侵害

 その一つは政府が拉致を放置し、隠蔽することによる人権侵害です。

 a)不作為による人権侵害

 「努力していますが、結果が得られません」ということは責任を問われるべきではないのか。国民の基本的人権が侵されているのですから、救出できないことについても政府は責任を負うべきだと思います。発表の場では言いませんでしたが、岡田和典・調査会常務理事の言葉を借りれば「ヤルヤル詐欺」にあたるのではないでしょうか。

b)意図的な隠蔽による人権侵害
(例)飯倉公館事件(註1)・DNAデータ偽造疑惑事件(註2)

 これは不作為よりさらに始末の悪い問題です。例に挙げた二つの事件(後に概略を解説)については現在見直しをしているのですが、金丸訪朝のとき、第18富士山丸の船長・機関長解放が一つの重要なテーマでした。これはあらためて見直すと、二人を取り戻すために北朝鮮と交渉したのではなく、北朝鮮と交渉するためのネタとして二人のことを使ったのではないかと思われます。同様小泉訪朝でも拉致は、それを解決するために行ったというより、日朝国交正常化をするために拉致問題を利用したのではないかとも考えられます。いうまでもなくこれらは政府による明確な人権侵害です。

(3)国民による拉致被害者及び家族に対する人権侵害

 しかし、問題は政府にのみ押しつけられるものではありません。民主主義制度の中、政府は私たちが構成しているのですから、拉致問題が解決できないことについて、もちろん私も含めて、国民皆が不作為の人権侵害を犯しているとは言えないでしょうか。特に「まだよく分からないから何もしない」ということは果たしてどこまで許されるべきか。そうしているうちに収容所の中では人々が死んでいきます。その中には帰国者も、拉致被害者もいるかも知れません。「知らない」ということに何らかの責任が課される必要もあるのではないかと思います。

3、拉致問題に関しアジア人権人道学会に期待する今後の課題

(1)救出運動スタート、家族会結成からすでに12年余。時間の経過によって記録が散逸しつつあり、あらためてこの間(そしてそれ以前から)拉致問題について何が起こってきたのか、記録を残しておく必要性があります。

(2)多数の被害者がいると思われる在日朝鮮人拉致についての検証がなされていません。これも進めていかなければなりません。

(3)終戦時に北朝鮮に残った内地出身者(日系朝鮮人)の存在に関する検証もほとんど手つかずです。平壌だけで1000人位残ったと言われる人たちがどう処遇されたのか、拉致問題ともからめて考えていく必要があると思います。

(4)拉致問題の全体像に関する検証は、(1)とも関わりますが、まだ十分になされていません。個別の人権問題についての研究とともに、政治、外交の面を加味して全体像を見定めていく努力が必要であると思います。

(註1・飯倉公館事件)平成14(2002)年9月17日の第一次小泉訪朝時、政府が北朝鮮側から伝えられた情報の中で、未確認の死亡・生存の情報を確定情報として伝え、一方北朝鮮から伝えられていた「死亡」日付等をあえて知らせないことなどの情報操作によって拉致問題の終結を図ろうとした事件。(参考:荒木著『拉致 異常な国家の本質』勉誠出版)

(註2・DNAデータ偽造疑惑事件)昭和59(1984)年6月4日に山梨県甲府市で失踪した特定失踪者山本美保について、平成16(2004)年3月5日山梨県警が、失踪17日後に山形県遊佐町の海岸に漂着した身元不明遺体の骨髄と双子の妹の血液をDNA鑑定した結果一致し、従って遊佐町の遺体は山本美保であると発表した。しかし、後の調査で山本美保と遺体は体格、着衣、遺留品がことごとく相違し、なおかつ遺体の状況も失踪17日後とは考えられない状態であることが分かった。遺体が山本美保でないことは明白であり、それはDNA鑑定の書類が偽造されたものであることを意味する。当然このような措置が県警の判断でできるはずはなく、飯倉公館事件同様政権中枢による拉致問題終結のための情報操作であった疑いが持たれている。(参考:同上書)

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2009年5月 4日

平和を愛好する…

 昨日は憲法記念日でした。

 悪い冗談と言われるかも知れませんが、憲法に「平和を愛するインフルエンザウィルスの公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とでも書いたらインフルエンザが入ってこなければいいですね。あるいは「平和を愛する地震の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とか「平和を愛する台風の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」なんてのもありかも知れません。

 信ずる者は救われる、と思うなら心中するのも結構ですが、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。けれどもできなかったので諦めた」というのも一つの方法でしょう。別に条文をかえなくても、「将来そうなったらいいなあ」という努力目標くらいに考えて、それよりもとりあえず現実に安全と生存を保持する対策をすべきでしょう。

 もともと占領中に占領軍が作ったものですから、あまり真面目に考えない方がよいのではないかと。

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2009年5月 1日

メーデー

※5月1日付調査会NEWS 774号に書いたものを多少直しました。

 4月29日に東京・代々木公園で開催された連合主催のメーデーに特定失踪者問題調査会として出店しました。この模様は戦略情報研究所のホームページにある「しおかぜだより」に報じられています。

http://senryaku-jouhou.jp/tayori.html

 ご協力いただいたUIゼンセン同盟ヤングリーブスの皆さん、ブースを訪ねて下さった皆さん、ありがとうございました。当日はカンパ8,536円、グッズ売り上げ37,000円あわせて45,536円になりました。ご支援に心より御礼申しあげます。

 ところで、そのメーデーの最中、ふとタイトルのようなことが頭に浮かびました。もともと真鍋副代表が「政府にも『良い政府』と『悪い政府』がある。もっと『良い政府』が動きやすいようにしないと」と言ったことにヒントを得たものですが、「良い政府」も「悪い政府」も一部で、大部分は「どうでもいい政府」なのではないでしょうか。もちろん、そんな名前の政府があるわけではなく、政府の中は良い人も悪い人も一部、あとはどうでもいい、まあ仕事は増やしてほしくないという人だということです。

 「悪い政府」ならやっつければ良いわけですが、「どうでもいい政府」というのは本人たちが悪いことをしているという自覚もなく、かといって「何とかしたい」という意識を持っているわけでもないので、ある意味一番始末に困ります。

 もっとも、こんな状態は昔からあまり変わっていないのでしょうから、それを前提にやるしかありません。上が明確な指示を降ろせばお役所は動くわけで、その決断を政治がするかどうかだろうと思います。その政治を動かすのは世論です。

 私たちの政府とのスタンスは常に「建設的緊張関係」を基本にしていますが、その中では様々な政府関係者の皆さんと連携し、協力もし、私たちに対しても協力してもらっています。別に反政府運動でやっているわけではないので、これは当然のことだと思います。一方で、拉致問題が解決しない理由の大きなものは何十年も積もり積もってきた政府による隠蔽であり、その部分はどうしても打破していかなければなりません。これからもっと厳しく闘わなければならない局面も出てくることは間違いありませんが、「良い政府」の皆さん、共にがんばりましょう。

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