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2006年9月27日

安倍内閣

 新内閣がスタートした。色々なことを言われているが、はじめが肝心である。韓国語には「シジャギ パニダ」(始めれば半分終わったも同じ)という諺があるが、体制が整うのを待たずにどんどん突っ走ってもらいたいと思う。

 ところで、小板橋孝策著『下士官たちの戦艦大和』(光人社NF文庫)に次のような部分がある。
 昭和19年10月24日、レイテ海戦での大和艦上の光景である。筆者は重巡「愛宕」に乗っていたが撃沈され、大和で見張の任務についていた。
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 この空襲の終了直前、「大和」の左舷中央、ちょうど艦橋前面付近の外舷に、数発の至近弾が投下された。その爆風がものすごい勢いで左舷艦橋にむかって、いっせいに吹き上げてきた。
 「ヤ、ヤラレタ」
 そのような意味の叫びが、あちこちでドッと湧く。艦はショックで大きく横ぶれに揺ぎ、兵たちの何人かが倒れた。
 この爆風は、「大和」の左舷水線付近に、大きな破口をうがち、たちまち、砂利のような鉄片をまじえて艦橋に吹きつけてきた。
 そのとき、身を乗り出すようにして見張についていた第二艦橋の水平が一人、運悪く、その爆風をもろにうけてしまった。
身体を乗り出していたので、上半身を鉄片まじりの爆風が吹抜けていったのである。その見張員は、うしろの鉄板にガツンとたたきつけられた。
 その上半身はすさまじい状態に変わりはてていた。乗り出していた部分の肉片がすべて削ぎ取られ、剥ぎ取られ、無残にもアバラ骨だけが残り、顔は吹飛び、腰あたりから下、両足だけがズボン姿のままで、二、三回ほどけいれんしていた。一瞬の出来事である。
 この憐れなガラのようになった水平の死体は、やがてドラム缶に入れられ、ロープにつるされて艦橋からおろされる。
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 いうまでもなく、こういう光景は戦争中なら通常の光景である。そして、この水兵のように死んでいった無数の英霊の上にこの国はある。さらに、これから先、このような自衛官が、場合によっては一般国民が出ることも覚悟して、総理が戦いを決断しなければならないときもあるかも知れない。また、総理自身が命を狙われることもあるかも知れない。釈迦に説法だし、総理がこのブログを読むわけではないが、安倍さんには現在の日本国の世界に占める重みと同時に、過去から未来へと続く歴史の重みをしっかり認識して、闘い続けてもらいたいと思う。

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2006年9月26日

拉致担当大臣

 もう誰にするかは決っているのだろうが、安倍政権では拉致担当大臣、ないしそれに次ぐポストができるという。拉致問題重視という意味では画期的なことだが、無任所大臣で担当しても手足がないのだから、そのままでは「拉致担当大臣」ではなく「家族担当大臣」になってしまうのではないか。もし、私が自民党の役員で拉致問題の解決に熱心でないか、あるいは北朝鮮と裏取引をしようとしているとすれば、人当りの良い、家族に信頼されそうな人材を大臣に任命し家族会を慰撫しておいて、表面上はやっているポーズを見せ、裏で別の動きをすると思う。
 そうしないためには全ての拉致被害者を救出すること、日本主導で帰国者やその日本人妻問題を含むすべての北朝鮮人権問題の解決を進めることを、世論の側が常に政府に対して言い続け、風を起こしていくことが必要である。それが安倍さんへの応援にもなるはずだ。
 本当なら拉致問題の担当大臣は防衛庁長官との兼務が最も望ましいと思うのだが。

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2006年9月21日

拉致と北朝鮮人権問題

 日本では北朝鮮について、政治もマスコミも一般国民も、関心は拉致とミサイル、核問題に集中している。
 拉致問題への関心が高まるのはもちろん望ましいことだが、最近ちょっと気掛りになっているのは、拉致への関心と、政治犯収容所や脱北者、帰国者問題などの北朝鮮の他の人権問題への関心が余りにもバランスを逸しているのではないかということだ。
 もちろん、拉致問題は日本人が連れて行かれているのだから別だということは言えるだろう。しかし、それは国家主権の侵害、つまり戦争の次元の問題である。これは軍事力も含めた国家の総合力で北朝鮮(というより金正日体制)を圧倒していくしかない。そこに一切の妥協はすべきではない。
 一方、人権問題ということなら拉致も他の人権問題も同等である。
 「帰国者は自分の意志で行ったではないか」という人もいるはずだ。確かにそれはその通りである。しかし、もちろん彼らは北朝鮮があのような国だと分かった上で行ったのではない。騙された方が悪いということならばヨーロッパで拉致された有本恵子さん・松木薫さん・石岡亨さんも同じことになってしまう。
 やがて拉致の全貌が明らかになってきたとき、必ずグレーゾーンの人々が出てくるはずだ。つまり、自分の意志で行って出られなくなった人である。おそらく福留貴美子さんもこれに入るだろう。さらに在日の拉致が相当数いるはずだ。そうすると、ここまでは拉致、ここからは別という仕分けなどほとんどできなくなる。
 したがって、人権問題としての拉致の解決は体制の変更によって他の人権問題と合わせまとめて解決するしかないのである。日本人拉致だけ解決して収容所が残るなどということはありえない。昨日の自民党総裁選は安倍晋三氏が当選したが、安倍さんには主権侵害と人権侵害の両面を認識し、日本が北朝鮮人権問題の改善にも世界の最前線に立つという積極的な姿勢を持ち続けてもらいたいと思う。

 このブログをお読みいただいている皆さんにも、少しでも北朝鮮の他の人権問題にも関心をもっていただければ幸いです。とりあえず戦略情報研究所の講演会についてお知らせします。お誘いあわせのうえご参加下さい。

■戦略情報研究所講演会のお知らせ

 戦略情報研究所では下記の通り講演会を開催します。北朝鮮人権法でも脱北者保護が謳われていますが、日本国内の一部には「脱北者を保護すれば武装難民が入ってくるのではないか」、あるいは、「そもそも難民を助ける必要があるのか」といった意見も見られます。

 そういう意見があることを前提として、しかし、なぜ私たちが難民の受け入れをしなければならないのか。また、具体的にはどこまでの範囲で、どうやってやるべきなのか、その第一線で活躍している三浦さんにお話しをいただきます。奮ってご参加下さい。

日時 9月29日(金)18:30〜20:30

会場:UIゼンセン会館2階会議室(千代田区九段南4-8-16 tel03-3288-3549)
 ※市ケ谷駅下車3分 日本棋院斜向い (地図は下記をご覧下さい)。
http://www.uizensen.or.jp/doc/uizensen/access.html

講師:三浦小太郎(北朝鮮帰国者の命と人権を守る会事務局長)

テーマ 「なぜ脱北者保護が必要か」

参加費 2000円(戦略情報研究所会員の方はお送りした講演会参加券がご利用になれます。参加券がない場合は一般参加費を頂戴します)

○予約等はありません。直接会場においで下さい。

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2006年9月17日

キハ55

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 鉄ちゃんの話である。
 これは見て分かる通り模型である。私のささやかなレイアウト(ジオラマ)上にキハ55という、かつて急行用ディーゼルカーとして全国を走り回った車輌をおいて撮ったもの。
 鉄道マニアといっても色々いるから一概には言えないが、自分の子供の頃、線路際で列車の通るのを飽かず眺めていたときのイメージが残っているマニアも多いのではないか。私の場合は保育園と小学校の初めの頃、ディーゼルカー全盛時代の四国で暮らしていたせいで、ディーゼルカー(といっても、最近の高性能のではなく、3〜40年前に全盛期だった車輌)に愛着がある。キハ55もその一つである。

  少女はオバサンであり、オジサンは少年である

 この法則(?)は私が経験から感じていることだが、鉄ちゃんというのは良くも悪くも永遠の少年なのだと思う。

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2006年9月16日

予備自衛官補

 このブログでは「関連サイト」のところに「陸上自衛隊予備自衛官制度ホームページ」へのリンクが張ってある。これは別に自衛隊から頼まれたわけではない。逆に自衛隊の方からすれば迷惑かも知れないが、以下、簡単に説明をしておきたい。

 略歴にも書いてあるように、私は現在予備一等陸曹、旧軍であれば軍曹である。

 予備自衛官というのは必要に応じて招集される臨時雇いの自衛官で、昔であれば予備役にあたる。大部分は正規の自衛官を経験した人だが、平成14年度から「予備自衛官補」制度ができて、未経験者も予備自衛官になれる道が開かれた。この制度は一般公募と技能公募の二つに別れており、一般の場合は18歳から33歳まで、技能の場合は技能に応じて53~55歳までが応募できる。一般は3年以内に50日の訓練を受け、2等陸士に任官、技能は2年以内に10日の訓練を受けてそれぞれの技能に応じた階級で任官する。尉官や薬剤官等は幹部(将校)、それ以外は大体陸曹(下士官)である。 一般は学生とかフリーターなどが主な対称になるが、実際には様々な職業の人が入っている。

 私たち技能公募の場合は衛生(医師・歯科医師・薬剤師・看護師など)、語学(英語・ロシア語・中国語・朝鮮語)、整備、情報処理、通信、電気、建設などがあり、私の場合は朝鮮語の技能による任官である。予備自衛官補の間は階級はなく、桜にRC(Reserve Candidate)というマークを付ける。

 所定の訓練を終えると任官し、予備自衛官になる。その後は通常年間5日の訓練を受けることになる。これは技能公募出身も一般公募出身も元自(元現職自衛官)も同じである。予備自補のときから射撃はやる(64式小銃)が、毎年の訓練でも必ず射撃検定は受ける。64式というのはもう古い型で、すごく精密にできているので乱暴に扱う実戦には向いていないように思うのだが、狙撃銃としては優秀で、訓練で狙って撃てば私でも結構当たる。なお、技能公募の場合は、技能に特化した訓練もあり、朝鮮語の場合は現状で年間5日の訓練のうち3日は語学に関わる訓練を小平学校で受け、あと2日は通常の予備自訓練に混じって射撃や体力検定を行う。

 自衛隊は外国の軍隊と比べて圧倒的に予備役が少ない。また、かつては現役の確保すらままならなかった時代があり、いわんや予備役は員数会わせ程度に考えられており、訓練もかなりいい加減なものだったようだ。しかし、実際は実戦に参加できる予備役を抱えておかないと、国の守りはできるものではない。昔から予備自をやっている人からすれば最近の訓練は格段に厳しくなったと言うし、予備自補の採用も本年度から本格的になった。元自の予備自の人数は限られているので、今後は技能・一般を含め予備自補出身予備自の役割は質量ともに増えていくはずだ。ちなみに私は拉致被害者救出のために自衛隊を派遣せよと言っているわけだが、当然そのときには私も入れてもらわねばならない。これこそ究極の「自作自演」である。

 私が予備自補の訓練を受けたのは47歳のときで、同じ班では最年長、訓練中隊の中でも上の方だったが、僅か10日間でも一緒に訓練を受けた仲間とは今でも交流を続けている。人生経験としてもやって損はないと思うので、関心がある方は一度チャレンジしてみることをお勧めしたい。ただ、技能の場合、その技能に必要な数が足りれば採用を見合せたりすることもある。各地の自衛隊地本(かつて地方連絡部と言っていたものが今は地方協力本部ー地本ーと呼ばれている)に問い合せてみるといいだいろう。

 一般公募の方は学生やフリーターにはお勧めである。訓練手当は出るし、3食タダで、山ほど食べられる。文字通り「同じ釜の飯を食った」仲間もできる。安全保障の勉強をしたいなら、経験しておいて損はないと思う。

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2006年9月14日

クローズアップ現代

 今日のNHK「クローズアップ現代」は横田さんご夫妻の活動に焦点を当てたものだった。あの番組の影響は大きいから、取り上げてくれたことは拉致問題の啓発のためには大変プラスになったと思う。
 その点については、評価しながらなのだが、横田滋さんも早紀江さんも病院通いをしながら過密スケジュールをこなしていることを強調しながら、番組の最後でスタジオに横田さん夫妻を呼んだのにはちょっと疑問を感じざるを得なかった。もちろん、車で送迎はしたのだろうが、それにしても川崎から渋谷である。せめて自宅マンションの集会所などで中継するべきではなかったのか。

 マスコミだけではない。どこに行っても「横田さんご夫妻を呼んで講演会をやりたい」という声を聞く。もちろん、救出運動のシンボルだし、正直なところ横田さん夫妻が行くか行かないかで集会の集客力も、マスコミの扱いも大きく変わる。主催者として何とか来てもらいたいと思う気持ちも分かる。しかし、ときどきご一緒すると、端で見ていてもその疲労度は並大抵のものではないように感じるのである。

 私はどこで話しても必ず言うようにしているのだが、拉致被害者の救出運動は「被害者や家族がかわいそうだから」やることではない。私たちや家族、日本の安全を守るためにやるものである。北朝鮮が拉致をやめた証拠はない。あの国の習性からして、これからでも必要があれば(場合によったら惰性ででも)拉致をするだろう。そのとき、それを水際で防ぐことは不可能である。それを防ぐためには「やればやりかえされる」、あるいは、「連れていっても日本は最後まで取り返してしまう」という現実を相手に突きつけなければならない。また、それをしなければ、別の国が別の主権侵害をするかも知れない。自分たちの闘いであるという意識を、一人でも多くの人に持ってもらいたいと思う。

 この問題は家族の問題ではない。国家の問題である。もちろん、その入口として家族のことから入るのは仕方がない(私自身もそうだった)。しかし、家族の問題、特に横田さんの問題に限定してしまえば、後にかならず禍根を残すことになると思うのである。少なくとも横田さんご夫妻の、他の家族会のご家族と比べても極端に厳しいスケジュールは、呼ぶ方から自粛すべきではないか。NHKも含め。

 ところで、「クローズアップ現代」でもう一つ気になったことがあった。「被害者の両親のうちで最年少」(言葉はこの通りではなかったかも知れない)と言っていたが、これはあくまで、家族会ないし政府認定者に限った話である。当然ながら横田さんご夫妻より若い拉致被害者のご両親がいる可能性は高いのだ。「結局政府認定者のことしか頭にないのかな」と、残念だった。私たちの努力不足の証拠でもあるのだが。

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2006年9月11日

カンチョプ

 漢字だと「間諜」と書く。韓国語でスパイのこと。昔の日本の言葉が残っている例だが、恐らく韓国人でもこれが元日本語だと意識している人はいないだろう。

 もう20年位前になると思う。休暇で韓国を一人旅していた頃である。今は冬ソナで有名になった春川に立ち寄った。立ち寄ったと言っても、ソウルから春川まで行っている国鉄京春線に乗るだけのことだが、春川では旅館に泊った。

 当時の韓国は安保意識が今と全く異なり、怪しげな人間が泊ると宿から警察に通報された時代である。不自然な韓国語を話し、基地の町春川に男が一人旅(最近ライフスタイルが変わってきているから変化しているのかも知れないが、韓国人は基本的に寂しがりなので、あまり一人旅はしない)をするなど、どう考えても怪しかったのだろう。また、この当時は日本人が田舎の旅館に泊ることなどほとんどなかった。夜、オンドルの部屋でビールを飲んでいると刑事がやってきた。
 「仕事は何か」「何でここにやってきたのか」と、尋問が始まった。私は当時民社党本部の書記だったので、政治関係の仕事だと言うと面倒になるかなと思いながら一応正直に話した。
 しばらくして、刑事は「給料はいくらだ」と聞いてきた。
「?」
 一瞬なぜこんな質問をするのかと考えたが、結論は簡単だった。
 「こいつはもう仕事ではなくて、自分の興味で聞いているんだな」
 そこで、いい加減に答えて、「ビールでも一杯どうですか」と勧めてみた。「いや、勤務中だから」と一度は断ったが、「まあ、そう言わずに」というと、「それじゃあ、1杯」ということで、後は宴会、というほどではないが、しばし歓談となった。別れ際に刑事は、「春川警察署 対共課 刑事 ●●●」という名刺をくれて、「今度来たら寄ってくれ。俺は公務員だからどこでもタダで入れる」と言ってくれた。
 さすがにその後春川警察署を訪れたことはないが、こういう、良く言えば人間味がある、悪く言えばいい加減なところが韓国の醍醐味(?)だ。

 それにしても、この頃から比べると今の韓国は別の国になったような状況で、「間諜」は与党や政権中枢、各界各層に山ほどいる。いしいひさいち氏の4コマ漫画で、道を歩いている人が「あっ、北朝鮮の工作員だ!」と叫ぶと、周りにいる人間が皆四方八方に逃げ出すというのがあったが、今の韓国は、冗談抜きにそんな状態である。「20年前は日本人が韓国人から安保意識の低さを指摘されていた」と言っても、信じられない人も多いのではないだろうか。もちろん、軍や、情報機関などの中で現状を憂慮する人はいるのだが、そういう声はほとんど表に出てこない。

 しかし、先月、盧武鉉政権になって初めて、北朝鮮の「間諜」が捕まった。盧武鉉政権で捕まるスパイというのは、相当間抜けなスパイなのだろうが、一方で、こんなに政府が対北傾斜している中でも、その流れに棹さして頑張っている国情院(昔のKCIA)のプロパーもいるのかと、多少気を強くした。この際がんばって大統領も国家保安法違反で捕まえてくれればいいのだが。

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2006年9月 9日

命の大切さ

 「命の大切さ」ーー中学生や高校生絡みの殺人事件などが起きると、必ずその学校などではこの言葉が出てくる。校長が記者会見して「今後は生徒に命の大切さを理解させていきたい」などといったように。

 しかし、命がどうして大切なのか、普通の中学生や高校生に簡単に分かるとは思えない。インターネットだ、ゲームだと、バーチャルな世界にのめりこんでいれば、現実と仮想現実の境はなくなっていく。いくら言葉で「命を無駄にしないように」と言われても、また惨害は繰り返されるのである。

 ところで、先日警察の人と話をしていて、殉職者の話題に話が及んだ。警察という職場は、減らすことはできても殉職者をゼロにすることはできない職場である。ケースによっては、自分の生命を危険にさらしても、任務を遂行しなければならない場合もあるだろう。しかも、警察官は「警察比例の原則」で、相手に優る武装をしたり、先制攻撃をすることは基本的にはできない。警察は法秩序を維持するために補助的に武器を使うところであり、この点は同じ武器を使う組織でも軍隊とは決定的に異なる。しかも警官が発砲すればその正当性がどうこうと、すぐにマスコミが問題にする。自らを守るという意味で非常に不利なのである。
 その警察で、殉職者は各県警ごとに毎年ご家族を招いて慰霊行事をするとのこと。しかし、その行事は警察内部のものであって、例えば民間人を救ったことによって殉職した警官がいた場合でも、その民間人が行事に呼ばれたりすることはないそうだ(県警ごとの行事だから例外はあるのかもしれないが)。警察の立場からすれば、それを外部にアピールすることはどうしても遠慮がちになるのだろうが、逆に外部の人間はもっとそれを尊重すべきなのではないか。たとえば、中学や高校でも、慰霊行事に参加させてもらうとか、あるいは現職でもOBでも学校に招いて、仲間がどう殉職したのか話をしてもらう場を持つなどの方法もあると思う。
 命が最も大切だとしたら、最も大切なはずの自分の命を捧げる必要はない。市民が危険にさらされているからと言って警察官が自分の身を挺して守ろうとすることはないはずだ。しかし、現実には消防士などもそうだが、どんなに注意しても殉職者をゼロにすることはできない職場がある。戦争になったときの自衛官はもちろん一定数の死を覚悟しなければならない。そして、そのような仕事に着く人がいなければ国家も、私たちの暮らしもなりたたない。
 命の大切さは、死によって親しい人と永遠の離別をせざるを得なくなったときの欠乏感と、公のために命を捧げてくれた人への敬意によって理解されるのだと思う。私も機会を見て警視庁の殉職者の追悼碑を訪れてみたい。

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2006年9月 8日

マッピングリスト

 以下は9月5日の調査会定例記者会見で発表した文書です。このマッピングリスト1の中で安達俊之さんのことが色々話題を呼んでいます。今後マッピングリストは様々なカテゴリーのものを発表していきますが、安達さんはアベック失踪の最後(私たちが把握しているうち)のケースでも出てきます。一刻も早く真相が明らかになって、拉致であれば救出しなければならないと思っています。関係各位のご協力をよろしくお願いします。

                                              平成18年9月5日
関係各位
             マッピング・リストの発表と情報提供のお願いについて
                                                           特定失踪者問題調査会

 平素拉致問題解決のためのご協力に感謝申しあげます。
 さて、調査会では平成15年1月の発足以来、失踪者の調査を行い、ゼロ番台リスト、1000番台リストの発表等情報を公開して参りました。
 昨今、北朝鮮の体制の動揺等もあり、情報の量は増加していますが、年内解決を実現するために、可能な手段はすべて打つことが必要と考えています。そしてそれが私たちだけの力でなしえるものでないことは言うまでもありません。政府機関の責任はもちろんですが、民間でも報道関係の皆様をはじめ、各層のご協力が必要不可欠です。
 以上の観点から私たちはこれまでの調査内容を整理し、可能なものは「マッピング・リスト」として今後の記者会見で逐次発表し、少しでも多くの方に理解を深めていただくように努力して参りたいと思います。この発表が契機になり、さらに情報収集や対応が進むことを心から期待しております。各位のご協力を心よりお願い申しあげます。

・マッピングリスト作成の目的
 これまで調査の過程で公開可能なものはゼロ番台、そのうち拉致の可能性が高いと思われるものは1000番台として発表してきた。しかし、私たち自身が古川さんの訴訟を通して「政府認定者とそうでない人の差をつけるべきでない」と主張している一方で、1000番台リストにある人とそうでない人の間に、差がついているかのように見える状況になっていることも事実である。そのため、逆に1000番台リストの追加には慎重にならざるを得ず、ある意味自縄自縛とすら言える。
 しかし、調査自体は少しずつ進展している。調査会としては、少しでも情報を提供し、これを機会として政府・議会関係者はもちろん、報道関係者、一般国民に至るまで協力をお願いし、また、拉致問題の全体像を知っていただく一助となることを期待するものである。

・マッピングリストの具体的内容
 例えば今回の「目撃証言のある失踪者」「朝鮮半島での失踪者」のようにカテゴリー別に発表を行う。今後「看護師の失踪」のような職業別の失踪、「埼玉県川口市周辺での失踪」のような地域別の失踪、「アベック・夫婦での失踪」「1980年代中盤の若い女性の失踪」のような状況別の失踪、また、「政府認定者でもなく、調査会のリストにも載っていないが目撃証言や様々な情報のあるケース」などを整理し、順次発表していく。毎月の定例記者会見のときだけでは間に合わないので、出来るだけ早くまとめ、可能なものから順次臨時の記者会見を開催して発表する。

マッピングリスト(平成18年9月5日発表・文中敬称略)

マッピングリスト1(目撃証言)

安明進 加藤久美子・古川了子・藤田進
(上田英司・松本賢一・山田建治に似た人物も目撃しているが、目撃時の記憶と失踪者本人の年齢や身長等のデータに違いがあり、同一人物であるとの自信はないとのこと。なお、安明進は政府認定者のうち横田めぐみ・田中実・蓮池薫・市川修一・増元るみ子と、政府認定者ではないが、拉致されて北朝鮮に住む寺越武志を目撃している)
呉吉男 生島孝子・(呉吉男は政府認定者のうち石岡亨を目撃している)
権革 徳永陽一郎・斉藤裕・大屋敷正行・松本賢一・生島孝子・国広富子・山本美保・佐々木悦子(権革はこの他に伝聞情報で園田敏子の可能性のある女性の情報を明らかにしている)
金国石 松本京子・斉藤裕
金聖愛 国広富子・古都瑞子
A 日高信夫
B 坂本とし子
C 園田一・園田敏子
D 安達俊之
E     加瀬テル子・布施範行
その他 男性3人、女性1人(ゼロ番台リストですでに名前は公開されているが、事情により誰なのかについては公表できない)についての目撃情報と、木村かほるの可能性のある伝聞情報が存在する。

マッピングリスト2(朝鮮半島での失踪者)
大政由美・中村三奈子

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2006年9月 6日

デジャビュ

Ship

 去る5月末に中国に行った。北朝鮮国境の町丹東では鴨緑江の遊覧船から対岸の北朝鮮の写真を何枚も写したが、これはそのうちの1枚である。行ってみれば分かるが、鴨緑江岸は夜でも煌々と電気がつき、人通りの絶えない中国側と、昼も人影はまばらで、夜になるとほとんど光の見えない北朝鮮側が対照的である。中国側の遊覧船に対抗してなのか、それらしい形の船が何隻か置いてあるのだが、素人目にみても、ほとんど動いていないようだ。
このことについては「諸君!」の連載の中でも書いたが、書いていないことを一つ。昔写真の船に似た船が夢の中に出てきたことがあるのである。
 前に書いたのも夢の話だったので、どうかしたのかと思われる人もいるかも知れないが、おそらく10年以上前に見た夢である。白くて側面に円窓の続く船が海岸に打ち上げられており、それが波が来てゴロンと横になるというシーンが何故か印象的だった。その前後の話は忘れたのだが、船だけがずっと記憶に残っていた。この船を見たとき、ディティールは違うのだが、「あ、この船だ」という思いが頭をよぎった。
 それだけのことである。それ以上ではない。
 遊覧船は本当に北朝鮮のすぐ近くまで行く。そこにあるのは普通の北朝鮮の風景なのだが、中国人観光客にとっては、文革のころにタイムスリップしたような感覚を味わうのだろう。見られている人々も慣れているのか、ときどき軽く手を振り返したりしている程度で、ほとんど無反応に近い。その点もライオンバスのような感じである。
 こんなに近くに来ているのに、北朝鮮の中に入ることはできない。あるいは、あの川岸に拉致被害者や帰国者が来ていたのかも知れない。私は「自分はなぜここに来ているのか」と自問し続けていた。
 目の前にある北朝鮮という現実が、船から見ているせいか現実離れして感じられたので、夢のことを思い出したのかも知れない。もう、私自身が北朝鮮の地に足を踏み入れるときなのだろう。

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2006年9月 4日

フィールド・オブ・ドリームズ

If you built it, he will come.(それを作れば、彼はやってくる)

 ケビン・コスナー主演の映画「フィールド・オブ・ドリームズ」(1989)で、ケビン・コスナーに聞こえる「天の声」である。
 私はこの映画が好きで、ビデオも何度も見ている。先日観た「UDON」もこれに影響を受けた部分が見受けられた。両方とも父親と息子の葛藤の映画である。ちなみに、「UDON」でユースケ・サンタマリアの父親の役をやっている木場勝己さんは、かつて私がたびたび行っていた新宿のスナックで歌を歌っていた。映画の最後の方で、小学生たちがうどんを美味しそうに食べているのを見て(実は幽霊だが)微笑むときの何とも言えない笑顔は、昔のままだった。「フィールド・オブ・ドリームズ」のラストで、ケビン・コスナーが父親(これも幽霊)に「パパ、キャッチボールしない?」と呼びかけ、父親が「いいね」と言ってキャッチボールをするシーンとだぶるものがあった。

 そういえば、何年も前のことだが、20代半ばで死んだ 中学・高校の同級生が、夢に出てきたことがあった。生きていたときは喧嘩友達のようなもので、殴り合いまではしなかったものの、「この野郎」と思ったことが何度もあったのだが、夢に出たときは無性に懐かしかった。夢の中でも死んでいることは意識していたのだが、「幽霊でもいいから会って語り合いたい」と思った。
 彼は私と同じ鉄道マニアで、あるとき一緒に帰宅する途中、次に来る電車の形式を当てようということでホットドッグを掛けた。彼の方が当たったのだが、面白半分で何年も逃げ回っていた(別にホットドッグが買えないという程の経済情態ではなかったのだが)。やがて高校を卒業しておごる機会を逸し、「どこかでおごらないといけないな」と思っているうちに彼は死んでしまった。まあ、映画に比べればあまり絵になる話ではないが、そのうちふと彼が現れて「もう40年近く経ったんだから、いい加減おごれよ」と言いそうな気がしている。

 「それを買えば、彼はやってくる」のだろうか。

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2006年9月 3日

吹上浜

 吹上浜というのは、市川修一さんと増元るみ子さんが拉致されたと言われる場所である。
 別に最近行った話ではない。かつてここには鹿児島交通の鉄道線、通称南薩線と呼ばれていたローカル線が走っていた。鹿児島本線の伊集院から指宿枕崎線の枕崎まで約50キロ、長大な路線だったが、旅客減に水害が加わり昭和59年に廃止されている。
 私はここに訪れたことがある。8ミリ(ビデオではなく、昔のムービー)で記録したことも覚えているのだが、その8ミリフィルムも見つからず、何時行ったのかの記録も残していない。したがってはっきりしないのだが、おそらく昭和51,2年だろうと思う。
 南薩線は比較的海岸近くを走るのだが、その割に、覚えている限りでは車窓からほとんど海は見えなかった。その、数少ない、ちょっと開けたところが薩摩湖という駅のあたりだったと記憶している。市川さんと増元さんが拉致される直前に写真をとったのも薩摩湖だった。
 このとき、確か車窓から8ミリで海を写したような気がする。あるいは記憶違いかも知れないが、少なくとも、そういう気になるほど、なぜか光景が目に焼き付いているのである。そして、私が南薩線の車窓から海を見た後1、2年後に、そのあたりから市川さんと増元さんが拉致をされた。さらに、それから20年余り経って、私は拉致の救出運動に関わることになる。不思議な因縁と言えるかも知れない。
 調査会の活動をやるようになってから、日本中どこに行っても「ここで○○さんが失踪したんだな」とか、「□□さんはここに車を置いていなくなったんだな」と思うようになってしまった。そしてそう考えるとすべての風景が違って見えてしまう。
 2両編成のディーゼルカーに揺られて8ミリを回しながら私が旅を楽しんでいた場所で拉致が起き、若い2人がその後の人生を目茶苦茶にされてしまった。罪悪感を感じるなどと言うとかえって安っぽい言い方になるだろうが、今でもあの車窓から見えた海が目に浮かび、複雑な思いに浸るときがある。
 

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