もう15年位前になると思うが、民社党青年部の役員をやっていた当時、青年部として加盟していた国際社会主義青年同盟(IUSY)のアジア地域の会議でインドに行ったことがある。会議の中で民社党青年部を代表してスピーチを行うことになっており、何を話そうかと考えたときに思いついたのが核兵器の問題だった。唯一の被爆国として、核兵器廃絶についてスピーチしたのだが、下手な英語(というより、私は英語はほとんどできないので、事前に原稿を作って翻訳してもらったものを読んだだけなのだが)の割に受けは良かった。
そのとき感じたのだが、日本人にとって「唯一の被爆国」というのは他の国の人間に対して「水戸黄門の印籠」のような効果があるのだなということだった。聞いていた他国の代表の反応からすれば、「私も被爆者の一人だ」(青年組織の会議だからそんなはずはないのだが)と言っても信じてしまいそうな感じだったのだ。
さて、その原爆を落とした国は米国である。鳥居民さんの著書『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』(草思社)にあるように(鳥居さんは昨日付産経新聞「正論」欄にも同様のことを書いておられた)当時の大統領トルーマンはもっと早くに終戦に応じていたはずの日本からその機会を奪い、継戦能力のないことを分かっていながら2発の原爆を投下させ多数の非戦闘員を殺傷した。このことだけをもってしても連合国に日本を裁く資格がないことは明白である。「A級戦犯」という言葉は、もし東京裁判が本当に裁判の名に値するものならば当然トルーマンにも適用され、彼も絞首刑になるべきであった。
しかし、米国政府は原爆投下を、それをしなければより多くの犠牲者が出たという根拠薄弱な理由で正当化している。その点は今も同様だ。そして、左翼は逆にこれを巧妙に利用してきた。
米国の論理に従えば、日本政府及び軍が無謀な戦いを続けたから原爆投下に至ったということになる。日本人でもそう信じている人は少なくない。広島の原爆記念公園にある「過ちは繰返しませぬから」という言葉もその線上にあるのだろう。そして、「いやそんなことはない、原爆投下自体は米国の犯罪行為である」と反論すれば、「それではそんな米国と軍事同盟を結ぶとは何事か」ということになる。原爆の惨禍自体は誰も否定できないし、戦前も否定し、現在の日米関係も否定するという二重の意味で利用できるのだから、左翼からすればこんなに使い勝手の良い話はない。
日本人の多くは将来も日本が独自の核武装をすることはないと思っているだろう。しかし、私たちがいくらそう言っても、周囲の国で、同盟国であれ仮想敵国であれその言葉を信じる国はない。実際に米国でも世論調査ではかなりの数の人が日本はすでに核武装していると認識しているというのだから。核抑止力は核を持つことであるという現実から考えれば、技術力も経済力もある日本がやがてそうするだろうというのは誰でも考えることだ。膨大なカネをかけてミサイル防衛などやっても、費用対効果は極めて悪い。というよりほとんど抑止力にはならないと言っていい。家の回りをピストルを持ってうろついている人間が何人もいるのに、「警察は守ってくれるし一番高い鍵をドアにつけるから大丈夫だ」と言っているようなものだ。明らかに国民に対する欺瞞である。
北朝鮮では、金正日体制生き残りの唯一のカードが核である。核とミサイルのない北朝鮮など、ただの貧乏国であり、誰も相手にしないだろう。だから、あの体制の最後まで、金正日が北朝鮮の非核化に応じるはずはない。さらに、中国共産党も経済開放によって怒濤のように入ってくる情報を食い止めることなどできない。一党独裁と経済の自由化の矛盾は大きくなることはあっても縮小させることは不可能である。そうするとそのギャップを埋めるのは結局「力」ということになる。その源泉を辿ればこれまた核に行き着く。日本はそれらの国と向き合っているのである。米国なら少なくとも現在は安全保障上共通の利益があるが、中国は仮想敵国、北朝鮮は敵国であり、この両国が力の源泉を核においていることは現実として認識しておかなければならない。
同盟国米国の核の傘が機能するはずという、希望的観測のもと、日本は「専守防衛」という虚構を維持してきた。突き詰めると、そう言わなければ現行憲法上防衛力を持つ根拠がないということが「専守防衛」と言い続けてきたことの最大の根拠である。日英同盟の失効から日英が戦うまで18年、日米同盟も未来永劫続く保障はないし、続いたとしてもアジアにおける米国の影響力が維持される保障もない。ポンと日本の肩を叩いて「あとはよろしく。あんたのところの縄張りだしね。後ろから協力はするから」と言われるかも知れないのである。そのときに「専守防衛」で国が守れるはずがない。
さて、日本はこれから、核に関し次のことを同時に進行させなければならないと思う。
1、核兵器による被害に向き合い続ける(これは今までと同様で、その引き起した惨害は被爆国として後世にも伝えていかなければならないし、究極の目標としての核廃絶に向けた努力はすべきである)
2、その核兵器を61年前日本に落とした米国で、トルーマンの選択が誤りであったことを認めさせる(少なくともそのような意見が一定の影響力を持つように努力をする。もちろん、これは核に限らず、ルーズベルトの時代からの都市無差別爆撃などについても同様だが)
3、北朝鮮の核開発を封じ込める(これには外交上の努力もあれば、ミサイル基地への先制攻撃力を持つことも必要だ)
4、中国への対抗上自ら核抑止力を持つ(現実に核兵器を保有するか、国際情勢の変化にあわせていつでも保有できるというところで止めておくかは選択の余地があるが)
これらを一度に進めるのはかなり困難なことだが、一つひとつ片づけていく余裕はない。評論家的に(残念ながら本来その最前線に立たされるわが軍の中にもそういう人が多いのだが)高みの見物を決めこんでいるべきでもない。一人ひとりが自分の持ち場の中で、現実と格闘しなければならないと思う。
そのうち再び外国でスピーチする機会があったら、こういった話もしてみたいと思っている。質問や反論をされても私の英語力では答えられないのだが。