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2006年10月31日

自殺

 岐阜の中学生の自殺の話が大きなニュースになっている。
 この事件自体については詳しくフォローしているわけではないので、何とも言えないのだが、気になるのは皆が「犯人捜し」をしているように見えることだ。以下は一般論としてお読みいただきたい。

 特に中学生や高校生の自殺について、誰々の言葉がきっかけになったとか、教師の対応に問題があったとか、ろくに分かっていないと思われる人まで理由をつけたがることが多い。とくにマスコミはそうしようとし続ける。

 もちろん、人が一人、自ら命を絶ったのだから、周囲がその原因について考え、また問われるべき責任は問われることになるのが当然だろう。しかし、その前提の上で言いたいのだが、自殺の原因が、本当に他人に分かるのだろうか。これは友人や教師のみならず、親や、場合によっては本人も、分からないことだってあるのではないか。

 私には自殺した友人、自殺ではないかと思われる死に方をした友人、自殺に近い病死をした友人がいるが、結局その本当の理由は分からない。分からないというより、分かりたくないのだ。自ら命を絶った人間に、「あいつはこうだったから自殺したんだ」とは、とても結論づける気にはならないというのが正直なところである。「犯人捜し」をしているうちにその本質から遠ざかり、本人を冒涜することになってはならないのではないか。同情というのは場合によってはもっとも簡単な優越感の表現でもあるのである。

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2006年10月27日

「しおかぜ」の今後について

※以下は10月25日付の調査会メールニュースで書いたものです。私たちのあずかり知らぬところでいろいろ話が飛び交っているようですが、ともかく、拉致被害者を取り返すという大目的に沿っていればいいと思います。現実的には今の放送はそのまま続けることになりますので、今後ともご支援よろしくお願いします。

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 「政府の援助が決まってよかったですね」

 先日来、ずいぶんたくさんの皆様からお祝い(?)の電話やメッセージをいただきました。取材もずいぶん受けましたし、しまいに外国のマスコミからも「日本政府が支援することになったそうですが」と電話インタビューがありました。

 ところが、こちらの答えは情けないことながら「まだ何も決まっていないんです」というだけなのです。また、NHKの「命令放送」についても報道ばかり飛び交っていて誤解があるようです。混乱するといけないので、調査会の代表としてコメントをしておきたいと思います。

(1)送信施設の利用について

 茨城にあるKDDIの送信施設の利用についてはとりあえず総務省に要望を出しており、可能かどうか検討をしてもらっています。結論はまだ出ていません。ただし、これが可能になったとしても、手続きを終えて実現に至るのは、私の感触では数ヶ月先(おそらく来年度中)と思われます。総務省の担当の皆さんは熱心に対応してくれていますが、いずれにしても直近の状況には間に合わないのと、できるようになったとしても現在の英国経由の放送をこちらに変えるのではなく、プラスアルファする形になると思います。また、やるとなれば当然ながら送信施設は民間企業であるKDDIのものですから、費用負担の問題も出てきます。

(2)NHKの「命令放送」について

 これも憶測ばかりが飛び交っているようですが、「拉致問題についての番組を増やす」という問題であれば、私たちが直接関わることではありません。また、私たちは「命令放送」としてNHKで「しおかぜ」を流してもらいたいとは思いません。ただし、北朝鮮の体制崩壊時の「拉致被害者の皆さん、○○に避難してください」というような緊急放送は命令放送でやっていただくしかないと思っています。もちろん、現在の「しおかぜ」も緊急放送に使います。

(3)現在の英国経由の送信について

 私自身が年内解決を公約しており、北朝鮮の現状を見ても状況は切迫していると思います。したがって、現行の放送は当分の間従来通り続けます。現在朝の第1放送にかかっている妨害電波の対策として、周波数変更や時間の変更はあり得ますが、放送は維持し、さらに内容の充実をはかります。


 総務省・内閣府をはじめとする政府・与党関係者の皆さん、民主党及び拉致議連の役員の方々には今回大変ご尽力をいただいており、感謝しています(あまり政府を賞めない私がそういうのですから間違いありません)。ただ、現実問題としては、緊急時の命令放送による避難指示などを別にすれば、即効性のある対応は難しいと思います。もちろん、今後も協議は続け、できるだけ拉致問題解決にプラスになる方法を探していきたいと思います。

 したがって、調査会の費用負担は今後も少なくなることはありえません。政府には中期的な対応もさることながら、直接の手当をしていただければありがたいのですが。自民党総裁選の頃、「調査会はもう財政的に破綻していて年内もたないらしい」という噂が永田町だか霞ヶ関で流れていたとの話がありました。全くその通りで、自転車操業というより、一輪車操業に近いのが現在の調査会です。ただ、これは今に始まったことではなく、創立当初から4年近く、常にそうなのですが。

 いずれにしても調査会としては、今後も現行の「しおかぜ」放送を継続・強化しながら、情報発信のみならず「しおかぜ」プロジェクトとして北朝鮮からの情報収集を積極的に行って参りますまた、北朝鮮にビラを送る「バルーンプロジェクト」もできるだけ早くスタートさせる予定です。したがって今後も現在以上の経費が必要になります。各位におかれましても一層のご協力を賜りますようお願い申し上げる次第です。

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2006年10月23日

新著

Book

 写真の本を上梓しました。『内なる敵をのりこえて、戦う日本へ』(草思社刊・1470円)

 戦後の呪縛から解放されるということは、断絶された歴史を繋ぐこと、つまり、戦前の日本と戦後の日本を繋ぐことであるという主題を中心に書いています。そして、解放のためには戦わなければならないということを訴えたつもりです。今月末から書店に出ます。ご一読いただければ幸いです。

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2006年10月22日

民社人権会議の談話

 北朝鮮の核問題について民社人権会議(田久保忠衛代表幹事)の談話が発表されました。一般の方が目にする可能性は少ないので、このブログにも掲載しておきます。ちなみに私は本組織の幹事をしています。

北朝鮮の核実験発表について

 すでに様々な報道がなされているので詳細は省くが、北朝鮮の核実験発表が日本をはじめとする国際社会に対する挑戦であることは言を俟たない。
 しかし、一方で北朝鮮内部の動揺も伝えられており、また、これまで北朝鮮への制裁に消極的だった中国・ロシア・韓国も次第に方針を変化させつつある。ある意味では北朝鮮の体制転換、そしてそれを通して拉致被害者の救出や北朝鮮人権問題の解決へと至る絶好のチャンスであるとも言える。
 わが国は、これを機会に日米同盟を基軸としつつ、東アジアにおける民主主義国家のリーダーとして、地域の秩序維持のために責任を果たさなければならない。これまでの受け身の姿勢を転じて、日本が先頭に立ってイニシアチブをとって行くことが必要である。
 具体的には政府・議会・民間それぞれのレベルで次のような行動を起こすべきであると考える。

1、金正日体制を民主的な政権に転換し、南北朝鮮の人々の総意によって、統一などの方法で半島の問題が解決されるために協力する。そのために、国際的には北朝鮮人権問題を継続して取り上げ、北朝鮮に強くその改善を求める。また、北朝鮮内部への情報の流入を加速させ、現在の独裁政権から国民の離反を促す。

2、実験が成功したか失敗したかに関わりなく、北朝鮮が核兵器をすでに保有していること、今後も開発を続けようとしていることは間違いない。また、北朝鮮のみならず、日本の周辺には中国・ロシアという核大国があり、米国の核の傘にのみ依存していることは将来にわたって日本の安全を不確実なものにしている。この際、日本は独自の核抑止力を保持する決意をするべきである。もちろん、それが実現していくまでの中間地点では、非核三原則の見直しや、日米で核のボタンを共有するなどのこともありえるが、終局的には日本の意志で用いることが可能な核抑止力が必要である。

 日本は唯一の被爆国として、核の悲惨さを訴え、その一方で核抑止力を持つ努力をしていかなければならない。きわめて困難なことだが、唯一の被爆国であり、かつ世界の主導的地位にある民主主義国家日本だからこそ、核抑止力保持に説得力があるのも事実である。悲惨さの反芻のみでわが国及び世界の平和を守ることはできない。今こそ現実を直視し、行動していこうではないか。

    平成18年10月22日
民社人権会議 代表幹事 田久保忠衛

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2006年10月20日

核武装

 日本は独自の核抑止力を持つべきである。もっとわかりやすく言えば核兵器を持つべきである。

 先日中川昭一経産相が15日、「核があることで攻められる可能性は低いという論理はあり得るわけだから、議論はあっていい」と、核保有に関する議論を認めるべきだとする発言をし、波紋を呼んだ。麻生太郎外相も18日、国会で「隣の国が(核兵器を)持つということになったときに、一応そのことに関して、検討するのも駄目、何もしない、ということはそれで一つの考え方だが、いろいろな議論もしておくのも大事なことだ」と発言している。当然である。議論してはいけないというなら、何のための国会か分からない。

 さて、8月10日のブログにも核のことは書いたが、「議論をする」ためには、賛成意見がなければならない。現在は米国在住のジャーナリスト、伊藤貫氏の著書『中国の核が世界を制する』など、話題にはなっているが、まだそれほど賛成意見が強い訳ではない。核抑止力の必要性を感じていても前向きに進めようという人はごくわずかである。やはり世論の袋だたきに遭うのが怖いのだ。正直なところ私もそうだった。

 しかし、議論するというのは、賛成と反対を闘わせなければならない。大臣の発言は相当気を遣わなければならないが(だからこそ「議論すべき」というだけでも大きな波紋を呼ぶのである)、私たちのような民間人まで「議論すべき」ではいけないだろう。1人しか土俵に上がらないで、観客から「相撲を取れ」といっても無理である。私はこういうときは負けてもいいから土俵に上がる人間が必要だと思う。

 そこであらためて、日本は独自の核抑止力を持つべきだと訴えたい。途中経過としては非核三原則の見直しがあり、米国との核のボタンの共有なども考えられるが、最終的には日本の独自の判断で使用できる核兵器を持っておくことは必要だと思う。

 昭和20年7月の段階で、日本が核兵器を持っていたとすれば、米国は広島・長崎に原爆を落とすことはできなかったろう。そして、日本も米国が核兵器を持っていることを知っていれば、米国に核の先制攻撃はできなかったはずだ。

現行憲法9条1項、「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、■永久にこれを放棄する」
の■のところに次の文句を入れたらどうなるだろうか。
 「いかに国土が蹂躙され、国民が殺戮され、人権が侵害されても」
 9条の条文にはこれが隠されている。それでもいい人は今後も絶対平和主義を唱えるべきだ(私はそういう人も必要だとは思っている)。そうでなければ、もっと現実に目を向けるべきだと思う。

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2006年10月16日

西村真悟議員への求刑

 鈴木宗男著『闇権力の執行人』(講談社)を読み終えたところで西村真悟衆議院議員の弁護士法違反事件について懲役2年、罰金100万円、追徴金836万円という求刑が行われた。検察側は「弁護士や国会議員に対する信頼を踏みにじった悪質極まりない犯行だ」として上記求刑をしたという。
 あえて言いたいが、検察はこの事件が「悪質極まりない犯行」だとするなら、すべての弁護士出身の国会議員について、取り調べをするべきだろう。「悪質極まりない」と言いながら西村議員だけで後は知らん顔をするのでは、そのような国策捜査をしている検察の方が「悪質極まりない」と言われても仕方ないのではないか。
 こんなことで実刑判決が出せるなら道を歩いている人を捕まえて重罪にしてしまうこともできるのではないかという気がしてくる。私もさんざん政府の批判をしているから、そのうちやられるかもしれない。堀江某や村上某の事件も(私はこういう種類の人間は好きではないが)結局検察は世間受けをねらってやっているということではないか。鈴木議員の本を読んでいて、検察というのがいかに権力を恣意的に使うものかを実感するのだが、当事者が好きか嫌いかは別として、本当にこの国の司法制度が公平に機能しているのか、国民はもっと積極的にチェックの努力が必要ではないか。
 検察も、「悪質極まりない」議員なら永田町にいくらでもいるのだから、政権中枢にいる人間も含めて、どんどん血祭りにあげてもらいたいものだ。そうでなければ西村議員への求刑は「弁護士や国会議員に対する信頼を踏みにじったとして私たちが摘発できるほど脇が甘かった」という理由に直した方がいいと思う。
 もう一つ言っておきたい。「悪質極まりない」議員とは、長年拉致を隠蔽し、北朝鮮をはじめとする諸外国の工作活動に手を貸し、あるいは裏取引を行い、それによって利益を得てきた議員である。ひいきの引き倒しと言われるかもしれないが、西村議員は少なくともそれと戦ってきた。検察首脳は自分たちが何をやっているのか、もう一度考えてみるべきだろう。

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2006年10月14日

BB弾1発16万円

「ピシッ」
 音が聞こえたとき、一瞬目が点になった。
 何日か前のこと。夜何とはなしにモデルガンのピストルを出してガスを充填し、引き金を引いたところ、入っていないはずのBB弾が飛び出して、よりによってパソコンの画面にあたってしまったのである。BB弾と言っても結構な威力で、見事に液晶にひびがはいった。
 いい年をしてモデルガンとは、と思われるかも知れないが、言い訳で書いておけば、いざというときのために拳銃の感触だけでも覚えておくのが目的で買ったもの。実弾の練習はソウルに行けばできる(観光用の射撃場で撃たせてもらえる)ので、当然ながら家では感触だけである。予備自衛官の訓練で使うのは私たちの場合通常64式小銃なので、おそらく実戦で私が持って戦闘に参加することはない。護身用という意味でも実際に使う可能性は拳銃の方が高いのである。
 それはともかく、このモデルガン、しばらく出していなかったので弾が入っているはずはないと思い込んでいた(それならガスも入れなければよかったのだが)。しかも、どこに向けてもよかったのに、なぜかパソコンの画面を狙ってしまった次第。まあ、間抜けというかなんというか。自分のミスだから怒るわけにもいかない。
 メーカーに聞いたところ、液晶にひびがはいったのであればパネルごと取り替えなければならないので10万円位かかるとのこと。一部墨を垂らしたように黒くなった液晶でなんとか我慢できないかと思ったが、シミが次第に大きくなってくる。予備でおいてあったパソコンをとりあえず使おうとしたのだが、しばらくしてこちらも動きがおかしくなってきた(先週あたり私にメールを送った方で返事がない場合はこのトラブルによる可能性があります。お詫び申し上げます)。
 万事休すで、いまさら液晶を取り替えるよりはとパソコンを買い替えた。何だかんだと16万余り。マーフィーの法則にそういうのがあったかどうか知らないが、こういうことの起きるのはだいたい懐具合の寂しいときである。

 先日海自のミサイル艇で、入っていないと思った20ミリ機関砲に弾が入っていて誤射するというミスがあった。比べてはいけないだろうが、あれを思い出してしまった。次の訓練のときは気をつけます。こちらはBB弾ではないので。

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2006年10月 5日

歴史認識

 訪中・訪韓にあたって、安倍総理は従来の政権の歴史認識を基本的には踏襲するとのこと。
 実際にどういうやりとりになるかは終わってみないと分からないが、やはり、壁は厚いと思わざるを得ない。おそらく、中韓も日本との関係改善を求めており、「一言『悪い事をした』と言ってくれれば、後は言いませんから」とでも外交当局者が伝えているのだろう。特に中国はここで関係改善できなければ胡錦濤政権の今後にすら悪影響を及ぼすという認識があるのではないか。
 しかし、韓国の場合、来年12月には次の大統領が選ばれ、再来年2月に就任してしまう。韓国の政治はそこでリセットされるから、盧武鉉と「未来」は語れない。
 外交が書生論でいかないことは分かる。しかし、歴史認識の問題は、誰か(それも民間人ではなく、政府の責任ある立場の人)が轟々たる非難の中で、地位を失うことを覚悟してやらなければ将来へも禍根を残す。そして、中韓両国自体の歴史認識にも(両者に若干の性格の違いはあるが)ひずみをもたらすのである。東京裁判史観を日本が公式に認めている限りは、韓国の保守派が脱皮することもできないし、中国共産党の支配も正当化され続ける。
 個々人の意見の違いはあっていいし、逆に一つの歴史認識しか語れなくなったらおしまいだろうが、政府としての基盤はしっかりさせておくべきである。あるいは安倍さんなら、と思ったが、やはり難しいということなら、私たちもそれなりの覚悟をして臨まなければならないのではないか。

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