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2006年8月20日

シンポジウムのお知らせ

戦略情報研究所と一橋総合研究所(外交防衛部会)は下記の要領でシンポジウムを共催します。奮ってご参加下さい。

(開催の趣旨)
 北朝鮮によるミサイル発射、軍事拡張をつづける中国と、東アジアにおける軍事的な緊張が、高まりつつあります。米国のグローバル軍事戦略に呼応する日本の防衛政策、非対称な日米安保、そして、国民の権利と安全を守るべき憲法と、国民は、日本の防衛を、真剣に考える時期に来ています。

 しかし、国民は、主権者でありながら、国および国民の安全保障に関して、政治家そして官僚に任せ過ぎています。自らの命、財産そして誇りを守るため、国民自らが考え、安全保障戦略を練るべきと考えます。

 安全保障そして憲法の専門家と参加者皆様の、「いかに日本を守るか」の議論が、日本を守る民の輪を広げるきっかけとなれば、望外の喜びです。
 
日時:9月11日(18:00-21:00)

会場:如水会館14階 「東西の間」
東京都千代田区一ッ橋2-1-1   Tel 03(3261)1101(代)
(地下鉄東西線竹橋駅下車 1B出口 徒歩4分、半蔵門線・三田線・新宿線神保町下車 A8出口 徒歩3分)

http://www.kaikan.co.jp/josui/info2.html

プログラム
18:00 開場
18:30〜20:00 パネリストによるプレゼンテーション
20:00-20:15 休憩
20:15-21:00 質疑応答

パネリスト

■佐藤守氏(軍事評論家・元航空自衛隊空将)<台湾海峡危機の可能性>
■近藤重克氏(防衛庁防衛研究所・統括研究員) <東アジア安定化のための日米連携>
■西修氏(駒沢大学・教授)<日本の防衛政策と憲法理念の矛盾と、その解決案>
■荒木和博(戦略情報研究所代表・拓殖大学教授)<朝鮮半島情勢>

※注記:都合により、パネリストの変更及び提言内容の若干の変更がありますので、その際は、ご容赦ください。

モデレィター: 鈴木壮治・一橋総合研究所COO(統括責任者)
 
会費:2000円
(今回は戦略情報研究所会員にお送りしている講演会参加券は利用できませんのでご了承ください)

参加方法
[email protected](一橋総研事務局 林さん)までお申し込み後、当日は直接会場までお越しください。
※どなたでもご参加いただけます。

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2006年8月15日

軍隊

元北朝鮮工作員である安明進氏があるところで講演した折、こう語った。

「軍隊というのは結局人を殺すためのものですよ。国を守ると言っても、相手を倒さなければならないのだから」

 確かに、警察と軍隊の大きな違いは武器の使い方だ。警察は法を執行するために必要最小限の武器を使うのだが、軍隊は武力をもって相手を制圧することによってその目的を達する。そうすると、とどのつまりは安明進氏の言葉のように、敵を殺すのが目的(もちろん、戦争というのは政治の一形態であり、威嚇だけして目的を達することができればその方がいいから、最終的目的というわけではないが)ということになる。

 しかし、戦後日本の再起を防ごうとした占領軍(特にアメリカ)と、積極的か消極的かは別として、その意図を汲んできた政治家や官僚によって、60年間、このことは誤魔化しに誤魔化しがかさねられてしまった。

 本当の話かどうか、私の手許には記録が見つからないのだが、民社党にいた当時(1970年代か80年代だと思う)、国会の質問で「北海道に極東ソ連軍が上陸したらどうするのか」という質問に、「上陸したソ連軍の規模に見合う手錠を持って警察がかけつける」という答弁があったとの話を聞いたことがある(もし、正確なやりとりをご存知の方がおられたら教えていただけると幸いです)。実際にあったかどうかは別として、少なくとも発想はそういうことだったろう。

 幸いにしてそういう事態はなかったが、警察がかけつけていたら、「警察比例の原則」で対応することになる。つまり、相手以上の武器は持たず、しかも相手が撃ってから応戦するということだ。これはつまり動員された警察官全てを死なせることを意味する。おそらく、そうやっておいてから政府は「国民の皆さん、見てください。警察では対応できないんですよ。仕方ないから自衛隊を出しますよ。憲法違反なんて言わないで下さいね」と言っておそるおそる自衛隊を出すのである。これと似たような話は麻生幾氏の小説『宣戦布告』(映画は石侍露堂監督)にも出てくる。

 まあ、1970年の安保闘争の時代なら「自衛隊は軍隊ですから、戦争になれば人を殺すのは当たり前です」などと総理や防衛庁長官が言ったら政権が倒れるどころか日本中がひっくり返ってしまったろうし、安保アレルギーが少なくなった今でも、こんな言葉をまともに聞いたら「憲法9条を守れ」などと言っている人の中には憤死してしまう人もいるのではないか。

 しかし、現実はそういうことだ。そして、その現実から、右も左も、政治家も官僚もマスコミも、そして国民も目を背けている。皆外から言うだけでプレイヤーになろうとしない。ついでに言えばプロのプレイヤー、現役自衛官でもベンチに座ったままでマウンドにもバッターボックスにも立たない人がほとんどだ。「選手のくせになぜ試合をしないのか」と言われると、「政治にかかわらないことになっていますから」と逃げるのだろう。まあ、軍人と言ってもお役人であり、家族を食わせていかなければならないのだから、「職を投げ捨てても軍の本来のあり方を追求せよ」とは言えない(この点自衛隊に過大な期待は抱くべきではない)。

 そうすると、グランドに出ていくのは民間人と現役自衛官の中間にいる私たち予備自衛官の役目なのかも知れない。私自身にその覚悟があるかと聞かれれば考え込まざるを得ないが、少なくとも招集されれば武器を持たされる(つまり、命令があれば合法的な殺人を行い得る)一方で、通常は現役自衛官に、その武力によって守ってもらっている民間人であるという両方の立場を持つ私たちに果たし得ることはあるのではないかと思っている。

 冒頭に書いた安明進氏の言葉は、軍民を問わずしっかりと向き合うべき言葉である。

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2006年8月10日

核兵器

 もう15年位前になると思うが、民社党青年部の役員をやっていた当時、青年部として加盟していた国際社会主義青年同盟(IUSY)のアジア地域の会議でインドに行ったことがある。会議の中で民社党青年部を代表してスピーチを行うことになっており、何を話そうかと考えたときに思いついたのが核兵器の問題だった。唯一の被爆国として、核兵器廃絶についてスピーチしたのだが、下手な英語(というより、私は英語はほとんどできないので、事前に原稿を作って翻訳してもらったものを読んだだけなのだが)の割に受けは良かった。

 そのとき感じたのだが、日本人にとって「唯一の被爆国」というのは他の国の人間に対して「水戸黄門の印籠」のような効果があるのだなということだった。聞いていた他国の代表の反応からすれば、「私も被爆者の一人だ」(青年組織の会議だからそんなはずはないのだが)と言っても信じてしまいそうな感じだったのだ。

 さて、その原爆を落とした国は米国である。鳥居民さんの著書『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』(草思社)にあるように(鳥居さんは昨日付産経新聞「正論」欄にも同様のことを書いておられた)当時の大統領トルーマンはもっと早くに終戦に応じていたはずの日本からその機会を奪い、継戦能力のないことを分かっていながら2発の原爆を投下させ多数の非戦闘員を殺傷した。このことだけをもってしても連合国に日本を裁く資格がないことは明白である。「A級戦犯」という言葉は、もし東京裁判が本当に裁判の名に値するものならば当然トルーマンにも適用され、彼も絞首刑になるべきであった。

 しかし、米国政府は原爆投下を、それをしなければより多くの犠牲者が出たという根拠薄弱な理由で正当化している。その点は今も同様だ。そして、左翼は逆にこれを巧妙に利用してきた。

 米国の論理に従えば、日本政府及び軍が無謀な戦いを続けたから原爆投下に至ったということになる。日本人でもそう信じている人は少なくない。広島の原爆記念公園にある「過ちは繰返しませぬから」という言葉もその線上にあるのだろう。そして、「いやそんなことはない、原爆投下自体は米国の犯罪行為である」と反論すれば、「それではそんな米国と軍事同盟を結ぶとは何事か」ということになる。原爆の惨禍自体は誰も否定できないし、戦前も否定し、現在の日米関係も否定するという二重の意味で利用できるのだから、左翼からすればこんなに使い勝手の良い話はない。

 日本人の多くは将来も日本が独自の核武装をすることはないと思っているだろう。しかし、私たちがいくらそう言っても、周囲の国で、同盟国であれ仮想敵国であれその言葉を信じる国はない。実際に米国でも世論調査ではかなりの数の人が日本はすでに核武装していると認識しているというのだから。核抑止力は核を持つことであるという現実から考えれば、技術力も経済力もある日本がやがてそうするだろうというのは誰でも考えることだ。膨大なカネをかけてミサイル防衛などやっても、費用対効果は極めて悪い。というよりほとんど抑止力にはならないと言っていい。家の回りをピストルを持ってうろついている人間が何人もいるのに、「警察は守ってくれるし一番高い鍵をドアにつけるから大丈夫だ」と言っているようなものだ。明らかに国民に対する欺瞞である。

 北朝鮮では、金正日体制生き残りの唯一のカードが核である。核とミサイルのない北朝鮮など、ただの貧乏国であり、誰も相手にしないだろう。だから、あの体制の最後まで、金正日が北朝鮮の非核化に応じるはずはない。さらに、中国共産党も経済開放によって怒濤のように入ってくる情報を食い止めることなどできない。一党独裁と経済の自由化の矛盾は大きくなることはあっても縮小させることは不可能である。そうするとそのギャップを埋めるのは結局「力」ということになる。その源泉を辿ればこれまた核に行き着く。日本はそれらの国と向き合っているのである。米国なら少なくとも現在は安全保障上共通の利益があるが、中国は仮想敵国、北朝鮮は敵国であり、この両国が力の源泉を核においていることは現実として認識しておかなければならない。

 同盟国米国の核の傘が機能するはずという、希望的観測のもと、日本は「専守防衛」という虚構を維持してきた。突き詰めると、そう言わなければ現行憲法上防衛力を持つ根拠がないということが「専守防衛」と言い続けてきたことの最大の根拠である。日英同盟の失効から日英が戦うまで18年、日米同盟も未来永劫続く保障はないし、続いたとしてもアジアにおける米国の影響力が維持される保障もない。ポンと日本の肩を叩いて「あとはよろしく。あんたのところの縄張りだしね。後ろから協力はするから」と言われるかも知れないのである。そのときに「専守防衛」で国が守れるはずがない。

 さて、日本はこれから、核に関し次のことを同時に進行させなければならないと思う。

1、核兵器による被害に向き合い続ける(これは今までと同様で、その引き起した惨害は被爆国として後世にも伝えていかなければならないし、究極の目標としての核廃絶に向けた努力はすべきである)

2、その核兵器を61年前日本に落とした米国で、トルーマンの選択が誤りであったことを認めさせる(少なくともそのような意見が一定の影響力を持つように努力をする。もちろん、これは核に限らず、ルーズベルトの時代からの都市無差別爆撃などについても同様だが)

3、北朝鮮の核開発を封じ込める(これには外交上の努力もあれば、ミサイル基地への先制攻撃力を持つことも必要だ)

4、中国への対抗上自ら核抑止力を持つ(現実に核兵器を保有するか、国際情勢の変化にあわせていつでも保有できるというところで止めておくかは選択の余地があるが)

 これらを一度に進めるのはかなり困難なことだが、一つひとつ片づけていく余裕はない。評論家的に(残念ながら本来その最前線に立たされるわが軍の中にもそういう人が多いのだが)高みの見物を決めこんでいるべきでもない。一人ひとりが自分の持ち場の中で、現実と格闘しなければならないと思う。

 そのうち再び外国でスピーチする機会があったら、こういった話もしてみたいと思っている。質問や反論をされても私の英語力では答えられないのだが。

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2006年8月 7日

鉄ちゃん

 「鉄ちゃん」ー言うまでもなく鉄道マニアを揶揄した言葉である。そして、私もこの末席を汚している。

 「鉄ちゃん」という単語は少なくとも私が大学生時代には存在した。したがって少なくとも30年の歴史(?)があることになる。ただ、当時は一般人(非鉄道マニア)に知られていた言葉ではなく、自分の周囲では鉄道写真を撮りに行くことを「鉄ちゃんする」と、動詞形で言っていた。鉄道マニアも市民権を得たことになるだろうか。

 最近では 「鉄ちゃん」の蔑称というか、さらに揶揄した言葉で「鉄」と言ったり、あまり病気が進行していない「鉄ちゃん」を「軽鉄(かるてつ)」と言ったりすることもあるそうだ。先日「読売ウィークリー」で読んだのだが、最近は女性の「鉄ちゃん」もいて、「鉄子さん」と言うとか。まあ、「旅」の比重が高く(つまり一般人でも理解できる)男ほどオタクっぽくはないのだろうが。

 さて、昨日私は久しぶりに「鉄ちゃん」しに出かけた。出張した空き時間に写真を撮りに寄ることはときどきあるが、そのために半日出かけるということになると、少なくとも10年以上やっていなかったのではないか。行った先は常磐線の馬橋から出ている路線延長5.7キロの小私鉄、総武流山電鉄である。車輌はすべて元西武鉄道の車。西武ファン(野球の方ではありません)としては懐かしい車ばかり。

 終点の流山で降りて歩き、さて写真を撮ろうと前にこのブログでも書いたオリンパスOM-2を出し、盛んにシャッターを切った、といいたいところだが、普段の行いが悪いせいか、カメラが故障してシャッターが切れなくなってしまった。いくらいじくってもどうにもならず、結局それでおしまい。携帯で2〜3枚撮ってはみたものの、肝心のフィルムの方は1枚も撮れず、ただ乗って帰ってくることになった次第。

 まあ、ちゃんと撮れたところで腕の方は大したことはないので、下手な写真でフィルムを浪費するよりましだ、と自分を慰めた。乗るのも趣味のうちだし、前に流山に来たのは30年位前だから、それもまた悪くはなかったと思っている。

 ちなみに、自分の学生時代は写真を撮りに行くにしても「マル井写真」(駅のそばで安直に撮る)とか、「キヨスク写真」(駅のホームでさらに安直に撮る)というのは軽蔑されていて、何となく「鉄道写真は何キロも歩いて撮るのが王道」といった暗黙の了解があったように思う。

もっとも、鉄道写真でも走行写真ではなく、形式写真という、車輌ごとの写真ばかり撮る人もいる。私もかつてはやっていたが、こうなると芸術性も何もない。ほとんど解剖学的な視点になってしまう。きれいな風景の中を走る走行写真なら一般人も多少共感してくれるが、車輌ごとの写真を並べて薄笑いを浮べている姿は結構不気味である。何人か鉄道マニアが集まってそういう写真を喜々として眺めていれば、常人はおそらく避けて通るだろう。

 鉄道マニアというのは駅などで立っていると、雰囲気だけでそれと分かる(特に同業者同士は)。何となく自分を見ているようで気恥ずかしくなるときがある(かつて、写真を撮りに行った先で同じ車輌に何人も同業者がいたために恥ずかしくてカメラが出せなかったことがあった)。

まあ、私も含めてこれらの人種は別に他人に害を与えることはないので、暖い目で見てあげて下さい。鉄道でどこかに行こうと思ったときには「乗換案内」の代わりになり、結構重宝するはずです。ただし、「あそこを走っている車輌は昔ここにいた車で…」とか、「この線の運転の仕方は他と変わっていて…」とか若干蘊蓄を聞かされる覚悟は必要ですが。

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