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2006年3月26日

拉致問題の本質は歴史問題

以下は財団法人モラロジー研究所の発行する隔月刊誌『道経塾』42号に掲載されたものです。
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 拉致問題に関わるようになって九年、この間いろいろなことを体験して、結局、この問題の本質は歴史認識の問題に帰結するのではないかと思うようになった。
 以下はかなり粗雑な議論だが、私なりの「覆水を盆に返す」試みである。

戦前における共産主義の暗躍
 
 二十世紀における最大の害悪は、いうまでもなく左翼全体主義、マルクス・レーニン主義、科学的社会主義、あるいは共産主義と呼ばれる思想であった。とりあえずは共産主義と総称しておこう。この思想は、「科学的」と言いながら、実際は一種の疑似宗教であった。
 そして、この疑似宗教は人間の醜い部分、嫉みや恨みを正当化し、虐殺や迫害を鼓舞し共同体を破壊してきた。共産主義のために命を落とした人は一億人を超えるといわれるが、ソ連の収容所、中国の大躍進、文化大革命、天安門事件、ベトナムのボートピープル、カンボジアにおけるポル・ポトの大虐殺、そして北朝鮮における人権抑圧など、二十世紀には思い起すのもおぞましいさまざまな惨事が引き起されてきた。拉致事件ももちろんその一つである。
 日本は戦前、東アジアにおける共産主義の防波堤であった。本来は満州でソ連の浸透を防ぎ、国民党と協力して共産党を排除することがその役割であるはずだった。もちろん、米国ともそのための連携をしなければならなかった。
 ところが実際には日本国内におけるソ連のスパイ、ゾルゲや尾崎秀実らの工作と中国における共産党の暗躍により北の守りは手薄になる一方、度重なる和平への努力は水泡に帰し、日本は中国戦線の泥沼から抜けられなくなった。

「東京裁判史観」へと至る経緯

 一方米国も政権中枢にソ連のスパイを抱え、また共産主義に対して日本ほど直接の脅威を感じていなかったこともあり、最優先で戦う相手を日本にしてしまった。
 そして、戦争の結果日本は焦土と化し、中国大陸は共産党の手に落ち、米国はその後四十年間に渡りソ連共産主義と対決しなければならなくなった。
 勝ちはしたものの、米国にとって日本に対する恐怖感は想像以上のものだったのだろう。資源もなく、三国同盟といっても戦争にはあまり役に立たず、しかも陸軍と海軍が喧嘩をしながら、四年に亙って世界中の大国を向こうに回して戦い続けたのである。有史以来こんな国はほかにはない。
 だから、米国の占領政策の主眼は「二度と立ち向かってこない国にすること」だった。憲法がその証拠である。あの憲法を読めば日本語の分かる人間なら誰でも軍事力を持ってはいけないと読めるはずだ。「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という全文を押し付けた米国は、戦後半世紀余、他国の公正と信義など全く信頼せず、「國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段として」頻繁に行使してきた。
 自分が実現できず、また、やるつもりもない憲法を押し付けたことは米国の占領政策が何を最大の主眼に置いたかを物語っている。しかし、その米国も冷戦が深刻化し、朝鮮戦争が勃発する中、占領政策の大転換を図り、日本を同盟国として育成しようとし始めた。
 考えてみれば、米国が日本に圧力をかけなければ日本は戦争をしていない。最初に叩いたのが日本だとはいっても、そこに仕向けたのが米国であったことは既に周知の事実である。もし、当時ルーズベルトをはじめ米国の首脳がもう少し共産主義を知っていれば日米は戦わずに済んだはずである。仮に矛を交えざるをを得ない運命にあったとしても、もう少し早くに戦争終結の道が開けたのではないかと思う。
 しかし、米国は、今更日本を叩いたことは間違いでしたというわけにもいかず、自らの作った歴史観、いわゆる「東京裁判史観」をそのままにしてしまった。そうしておかないと都市に対する無差別爆撃や原爆投下のような非戦闘員の大量虐殺、捕虜の虐待などを正当化できないからである。そして、「東京裁判史観」は共産勢力にとっても都合が良かった。日本の力を削ぎ、自らの勢力を拡大することができるからだ。

本質の議論を避けた歴代政権

 残念ながら、この歴史観を受け入れた勢力は日本人の中にも少なからず存在した。そして、それらの人々によって日本国民は「かつては悪いことをしたからひどい目に遭ってしまった。悪いことをしなければ他国からも悪いことをされないのだ」という虚構を信じこまされてきた。そして、その中で起きたのが長年に亙る拉致事件である。
 明確な主権侵害である拉致事件に対して、しかし戦後体制は「長期間にわたり国民が北朝鮮の国家目的によって拉致され続けることはあってはならないことだ、だから、なかったことにしよう」と、可能な限りを隠蔽し、隠しきれない事件だけを個別の刑事事件と位置づけてきた。現在政府が拉致認定している十六人は、報道によって明らかになったり、工作員が逮捕されて証言するなど、認めざるをえない事件だったので「仕方なく」認めたに過ぎない。
 隠蔽したのが一部の政治家であれば、その政治家が引退することで表に出るはずなのに、そうならなかったのは、これが戦後体制の中で出てきたもの、一種の「無意識の共同謀議」ともいえるものだからだ。
 主権侵害である拉致問題の解決には北朝鮮の仕掛けた戦争行為であるとの認識が欠かせず、したがって、軍事力の行使を少なくともカードとして持っていなければならない。しかし歴代政権はそれを徹底して避けてきたし、国民の目にその本質が触れないようにし続けてきたのである。

誇りある日本を次世代に

 最初に戻る。共産勢力と闘い、その害悪の広がるのを防がなければならなかった非共産主義勢力同士が争い、漁夫の利を与えてしまったことは最も反省すべきことである。ならば、現在もその害悪が続いている共産主義勢力に対抗していくことこそ必要なのではないのだろうか。
 個別に反省する点は多々あれど、あの戦争は実際には歴史上何百何千とある戦争のうちの一つ、「ただの戦争」に過ぎず、日本が特別悪かったわけではない。逆に、私たちの先人が、厳しい状況の中であれだけの戦争を戦い抜いたことは誇りこそすれ恥じるべきことではない。
 その先人に恥ずかしくないようにし、次の世代に自身をもって日本を渡していくためには、私たち自身が自由や、平和を守るために闘うことである。その闘いの中から拉致被害者も救出できるし、私たち自身の安全も守ることができると確信している。

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2006年3月11日

高度な倫理観

西村眞悟代議士の弁護士法違反にかかわる裁判がはじまった。
 これにあわせて自民党と公明党は西村議員の辞職勧告決議案を提出、古巣の民主党も同調の方向という。自民党の方は慎重だったようだが、公明党がねじ込んだ形のようだ。民主主義の国だから、その範囲内であればどうこう言うべきではないかも知れないが、これで辞職勧告をするなら自民党も公明党も民主党も、弁護士出身で同様のことをやっている議員は全員自分から辞表を出すべきだろう。まさか、他の弁護士出身国会議員が全て、議員の仕事ををやりながら、弁護士の仕事もちゃんとやっているわけはないのだから。
 そう言えば、一昨日、某マスコミの記者から電話取材を受けた。西村議員のことについて、裁判となって本人への批判はないかとか、色々聞かれたが、要はこれまで西村議員を支持してきた人たちから離反者が出ていると聞き出したかったようだ。
 誇張でも何でもなく、昨年の逮捕以来、旧来の西村議員支持者で「支持をやめる」と言った人は、少なくとも私の周囲では皆無だった。それどころか、全く見も知らない多数の人から(しかも、西村さんのタイプからすると苦手と思われた若い女性も含め)、「西村議員を支持します」との言葉をいただいたのには、正直こちらが驚いてしまったほどだ。
 ところで、その記者は期待した答えが返ってこなかったせいか「国会議員とか弁護士というのは高度の倫理観が求められるでしょう」と言ってきた。
 「高度な倫理観」--実に良い言葉だ。しかし、国会議員や弁護士にそれが求められるなら、第4権とも言われるマスコミの人間にも求められて当然だろう。リーク情報をろくに検証もしないで特ダネのごとくに報じるような記者も、録音しないと言っておいて録音したり、ルールに反する取材をする記者も、皆辞職すべきだろう。捏造記事など掲載したら、それだけで新聞社一つ廃業してもいいのではないか。
 私は一応本職は大学の教員だ。 教育者なら当然「高度な倫理観」を求められるはずだろうが、少なくとも私は「高度な倫理観」など持ち合せていないし、今後も持つつもりはない。そもそもそんなものを振りかざす人間にろくな人間はいない。マスコミの人間で、「いや、そんなことはない」というなら、西村眞悟以外の弁護士出身の国会議員の同様の問題について、徹底的に調べて根絶する努力でもしたらどうか。
 西村議員は裁判のことがあり、周囲に迷惑をかけたくないという気持ちから、ある程度活動は控えていると思うが、拉致問題については遠からず一戦(相手が北朝鮮なのか日本政府なのかはともかく)交えなければならないときが来る。したがって表芸よりも、実質的な救出につながる活動をやってもらいたいし、ご本人もそれは望むところであろう。「高度な倫理観」より「救出」を優先する方向で、今後も西村議員と共に活動していくつもりである。

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